第19話 言葉も拳も届かなくても、きっとそれは無駄じゃない
魔術師は近接戦闘に弱い。その欠点を克服するために魔術式格闘術は生まれた。発案はミルドレイアであるが、研鑽を重ね、形として成したのはゾエンヌだ。
習熟すれば、実戦で充分に通用する。
大規模な魔術よりも、一対一の戦いでは圧倒的に有用と言える。
しかし残念ながら、それを修める者は少ない。
魔術師には、肉体を鍛える暇があるならば、少しでも魔術の腕を磨きたいと考える者が多い。加えて、血生臭い技も忌避された。
貫手で目を狙う。首筋に肘を打ち込もうとする。
相手の体を掴み、頭から地面へ叩きつけようとする―――。
「あははははっ、凄い殺気ねぇ」
必殺の覇気とともに襲い掛かったゾエンヌだが、ミルドレイアの笑みを消すことさえ叶わなかった。
空中に浮かんだまま、両者は睨み合う。
掴み掛かったゾエンヌの腕は、逆に掴まれ、捻り上げられようとしていた。
「苦手だった空中戦は克服したみたいねぇ。その点は誉めてあげるわ」
「懐かしいね。アタシの師も、誉めて伸ばす人だったよ」
「そうだったかしら? でも、これからももっと厳しく―――」
言葉を切り、ミルドレイアは身を逸らす。
斜め下から、頭を狙って短剣が投じられた。ほぼ同時に襲ってきた三本の刃を避けるため、咄嗟に掴んでいたゾエンヌの手も放してしまう。
地上にはまだゾエンヌが連れてきた部隊が残っていた。
そちらを窺ったミルドレイアは、知った顔を見つけて僅かに眉を揺らした。
「あら、ロナじゃないの。まだ生きてたとは意外だわ」
「お久しぶりですニャ」
新しい短剣を腰から抜きながらも、ロナは呑気な口調を返した。師弟として義理も情も抱えてはいるが、戦うべき相手として割り切って向き合っている。
ゾエンヌとともに行動していたのは、ミルドレイアと対峙できる可能性が高かったからだ。帝国軍の一員として、ゾエンヌへの監視という側面もある。
危険な役回りなので、あまりロナの好むところではない。
けれど、友人を一人で危地へと赴かせるのはもっと好ましくなかった。
「ん……? 貴方が居るってことは……」
空中で、ミルドレイアは素早く身を捻った。
一瞬前まで頭部があった場所を、雷撃を纏った杖が通過する。頭上から撲殺を狙ってきたのは、ミルドレイアのもう一人の弟子、マーヤだった。
「やっぱりまだ二人一緒なのね。仲良く死んでればよかったのに」
「……随分と、趣味の悪い冗談を言うようになりましたね」
空中に立って、マーヤはくるりと杖を回した。眼鏡越しに鋭い眼光を飛ばす。
「森の隠れ家にいた頃は……隔世した言動はあっても、血を求めることなんてなかったのに」
「あははっ、だってあそこは長閑すぎたもの。弱い者いじめは楽しくないしぃ」
「……まあ別に、趣味に文句をつけるつもりはないわ」
ミルドレイアを挟む形で、ゾエンヌとマーヤは身構える。地上からはロナと百名ほどの兵士たちが隙を窺っている。
すぐさま襲い掛からないのは、事前に取り決めていたからだ。
目的は時間稼ぎ。そのためには、話で注意を引くのも悪くない。
師に対して複雑な想いを抱えているゾエンヌは、自分の手で決着をつけたいところだ。けれどそれが困難であるのも理解していた。
「私は、ひとつだけ確かめたかったの」
「あらん? もしかして気づいちゃった?」
ふざけた口調を受けて、マーヤは握り締めた杖を揺らす。
今更になって後悔が胸に浮かんだ。
思いのほか、故郷での師との日々を大切に感じていたらしい。
「レミディア軍は、いつでも古代遺跡を探していた。でも、奇妙だとは思ったの。国の外れで、探索の部隊が来たこともなかったのに、どうしてって……」
「はぁい、正解。私がレミディアに教えてあげたのよ」
マーヤは言葉を失う。
予想はしていたが、目の前で宣告されると衝撃は大きかった。
「元々、あの遺跡の調査がしたくて居着いてたのよ。でも大体の調査が終わったんで、おこぼれをあげることにしたの。獣人に追いかけられた思い出もあったから、意趣返しも含めてかしらねぇ?」
そのおかげでレミディア軍がやってきて、マーヤは平穏な生活を失った。
だけどマーヤも失念していた。
普段はまったく気にも留めない様子で、陽気に振る舞っていたから。
それでも、この場で最も怒りの声を上げるべきは―――。
「おまえがぁぁぁぁ―――!!」
正しく獣じみた咆哮を上げて、ロナが腕を振り払った。怒りとともに投じられた短剣は、苛烈なまでの速度で、正確にミルドレイアの頭部を狙っていた。
故郷の里を奪った元凶が、目の前に現れたのだ。
激情に駆られるのも当然と言えた。
しかし、その激情を乗せた刃は、あっさりと障壁によって防がれる。
「やっぱり獣ねぇ。こんなにも単純だなんて」
逆に、ゾエンヌとマーヤの方が隙を作ってしまった。
ロナの激昂によって、ほんの一瞬だが意識がミルドレイアから逸れたのだ。
その一瞬を突いて、ミルドレイアは一気に地上へと降下した。短剣を構えなおすロナの眼前まで迫り、
「ばぁ~か」
舌を出して一言を告げると、その脇を擦り抜けてさらに飛んだ。
ロナのすぐ背後には兵士達もいたのだが、その隊列の隙間を、影のように抜けていく。辛うじて反応して剣を向けた者もいたが、ほとんど素通りさせてしまった。
ミルドレイアがその気になれば、兵士など無視して、頭上を飛び去ることも可能だったはずだ。
ならば何故、わざわざ地上まで降りたのか?
そこに思い至るよりも、まずは敵を追おうとする者が大半だった。
ミルドレイアは兵士の列を抜けた後、少し離れた地点で静止した。
振り返り、嘲笑を向ける。
「貴方たちは、もう死んでるのよん」
不吉な言葉に耳を貸す兵士はいない。まだ追いつける距離にいる魔女を討つべく駆け出す。
激昂しているロナも、真っ先に動いていた。
対してミルドレイアは、軽やかに腕を振り払う。
「っ、ダメよ!」
「全員、障壁を張りな!」
魔力の乱れを感じ取り、マーヤとゾエンヌが叫ぶ。
だが、直後―――無数の爆炎が撒き散らされた。
「あははははっ、この程度の遅延術式、すぐに気づきなさいよ。ほんっと馬鹿ばっかりね。こんなのだから私が救ってあげるしかないのよねぇ」
爆ぜる炎に吹き飛ばされて、百名ほどの兵士たちは揃って地面に転がされた。
息がある者はまだ幸運だ。至近距離で爆炎を喰らった者は、もはや人間としての原形すら留めていない。全身を木っ端微塵にされ、骨まで焼き焦がされている。
どうにか呻き声を漏らせる者の中に、ロナも含まれていた。
「動かないで! いま、治療するわ」
まだ敵が目の前にいることも忘れて、マーヤは駆け寄って術式の準備に入る。
全身のあちこちを焼かれたロナは、それでも目を開けて、心配してくる友人へと笑みを作ってみせた。
「にゃ、にゃはは……やっぱり、仇討ちなんて……らしくなかったにゃぁ……」
「……そうよ。アンタは馬鹿みたいに笑ってるのがお似合いよ」
「うん……でも、悔しいにゃぁぁ……」
瞳に涙を滲ませながら、ロナは大人しく治療術を受ける。
マーヤは術式の制御に意識を傾けながらも、ちらりと横へ視線を送った。
大勢の兵士が倒れた先で、まだゾエンヌが一人で戦おうとしていた。
「あらん。ゾエンヌちゃんも、無能兵士の治療にあたらなくていいのぉ?」
「アタシの部下さね。戦場で死ぬ覚悟くらいできてるよ!」
気炎を吐き、拳を突き出し、蹴りを見舞う。
地上へと戦場を移して、ゾエンヌは鍛え上げた格闘術を如何なく発揮していた。
硬化させた拳は岩すら砕く威力があり、人間の体くらいは貫通できる。
他の技も一撃必殺という点では同じだ。障壁すら貫けるように、接触の瞬間だけ抗魔術式を上乗せするという複雑な技術も見せていた。
しかしやはり、ミルドレイアには届かない。
漆黒のローブを千切り、髪の数本を切り裂くくらいはしてみせた。
それでもミルドレイアは妖艶な笑みを崩さず、ひらりひらりと踊るように地面を跳ねる。素早いというよりも、完全にゾエンヌの動きを読んでいた。
「はぁい、師匠からの教えです。魔力を効率化すると、体内にあっても動きがとっても判別しやすくなります」
「っ……それで、アタシの動きを読んでるってのかい!?」
「ぶわぁ~っと魔力が溢れてると読み難いんだけどねえ。ゾエンヌちゃんってば、魔力量が少ないのを気にしすぎちゃったかな?」
ゾエンヌは歯噛みしながら手刀を突き出す。
それを避け、ミルドレイアはくるりと背後へ回った。
無雑作に、まるでゴミ屑でも除けるように、老婆の背中を蹴り飛ばす。
「かっ……!」
咄嗟に避けようとしたゾエンヌだが、それでも大型の鈍器で殴りつけられたような衝撃が走った。無防備であったなら、胸まで貫かれていただろう。
地面に転がり、口から鮮血混じりの息を吐く。
「そこで寝てなさぁい。どうせ貴方たちみたいな無能者は、私に救いを求めるしかないんだから」
「救い……? はっ、いまのアンタを、誰が頼るっていうんだい?」
「誰も彼も。みんなみんな。だってそうでしょう? ちょっと困ったら、助けてぇミルドレイア様~って、そんなのだから嫌になっちゃったのよ。いくら私がすごいからって、すべての人を救える訳ないじゃない」
呆れ混じりの口調は、まるで愚痴を零しているようだった。
親しい相手に対してそうするように。
けれどいまのゾエンヌは血を吐きながら立ち上がり、ミルドレイアも冷ややかな眼差しを返していた。
「アタシは、救いなんざ求めちゃいないさ。ただ少しでも近づきたかったんだよ」
「頑固ねぇ。無理に山登りしても、命を縮めるだけよ?」
ひとつ呼吸を置いて、師弟は睨み合う。
「……命を賭してでも近づきたい。私の師は、それだけの力と志しを持っている人だったよ」
呟き、ゾエンヌは地を蹴った。
先程弾き飛ばされた距離を一息で詰め、魔力を込めた拳を突き出す。
渾身の力を込め、心の臓を一撃で穿つべく―――、
その気迫が、老体に力を貸したのかも知れない。
拳は届いた。ミルドレイアに傷を刻んだ。
けれどそれはほんの薄皮一枚、拳を払い落とされ、魔女の手に掠り傷を負わせたに過ぎなかった。
「さよなら、ね」
ミルドレイアは短く告げて、ゾエンヌの首筋に手刀を落とそうとする。
だが次の瞬間、蒼い顔をして飛び退いた。
二人の間を、一筋の閃光が貫いていく。
ゾエンヌは衝撃に弾かれ、ミルドレイアはその『魔弾』に腕を穿たれた。
そんな”狙撃”を行える者は一人しかいない。
「っ……時間を掛けすぎたみたいね……」
片腕を落とされたミルドレイアは、苦々しげに呟く。
黒馬に乗った幼女が、猛烈な速度でこちらへ迫ってこようとしていた。




