第1話 西方国境、異常なし?
新章突入です。
戦記モノらしく激動の展開を繰り広げつつ、ほのぼのさんの無事を祈りたいですね。
柔らかな陽射しを受けて、氷に覆われた城壁が眩いほどに輝く。
寒々しい情景でもあるけれど、頬に当たる風は暖かさを含んでいる。
冬明けを待っていた商人や旅人が、湖の氷道を歩いて城砦へ向かってきていた。まだ数えられるほどの人数だが、日を追うごとに増えていくだろう。
真面目に門を守る兵士の姿も確認してから、ヴィレッサは頭上へと目を向けた。
黒地に白い鳥を描いた旗が、揚々と風を受けている。
「間に合ってよかった」
「うん。職人さんたちにも感謝しないとね」
黒地金狼の旗と対になる形で掲げられたそれは、新たなる城主であるルヴィスの就任を表している。
本来なら、春過ぎに届けられる予定だった。
しかし急な城主就任に合わせて、大急ぎで作らせたのだ。すでにヴィレッサの旗を作った際に帝都中の職人が集められていたが、彼らは冬の間、正に休む間も無く働き続けたそうだ。
「壮観ですな。姫様方の仲の良さを表しているようで、実に素晴らしい」
旗を揚げる作業を指示していたゼグードが、誰よりも嬉しそうにしている。
素直に頷いたルヴィスだが、少々照れくさそうにもしていた。
「私とお姉ちゃんで、職人さんたちへ感謝の手紙を書きます。特別に給金も出すので、あとで届けてください」
「それは大変喜ぶでしょう。ですが、給金はすでに払っておりますが?」
「報償って言った方がいいのかな? 臨時の収入もあった方が、喜んでもらえると思うんです」
皇族や貴族から命じられれば、どんな無茶でも平民は頷くしかない。旗ひとつを作るにしても、仕事に追われて生活が揺らぐような者も出ただろう。
言葉を発するだけで、大勢の人々に影響をもたらす―――、
そんな立場になった自分を、ルヴィスはよく理解しているようだった。
「自分が何者でも、助けてくれる人への感謝は忘れたくないですから」
「至言ですな。すぐに手配致しましょう」
恭しく頭を下げつつ、ゼグードはヴィレッサの方を窺った。
ヴィレッサも意図を察して頷いておく。任せる、と。
形式として、いまのゼグードはヴィレッサ直属の親衛騎士となっている。いくら双子とはいえ、ルヴィスが命令を下すことはできない。
なので、面倒でもヴィレッサを介する必要があった。
ルヴィス直属の兵もいるのだが、これまでの付き合いもあって、ゼグードやシャロンを頼る場面は多くなっていた。
だからといって、特別に困る事態は起こっていない。普段は双子が一緒に過ごしているし、生真面目なゼグードと違って、シャロンなどは好き勝手に動いて融通を利かせてくれている。
むしろ、ルヴィスの親衛隊が正式に結成されると、問題が増える可能性がある。近くに置く者を間違えれば、余計な軋轢が生まれるだろう。
北方貴族の征伐もあって後回しにされたのは、却って良かったのかも知れない。
「……まあ、ルヴィスなら上手くやりそうだけど」
「? お姉ちゃん、どうかしたの?」
「ううん。ルヴィスは凄いなあって思って」
曖昧な返答をしつつ、城内へと足を向ける。いつまでもぼんやりと旗を眺めていられるほど暇でもない。
ルヴィスやゼグード、数名の親衛騎士たちも後に続いた。
ついこの前戦場となった城砦も、血生臭さを忘れ始めている。
守備兵達も普段の生活に戻って、いまも練兵場からの声が流れてきていた。
「新しい部隊編成は、問題ありませんか?」
「はい。すぐにでも実戦へ向かえるほどです。ミヒャエル殿の私兵も混ざっておりましたが、元々は同じ帝国軍の兵士ですからな」
ヴァーヌ湖城砦で生き残った守備兵は、そのままルヴィスの指揮下へと移った。混乱らしい混乱は起きていない。帝国への反乱にしても、ほとんどはミヒャエルの独断によるもので、末端の兵などは事態の把握すらできていなかった。
むしろ、帝国軍へ戻れて安堵している者が多かった。
僅かに反抗的な者も残っていたが、そちらは武器を取り上げて解放した。
現在、残った守備兵の数はおよそ二万八千。
完璧な奇襲だったので、戦闘に参加した者自体が少なく、犠牲も抑えられた。
ヴィレッサの親衛隊二千五百も加わって、北方征伐が終わるまで国境を守ることになる。
「私は、戦いのことはよく分からないんですけど」
執務室へ戻ると、ルヴィスが話を切り出した。
大きめの机が並んだ場には、ルヴィスとヴィレッサをはじめとして、ゼグードやシャロン、クリシャ、主だった騎士や文官が揃っている。
部隊編成も落ち着いたので、これからまた新たな方針を決定するのだ。
「戦力が充分である限り、兵士の人数は少ない方がいいですよね?」
「それは……いえ、国を守れる限りは、その通りですな」
武官の代表として、ゼグードが戸惑いがちに答える。ルヴィスの意図が読みきれなかったのだろう。
軍隊というのは、とにかく金が掛かる。
農民のように何かを生み出す訳でもなく、武器や鎧を揃える必要があるし、死者が出ればその穴埋めもまた負担になる。他国から富を奪い取るなら話は多少違ってくるが、帝国軍は略奪を禁じ、領土の守護を第一の目的としているのだ。
基本的に、何も生み出さない。
かといって軍が無ければ、他国に蹂躙されてしまう。
金の掛からない兵士が理想だが、無いものをねだっても仕方ない。
「ルヴィスは、兵士の数を減らしたいの?」
「うん。あ、だけど、お姉ちゃんの力に頼るつもりはないからね?」
「頼ってくれてもいいのに」
むぅ、とヴィレッサは頬を膨らませる。
ルヴィスは苦笑いを零してから、反対側の席へ目を向けた。
「お姉ちゃんは切り札で。頼るとしたら、まずはクリシャさんかな?」
「え、わ、私ですか!?」
いきなり話を向けられて、クリシャが慌てて手を振って否定する。
自分には頼られるような力なんてない、と。
どうもクリシャは、まだ『凍珠』の後継者となる覚悟が決まっていないらしい。戦いに不向きな性格というより、自信の無さの方が問題だろう。
まだ正式な決定ではないので、別の後継者が現れる可能性もある。
けれどルヴィスは、そんなクリシャを窘めるように断言した。
「私は次代の『凍姫』に、クリシャさんを推します。皇女として」
冷然とした衝撃を受けて、場が静まり返る。
皇女が後押しするとなれば、もはや決定したようなものだ。
しかし、それよりなにより―――、
ルヴィスが纏う堂々とした気配に、一同が息を呑んでいた。
とても九歳とは思えない。これが皇族の血なのか、と。
これまでもルヴィスには非凡な言動が多かった。守備部隊の新編成案ひとつを取っても、城主として見事にまとめてみせた。
始めは城主という肩書きも、お飾りのものだと思われていた。北方貴族との戦いを控えて、万が一を考えて帝都から離しておく。上に立つ者としての勉強も同時にさせようというのが、ディアムントの意図であったのは間違いない。
一緒に派遣された文官たちの仕事を見て、書類にサインをしていく。
それだけで充分なはずだった。
しかしいまや、ルヴィスの方が文官たちを引っ張り、振り回している。文官のみならず、兵士も騎士も、己の指示ひとつで死地にも送り出してみせるだろう。
そんな断固たる決意が、凛とした態度から溢れていた。
「では、クリシャさんが『凍珠』を使いこなす。それを前提として話をしますね」
一転、ルヴィスは柔らかな笑みを零す。
息を呑んでいた一同が、ほっと肩を落としつつも、その言葉に耳を傾けた。
「いくら魔導士が強力だとは言っても、一人に頼っていては、いざという事態には対処できなくなります。例えば一人が病に伏せったら、別の人が代わりを務める。それでも駄目なら、兵士全員で時間を稼ぐ、といった体制が必要です」
理路整然とした説明に、皆が一様に頷く。
しかし同時に、疑問も生まれていた。
万全の仕組みを作るならば、それこそ兵士の数が必要なはずだ。
「兵士の数を減らすというのは、言い換えれば、何も生み出さない人員を減らすんです。逆に言えば、生産的な活動ができる兵士を増やせばいい」
「生産的な兵士……一部を農兵に戻すということかしら?」
シャロンが疑問を述べる。口振りからすると、どうやら反対らしい。
普段は農作業をさせておけば、兵士に払う給金は少なくて済む。しかし切迫した時にだけ雇う兵士は、どうしても質に劣ってしまう。
万全の仕組みというなら、むしろ逆行している。
ルヴィスやヴィレッサの安全を守りたいシャロンにしても、望ましくない。
けれどその点は、どうやらルヴィスも理解していたらしい。
「農作業自体をやってもらう必要はありません。その環境を整えて欲しいんです」
「開墾の手伝いとか? まあ、それくらいなら訓練も兼ねてできるかもね」
「はい。湖の北側は土地も空いてますし、東側の街を広げてもよさそうです」
それと、と一拍置いて、ルヴィスは注目を集める。
こういった話術の巧みさは、天然なのか、子供なりに経験から得たものなのか。
「兵士は何も生み出さないと言いましたけど、語弊がありますね。正確に言えば、ずっと生み出していて、それが無いと困るんです」
何だか分かる?、と挑戦的な笑みを浮かべる。
その視線の先にいたのはヴィレッサだ。
「ん……安全、かな?」
「正解! さすが、お姉ちゃんだね。一番危険な目に遭ってるだけはあるよ」
「それ、誉められてるのかなあ」
双子の笑みにつられて、室内にも弛緩した空気が漂う。
これまで難しい顔をしていた騎士たちも安堵を漏らしていた。
自分達が非生産的だというのは、いくら皇女殿下の言葉といえども反感を覚えるものだった。
しかし反発があった分、認められていると分かれば嬉しさも増す。
落としてから持ち上げる、という訳だ。
自然と、悪意なく人心掌握ができている。
ルヴィスの才覚は、見事と言うしかなかった。
「この安全を、もっと広げたいんです。他国から、帝国に攻め込むと怖い、と思われるだけじゃ足りません。国内でも、帝国にいる限りは何処でも安全、と思う人が増えれば、それだけ畑仕事でも商売でも活発になります」
「そうね。夜盗に怯えてばかりの村だと、畑仕事も手につかないものね」
「ふむ……確かに、交易路の安全確保は重要な任務ですな」
シャロンとゼグードが実感を込めて相槌を打つ。
ほとんど一人で村の安全を守っていたシャロンもそうだし、ゼグードも街道警備の任務は過去に幾度もこなしていた。
その重要性は、説かれるまでもなく理解している。
「湖畔の街までは、これまでも巡回を行っていたと聞いてます。だけど可能なら、帝都までの街道も定期的に見回って欲しいんです。人員の交代や実戦訓練も兼ねて、なんとかできませんか?」
「それは……」
ゼグードが言葉を詰まらせる。
否定ではなく、驚かされたのだ。
「以前、ディアムント陛下も仰っておられました。国境と帝都と、兵の交流を増やし、その経験を活かしたいと」
「なら、お父様にお願いすれば大丈夫ですね」
ぽんと手を叩いて、ルヴィスが話をまとめる。
問題はいくつかあるだろう。どれだけの兵力を移動させるか、人選をどうするのか、また街道を治める各領主への根回しも必要となる。
けれど皇帝が是と言えば、帝国ではかなりの無茶が押し通る。
しかも可愛い娘がお願いするとなれば、まず決定したと見ていいだろう。
「でも……それにはやっぱり、安定した状況が必要よね」
「はい。そっちの話が本題ですね」
シャロンの言葉に、ルヴィスが表情を引き締めて頷いた。
空気が変わったのを感じて、ヴィレッサも眉根を寄せる。
「ミルドレイア魔導国、か」
「お姉ちゃん、いきなり殴り込むとかはダメだからね?」
「……あたしだって、考えなしじゃないよ?」
いきなり釘を刺されて、ヴィレッサは唇を捻じ曲げる。
だけど本当に、そんな無茶をするつもりはなかった。
少なくとも、いまのところは。
「とりあえず、情報の共有から始めましょう」
ルヴィスに促されて、文官や騎士たちが報告書を読み上げる。
まずミヒャエルに反乱を唆したのは、魔導国からの使者で間違いないこと。
現在の魔導国内は、病に臥せった国王の座を巡って乱れていること。
その争いを、商工連合が密かに”支援”しているらしいこと。
魔女ミルドレイアは未だに行方不明であること―――。
そんな報告を静かに聞いていたヴィレッサだが、ふとした懸念が頭に浮かんだ。
「……東は……レミディアは、何もしてこないのかな……」
懸念というよりは、予感に近い。
けっして恐れではないのだが―――、
『マスター、何か?』
「ん……いや、なんでもない」
口の中に留めた独り言は、腰に収められた相棒にも届かずに消えていった。




