第2話 帝国軍vs北方貴族軍②
かなり増量中。
とてつもない衝撃が走る。
地獄のものかと思えるほどの火柱が燃え盛る。
兵士達は悲鳴を上げたが、大地の割れる音が打ち消してしまった。
そうして瞬く間に、北方軍の本陣は消滅し、代わりに焼かれて荒れ果てた大地が出現した。そこにあったはずの生命は、痕跡を残すことすら許されなかった。
「い、いったい……何が起こったのだ……?」
地面に倒れ伏していたハイメンダールは、沈みそうになる意識を辛うじて揺り起こした。眩暈を堪えながら上体を起こし、周囲の様子を窺う。
そして、愕然として言葉を失った。
つい先程まで、そこには屈強な兵士たちが整然と隊列を組んでいたはずだ。
皇帝の座を我が物とするため、何年も掛けて鍛え上げた精兵だった。
その野望を為し遂げるため、これから正に戦おうとしていたのだ。
だというのに―――、
およそ五万の軍勢は、半数以上が物言わぬ屍となった。
いや、屍ならばまだ良い。消え失せて死体すら残らぬ者が大半だ。
生き残った兵士にも負傷者が多く、あちこちで混乱した叫び声が響いている。
天空より降り注いだ大岩の雨により、北方軍は壊滅寸前に追い込まれていた。
「ば、ばかな……このようなことが……」
ふらつくハイメンダールの足下には、赤黒い竜の鱗が散らばっていた。焼け焦げた鱗は、秘策であった屍竜のものだろう。
その屍竜がいた天幕も消滅している。
地面が抉られ、黒々と焼けた爪跡が、遥か後方まで続いていた。
兵士も、秘策も、戦いが始まる前に撃ち砕かれてしまったのだった。
「もはやこれでは……い、いや! まだだ! このままでは終われぬ!」
絶望へと転げ落ちそうになった意識を、ハイメンダールは怒りによって引き戻した。ぎりぎりと歯噛みしながら思考を巡らせる。
何故、こうなったのか? 無事な兵はどれだけ残っているのか?
最後に見えたのは、巨岩が降ってくるところだが―――。
「っ……そうだ! レミディアのあの二人は!?」
今更になって思い出し、ハイメンダールは首を回す。背後へ振り返ったところで、折り重なるように倒れているネグロスとアイザッドを見つけられた。
駆け寄るが、すでにネグロスの方は生死を確かめるまでもなかった。
手足を一本ずつ断ち切られて、全身が奇妙に捻じ曲がっている。恐らくは巨岩が振ってきた衝撃と、飛んできた破片によって打ち据えられたのだろう。
脇に転がっている『死叛天杖』も停止している。もはや巨大狂蟻を操る策は打ち砕かれた。たとえ魔導遺物が無事でも、地下まで及ぶほどの衝撃で、魔物どもも叩き潰されているだろう。
ハイメンダールも、一歩間違えれば同じような死に様を晒していた。
どうにか生き残れたのは、咄嗟に魔導遺物『鋼劫剣』を発動させたからだ。
一方、アイザッドは悪運に恵まれたらしい。ネグロスの体が盾となったおかげで、気絶しただけで済んだようだ。
打撲はあっても、この状況では軽傷と言える。
そのアイザッドの頬を叩き、引き起こして、ハイメンダールを声を荒げた。
「さっさと起きろ! 貴様、それでも騎士の端くれか!」
「ぐっ……」
呻きを漏らして、アイザッドは頭を振る。
朦朧としているのも仕方ないのだろうが、それに付き合っている余裕は、いまのハイメンダールにはなかった。
「貴様の役目は、魔術を防ぐことだったはずだ! なのに見ろ! 貴様が役立たずだったおかげで、このザマだ!」
「ぇ……あ……っ!」
ようやく意識がはっきりしてきたアイザッドは、周囲を眺めると大きく目を見開いた。愕然として、ぱくぱくと口を動かす。
呆れたような、諦めたような、悲哀混じりの笑みを浮かべた。
「は……ははっ、これは……ああ、そうか、あの魔術は……」
「何を笑っている!? 貴様、あれが何か知っているのか!?」
「あははっ、帝国の方が詳しいでしょう? あれは……エルフィン族の秘術ですよ。天空の星々を操り、落下させるという……」
指摘されて、ハイメンダールは息を呑む。
確かに聞かされた記憶があった。かつて帝国がエルフィン族と争った際に、そのような秘術を使う化け物に苦しめられたと。
銀髪の悪魔、長耳の死神―――。
「おのれぃ、ディアムントめ! 怨敵たるエルフィン族と組んだというのか!」
ハイメンダールも敵国と組んだのだが、それを指摘する者はこの場にはいない。
アイザッドもまだ虚ろな目をして、悲嘆じみた笑声を漏らしていた。
「ははっ、ふざけてるよ……『反骨鏡』でもどうしようもない……」
あらゆる魔術を跳ね返す『反骨鏡』だが、当然ながら物理現象に対しては無力となる。
シャロンが使った術式は、天空へと効果を及ぼすものだ。降ってくる隕石自体に魔術的な力は込められておらず、単純な、圧倒的な暴力として敵を蹂躙する。
もう一度放たれたら、今度こそアイザッドも命を落とすだろう。
「あんなもの、防げるはずないじゃないかぁっ!」
いきなり叫ぶと、アイザッドは身を翻して駆け出した。
戦場へ背を向けて、誰もいない後方へと。
明らかな敵前逃亡だ。斬り捨てられても文句は言えない。
ハイメンダールも腰の剣に手を掛けたが、舌打ちを漏らしただけで自制した。
いまは臆病者に構っている場合ではない。
それよりも、一刻も早く軍を立て直すべきだった。
「鎮まれ! 皆、聞けぃ! まだ我らには戦う術がある!」
混乱している兵士たちへ、ハイメンダールは轟くほどの大声を投げた。
実はまだハイメンダールも冷静さを取り戻していない。戦う術と言ったが、ここからどう勝機を見出せばよいのか、答えなど持っていなかった。
それでも声を上げたことには意味があった。
主の無事を知った兵士の中には、明るい顔になって安堵を漏らす者もいた。
そうして戦意を奮い立たせれば、まだ戦えるはずだった、が―――。
「―――て、敵襲っ! 帝国軍が突撃してくるぞ!」
一人の兵士が、ほとんど泣き叫ぶように告げた。
すぐに馬蹄の音が響いてくる。
さらに上空からは無数の矢が飛来する。
立ち直る暇もなく、北方軍はまたも混乱の坩堝へと突き落とされた。
◇ ◇ ◇
大気が震え、足元からも衝撃が伝わってくる。
遥か前方で広がる破壊を確認して、シャロンはふぅっと息を吐いた。
全身が倦怠感に包まれている。エルフィン族でも桁外れの魔力量を誇るシャロンだが、さすがに巨大隕石の雨を降らせるのは少々難しかった。
極度の集中力を要求される上に、術式の発動まで時間が掛かる。
賭けというほどではないが、周囲に意識を配る余裕はなかった。
「……話には聞いていたが、凄まじいな」
ディアムントから呆れたような声を投げられて、ようやく気づく。
周囲にいた騎士たちが、唖然とした眼差しを向けてきていた。
若干の気まずさを覚えつつも、シャロンは一礼して静かに述べる。
「陛下、いまこそ好機かと」
「む……そうであったな」
短い遣り取りをして、ディアムントは表情を引き締める。
本陣に控える騎士たちも、すぐに戦場へと意識を向け直した。
「もはや反乱軍は瓦解したも同然。全軍に伝えよ、突撃せよと!」
覇気のある声が響き渡り、兵士たちは歓声によって応える。
程無くして、帝国軍全体が動き出した。
素早く先頭集団が駆け上がり、それを補佐する形で矢の雨を敵陣へと降らせる。混乱から抜け出せていない北方軍の兵士たちは、次々と悲鳴を上げて倒れていく。
「突撃! 突撃! 突撃せよ!」
真っ先に敵陣へと乗り込んだのは、ヘルラーン侯爵だった。
馬蹄で敵兵を蹴散らしながら、長槍を振るい、見る間に敵陣奥へと突き進んでいく。
「突撃だ! 突撃! 突撃ぃっ!」
その勢いは止まらない。僅かに抵抗する敵兵もいたが、圧倒され、蹂躙されていく。もはや戦術もなにもないが、それ故に反撃も許さなかった。
「……あれを猛将と褒め称えてよいものかな?」
「陛下に誉められれば、何処までも突き進んでいくでしょう」
ディアムントが苦笑を漏らし、シャロンが口元を隠しながら答える。
本陣内に、なにやら和やかな空気が流れていった。
それほどまでに、もはや帝国軍の優勢は揺るぎないものと思われた。
ただ、敵将ハイメンダールを討ち取ったという報告はまだもたらされていない。
完全に勝敗を決するため、もう一手が欲しいところだ。
「私も出る」
ディアムントが告げると、騎士たちが揃ってざわつく。
戦士としてのディアムントの技量を信じない訳ではないが、皇帝が前線に赴くのは認め難い。圧倒的に優位な状況とはいえ、万が一の事態も考えられるのだ。
シャロンも止めるべきだとは思った。
けれどさっさと騎乗してしまうディアムントを見て、溜め息を堪えつつ別の言葉を投げた。
「御武運を。私も後詰めに回ります」
「うむ。其方の判断で遊撃に出ても構わん」
部隊を集め、ディアムントは前線へと駆けていく。
その背中を見送った後、シャロンも弓を取ると、新たな術式を発動させて空へと舞い上がった。
帝国軍は一気に勝負をつけようとしていた。
しかしその先鋒に立つヘルラーンの突撃は、敵本陣へ到達しようかというところで押し止められた。
横合いから、巨大な炎が吹き上がって襲い掛かってきたのだ。
「慌てるな! 負傷した者は下がらせろ!」
ヘルラーンの指示で、兵士たちが水流の術式を放つ。しかし炎が消し止められるよりも早く、赤々と燃え盛った壁が部隊を包み込もうとする。
勢いを増した炎の奥から、一人の男が姿を現した。
「貴様は……見つけたぞ、反逆者ハイメンダール!」
「ふん。僭帝の犬が吠えおるわ」
炎を気にも留めずに歩み出るハイメンダールの手には、真っ赤な輝きを放つ剣が握られていた。
魔導遺物『鋼劫剣』、それが操る炎は通常の方法では消せず、十数名程度ならば一瞬にして燃やし尽くす。また持ち主に鋼の体を与えるかの如く、障壁で包んで守り抜く。
戦場全体に行き渡るほどの力は発せられないが、間違いなく強力な魔導遺物だ。
「我の狙いはディアムントの首のみ。消えろ!」
傲然と言い放つと、ハイメンダールは赤剣を振るった。
途端に炎が吹き荒れる。
しかしヘルラーンも障壁を張り、器用に馬を走らせて逃れていた。
「貴様如き、陛下の元へなど行かせはせん!」
馬から飛び降り、ハイメンダールの頭上から長槍を突き下ろす。炎の前では軍馬といえども怯えてしまうので、ヘルラーンの判断は英断と言えた。
突き下ろした槍も、並の兵士ならば一撃で仕留められただろう。
けれどハイメンダールには届かない。赤剣に弾かれてしまう。
長槍と赤剣がぶつかり合う。二合、三合と、互角の戦いにも見えた。
だがヘルラーンの踏み込みは浅く、そのために甘い攻撃となっていた。
「ほう。猪武者かと思えば、警戒するだけの頭はあるのか」
「貴様の策に乗るつもりはない!」
深く踏み込めば、ハイメンダールは”消せない炎”を放ってくる。障壁で防げないこともないが、正面からぶつかり合うのは危険極まりない。
ヘルラーンとしては、長槍の間合いを最大限に生かすのが賢い戦い方だった。
「楽しめそうな相手だが、いまはそうも言っておれぬ。早々に消してやろう」
「そう容易くは―――」
反論しようとした直後、強く槍を弾かれた。
さらに一際大きな炎が吹きつけられる。
咄嗟に障壁を張ったヘルラーンだが、槍を弾かれたために後退は僅かに遅れてしまった。その隙を突く形で、ハイメンダールが炎の壁を割って襲い掛かる。
「ぐっ……!」
赤剣の強烈な一撃を、ヘルラーンは辛うじて槍で防いで距離を取った。だが同時に放たれた炎が、左腕を完全に絡め取っていた。
自身が焼かれる痛みを、歯を食いしばって堪える。
それでも追い込まれた状況は認めざるを得ない。
「犬の割にはよく戦ったな。最後に名を聞いてやろう」
「反逆者如きに聞かせるほど、我が名は安くはない!」
「ならば、死ね」
ハイメンダールは容赦なく剣を振り上げる。
だが振り下ろす直前で、軌道を横へ変えた。
投げつけられた槍を叩き落し、ハイメンダール自身も飛び退く。
その槍が放たれた方向へ目を向けて、ヘルラーンは驚愕に、ハイメンダールは歓喜に顔を歪めた。
「へ、陛下!?」
「ははっ、自ら敵陣深くまで出てくるとはな。わざわざ首を奉げに来たか!」
痛烈な皮肉を、ディアムントは憮然として受け流した。
背負っていた大剣、『断傲剣ルギフェルド』を静かに抜き放つ。
「部下を見捨てる気概も無い。やはり貴様は皇帝の器ではないわ!」
「……最後の諫言だ。耳に留めておいてやろう」
馬に乗ったまま、来い、と眼差しで告げる。
ハイメンダールも殺意を込めた眼光で応えると、赤剣から炎を放った。
周囲の兵もまとめて焼き尽くすような炎だが、この程度ではディアムントは討たれはしまいと、ハイメンダールも承知している。
だから、炎を放った直後に踏み込む。
先程ヘルラーンを追い込んだように、障壁で身を守る相手に対して渾身の一撃を叩きつけるのだ。
容易くは避けられまい。少なくとも隙は生まれるはず。
そう確信し、一歩を踏み出した瞬間、ハイメンダールは背筋に怖気を覚えた。
「っ―――!?」
微かな気配を察して、背後へ振り返ろうとする。
しかしその時には、黒々とした刃がハイメンダールの首を跳ね飛ばしていた。
反応する暇も与えないほどの、凄まじい剛剣だった。
たとえ『鋼劫剣』が持ち主に鋼の如き身体を与えても、『断傲剣』の前では紙も同然となる。帝都以外では『断傲剣』の本来の力は使えないが、それがなくとも、どんな刀剣よりも鋭利な刃を持っているのだ。
加えて、ディアムントは短距離転移の術式を使いこなせる。
炎で視界を遮ったのが、却ってハイメンダールにとって仇となった。自らの視界も塞いでしまったために、ディアムントの姿が消えたのにも気づけなかったのだ。
転がったハイメンダールの首を確認して、ディアムントはほっと息を吐く。
「『鋼劫剣』も傷つけずに済んだか」
周囲を確認すると、燃え盛っていた炎の勢いは衰えていた。持ち主が倒れたことで、”消せない”炎ではなくなったのだ。
腕を焼かれたヘルラーンも無事だ。
そうしてディアムントは、ハイメンダールの首を掴み上げる。
高く掲げると、大声を響かせた。
「叛乱軍首魁ハイメンダール、バルトラント帝国皇帝ディアムントが討ち取ったぁっ!」
一拍の間を置き、歓声が上がる。
帝国兵が次々と勝利を叫ぶと、北方軍の兵士は愕然として次々と武器を手放していった。
こうして北方貴族の叛乱は終わりを告げる。
帝国軍にとっては実に望ましい、一方的な勝利となった。
戦場から離れた森の片隅で―――、
早々に逃げ出した魔導士アイザッドは、木陰に座り込んで息を整えていた。
先程から帝国軍による勝ち鬨の声が響いてくる。
それが聞こえるたびに肩を縮めてしまうが、だからといってアイザッドは絶望してはいなかった。
元々、今回の戦いは帝国内のものなのだ。
レミディアの近衛十二騎士であるアイザッドにとって勝敗は関係ない。
どちらが勝とうが負けようが、残った方を叩ければよいのだから。
「そうだ……あとは、飛翔船まで辿り着ければ……」
安全に逃げられる。
自分をこんな目に遭わせた帝国にも復讐できる。
「くくっ……今の内に、精々喜んでおきやが―――」
呟き、口を開いたまま、アイザッドは硬直した。
よろよろと数歩進む。
ぎこちない動きで、全身を震えさせながら目線を落とす。
細く長い矢が、咽喉元から生えていた。
「がっ、は、ぁ……なんだよ、これ……?」
血を吐きながら振り向く。
直後、今度は額に矢が突き立てられた。
どう、と地面に倒れ込んだアイザッドは天空を見上げたまま動かない。
こうしてレミディアが誇る十二騎士の一人は、戦場の外で静かに絶命した。
その額と咽喉を貫いた矢には、勝利を祈る言葉が記されていた。
エルフィン族が使う古い文字で。




