第8話 踏み躙られる平穏
騎馬を駆る集団が村を目指して突き進んでくる。明らかに夜盗の類ではない。
全員が白塗りの金属鎧に身を包んでいる。整った隊列から練度の高さが窺える。隊列の後方では、白地に赤の剣を十字型に描いた旗が掲げられていた。
数はよく分からないが、ざっと見ただけでも千か二千か、ともあれ村を蹂躙するには充分な戦力だろう。
何処の兵士なのか、何故こんな所に、何が目的で―――。
疑問を覚え、最悪の未来を想像しながらも、ヴィレッサの思考は冷ややかに回転した。
「―――ルヴィス! カミル! 村へ走って!」
まだ稽古を続けていた二人へ、ヴィレッサは空中から大声で告げた。
けれど二人はきょとんとした顔で見返してくる。
「お姉ちゃん、何かあったの?」
「いいから言う通りに―――」
声を荒げようとしたヴィレッサだが、口を閉じ、目蓋を伏せた。
一呼吸を置いて焦りを飲み込む。
「落ち着いて聞いて。いま、何処かの軍隊がここに迫ってきてる」
「え……?」
きょとんとして、ルヴィスもカミルも立ち尽くす。
そんな時間も惜しいのだが、ヴィレッサは慎重に言葉を選んでいった。
「みんなに知らせて、広場に集まってもらおう。とにかく大声で伝えるんだ。でも慌てる必要はないよ。シャロン先生がいれば、転移魔術で逃げられるはずだから」
「わ、分かった。みんなを集めればいいんだな」
「お姉ちゃんはどうするの?」
「……空から合図を送るだけ。だから、二人は早く行って」
村の方を指し示し、ヴィレッサは繰り返し二人を促す。
カミルが動き出すと、困惑していたルヴィスも後を追った。ヴィレッサは二人の背を見送りつつ、上空へと駆けていく。
微かに馬蹄の音が響いてきている。もう時間は残されていない。
「少しでも足を止めてくれるといいんだけど」
願うように呟いて、ヴィレッサは頭上へと手をかざした。
膨大な魔力を放出し、大きな球を浮かび上がらせる。盾のように固める必要はない。ただひたすらに巨大に、青白い輝きを広げていく。
夕陽よりも鮮烈に。さながら月が落ちてきたように。
大規模魔術が発動したように見えるが、実際には発光現象しか起こらない。
ヴィレッサは魔術を習う以前、どれだけの魔力を扱えるのか、こっそりと夜中に試したことがある。その時に同じものを作り出し、村中で大騒ぎになって、シャロンから拳骨を喰らわされた。
それは落月事件と呼ばれ、村の皆には知れ渡っている。
だから今は、さほどの混乱は起こらなかった。それでも皆が空を見上げ、不思議そうに首を捻った。
ちょうどそこへ、カミルとルヴィスが大声を上げながら駆けつける。大雑把ながらも危機を伝え、それを耳にした大人たちも、半信半疑ながらも警告を広めていく。
あとは時間との勝負―――。
ヴィレッサは空中に立ったまま振り返ると、迫ってくる騎兵の動きを確認した。
巨大な光球は、離れた位置からでも見て取れたはずだ。少しでも警戒して進軍速度を緩めてくれればいい。
そんな思惑があったのだが―――緩むどころか、騎兵はさらに加速していた。
何故? どうして? 少しは驚いてくれてもいいのに!
嘆き叫びたい衝動に駆られつつも、ヴィレッサはまた手元から魔力を溢れさせた。望みは薄くても、どうにか足止めするしかない。攻性魔術は使えなくても、閃光で目を眩ませるくらいはできる。
今度は騎兵部隊の正面に月を落としてやろうと、迎え撃つために足を踏み出す。
しかしヴィレッサはまだ子供だった。圧倒的に経験が足りていなかった。
だから気づけもしなかったのだ。馬蹄の音が聞こえる距離とは、すでに訓練された兵士にとって攻性魔術の射程圏内であると。
そして放たれる。
無数の閃光が降り注ぎ、平穏だった村を一瞬で地獄に変えた。
◇ ◇ ◇
騎兵部隊の先頭を駆けながら、指揮官であるガラディス・グレイラム伯爵は自嘲を浮かべた。
僅か三千の兵を率いて、小さな田舎村を蹂躙する。
まったくもって自分には相応しくない任務だ。欠伸が出そうになる。
レミディア聖教国近衛十二騎士の一人として、帝国軍と刃を交えることに否やはない。しかし夜盗の真似事をしろと言われた時は、性格の悪さだけは一流な宰相を斬り殺してやろうかと思ったほどだ。王の御前でなければ行動に移していただろう。
だが詳細な戦略を聞いてみれば、そう悪い話でもなかった。
『教会排斥派の力を削ぐ。領主軍に一撃を加えてな。狙いはヴァイマー伯爵領だが、港や船には手をつけないでくれたまえ』
『後で使いたいというのもあるが、反乱軍が港まで襲うのは奇妙な話であろう?』
『堂々と旗を掲げ、名乗っても構わんよ。むしろヴァイマー伯爵には、そう受け取ってもらった方がよいのだ。レミディアの騎士団が攻め込んできた、と』
『しかし同時に噂を流す。ヴァイマーで教会信徒の反乱が起こった、と』
『他の貴族はどう受け止めると思う? レミディアの侵攻? しかし何処から? 国境の砦は破られておらず、海からも攻めてきていないのに? 民衆の反乱すら抑え込めず、面子を保つため虚言を弄しているのでは……そんな流れが望ましいな』
『そこまで上手くいかずとも、アレの実用性は試せる。今回は少数での作戦となるが、次は国境への挟撃も……その際の指揮は帝国領の地理に詳しい者から選ばせてもらおう』
『期待しておるよ、グレイラム卿』
これは帝国を穿つ一手。秘蔵である新兵器の試験も兼ねている。
しかも後に控える侵攻戦での先鋒を約束されたとなれば、奮い立たずにはいられない。自分は十二騎士では末席だが、それは過小評価だと常々思っていた。実力では誰にも劣っていないはずだと、鬱憤を抱えていたのだ。
ようやく訪れた機会だ。勲功を上げ、実力を示す。逃がすつもりはない。
ガラディスは精悍な顔を引き締めなおして、手綱を握る太い腕に力を込めた。
「あの程度の村に時間を掛けてはおれぬ」
「はい。訓練の方がまだ歯応えがあるというもの。一撃で片がつきましょう」
「当然だな。皆の者、聞け―――」
副官の言葉に頷きつつ、ガラディスは指示を飛ばそうとした。けれど口を開いたまま言葉を失ってしまう。
村の上空に、いきなり青白い月が現われたのだ。
まず自分の目を疑った。遠くからでも伝わってくる膨大な、馬鹿げたほどの魔力から何かしらの魔術だというのは察せられた。
しかしだからこそ信じられない。こんな田舎村に戦術級魔術の使い手がいるなど、あまりにも予想外に過ぎた。
そもそも、いったい何の魔術なのか?
あれだけの魔力、下手をしたら全滅―――。
隣を駆ける騎士たちも動揺して戦列が乱れる。しかし突撃の勢いは止まらない。迂闊に馬の足を緩めれば、後続に押し潰されると承知しているのだ。
「っ、構うな! 速度を上げよ! 全力突撃を行う!」
ガラディスが素早く判断を下すと、他の騎士も次々と命令を復唱して全軍に伝える。
滞りない伝達を確認して、ガラディスは自身と騎馬に魔力を巡らせた。
身体強化術を自身だけでなく、騎乗する馬にも施すのだ。下手な魔力の流し方をすると、馬を怒らせて振り落とされてしまうが、そんな間抜けな騎士はこの場には一人もいない。
速度を上げ、乱れた隊列も整え、真っ直ぐに村へと駆ける。
その勢いに気圧されたように、先程の青白い月は空中で霧散して消えていった。
「……なんだったのだ?」
疑問を呟きつつも、ガラディスは手にした槍を振って合図を送った。
後列を走っている騎兵達が遠距離魔術の準備に入る。もうじき弓矢も届く距離だが、そんな武器は用意すらしていない。全兵士が騎兵である上に、作戦の性質上、運べる物資に限りがあったのだ。
遠距離の手数と速射性では、弓矢の方が若干優れている。しかし威力と汎用性では魔術の方が圧倒的に上だった。
一呼吸もしない内に魔術は完成して、続く合図で撃ち放たれる。
無数の光弾が家屋を破壊し、質素な柵を焼き倒し、渦巻く風が村人たちをまとめて空高くへと弾き飛ばす。瞬く間に破壊が広がっていった。
「ふん。なんとも呆気ない。ただの虚仮脅しだったか」
「無謀な魔術を試みて失敗したのでは?」
「そういった気配とも違ったがな。まあ、構わん。戦場では何があるか分からんからな。本番前のよい訓練にもなった」
しかしあの距離で、こちらの接近に気づいたとすれば奇妙な話だが―――。
余計な思考を止めて、ガラディスは黒々とした槍を構えた。村を囲っていた柵を馬蹄で踏み潰し、ちょうど目の前にいた農夫を一刺しで絶命させる。
馬の速度を緩めている間にも、他の騎兵たちが次々と命を刈り取っていた。
他愛無い―――嘲笑を零し、槍を一振り。
大きな斧が投げつけられたが、慌てることもなく弾き落とす。その方向へ目を向けると、怒りで顔を歪めた少年が手斧を構えていた。
「おまえら……よくも、よくもみんなを!」
「カミル、ダメ! 逃げて!」
隣にいた少女が叫ぶ。しかし少年は聞く耳を持たず、高々と跳んで手斧を振り上げた。馬上のガラディスを跳び越えるほどの強化術は、子供にしては見事なものだった。振り下ろされる一撃も鋭く、一流の戦士となる未来を予想させた。
しかしそんな未来は、もはや永遠に訪れない。
「蛮勇だな」
ガラディスは槍を一閃。カミルと呼ばれた少年の腹を深々と貫いた。そのまま小さな体を地面に叩きつけ、上半身と下半身を力任せに分断する。
子供を殺すことに、騎士としてガラディスも憂いを覚えないでもなかった。しかし異教徒は須く排除せねばならない。そんなモゼルドボディア教の有難い教えは、自分達の罪を誤魔化すのに都合がよかった。
槍を一振りしたガラディスは、次の獲物に狙いを定める。
まるで人形のように愛らしい少女が、愕然として立ち尽くしていた。
「喜べ。異教徒にとっては最高の栄誉だぞ。我が魔導槍によって―――」
黒々とした槍を突き出そうとした瞬間、青白い閃光が飛来した。ガラディスは咄嗟に魔術障壁を展開する。
目も眩むほどの光が散らばり、障壁が割れんばかりに震える。
魔術による攻撃だと理解した時には、その雷撃が無数に落とされ、周囲にいた騎兵達を次々と焼き殺していた。
「くっ……近くにいる者と魔術防壁を展開しろ! かなりの使い手がいるぞ!」
一瞬で数十名の部下が命を断たれた。こんな田舎村に対して、過分すぎる出血だ。
帝国領内の地理を把握しつつ、領主軍と相対する前に士気を高める予定だった。しかしこれ以上の犠牲が出れば、士気を高めるどころか、指揮官の能力に疑問を持つ者まで出てくるだろう。
隣では副官が黒焦げになって倒れたが、心配するよりも罵倒したい衝動に駆られる。
それでも冷静さを保ち、ガラディスは状況把握に努めようとした。
何処から攻撃を受けた? 敵魔術師は、何処に隠れて―――。
しかし疑問の答えは目の前にあった。
「……、す……」
立ち尽くす少女の隣に、銀髪の修道女が立っていた。整った顔立ちと、服の上からでも分かる細くしなやかな身体つき。特徴的な長い耳からエルフィン族なのは間違いない。
帝国領にエルフィン族がいることも驚きだったが、ガラディスが息を呑んだのは彼女の眼差しに対してだ。
鋭利で、鮮烈で、見る者すべてを凍りつかせるほどの殺意を溢れさせている。
しかし美しい―――。
「……殺す……お前達には、後悔する暇も与えない……」
低く沈んだ呟き声に、ガラディスの意識は現実に戻された。
直後、修道女を中心に魔力の嵐が吹き荒れる。
「―――焼き尽くせ! 火焔城壁!」
正しく城壁―――分厚く沸き上がった炎が、辺り一帯を埋め尽くす。
村に攻め入ろうとしていた騎兵部隊のおよそ半数、一千以上の命が、満足な悲鳴すら上げられずに炎の中に消えていった。
サブキャラ視点の話は控えめ、なるべく主人公中心で進めていくようには心掛けています。話のテンポも大事ですしね。
理不尽に負けない幼女を応援しつつ、
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