第13話 いまはその手を掴めない
上空から襲来したのは巨大な魔物―――いや、合成獣だった。
大きく広げた黒い翼はやはり鴉を思わせるが、その鋭い顔付きは鷲のものだろうか。下半身は獅子のように四本足で、体躯は人間の二倍はある。
「獅子鷲か!」
ゼグードが警戒を促すように声を荒げる。
その足下には、同時に襲来した細く黒い影が血を吹き出して転がっていた。
二つの頭部と、二対の翼を持つ、やたらと胴の長い鴉だった。まるで槍のように身体を細め、急降下し、その嘴で貫こうと襲ってきたのだ。
たかが鳥類の突撃と侮れない。その威力は石畳を砕くほどだ。
不意打ちだったこともあって、親衛騎士一名が胸を貫かれ、もう一名も腕に深い傷を負っていた。
ヴィレッサも、反応が遅れてしまった。
それでも素早く魔導銃を構え直して、ルヴィスとレイアを守れる位置を取る。
「挨拶だけじゃなかったのよ!」
『ごっめぇ~ん。あれは嘘でぇ―――』
耳障りな声を発した獅子鷲の頭部が弾け飛ぶ。さらに数発の魔弾が撃ち込まれ、大きな獣の体も四散した。
巨体の合成獣は、並の兵士相手ならば脅威ともなっただろう。しかし素早く空中を舞うならばともかく、地上に降りた以上、ヴィレッサにとっては良い的でしかない。
むしろ、双頭鴉の方が厄介そうだった。
最初に十羽ほどが突撃してきて、騎士が持つ盾に防がれたり、剣で斬り落とされたりもしていた。けれど石畳を砕いただけの鴉は、すぐに床から頭を抜くと、また空中へと舞い上がって崩れた天井から逃げていく。
敏捷かつ小柄で、速射形態では照準を定め難い。
「獅子鷲は先の大戦でも見たけど……こいつは新作だね。相変わらず、いや、さらに趣味が悪くなったようさね」
そう苦々しげに呟いたゾエンヌは、双頭鴉の一羽を素手で捕まえていた。
じろりと観察してから、双頭を圧し折り、そこから真っ二つに引き裂く。
「……婆さん、魔術師じゃなかったのかよ?」
「生憎、師が悪くてね。一番得意なのは肉弾戦だよ」
思わず頬を引き攣らせたヴィレッサに、ゾエンヌは”いい笑顔”で応えた。
その間にも、また一羽の双頭鴉が降下突撃をしてきた。けれどゾエンヌは鋭く拳を突き出し、硬い嘴を正面から叩き潰す。
鴉は頭も潰され、濁った悲鳴を上げて動かなくなった。
単純な身体強化だけではこうはいかない。別の魔術で、瞬時に拳の硬化も行っているのだ。魔術的格闘術、といったところか。
「とりあえず、婆さんも敵じゃねえって考えていいんだな?」
「そうさね。あれだけこっぴどく裏切られちまったんだ」
苦笑を零して、ゾエンヌは一瞬だけ遠い目をした。
だが、と吐き捨て、不敵な眼光を取り戻す。
「こんな老いぼれに頼るつもりかい? 噂の魔弾皇女様らしくないねえ」
「はっ、その呼び名はやめろって言ったぜ。やっぱり老いぼれだな」
ヴィレッサも凶暴な笑みで応じると、魔導銃を掃射形態へと変形させた。
とりあえず地上で撃つべき敵はいなさそうだ。
ならば、空から来る敵を一掃するのみ。
「爺さんは、ルヴィスとレイアを守れ」
「姫様っ―――」
ゼグードへ一方的に命じると、制止の声も聞かずに駆け出す。
空中に魔力板を浮かべて、天井に開いた穴から室外へと。
双頭鴉が数羽、翼を畳んで急降下してくる。しかし豪快に撃ち放たれる掃射形態の弾幕は、ヴィレッサへの接近を許さない。
黒い羽毛と鮮血が舞い散り、無惨な肉塊が次々と落下していく。
個体としての戦闘力は、双頭鴉もそう恐るべきものではない。
しかし、混乱はまだ治まりそうになかった。
『敵総数、不明。およそ五百以上です』
「こんなにいやがったのか!」
空を覆うほど、とまではいかない。けれど明らかに異常な数の鴉が舞っていた。大きな影は獅子鷲で、そちらも数十頭が混じっている。
そしてどうやら、敵の狙いはヴィレッサたちだけではなかったようだ。
城壁上でも兵士が襲われている。ちょうど警鐘が打ち鳴らされ、応戦も始まっていたが、やはり空からの敵に戸惑っている。魔導国軍を仮想敵として訓練している兵士たちだが、ここ数十年、合成獣が実戦投入されたことなどなかったのだ。
空から襲われる事態も少ない。懸命に声を荒げて奮戦しているが、血を流して倒れている者もいる。
援護したいところだが―――。
『マスター、左を。結界塔が狙われています』
「転移結界を壊すつもりか!」
魔導銃の声に従って首を回すと、城砦の隅、結界塔に敵が群がっていた。本来は灰色の屋根や壁が、双頭鴉に張りつかれて黒々と蠢いている。
結界塔は堅牢な造りだ。そう簡単には崩されない。
中に詰めている警備兵も奮戦しているのだろうが、あまり余裕はないだろう。
もしも転移結界が破られれば、次に何をされるか分からない。何が起ころうとも勝利する自信はあるが、敢えて危険を冒す気にはなれなかった。
「砲撃は、結界塔ごと崩しちまうか」
『投擲形態”改”、雷撃弾の使用を推奨します』
「そうだな。実戦で試すのも悪くねえ」
ちょうど迫ってきた獅子鷲を撃ち落としてから、ヴィレッサは頷いた。
投擲形態”改”―――それは、大きな回転型弾倉を取り外した形となっている。装弾数は三発。連射性能を削り、代わりに中距離や近距離での取り回しを向上させた。弾薬の滞空能力も削って、その分だけ一発ごとの破壊力を増している。
とはいえ、いまの状況では破壊力はさほど必要ない。
「鴉どもを麻痺させられれば充分だ。味方もいるからな」
『了解。弾薬精製のプロセスを再設定。殺傷力を通常の四〇%にまで抑えます』
ほんの一拍の間を置いて、変形した銃身から装填音が響く。
同時に双頭鴉も突撃してきたが、銃身で殴りつけて叩き落した。そのまま結界塔へと銃口を向け、引き金を弾く。
閃光が瞬き、鴉どもの悲鳴が重ね合った。
放たれた魔弾は、着弾と同時に広範囲へ雷撃を撒き散らしたのだ。結界塔に群がっていた鴉は尽く巻き込まれ、神経を焼かれ、壁が剥げ落ちるように黒い塊が落下していった。
さらに上空へも雷撃弾を撃ち放つ。
小さな鴉を直接狙う必要もない。命中せずとも一定距離で炸裂するよう設定された魔弾は、上空へ雷撃の網を張り、無数の鴉を焼き落としていく。
「これだけ数を減らせば、後は……」
『マスター、下です! 異常な魔力反応が―――』
魔導銃からの声は、爆発音に遮られた。
ヴィレッサの足下、つい先程まで居た城主の間から炎と衝撃が噴き上がる。
幼い体も吹き飛ばされそうになる。幾つもの石礫が視界を塞ぎ、体を叩いた。
けれど、そんなことは気に留めていられない。
だって、そこにいるのは―――。
「―――ルヴィス!?」
何が起こったのか?
頭を掠めた疑問も置き去りにして、ヴィレッサは眼下へと駆けた。立ち込める煙を突っ切って、石畳へと着地する。
まず目に入ってきたのは、血を流して倒れている数名の親衛騎士だ。気の毒には思うが、いまは構っていられない。
歯噛みしつつ、首を回す。
煙が僅かに晴れて、白髭の騎士が倒れているのが見えた。ゼグードだ。頭から血を流しているが、呻き声を上げ、上体を起こす。
そして―――、
「っ―――!」
ゼグードに庇われる形で、ルヴィスも倒れていた。
目蓋を伏せていて動かない。
まさか、と。
ヴィレッサは顔色を失う。がくがくと膝が震える。
『マスター、落ち着いてください。ルヴィスさんの生体反応は安定しています』
「っ、安定だと!? でも、ルヴィスは、爆発に……」
『どうか冷静に。ここはまだ、戦場です』
淡々とした声に、少しだけ頭を冷やされたおかげだろうか。
背後からの呻くような声が、ヴィレッサの耳に届いた。
「ミルドレイア様……」
皺枯れた声はゾエンヌのものだ。
振り返ると、老婆は血に濡れた床に片膝をつき、前方を憎々しげに睨んでいた。
「何故、このような暴挙を? いったい何が、貴方様を変えてしまわれた?」
「んっん~、難しいことは、ミルちゃん分かんなぁい」
老婆が睨む先には、黒と銀の衣装に身を包んだ魔女がいた。
周囲には親衛騎士が倒れている。真っ二つに裂かれていたり、上半身と下半身が別々の方向を向いていたり、恐怖に染まった顔だけが転がされていたり―――、
壮絶な、残虐極まりない殺され方をしていた。
「……テメエが、ミルドレイアか」
魔導銃を握り直しながら、ヴィレッサは問い掛ける。
もはや疑問の余地はなかったのだが、少しだけ自分を宥める時間が必要だった。
コイツは殺す。その決定に変更は無い。
だが、殺し方は選ばなければならないだろう。
何故なら―――、
魔女の胸元には、ぐったりとしたレイアが抱えられていた。
ヴィレッサの呼び掛けにも反応せず、目蓋を伏せている。
どうやら意識を失っているらしい。
「あらぁ、魔弾皇女ちゃん、はじめまして。会いたかったわよぉ。なにせ私の狙いは、貴方と―――」
「レイアを放しやがれ!」
最後まで聞かず、ヴィレッサは床を蹴った。
同時に、魔導銃は近接形態へと変形させている。
捕らえられているレイアを傷つける訳にはいかない。速射形態などで、ミルドレイアだけを狙う自信もあった。
けれど万が一もある。近接形態が最適だろう。
その判断は間違っていなかったはずだ。事実、ミルドレイアは唖然とした表情をして、一瞬で間合いを詰めたヴィレッサに対して抵抗もしなかった。
魔女の首だけが跳ね飛ばされる。
だが、手応えは軽すぎた。
「っ……!?」
「あははははっ、今日の目的は、この子だけでぇ~す。なので、貴方と危険を冒して戦う必要はないの。さっさと逃げさせてもらうわねん」
ふざけた声だけを残して、ミルドレイアの姿が掻き消える。
幻覚、とは察せられたが、本人の姿は何処にも見えない。
「ちっ……ゴスロリババアが! 小細工ばかりしやがって!」
『魔力反応捕捉。マスター、上です』
視界にマーカーが表示される。高速で遠ざかっていくそれを、ヴィレッサは追撃するべく空中へと駆け出した。
だが直後、無数の影が行く手を塞ぐ。
残っていた双頭鴉と獅子鷲が、一斉に襲い掛かってきたのだ。
「っ……どきやがれぇっ!」
即座に、掃射形態へと変形しなおした魔導銃を撃ち放つ。
弾幕の張られる轟音と、無数の断末摩の悲鳴が重なり響いた。
しかし幾ら命を散らされようと、合成獣どもは怯みもしない。次々と無謀な突撃を繰り返してくる。
数匹の鴉は突撃を成功させ、ヴィレッサの身体を叩いた。
しかし『赤狼之加護』を貫くには至らない。
痛みはあるが―――ヴィレッサは構わず、顔を顰めながらも前進する。
合成獣の壁を抜けて、銀髪魔女の姿が視界に捉えられた。
だが、それは一瞬で消えてしまった。
「っ……また、幻覚か……?」
『いえ……魔力反応消失。敵はすでに結界外へ出ていました』
つまりは、転移で逃げられた。
友人を連れ去られた―――。
『マスター、いまは追撃よりも……』
「……分かってる。まずはルヴィスの治療をして、それから……」
ぎちり、と歯軋りをする。
悔しさで胸が焼き焦げてしまいそうだ。けれど項垂れている暇もない。
「……レイアも、絶対に救い出してやる」
誓うように呟く。そうしてヴィレッサは魔導銃を強く握る。
西方へと向けた眼差しは、空間すらも貫かんばかりに憎悪を滾らせていた。




