第2話 静かに始まる戦い
高速フラグ回収!
帝国領東方国境―――、
バルツァール城砦の上を黒い影が通過していく。
大きな船と酷似したその異様を、新たな城主であるアンブロス伯爵は歯噛みしながら睨み上げていた。
「これで、すでに三隻目か……」
呻くようにアンブロスは呟く。
背後に控えている従者も頷いたが、主人と同様に苦々しげに顔を歪めていた。
帝国領内へと入る飛翔船を黙って見送ることしかできない。国境を侵されているというのに、ほとんど対抗手段が見つからないのだ。
空高くに位置する飛翔船には、当然ながら剣や弓矢は届かない。大掛かりな攻城兵器でも無理だろう。そもそも守備を前提としたバルツァール城砦には、そういった兵器は少なく、魔術に頼る場面が多いので兵器自体の開発も進んでいない。
十数名で発動させる戦術級魔術であれば、辛うじて射程内に入るが―――。
「通過されるだけの短時間では、どうにも出来ぬか」
「残念ですが、敵の障壁を破るには力及びませぬ」
「足止めする方法でもあれば……いや、あればかりに気を取られるのも危険だな」
首を回して、東の平原へと目を移す。
広々とした風景の奥、どうにか見て取れるほどの遠方に、レミディア軍が陣地を築いていた。
数としてはおよそ五万。攻めてくる気配は窺えない。
バルツァールの城壁を脅かせる戦力とは思えないが、だからといって無視する訳にもいかなかった。
「籠城の準備は進んでいるな?」
「はっ、糧食はすでに三月分は確保してあります。ビッドブルクなど、近隣の街にも伝令を走らせ、警戒を促しております」
報告に頷くと、アンブロスは黙考する。
東の平原に布陣したレミディア軍は、まともに攻めてくるとは思えない。戦える状態であるかも怪しいものだ。先の戦いで『魔弾』によって散々に討ち払われて、再編するだけでも到底時間が足りなかったはずなのだ。
目的は、侵攻ではない?
単なる示威行動、嫌がらせに過ぎないのか?
しかし飛翔船で兵を運んでいる可能性もある。
それをわざわざ見せつける理由は何なのか―――。
「……ギガ・アントの方がずっと楽だな」
「は……?」
「戯言だ。いまはともかく、この城砦を守るより他にない」
現在、城砦に詰めている兵力は二万余り。
戦い方次第では、五万を越す敵でも蹴散らせる。『不滅骸鎧』もあるのだ。
だが城を空けた途端に、後背を突かれる可能性は捨てきれない。先の戦いでは、伏兵によって落城の危機に陥ったと、アンブロスも聞き及んでいた。
もっとも、そう思わせて足止めすることが敵の狙いであるとも思える。
目に見えている敵から各個撃破していくのも、悪くない選択肢だろう。
「……陛下に指示を仰ぐべきだな」
己の判断に余るなど、恥ずべきことだと思う部分もある。
しかし、北方貴族とレミディアが手を組んだ可能性も考えられた。
そうなれば国境のみならず、帝国軍全体としての戦いとなる。迂闊に動くよりも指示を待つのが賢明だろう。
「北の……ハイメンダール公爵ですか。閣下は面識がおありで?」
「閣下はよせ。あの男とは幾度か話したが……熊のような印象を受けたな」
「熊、ですか。獅子や狼ではなく?」
「獰猛でありながら、知恵も働く。侮れぬ相手ということだ」
重々しく述べながらも、その瞳に恐れや不安はない。
むしろ、滲んでいるのは憐憫に近かった。
「志を同じくすれば頼れる騎士だったのだがな。残念なことだ」
帝都の方向を眺めながら、生真面目な伯爵は溜め息を零した。
◇ ◇ ◇
帝国領東南端―――、
港町キールブルクは不穏な喧騒に包まれていた。
大きな商船が無惨な姿を晒している。帆はぼろぼろに焼け落ち、甲板にも焦げ跡が残っていて、所々に赤黒い染みも目立つ。
陽の光の下でなければ、幽霊船と見紛われただろう。
「二十隻以上の船団だと?」
「は、はい。南東にある小群島の辺りで待ち伏せしてやがったんです。派手な魔術を撃ち込んでくる奴等もいました」
桟橋に座り込んだ船長が、悔しげに顔を歪めながら話していく。
落ち着いた様子で耳を傾けるヴェルティも、腹立たしさに拳を握っていた。
父であるヴァイマー伯爵は、長男とともに帝都へ赴いている。留守を任されたのは誇らしいことだが、同行できなかったのを残念にも思っていた。
即位式での襲撃など、諸々の事件についてはヴェルティの耳にも届いている。
とりわけ面識のあるルヴィスが皇女だったと知らされた時は、言葉を失うほどに驚かされた。シャロンが親衛騎士になったと聞いて、すぐにでも帝都へ向かいたくなった。
自分も親衛隊員となり、シャロンに恩返しがしたい―――、
そんな衝動を堪えていた時に、こんな事件が起こってしまった。
親衛隊への入隊希望は、父を介してルヴィスへ伝えてもらった。色好い返事も貰えていたのだ。帝都から父が帰ってくれば、すぐにでもヴェルティは出立する予定だった。
しかし領地に争乱が起こっていては放ってなどおけない。
「海賊か、レミディア軍か知らぬが……まとめて斬り伏せてくれる」
冷然とした表情こそ保つヴェルティだったが、その手は腰の刀に伸びていた。
周囲の船乗りや兵士が退くほどに、全身から怒気を溢れさせる。頭の後ろで結ばれた黒髪が、湯気立つようにざわりと揺れた。
「水軍は、いつでも出立できるな?」
「は、はい! しかし敵の拠点が分からないことには……」
「そんなもの、探し出せばよい!」
傲然と言い放つヴェルティに、周囲は困惑顔をして肩を縮める。
広大な海上での探索は、地上のそれとはまったく異なる。勢いに任せて船を進めても、却って自分達の身を危険に晒すだけだ。
普段ならば、それが理解できないヴェルティではなかったのだが―――。
「聞けば、ヴィレッサ殿下は僅か一千の騎兵で三万の敵を屠ったという」
ならば、と。
ヴェルティは瞳に戦意を溢れさせ、自信たっぷりに言い放つ。
「船の二十隻や二百隻、あっさり沈めてみせねば護衛など務まらぬ」
そのまま一人でも海原へ駆けていきそうな勢いだった。
けれど幸か不幸か、この翌日にはヴァイマー伯爵が帰還する。
無茶な出陣は避けられたものの、不審船団との戦いはしばらく続くのだった。
◇ ◇ ◇
帝都城内、広い執務室で、新皇帝ディアムントは眉間に皺を寄せていた。
机に積まれた書類は大分少なくなってきている。宰相をはじめ、新たな文官達を任命して仕事を割り振ったので、即位直後よりは余裕ができていた。
とはいえ、残された問題はどれも深刻なものばかりだ。
「まさか、ここまで早くレミディアが動いてくるとはな」
室内には宰相と、軍を束ねる騎士が揃っている。他の文官たちは退出させた。
いまはまず、軍務に関わる話を優先させなくてはいけない。
皇妃であるシュテラリーデも、その調整のために動き回っていた。
いまは謁見の間で、ディアムントの代わりに貴族たちの相手をしている。
帝都から領地へ帰る貴族は、余裕があれば夜会なども開いて大々的に別れの挨拶をする。隣り合う領主などと顔を繋いで、色々と便宜を図ってもらったり、いざという際に助け合うのにも社交は必要なのだ。
けれどいまは、そのような余裕も無い。
まさに”いざという”状況となっている。
大勢の貴族が、簡単な挨拶だけを済ませて領地へと戻っていった。
「今のところ、被害は少ないですな。小さな街や村がいくつか略奪に遭って……犠牲者が出ている以上は、それだけ、とは言えませぬが」
「敵の数も少ないようだ。多くても二千ほどの兵数だと報告されておる」
「飛翔船というのは驚かされましたが、運べる人員は限られるようですな」
「だからといって放置はできまい。国土内に敵が踏み入ってきているのだ」
「左様。各領地に任せるのであれ、帝都の軍を動かすのであれ、一刻も早く奴等を駆逐せねばなりますまい」
事態の検証も兼ねて、各騎士が口々に意見を述べる。
ディアムントは腕組みをして、まずはその意見に耳を傾けていた。
事の発端は、レミディア軍による襲撃だ。
飛翔船を使って、小数の部隊を複数送り込んできている。領土の侵攻が目的ではなく、街や村を襲い、散発的な略奪を行っていくのだ。
攻撃には違いないが、嫌がらせにも近い。
討伐をしようにも、飛翔船で逃げられれば居場所を掴むのも難しい。迂闊に追跡すれば、待ち伏せや罠に嵌められる恐れもある。
帝国軍の精鋭部隊を派遣すれば、飛翔船ごと沈められるだろう。数は少なくても天馬騎士がいるし、対空戦闘に適した魔導士もいる。国内が安定した状況ならば、こんな嫌がらせは早々に片付けられた。
しかしいまは、北方貴族に対する問題もある。
各領地に軍を派遣するどころか、集めたい状況なのだ。
「ヴァイマー卿の領地も、海賊討伐で手一杯だという。他の領地も似たようなものだ。無理に招集すべきではあるまい」
「だが、それでは北方征伐が遅れるではないか」
「うむ。早々に片付けねば、奴等を図に乗らせることになる」
「先に北方を片付けてはどうか? 各領主軍でも防衛はできよう?」
「飛翔船は侮れん。備えのない辺境軍などは、一方的に蹂躙されかねんぞ」
「レミディア軍本隊を叩けば、奴等も慌てて逃げ帰るのではないか?」
「その本隊とは何処にいるのだ? まさか、レミディアの首都まで攻め込めと言う訳ではあるまい?」
騎士達が意見をぶつけ合う。
其々に真剣であり、議論は熱を帯びてきたが、結論は出そうになかった。
敢えて結論に向かわない者もいる。
こういった重要な議題では、最終的な決定は皇帝に委ねるのが慣例となっていた。
「北方征伐も、飛翔船の討伐も、同時に行う」
一通りの意見が出揃ったところで、ディアムントは重々しく告げた。
「飛翔船対策として、少人数の特務部隊を作る。天馬騎士と魔導士を中心に置き、追跡と討伐に当たらせよ。人選も早急に取りまとめるのだ」
騎士の一人を責任者として任命する。
反対する者はいない。皆一様に恭しく頭を垂れた。
ただ、控えめながら疑問を述べる者はいた。
「畏れながら陛下……そうなりますと、北方征伐の戦力に不安が残るかと」
「奴等の兵力は、およそ五万という報告だったな?」
「はい。あくまで推測になりますが」
対して、帝都から征伐へ出せる兵は六万といったところだ。
単純な数では拮抗する。しかしここに魔導士が加わってくると、計算は大きく違ってしまう。戦略級魔導遺物のひとつで引っ繰り返るだろう。
現状、帝国が所有している”戦略級”魔導遺物は三つ。
ヴィレッサが持つ『極式』も戦略級と言えるが、個人専用なので数には入れられない。
バルツァール城砦にある『不滅骸鎧』は国境守護のため動かせない。
ヴァーヌ湖城砦にある『凍珠』も同様だ。後継者もまだ頼りない。
そして『断傲剣』は、帝都から離れるとその本領を発揮できない。
格が落ちる”戦術級”の魔導遺物ならば、幾つか動かせる。しかしそれは北方軍も同じで、こちらが把握していない戦力を隠し持っている可能性もあった。
叛乱という、命を賭ける行動に出たのだ。
何かしらの勝算を持っている、と考えるのが妥当だろう。
「ハイメンダールの性格からして、レミディアと手を組むとは思えんがな。其方らの考えではどうだ?」
「可能性は低いかと。しかし追い詰められれば、手段を選ばぬでしょう」
「叛乱に合わせたように飛翔船が襲来してきたのだ。充分に有り得るだろう」
「そうなれば、魔導士の一人や二人は加わっておるかも知れませぬな」
集団戦の錬度では、レミディア軍は帝国軍に遠く及ばない。
しかし飛翔船がそうであるように、魔導遺物の力に頼って戦場を引っ繰り返してくる可能性はある。
近衛十二騎士の一人でも北方軍に派遣されれば、苦戦は必至だろう。
「ここはヴィレッサ殿下にも出陣を……いえ、失言を致しました」
ディアムントに睨まれ、騎士の一人が深々と頭を下げる。
謝罪を受け入れると、ディアムントはあらためて一同を見渡した。
「最悪を想定する。当然であるな。しかし敵に戦略級魔導士がいたとしても、我が『断傲剣』で屠ってしまえば問題あるまい」
頬杖をつき、薄い笑みを浮かべる。
やや演技じみてはいたが、胸に沸く自信は嘘ではない。
敗戦など、ディアムントは微塵も考えてはいなかった。
「それに……”戦略級魔術師”も一人、征伐軍に加わりたいと申し出があった」
こうして北方への征伐軍は準備を整えていく。
その間に、北方貴族は『正統バルトラント帝国』の樹立を宣言し―――、
本格的な春の訪れとともに、両者は決戦に挑むことになる。
幼女成分が不足する回でしたね。
次回には、ちゃんと補給します。




