第5話 カボチャの馬車はないけれど
自室のベッドの上で、ヴィレッサは小さくなって膝を折り畳んでいた。
正座だ。
この世界ではあまり浸透していないが、反省のポーズである。
「まったくもう! お姉ちゃんは、また勝手なことしちゃって!」
「うん。反省してる」
でも後悔はしていない。
だって動いていなければ、みすみす女の子を見殺しにするところだった。
その点は、頬を膨らませているルヴィスも同様であるらしい。
「私だって、見捨てれば良かったとは言わないよ。だけど後先考えずに突撃ばかりしてたら、また危ない目に遭っちゃうんだよ?」
原因は、ヴィレッサが勝手に国境を越えたことだ。
散歩をしていた黒馬が急に騒ぎ出したので、好きなように走らせてみた。そうしたら自分と同い年くらいの女の子が襲われていたのだ。
助けない訳にはいかなかった。
まあ、ほとんどは黒馬が暴れて片付けてくれたのだが。
おかげで、”帝国軍”が侵入した事実は伏せておける。
湖の向こうは魔導国領とはいえ、国境の砦がある場所からは離れていた。事実がどうあれ、魔物が勝手に暴れたと言っても通用するだろう。
ヴィレッサとて、いまは国境の平穏を保つのが最良だと理解している。
少なくとも帝国内が安定するまでは、余計な争乱は避けるべきなのだ。
「大丈夫。魔導国だって、戦争してる余裕は無いんでしょ?」
「もう! お姉ちゃんは楽観的なんだから」
ルヴィスが懸念しているのは、魔導国内の争いに巻き込まれる可能性だ。
魔導国の王には、約五十年前までは魔女ミルドレイアが君臨し続けていた。そのミルドレイアが国を追われてからは、六名の『導師』から選ばれている。
王制でありながらも、一種の合議制とも言えるのだろう。
高位の魔術師が貴族となり、その貴族の内でも最高位が『導師』となる。さらにその『導師』全員の承認により、王位が決定されるそうだ。
現在、その王位を巡って、第一導士派と第三導士派が対立している。
国内の貴族から支持を集めるため、どちらか、あるいは両方が帝国へと攻め込んでくる―――そんな可能性も捨てきれない。
「危ない時期なんだよ。まだクリシャさんは、『凍珠』を使いこなせてないんだから」
「ルヴィスが後継者に推薦したくせに……」
「それとこれとは別問題なの!」
もう!、といつもの口癖とともに、ルヴィスはベッドに腰を下ろす。
ヴィレッサの横で、ごろんと体を投げ出した。
「どうしてもっと、みんなで仲良くできないんだろうね」
「ん……」
ルヴィスが腹を立てているのは、なにもヴィレッサの行動に対してばかりではないのだろう。女の子一人を大勢の兵士が追い立てるなんて、話を聞くだけでも平然とはしていられない。
悲劇的な事態が起こること、そのものに対して憤っているのだ。
あるいは、村を襲われた際の光景を思い出してしまったのかも知れない。
「ルヴィスが頑張ってるのは、ちゃんと分かってる」
膝枕をして、ルヴィスの頭を撫でる。少し乱れていた髪にも櫛を入れて、優しく梳いていった。
いつもはヴィレッサがやってもらう立場だが、逆というのも悪くない。
最近のルヴィスは、西方国境守護のために精力的に働いている。守備部隊の編成だけでなく、文官達とも時間を掛けて話し合い、学び、他国の情報も積極的に仕入れていた。
そういった役目を丸投げしたのはヴィレッサなのだ。面倒くさいのを嫌ったのも理由のひとつだけれど、ルヴィスの性格からして、漫然と過ごす日々には堪えられないと思えた。無難にこなしてくれれば充分だった。
けれど頑張ってくれている以上は、邪魔なんてできない。
魔導国だけでなく、商工連合に対しても動いているようだし―――。
「あの子、どうして追われてたんだろう?」
ぽつりと、ルヴィスが呟いた。
その点はヴィレッサも疑問を覚えたが、さして気に留めていなかった。
「ああいう時は、だいたい偉そうな方が悪いって決まってる」
「お姉ちゃん、自分が偉くなったって分かってる?」
「……とにかく、目が覚めたら聞いてみればいい」
話を逸らしつつ、ヴィレッサもベッドへ横たわる。
柔らかな感触が心地良い。可愛い妹を抱き締めていると、その暖かさにも安心できる。
多少の騒動が起こっても、ヴァーヌ湖城砦はまだ平穏を保っていた。
後で様子を見に来る。
何気ない言葉でも、それを皇女殿下が口にしたとなれば一騒動になる。
気絶した少女を寝かせたのは、下級兵士や使用人にあてがわれる宿舎の一室だ。規律に厳しい帝国軍でも、施設の隅々まで清潔を保っている訳ではない。
壁や床のあちこちに汚れがこびりついて、埃が舞う箇所もある。
そのまま皇女殿下を迎えたら、無礼だと首を跳ねられるのではないか。
しかも、相手はあの魔弾皇女殿下―――。
兵士も使用人も、総出で清掃にあたった。訓練に出ていた者は呼び戻され、休んでいた者も叩き起こされた。気絶した少女に対しても、一番綺麗なベッドと布団が用意され、怪我にも治療術が施されて丁重に扱われた。
まあ、ヴィレッサ本人は、そんな兵士達の苦労に気づきもしなかったが。
「足の怪我は、もう大丈夫?」
「あ、うん。もう痛みもない、です」
ベッドに腰掛けたまま、レイアは瞬きを繰り返していた。
頭の上では黄色い粘液体も震えている。
部屋にはヴィレッサとルヴィスの他に、ゼグードをはじめとした数名の騎士が控えていた。ただの村娘を囲むにしては威圧的に過ぎる。
おまけに双子が皇女だとも告げた。
ただの村娘だったレイアは、恐縮を飛び越えて困惑するばかりだ。
「え、えっと、その、助けていただいて、ありがとうございましゅ」
「気にしないで、いい。黒馬が暴れただけ」
「そうだね……レイアちゃんも、私達と同じ九歳なんでしょ? だったら普通に話して欲しいな」
事情を聞き出すだけなら、幾らでも方法はある。
だけどヴィレッサもルヴィスも、偉ぶるのは好きじゃない。
それに最近、年齢の合う話し相手がいなくて残念に思っていたのだ。
「その子、スライムだよね? 懐いてるの?」
「うん、プルトとはずっと一緒。一番の友達なんだ」
「黒馬に睨まれても、守ろうとしてた」
「あの大きな馬のこと? あの子もとっても優しそうだったね」
とりとめもない話を重ねていくと、レイアも落ち着いてきた。子供らしく無邪気に頬を緩めてくれる。
ヴィレッサは安堵しつつも、真面目な顔になって話を切り出した。
「ところで、どうして追われてたの?」
「あ、それは……」
一瞬、レイアの表情が固まった。
綺麗な色をした瞳に、じんわりと涙が滲んでいく。
声も、掠れていく。
「お母さんが……おかぁ、さん、が……あいつらに―――」
堰を切ったように、レイアは大きな声を上げて泣き出した。
くしゃくしゃに顔を歪めて、ぽろぽろと大粒の涙を流して。
誰も声を掛けられない。
細かな事情は分からずとも、悲しみの大きさは察せられた。
ずっと我慢していたのだろう。大人でさえ押し潰されそうな悲嘆を、幼い体の内で抑え込んでいたのだ。
重苦しい空気が漂う中で、ルヴィスがそっと手を伸ばす。
泣きじゃくるレイアを、小さな胸に抱き寄せた。
「……もう、怖いことはないよ。よく頑張ったね」
「っ、ひぐっ……るびす、ちゃ……う゛わ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁぁ~~ん……」
止まらない慟哭を、ルヴィスも目を伏せながら受け止める。
ヴィレッサは小さな手で拳を作っていた。
空中を見上げて、唇をきつく結んで。
いまはまだ見えない敵に対して、静かに怒りを滾らせていた。
しばらくして泣き止んだレイアは、ぽつぽつと事情を語ってくれた。
漠然とした情報ばかりだったが、聞き逃せない部分も多々あった。
小さな村からも兵を集めている。それも、夜盗討伐などでは有り得ない規模で。帝国へ攻めてくるのか、それとも国内での争いのためなのか―――、
そこまでは、レイアの証言からは読み取れなかった。
しかし備えが必要となるのは間違いない。
いずれにせよ、魔導国で大きな動きがあるはずだ。
「領主のホデールというと、第一導士派の貴族ですか?」
「はい。そう記憶しております。詳しい者にも確認を取りましょう」
ルヴィスの問いに、ゼグードはすぐに頷いて部下へ指示を飛ばす。
他の騎士も緊迫した面持ちをして、得た情報を頭の中で整理していた。
そんな様子を横目に、ヴィレッサは人差し指を立てた。
ぷにぷにと、黄色い粘液体を突つく。
次に、ふにふにと、レイアの頬っぺたを突いてみる。
「うん。よく似てる」
「……お姉ちゃん、なにやってるの?」
ルヴィスに睨まれて、ヴィレッサは手を引っ込めた。
べつに、遊んでいた訳じゃない。疑問のひとつを解消しただけだ。
そして、もうひとつの疑問も口にしてみる。
「レイアは、魔女ミルドレイアの子孫なんだよね?」
「うん。村の全員がそうだって聞かされてたよ」
その点は、この場の全員が眉を顰めていた部分だ。
魔女ミルドレイアに子供がいたなど、帝国には伝わっていない。ましてや村を作れるほどの人数がいたとは、容易に信じられる話ではない。仮にそんな者達がいたとすれば、これまで表舞台に出てこなかったはずがないのだ。
魔術に長けた者ばかりがいる村というのも、何処まで真実なのか―――、
恐らくは、何かしらの逸話が年月を経て歪んだのだろう。
御伽噺みたいなもの。所詮、子供の話に過ぎない。
口にこそしなかったが、騎士たちは一様に懐疑的な反応をしていた。
ルヴィスでさえ、考えても仕方ないものとして、頭の片隅に追いやっていた。
だが、ヴィレッサだけは違った。
信じ難い話を、ただそのままに受け止めていた。
「これって、凄いことだよ」
「え……? お姉ちゃん、なに考えてるの?」
ルヴィスが頬を引き攣らせつつ尋ね返す。
レイアは首を傾げながら、膝に乗せた粘液体をさり気なく指で突ついていた。
そんな二人に対して、ヴィレッサは当り前のように提案した。
「レイアに、女王様になってもらえばいいんじゃない?」
凍りついたみたいに場が静まり返る。
幼い一声が、一国の運命さえ左右しようとしていた。




