第9話 聖女伝説は突然に
ちょっとだけ増量中。
春の陽射しが凍りついた湖面へ降り注ぐ。
無数に反射する光の粒は、幻想的な光景となって見る人を楽しませただろう。
そこに血の色と匂いが混じっていなければ。
「ったく、望んだ戦場でもねえだろうによ……」
湖岸へと運ばれていく遺体を眺めながら、ヴィレッサは苦々しく息を吐いた。
味方の被害は皆無と言っていい。突撃を行った時点で、すでに敵軍は壊滅したも同然だったのだ。『一騎当千』の恩恵を受けた親衛隊はもちろん、一般兵にも死者は出ていない。逃げる兵を追って、数名が負傷した程度だ。
圧倒的な、歴史的な勝利に違いない。
今後十数年は、魔導国は帝国に逆らう気すら起きないだろう。
だが作業をしている帝国兵士の顔色は暗い。戦勝を喜ばない訳ではなかったが、後の処理となり、山ほどの遺体を前にすれば浮かれ気分も失せてしまう。
捕らえられ、作業をさせられている魔導国軍兵士はもっとだ。
中には、いまにも死体の仲間入りをしそうな顔色の者もいた。
「某も、東方守護に就いていた頃は、似たような情景に慣れてしまいました」
さすがに歴戦の戦士であるゼグードは、平静な顔を保っている。ヴィレッサの横に控えたまま、穏やかな口調で話し掛けてきた。
「ですが、後方の街で見られる情景はまるで違っております。大勢の民が勝利を喜び、穏やかに日々を過ごしておるのです。それが脅かされぬよう守ることこそが、我らの務めであるかと」
「……分かってる。誰も彼も守れるとは思っちゃいねえ」
腰に収めた魔導銃を撫でながら、ヴィレッサは項垂れた。
けれどすぐに顔を上げて、軽やかに咽喉を鳴らす。
「あたしはもう、修羅道を突き進むって決めたんだからな」
「……もしも姫様を咎める者が居れば、某が斬って捨てましょう」
「はっ、物騒な爺さんだぜ」
笑い捨てると、ヴィレッサは真面目な表情を作り直す。
そうして戦場跡をぐるりと巡って、作業をしている兵士を労っていった。
普段、城内でルヴィスも同じように部下の仕事ぶりを見回っている。戦場に於いては、それは自分の務めだと、ヴィレッサも学んでいた。
仕事の邪魔にならない程度に見回りを終えて、湖岸へと足を運ぶ。
魔導軍が設営した陣地跡で、簡素な椅子に腰を下ろした。
「あの船の方は、そのまま燃やして沈めた方が楽そうだな」
「左様ですな。船だけならば、疫病などの心配もありますまい」
「そうだな……手洗いなんかの習慣もつけさせるか」
まともに軍を率いて他国と戦うのは、ヴィレッサにとって初めての経験だった。知識としての備えはあったが、実際に動いてみて分かることもある。
他の指揮官も集めて、細々とした問題を話し合っていく。
捕らえた兵や貴族の処遇もその内のひとつだが―――、
城砦へ戻らないのは、また別の理由があった。
「お、来たな」
近づいてきた足音に、ヴィレッサが首を回す。
やって来たのは親衛隊員の一団で、その中心にいるレイアは強張った表情をしていた。
戦場跡を、レイアは真っ直ぐに見つめていた。
同行したマーヤとロナが気を利かせて、なるべく凄惨な光景は目に入らないようにはしてあった。それでもかなりの数の遺体が転がっているし、幼い子供には直視できるものではない。
当然、レイアも蒼ざめた顔をしていた。
全身を小刻みに震えさせて、胸元に収めた友達をきつく抱き締めている。
けれど目は逸らさなかった。
何が起こったのか見てみたいと、自分から言い出したのだから。
「……これが、戦争なんだね」
呟きながら、初めての友人へ顔を向ける。
頬に血の染みを残しているヴィレッサは、鋭利な笑みを浮かべながら頷いた。
「ああ。あたしが殺した。レイアの国の人間を、大勢」
「私がここに来たから? だから戦争になったの?」
「違う。魔導国の奴らは、あたしたちから色んなものを奪いたかったんだ」
「……私から、お母さんを奪ったみたいに?」
ヴィレッサは狂気じみた表情のまま頷く。
けれどその瞳が一瞬だけ悲しげに曇ったのを、レイアは見逃さなかった。
そうか、と思う。
こんな光景を望んだはずがない。誰かを傷つけるのは嫌で、誰かを傷つけられるのはもっと嫌なんだ。みんなで笑い合って、楽しくお喋りをして、畑を耕したり、木の実を取ってきたり―――、
そうして美味しいものを食べていられる方が、ずっと嬉しいに決まってる。
だけど、そんなことを分からない人もいっぱい居て―――。
「……だから、ヴィレッサちゃんは笑ってるんだね?」
「あん? 何言ってんだ?」
不機嫌そうに眉を寄せたヴィレッサに、レイアは静かに首を振った。
まだ身体の震えは止まらない。
きっと死体を見慣れることなんてないのだろう。
でも、ここに来たことを後悔はしていない。
「ヴィレッサちゃんと会えてよかった」
「……ま、友達が増えるのは悪くねえよな」
むっつりと口元を捻じ曲げながら、ヴィレッサは目を逸らす。
怖いものなんて何も無さそうなのに、気恥ずかしげに頬を染めた友人の様子がおかしくて、レイアは思わず笑みを零した。
「私、やっぱり一度帰るね」
「ん……? 自分の村に? 大変じゃねえか?」
また騎士に追われるかも知れない。村の人達も受け入れてくれないだろう。
だけど、とレイアは迷いなく頷いた。
「お母さんのお墓も作ってあげたい。それに、決めたんだもん。私からお母さんを奪った奴らに、ごめんなさいさせてやるって」
レイアは小さな拳を強く握り込む。
胸元からプルトも跳ね上がると、同意するみたいに肩に乗った。
「大変でも大丈夫だよ。色んな魔術も教えてもらったから」
「あー……でもなあ、そのことなんだけど」
頭を掻きながら、ヴィレッサは陣地の端を目線で示す。
そこには十名ほどの兵士がいて、他の場所とは違う緊張が漂っている。
「捕まえたみてえだぜ。領主のホデールって奴も」
「え……?」
唖然とした声を漏らしてから、レイアは陣地の端をもう一度見つめる。
そこでは、豪奢なローブを着た男達がまとめて縛られ、この世の終わりみたいな顔をして転がされていた。
「み、身代金なら幾らでも払う! 私は第一導師ジェルザールとも懇意にしていたのだ。奴を討つというなら役に立つぞ」
縛られたまま引きずり出された領主ホデールは、ヴィレッサたちの前で無様に命乞いをした。顔に浮かべた愛想笑いは、哀れなほどに歪んでいる。
それだけでもう撃ち殺しても良いような気がしてきた。
だけどヴィレッサはぐっと我慢して、頬杖をつきながら惨めな敵領主を睨んだ。
「他の捕虜からも確認は取れております。第一導士派の術士ホデールに間違いないと」
「一人くらい、好きにしてもいいよな?」
「はい。小領主のようですし、元より姫様の御意向が大切かと存じます」
説明してくれたゼグードへ頷いてから、横へ視線を移す。
促されて、静かに待っていたレイアが歩み出た。
「はじめまして、ホデール様」
太った領主の前に跪くと、レイアは恭しく頭を垂れて名を告げた。
ややぎこちないが、一応は帝国式の礼儀作法に則っている。ヴィレッサやルヴィスの近くにいる間に、レイアもそういった所作を自然と学んでいた。
落ち着いているレイアに対して、むしろホデールの方が見苦しい。
「た、ただの村娘が何の用だ!?」
「……私の母は、貴方の騎士に殺されました。病気を患っていたのに、無理矢理に連れ出されて……村の人達だって、戦いなんて望んでいなかった」
「だからどうしたと……待て、貴様、あの村の者なのか?」
何かに思い至ったらしく、ホデールが顔色を変えた。
大きく目を見開くと、ぎりぎりと歯軋りをしてレイアを睨みつける。
「そういうことか……貴様ら、戦いが嫌で裏切りおったな!」
「……? いったい、何を言ってるんですか?」
「とぼけるな! あれだけの軍勢が、船が、一斉に燃え上がるなど妙だと思ったのだ! ミルドレイアの呪い子たる貴様らが何かをしたのであろう!」
完全な誤解だった。
しかし仕方のない部分もある。最初の砲撃こそ城砦からのものと見て取れたはずだが、投擲形態からの攻撃は把握し難い。上空から高速で魔弾が落下してくるのだ。ましてや混乱の中で、詳細な状況など掴めていなかった。
ヴィレッサが説明すれば誤解はとけただろう。
けれど仲裁をしたところで、良い結果になるとも思えなかった。
「貴様らのせいだ! よくも私にこのような屈辱を与えてくれたな!」
「私は何もしていません。ただ、お母さんに謝って欲しいんです」
「黙れ! 謝れだと、ふざけたことを! 貴様らなど皆殺しにしておくべきだったのだ!」
「っ……」
醜く頬肉を震えさせて、ホデールは吠える。
レイアは泣き出しそうな顔をしていた。
けれど気圧されてはいない。強く拳を握って、怒りを堪えていた。
「……どうしても、お母さんに謝ってくれないんですか?」
「やかましい! 貴様の母親など、どうなろうと―――」
その瞬間、レイアは一歩を踏み出した。
力の限りに地面を蹴り、喰らわせる。渾身の飛び蹴りを。
「ぶべぁっ!?」
豚みたいな悲鳴を上げて、ホデールは地面を転がった。
いくら幼い子供の力とはいえ、完全に不意を打たれたのだ。受け身も取れず、ホデールは折れた鼻から血を溢れさせる。
周囲で見守っていた者達も唖然とする中で、レイアは華麗に着地していた。
「おまえなんか……おまえなんか……っ……」
涙声になりながらも、顔を上げ、叫ぶ。
「おまえなんか貴族じゃない! 絶対に許してやらないんだから!」
くしゃくしゃに顔を歪めて立ち尽くす。
そのレイアの肩を、背後から歩み寄ったヴィレッサが優しく抱き締めた。
「こんな奴のために、レイアは泣かなくていい」
「っ……うん……ありがとう、ヴィレッサぢゃぁん……」
胸に抱えて、小刻みに震える頭を撫でてやる。
そうしてレイアが落ち着くまで待つつもりだったが、状況を読めない愚か者がいた。
「あ、あの、ヴィレッサ殿下、その娘は……」
「黙れ」
ようやくレイアの重要性に気づいたのか、ホデールが蒼ざめた顔を向けてきた。
しかしヴィレッサはそちらを見もせずに告げる。
「レイアが言った通りだ。そいつは貴族でもなんでもない。開拓村にでも送って、死なない程度にこき使ってやれ」
ホデールの縄を持っていた兵士が頷き、引きずって連れて行く。
「お、お待ちを、ヴィレッサ殿下、私にこのような真似をして許されると―――」
往生際が悪い。聞くに堪えない。
息をひとつ吐くと、ヴィレッサはもう醜い元領主のことは頭から追いやった。
それよりも、とレイアの様子を窺う。
「ん……もう、大丈夫。本当にありがとう」
ヴィレッサの胸から離れると、レイアはぺこりと頭を下げた。
まだ涙は滲んでいるが、その瞳には力強さが戻っている。
「気にすんな。変な奴に会わせちまって悪かったな」
「ううん、私が会いたいって言ったんだから」
レイアは首を振ると、控えめながらも頬を緩める。
足元に寄ってきた相棒を抱えなおして、ぼんやりと呟いた。
「これから、どうしようかな……」
「……ゆっくりと考えればいいんじゃないか?」
帝国へ来ればいい、と言い掛けて、ヴィレッサはやめておいた。
母親を失って、村を追われて―――、
あまりにも辛い現実に対して、幼い子供が答えを出すには早すぎる。
これから魔導国の情勢も変わるだろう。
しばらくヴィレッサも国境に留まるつもりだし、レイアが考える時間はある。
「そうだね……まずは、できることから」
小さく拳を握ると、レイアは意気込んでみせる。その肩に乗ったプルトも、主人を励ますみたいに跳ねた。
ヴィレッサは思わず苦笑いを零しつつ、周りへと目を移す。
「ちょうどいいや。少し手伝ってくれるか?」
「なに? なんでもするよ!」
「大したことじゃない。怪我人の治療を……」
言い掛けて、ヴィレッサは口を噤んだ。
レイアの魔術に期待するのはいい。だけど治療を待っているのは、魔導国の兵士ばかりだ。帝国兵士は軽傷者すら少なかったが、敗戦側である魔導国兵士には、かなりの重傷者も混じっている。
血生臭い場所に子供を送るのは、やはり躊躇われる―――。
そう思い直して、ヴィレッサは訂正しようとした。
でも手遅れだった。
「治療術だね! 任せて、マーヤさんに習ったばかりだけど……」
レイアは両手を広げると、目を閉じ、意識を集中させた。
小さな体を囲うように無数の光粒が瞬き、空へと昇っていく。
その光粒たちが寄り集まって―――、
「範囲拡大……これくらいかな? 魔力は余ってるし、いいよね」
「……なんだか嫌な予感がするけど……まあ、大丈夫だよな」
治療術のはずだし。たぶん。
まるで二つ目の太陽みたいに浮かぶ魔力の塊を見上げて、ヴィレッサは頬を歪めた。周囲の騎士たちも愕然としている。
ヴィレッサを守ろうと駆け出す騎士もいたが、同時に光が弾けていた。
眩いほどの、しかし温かな光が降り注ぐ。
その神々しい情景は、ヴァーヌ湖周辺の街からも確認できるほどだった。
戦場跡で治療を待っていた捕虜は、瞬く間に塞がる傷口を見て感嘆の声を上げた。それどころか、魔導国へ逃げ帰ろうとする敗残兵にまで効果は及んでいた。
全身火傷で死に瀕していた者が、綺麗な肌を取り戻して立ち上がる。
大量の血を失って息も絶え絶えだった者が、漲ってきた力に歓喜の声を上げる。
ひとつひとつは、ちょっと効果の高い治療術と言っていい。
けれどその現象全体は、奇跡と呼ばれるほどで―――。
「よし! これで大丈夫なはず! ヴィレッサちゃん、次は何しよう?」
「……えっと、大人しくしててくれ」
派手すぎるのはよくない。ルヴィスやシャロン先生の気持ちが分かった。
これからは少し自重、しようかな?
「変な噂とかにならないといいんだけどな……」
諦め混じりに呟いて、ヴィレッサは口元を捻じ曲げる。
ヴァーヌ湖には悪魔と聖女がいる―――、
そんな噂が流れるまで、さほど時間は掛からなかった。




