第18話 双子、冬休みのお仕事中
ヴァーヌ湖城砦陥落。凍姫、討たれる―――。
衝撃的な報せは、魔導通信によって速やかに帝都へと伝えられた。
そして、ほとんどの帝国貴族が、同時に耳にすることとなる。
即位式の後、可能な限りの貴族を帝都へ留め置いたのだ。華々しい戦果を早々に掲げて、新皇帝ディアムントの支配を磐石にするためだ。
難攻不落と言われていた城砦を陥とした。
しかも、行軍も含めて最短の期間で。僅か一千の騎兵のみで。
信じ難いほどの戦果は、新たな時代を感じさせるのに充分なものだった。
「もはやハイメンダール公に味方する者は、北方貴族でも僅かだと聞き及びます」
執務室を訪れたゼグードが嬉しそうに報告する。
元々、帝国貴族は皇帝に対する忠誠心に厚い。皇位継承の隙を突かれたとはいえ、皇帝として一度認めれば、裏切る者はそうそう出てこないだろう。
これまで態度が怪しげだった者も、次々に新皇帝への謁見を求めているという。
北方貴族の征伐は冬明け以降となる予定だが、よほどの事態が起こらない限り、順当に勝利を治められるだろう。
「まあ、それはいいことなんだけど……」
むっつりと唇を尖らせるヴィレッサは、特製の椅子に腰掛けていた。
子供の背丈でも執務机に向き合えるよう、急いで注文して作らせたものだ。
そう、つまり、目の前には事務仕事をするための机がある。
それだけでも面倒くさい状況なのに、並べられた多くの手紙には頭を抱えたくなった。
「どうしてこんなに、顔も知らない貴族から手紙が来るかなあ」
「それは、なんと申しますか、姫様の武名は轟いておりますから……」
「だからって、おかしい」
ばんばんと机を叩いて、ヴィレッサは隣の机へ目線を投げた。
そこではルヴィスが席に着いている。
この部屋では一番の上座で、城主が使う机に向かっていた。
「こういうのは全部、ルヴィスに任せるはずだったのに」
「私はちゃんと、自分のお仕事は片付けてるもん」
得意気に笑うルヴィスの前にも、書類が山積みされている。しかしそのほとんどは、新城主であるルヴィスが目を通し終えたものだ。
補佐役として付けられた文官たちの方が、蒼い顔をして仕事に追われている。
「お城ひとつを任されたんだよ。お姉ちゃんこそ、しっかりしないと」
「分かってるけど……」
九歳の子供が任される仕事じゃない。
貴族からの手紙の山にしても、どうして結婚を仄めかすものばかりなのか。
いくらなんでも気が早すぎるのでは?
帝国貴族は小児性愛主義者ばかりなのか?
いやまあ、この世界では赤ん坊での婚約さえ珍しくないそうだけど―――。
「戦場とは別の意味で、身の危険を感じる」
不満たっぷりに呟いて、ヴィレッサは頭を抱えた。
椅子の背もたれに体重を預けつつ、なんとなしに窓の外へ目を向ける。
「旅に出てた方が、いくらか落ち着けるかも」
「姫様、それは……」
「ん、冗談。大丈夫。しばらくは大人しくしてる」
心配顔をしたゼグードに手を振って、ヴィレッサは外の風景をぼんやり眺めた。
朝から雪が降り始めて、辺りは白に染まっている。けれどこの城砦にいる限り、温かくて穏やかな時間を過ごせるだろう。
ミヒャエルを討った後、まず行ったのは『凍珠』の適性者探しだった。
正式な後継者の決定は別として、その力を扱える者がいなくては話にならない。ルヴィスやシュテラリーデの解放はもちろん、城砦の守備兵、約三万の命も放ってはおけなかった。
『凍珠』は特殊な魔導遺物で、適性者は女性に限られる。
なので、第一の候補として挙がったのはシャロンだが、残念ながら『凍珠』の力は引き出せなかった。
あらゆる魔術を使いこなせるシャロンでも、エルフィン族というのは魔導遺物と相性が悪いらしい。種族の掟としても、魔導遺物に関わってはいけないそうだ。
ヴィレッサも試してみたが、やはり無効化魔素に邪魔をされて扱えない。
ロナとマーヤは別働隊だったので、その場には居なかった。
けれどもう一人、ゼグードの補佐として仕えていた女性騎士がいた。
クリシャ・アドラマイヤ。
以前、バルツァール城砦でヴィレッサの治療にも当たった者だ。騎士というより治療術師としての能力を期待されて、親衛隊員に選ばれていた。
それでも『凍珠』への適性があったのは、誰にとっても予想外だった。
ともあれ、氷漬けにされていた人々は解放されて―――。
「あ、あの、ゼグード様? 私にも、こんなに手紙が来ているのですが……?」
いまのクリシャは、城主補佐として執務机に向かっていた。
そもそも親衛隊員というだけでも、下級貴族の三女にとっては大変な出世と言えた。そこへ来て、さらに戦略級魔導遺物の後継者候補となったのだ。
このヴァーヌ湖城砦の主となり、西方国境の守護を担う未来図も描かれている。
クリシャ本人は、卒倒しそうなほどに驚いていた。
アドラマイヤ家の関係者も、一族が集まっての大騒動になっているらしい。
嬉しい悲鳴、という訳だ。
「侯爵家とか伯爵家とか、明らかに私とは家格が釣り合いません!」
「その点は、魔導士となれば無視してもよかろう。慣例とまでは言えぬが、家格の差を武勲で埋めるのは許されているからな」
「ですが、私はまともに戦ってもいないのに……」
「皇妃殿下と皇女殿下をお救いしたのだぞ? さらには三万の兵も解放しておる。これほどの武勲もなかなかあるまい」
「そ、それも全部、ヴィレッサ殿下に付いていただけじゃないですか!」
祖父と孫娘みたいな二人の遣り取りから、ヴィレッサは静かに目を逸らした。
実の所、新たな『凍姫』の誕生を演出した部分もある。
大きな話題が増えれば、それだけヴィレッサの活躍も目立たなくなる。姉妹であるルヴィスへの配慮や、ディアムントの存在が霞むのを避けるため、付け焼刃の策ではあるが実行された。
いまはまだ不要な心配だが、あまり目立ち過ぎると、皇帝であるディアムントの支配さえ揺らぎかねない。くだらない野望を抱き、ヴィレッサを担ぎ上げようとする者が出てこないとも限らないのだ。
そんな輩は蹴飛ばしてやればよいと思うヴィレッサだが、穏やかに過ごせるのに越したことはない。素直に策に乗るのを同意した。
ちなみに、その策を言い出したのはシュテラリーデで―――。
「あら、今日はまた随分と大変そうね」
意外と抜け目のない皇妃殿下は、暇を見つけては帝都から遊びにきていた。
無論、移動には転移魔術を使っている。シャロンが数日に一度は呼び出されて、いまも隣に控えていた。
北方貴族との争いを控えて、皇妃が迂闊に出歩ける状況ではない。
けれど我が子と再会したばかりの母親としては、やはり少しでも一緒にいる時間を作りたいのだ。
「お母様、今日の予定は午後からだったのでは?」
「そうなのだけど、面会が思いのほか早く終わったの。だからシャロンさんと一緒に、お昼御飯を作ってあげようと思って」
「もう! また勝手なことばかりして!」
きっと他の貴族との面会を、強引に切り上げたのだろう。
ルヴィスは口調を崩して、頬を膨らませながら抗議する。
ヴィレッサもこくこくと頷いて、真面目な妹をこっそりと応援しておいた。
そう、皇族なのだから国民のために懸命に働かないといけない。
一時たりとも勝手は許されないのだ。
そうしてくれないと、自分が安心して隠居できない。
「お姉ちゃんも! さっきから、なに遊んでるの!?」
「えっと……紙飛行機」
顔も知らない貴族からの手紙を折ったそれを、小さな手で摘んで飛ばす。
大きな翼を持つ紙細工は、広い部屋をゆったりと旋回した。
「うわぁ……」
「これはまた、おかしな物を作ったわね」
「ふふっ、ヴィレッサは本当に面白い子ね」
シャロンとシュテラリーデは顔を見合わせ、微笑を零す。二人とも品のある美貌をしているので、実に絵になる光景だった。
一方でルヴィスは、感嘆の声を漏らしつつも首を捻っていた。
「カミヒコーキ……? これ、お姉ちゃんが思いついたの?」
「まあ、そんなところ」
「そっかぁ。ん~……何処かで見た気もするんだよね」
ルヴィスは腕組みをして難しい顔をする。
だけどそこで、ちょうど飛んできた紙飛行機がコツンと額を突ついた。
「あいたっ!」
目を閉じて、額をさする。
周囲から軽い笑声が零れる中で、ルヴィスはむぅっと唇を尖らせた。
机の上に落ちた紙飛行機へ目を向ける。
「あ……お姉ちゃん、これ! ビルガルド子爵からの手紙じゃない!」
「えっと、誰?」
「ヴァイマー伯爵のお隣さん。即位式の前に会ったでしょ?」
「ん~……虎みたいな人?」
「違うよ。山羊みたいな優しいおじさん!」
眉根を寄せたルヴィスは、丁寧に紙を開いてヴィレッサへと突き返す。
「お世話になる予定もあるんだから、返事くらい書かないとダメだよ。それと紙もまだ高いんだから大切にしないと」
「じゃあ……冬明けまでには、なんとか?」
「急ぐ手紙じゃないけど、後回しにしてると溜まる一方だよ?」
後回しにして忘れるのは許してもらえそうにない。
仕方ないなあ、と項垂れて、ヴィレッサは筆を握った。
そんな双子の遣り取りを眺めていたシャロンが、笑声とともに呟く。
「国中が大騒ぎなのに、貴方たちは変わらないわね」
室内に、温かな笑みが満ちる。
ヴィレッサはややこしい文面の手紙を睨みながらも、そっと口元を綻ばせた。
◇ ◇ ◇
遠目にヴァーヌ湖を窺える高台で、グロウシスは苦笑を浮かべていた。
銀光を放つ片眼鏡を上げ直して遠見の魔術を解く。
軽く肩をすくめて、首を振った。
「ミヒャエル殿が討たれたのは事実のようですね。見慣れない旗が立てられていますし……まったく、困ったものです」
独り言なのか、それとも背後の従者に聞かせているのか、分かり難い。
いずれにしても、その顔には困った様子は浮かんでいなかった。
「予想以上に上手く進んでいたんですけどねえ」
ミルドレイア魔導国にとって、ヴァーヌ湖城砦の奪取は悲願と言っていい。
城砦ひとつを押さえるだけで、帝国と商工連合、二国との交易で大きく優位に立てる。加えて、長年の脅威である帝国に一矢報いられるのだ。
ミルドレイアでは、国王も貴族も高位の魔術師で占められている。
そして、魔導士に対する嫌悪が強い。
どれだけ努力を積み、研鑽を重ねた魔術師でも、道具に頼る魔導士にあっさりと敗れてしまう。魔術という才能に恵まれ、修練に励んでも、魔導遺物への適性という偶然の前では石ころのように蹴散らされてしまう。
そんな事実に歯噛みする魔術師が集まって国を成しているのだ。
代々の皇帝が『断傲剣』を受け継ぐ帝国とは、仲良くできるはずがない。
「こうなっては、より多くの血が流れるしかない、ですかねえ」
不穏な言葉とは裏腹に、グロウシスは状況を楽しむように咽喉を鳴らした。
さすがに聞き逃せなかったのか、背後にいた紺色のローブを着た魔術師が問い返す。
「帝国と、戦争になるのでしょうか?」
「いくら『凍珠』の後継者が決まっても、完全に使いこなすには時間が掛かるはずですからね。狙い時だとは思いますよ」
『凍珠』の大まかな能力に関しては、グロウシスも把握している。
『子珠』を生むのにどれだけの時間が掛かるかは不明だが、湖全体を氷結させるには、それなりの準備が必要だろう。
細かな理屈はどうあれ、帝国側に多少の混乱があるのは間違いない。
この機会を逃がしたくない者も、魔導国内には少なからず存在するはずだ。
「あの城砦を陥としたとなれば、次の王位は決まったようなものですしね」
「しかし、あの『凍姫』が簡単に討伐されたのですよ? 『魔弾』とは、それ以上の脅威なのでは?」
「そう考えない方もいる、ということですよ」
肩をすくめたグロウシスは、誰かを嘲るように笑みを零す。
だけどすぐに首を振ると、今度は心底困ったように溜め息を落とした。
「私達は関わりたくありません。それよりも大きな問題がありますから」
「問題、ですか?」
「若返りの術式ですよ。ミヒャエル様に売れなくなった以上、他に良い相手を探さないといけません。しかしあんな欠陥術式、まともに使えないでしょう?」
欠陥とは言ったが、その点はミヒャエルにも伝えてあった。
膨大な魔力を必要とする、と。
ヴァーヌ湖全体を凍らせるほどの魔力を使って、一年分程度しか若返れない。
何十人もの高位魔術師を揃える、というのは現実的には不可能。
高価な魔晶石を何十個も用意して、しかもそこに込めた魔力が変質しないよう、凍結保存する必要があった。
ほとんど、『凍姫』専用の術式と言ってもいい。
「新しい『凍姫』様に売り込むのは、さすがに危険でしょうねえ」
「我々のことも、帝国側には伝わっているのでは?」
「その可能性は高いですね。はぁ、また新しい術式を開発した方が早そうですね」
これまでの努力が無駄になった、とグロウシスは天を仰ぐ。
口元には笑みを浮かべつつ、もう一度、遠くにある城砦を鋭く睨んだ。
悠然とはためく金狼の旗を捉えて―――、
「この恨みは……いえ、怖いので我慢しましょうか」
呟き、踵を返す。
ちょうど吹き付けてきた寒風に紛れるように、彼らの姿は忽然と消えていた。




