第10話 魔導国、第三導師派
ヴァーヌ湖侵攻軍敗北の報せは、瞬く間に魔導国内に広まった。
他国より魔導通信網の整備が進んでいたのも理由のひとつだ。貴族間でしか使われないが、情報を知る者が増えれば、自然と民衆にも伝わっていく。
敗戦によって動き出す貴族が多かった、というのも大きな理由だろう。
次期王位を巡って、これまでは第一導士ジェルザールが優位に立っていた。
好戦的で傲慢だと、裏では囁かれている。しかし大きな領地を持ち、帝国へ敵意を持つ貴族たちを上手く取り込んでいた。第二導師と第四導師の後押しもあって、首都マジスは完全に彼の勢力下にある。
対する第三導師ブラローン派は、穏健派、あるいは弱腰だと揶揄されていた。
実際、反抗勢力を作ったのが不思議なほど、ブラローンは決断力に欠けた男だった。まだ二十代で中肉中背、顔立ちも特徴が薄い。領地に篭もって魔術研究に没頭している時間が長く、たまに社交の場に出ると怯えた顔ばかりしている。
金の片眼鏡を付けているが、これは少しでも己を特徴づけようという、苦肉の策だった。
「ど、どうしたものでしょう?」
派閥の導師が揃っての会議の場でも、第一声がそれだった。
他の導師から溜め息が漏れないのは、もうそんな態度に慣れてしまったからだ。
大きなテーブルを三名で囲んで、ブラローンが上座に位置している。盟主として当然の席次だが、ほとんどの場合、聞き役に徹していた。
左右に向き合って座る二名の方が、圧倒的に発言力を持っている。
「好きにしな」
席の左側から、皺がれた、けれど力強い声が投げられた。
第五導師ゾエンヌ。齢は八十を越える老女で、頭髪は真っ白に染まっている。しかしその眼光は鋭く、背筋も真っ直ぐに伸びて衰えを感じさせない。
第一導士ジェルザールや、国王ですら、彼女の前では縮こまる。
長く国を支えてきた経験、魔術師としての実力も備えているが、野心の無さ故に”第五”という地位に留まっていた。
「ジェルザールが噂通りに大敗したなら、首都へ侵攻したって上手く進むだろうさ。ただし、帝国が黙ってるとは限らないがね」
「商工連合の動向も気になります。奴らは、弱い相手には強いですからねえ」
第六導師グロウシスも意見を述べる。
かつて凍姫ミヒャエルに対してもそうであったように、グロウシスは飄々とした態度を崩さない。戦場に立つのを嫌ってブラローン派に属したが、なにがあっても生き残れる自信も持っているのだ。
「連中は動きやしないよ。自分達の商品を守るだけで手一杯さね」
「ふむ。ゾエンヌ様が仰られるなら、間違いないのでしょうな」
「アンタこそ、帝国の動きには詳しいんじゃないのかい? 例の叛乱に関わってたのは、調べがついてるんだよ」
皺がれた声に威圧が込められる。
ブラローンなら即座に「なんでも話します許してください」と言ってしまうところだが、グロウシスは少し困ったような顔をして肩を竦めただけだった。
「私が把握しているのは、魔弾皇女が噂通りに恐ろしい方、というくらいですよ。いまは帝国内も不安定なようですが……本気で攻め込まれたら、この国なんて三日で滅ぼされるんじゃないですか?」
「み、三日!? それほどの魔導遺物を持ってるのですか?」
「ああいえ、ブラローン様、三日という部分はさすがに冗談、言葉の綾です」
「あ、そ、そうですか。よかった……いや、よくはないか……」
たとえ三日が三ヶ月でも、帝国が脅威であるという問題は解決していない。
ブラローンは頭を抱えて、情けなく歪んだ顔を伏せて隠した。
もっとも、項垂れている時点で、貴族としては恥ずかしい態度なのだが。
「やれやれ、本当に頼りないねえ。ジェルザールに啖呵を切った時の勢いは何処にいったんだい?」
「そう言われても、あの時は必死でしたから……」
「格好よかったですよ。『貴方にこの国は任せられない!』、いやぁ、なかなか言えることじゃありません」
からかわれていると分かっても、ブラローンは反論できない。耳まで真っ赤に染めて机に突っ伏した。
「本当にもう勘弁してください……あの後、妻にも散々に怒られたんです。感情で突っ走っちゃいけないって、分かってはいたはずなのに……」
「馬鹿だね。後悔する部分が違うんだよ」
ゾエンヌは溜め息に苦笑を混ぜる。
厳しい眼差しの中にも、孫へ向けるような温かさが含まれていた。
「アンタが反対してなかったら、今頃はアタシたちもあの世行きさ。ジェルザールの阿呆に付き合って、魔弾皇女様に殺されてただろうね」
「で、でも、それは運が良かっただけで……」
「運が味方してるってのは大事だよ。だから、アンタの判断を聞きたいのさね」
皺だらけの目蓋を細めて、ゾエンヌは返答を待った。
相手を待たせているというだけで、ブラローンは緊張して肩を縮めてしまう。けれどいつまでも意見を表さない訳にもいかない。
片眼鏡を上げ直して、ひとつ深呼吸をした。
「……僕達の姿勢は変わりません。国内の安定を第一に、戦争は最後の手段です。ジェルザールさんたちとも手を結ぶ方法を探りますし、帝国に対しても、なるべく穏便に解決できるよう働きかけていきたいです」
当たり障りのない、面白くもなんともない意見だろう。
けれどこれが、ブラローンに言える精一杯だった。
「ふむ……其々に使者を送る、ということですか?」
「とりあえずは、それが無難かと。今回の戦いで捕えられた人もいるでしょうし、帝国が矛を収めてくれるなら、ある程度の出費は覚悟して……」
どこまでの条件を受け入れるか、事前に細かな打ち合わせが必要となる。
けれどブラローンが言葉に迷ったのは、もっと大切なことに気づいたからだ。
「人選はどうしましょう? こちらの本気を訴えるなら、ヴァーヌ湖には僕が赴いた方がいいかと……」
「あぁん? アンタ、それこそ馬鹿を言うんじゃないよ!」
一喝し、ゾエンヌはテーブルを叩く。
「真っ先に敵地へ突っ込む大将が何処にいるんだい? 大人しくしてな!」
「す、すいません……」
老婆の眼光に射竦められて、ブラローンはまたがっくりと項垂れた。
とはいえ、本気を訴える人選というのも一理ある。
下級貴族などに使者を任せれば、「こちらを侮っているな」と怒りを買うことも充分に考えられるのだ。
「そうさねえ……ここは言いだしっぺの、アンタが行ったらどうだい?」
「私が言い出した案ではありませんよ。使者を出すのかと確認しただけで……」
「細かいことはいいんだよ。相手を煙に巻くのは得意だろう?」
「人聞きの悪いことを仰らないでください。それに……帝国領へ入るのはマズイんです。先程も仰られた通り、恨まれている可能性も高いのですから」
言葉をぶつけ合う二人を、ブラローンははらはらして見守っていた。
帝国領は、もはや敵地と言っていい。しかもこちらから攻め込んだばかりだ。
別派閥の者が勝手に、なんて言い訳は通用しないだろう。
そんな危険な場所へ、自分を支えてくれる者を送り出したくはない。けれど重要な役目だとも理解している。
だからこそ、最初に自分が名乗りを上げた訳で―――。
「うだうだ話してても仕方ないさね。こうなったら、二人で行こうじゃないか」
「え……ちょっ、ゾエンヌ様!?」
「さすがにそれは……万が一の事態になったらどうするのです?」
「なぁに、なんとかしてみせるさね」
ブラローンは顔色を蒼白に染め、グロウシスも渋い顔を隠せない。
けれど男二人の不安を嘲笑うように、ゾエンヌは軽快に咽喉を鳴らしていた。
「魔弾皇女殿が噂通りの人物なら……そうさね、グロウシス、後で生き残るための秘策を教えてあげるよ」
「……なにやら、ろくでもない予感がするのですが?」
「なぁに、至極真っ当な方法さね」
皺だらけの笑みは、さながら悪霊を思わせる。
実際、ゾエンヌは霊魂に関わる魔術研究に力を注いでいるのだ。そのことからも妙な連想をしてしまい、ブラローンは身震いを覚えた。
「なんだか無礼な評価を受けた気がするねえ?」
「あ、いえ……ですが、本当に大丈夫なのですか? なにも御二方が直接に赴かなくても……」
強く言えば、ゾエンヌを止めることも出来ただろう。
けれどブラローンにその勇気はなく、充分に考える時間も与えられなかった。
「しつこいねえ。だいたい、アタシはいつも言ってるだろう?」
呆れ混じりの息を落とすと、ゾエンヌはふと遠くを見るような眼差しをした。
その瞳に映ったのは、追憶だろうか。
あるいは、後悔だったのかも知れない。
「ミルドレイア様が帰還されるまでは生き抜いてやるさ。何があろうともね」
師の名前を口にして、ゾエンヌは誇らしげに笑みを浮かべていた。
◇ ◇ ◇
その日、ヴィレッサは複雑な気分を抱えていた。
機嫌は悪くない。でも、落ち着かないのだ。
「お姉ちゃん、口に合わなかった?」
「ん……違う。とっても美味しい」
手が止まっているのに気づいて、ヴィレッサはスプーンを口に運んだ。琥珀色のコンソメスープは、ルヴィスが考案したものだ。美味しくないはずがない。
それに、ヴィレッサが考案した兎肉のハンバーグも並べられている。ソースはまだ試作品だが、数種類が用意されて、それぞれに違った味を楽しめる。口の中で柔らかくほどける肉の食感は、充分に満足できるものだ。
コンソメと合わせて、野菜に包んで煮ても美味しくなるだろう。
豪華な昼食には、同席したレイアも大喜びしていた。
「二人とも凄い! 私、料理人にもなりたくなったよ!」
「レイアのおかげでもあるんだよ。色んな食材が手に入ったからね」
「うん。聖女効果のおかげ」
双子に誉められて、レイアは照れくさそうに肩を縮める。
切っ掛けは、先日”やらかしてしまった”広範囲の治療術だ。湖周辺の街にまで効果の及んだ治療術は、転んで怪我をした子供や、畑仕事で腰を痛めた老人なども回復させていた。
当然、騒ぎになる。憶測が噂となり、さらに噂を呼ぶ。
神の御使いが降臨されたのでは―――なんて話まで囁かれていた。
そうして治療術の恩恵に与った街や村の住民が、神への供物なんてものまで届けに来たのだ。まあ大した物は無かったが、貴族には知られていない、地方ならではの食材もあって、ルヴィスの目に留まったという訳だ。
「でも勘違いされたままで……聖女とか、私には似合わないよ」
「ん、大丈夫。その内に慣れる」
「お姉ちゃん、それじゃあ解決になってないよ」
笑い声を零しながら、三名は穏やかに食事を進めていく。
城砦の広い部屋で、護衛騎士に見守られながらというのにも慣れた。
だけど―――。
いつしか、ヴィレッサの手はまた止まっていた。
「……お姉ちゃん、そんなに気になるの?」
「ん……違う。心配なんてしてない」
パンを千切って口へ運ぶ。
だけどそんなことでは、ルヴィスの目は誤魔化せなかった。
「シャロン先生が強いのは、お姉ちゃんだって知ってるでしょ? あと何日かすれば、きっと無事だって報告が届くよ」
ディアムントが率いる帝国軍と、北方貴族軍との戦端が数日後に開かれる。
そんな報せが魔導通信によって届けられたのは今朝のことだ。
ついでに、少しだけシャロンと話をしたのが心に影響したのかも知れない。
勝利を信じている。可愛い妹にまで心配を掛けたくない。
むしろ自分が支える役割だったはずなのに。
安心して戦ってもらうために、いまは後方を守るのが大切で―――。
そう理解しているヴィレッサだが、どうにも心は乱れたまま鎮まらなかった。
「そうか……お姉ちゃんは、はじめてなんだよね」
「ん……?」
「お姉ちゃんが無茶するたびに、私やシャロン先生は同じ気持ちだったんだよ。
どう? 少しは反省した?」
得意気に指摘されて、うっ、とヴィレッサは言葉を詰まらせる。
じっとりとした眼差しを返すのが精一杯で、反論できなかった。
「これなら、自分が戦ってた方が楽だね」
「もう! またそんなこと言って……」
その時、部屋の扉が叩かれた。
伝令兵の声に、ルヴィスが頷いて護衛騎士を応対に向かわせる。
食事の時間にも関わらず伝えてくるだけあって、それは重要な報せだった。
けれど驚きは少ない。
予想していたし、むしろ待っていたものだ。
「そうですか。魔導国からの使者が……」
報告を受けて、ルヴィスは落ち着いた様子で頷く。
けれどヴィレッサは、妙な胸のざわめきを覚えて眉を顰めていた。




