第16話 魔弾vs凍珠①
城内の通路は幅広く造られている。甲冑を着込んだ大勢の兵士が駆けても余裕があるように、いざという時を想定しての設計だ。
それでも狭い。
さすがに黒き悪夢が駆けるような事態は想定されていない。
なので、拡張しながら進む必要があった。
「ああもう! また無茶苦茶しちゃって!」
天井が崩れる音に紛れて、後に続くシャロンが悲鳴に近い声を上げた。
心の中でごめんなさいしつつも、ヴィレッサはしっかりと手綱を握り、正面へと鋭い眼光を向ける。
黒馬が駆ける先、大きな扉が見えた。
『標的確認。あの扉の向こうです』
「メア、突き破れ!」
猛々しい嘶きとともに、黒馬の蹄が扉をぶち破る。
ひしゃげ割れた扉が地面に転がり、けたたましい音を立てた。
同時に、ヴィレッサも部屋へと飛び込んでいる。
広々とした城主の間は、天井も高く、黒馬の巨体でも堂々と踏み込めた。
大勢の敵兵による出迎えも警戒していたのだが―――、
「……なんだよ、随分と寂しげじゃねえか」
繊細な彫刻を施された柱が並んでいたり、壁際には甲冑が列を組んでいたりと、城主の間として恥ずかしくないよう飾り立てられている。
しかし、護衛の騎士や侍女などは一人もいない。
寒々とした空気が停滞している。
部屋の中央、豪奢な椅子には、ミヒャエルだけが鎮座していた。
「覚悟はできてる、ってところか?」
黒馬から降りて、ヴィレッサは油断なく魔導銃を構える。
その背後では、シャロンも馬から降りて剣を抜いていた。
威圧的な眼差しを受けるミヒャエルは、悠然とした所作で椅子から立ち上がる。
不意を突かれたはずだが、ここへ来るまでに身なりを整えたのだろう。帝都を訪れた際と同じように豪奢な黒ローブを纏い、銀髪も艶やかな輝きを散らしながら揺れている。
まるで戦場とは無縁であるように、緩やかに首を振った。
「命乞いをしようかとも思ったわ。私が持つ『凍珠』は、地形を利用しての防衛戦に向いた魔導遺物だもの。貴方と正面から戦って勝てるとは思えない」
「……一言だけ許してやるぜ」
心の底から謝るならば命だけは助ける。
それ以外ならば即座に引き金を弾く。
ヴィレッサの決定は単純であり、揺らぎなど起こらないはずだった。
けれど、ミヒャエルの返答には意表を突かれた。
「今回の騒動、絵図を描いたのはミルドレイア魔導国よ」
「なに……!?」
「聞いたわね? これでもう、貴方は連中を見過ごせないはずよ」
妖艶な笑み―――あるいは、老獪な嘲笑とも言えるだろう。
目を細めて勝ち誇ると、ミヒャエルは愉しげに声を弾ませた。
「連中の口車に乗ったのは、確かに私の選択よ。この結果も自分の愚かさが招いたもの。受け入れるしかないわ。でも、悔しいじゃない?」
「……だから、あたしと潰し合わせようってのか?」
「残念だわ。願わくば、結果も見届けたかった」
瞬間、周囲に高濃度の魔力が爆発的に広がった。
まるで何百人もの魔術師が、一斉に高度な術式を発動させたかのように。
何事か? 何かを企んでいたのか?
疑問を覚えたヴィレッサだが、同時に、引き金を弾いていた。
すでに狙撃形態へと変形していた魔導銃は、一撃必殺となる魔弾を放つ。
ミヒャエルを狙い、一直線に。
暴力の塊は、美しい顔を原形すら留めずに破壊する、はずだった。
「っ―――!」
ミヒャエルは激しく顔を歪めて、ヴィレッサは舌打ちを漏らす。
咄嗟に体を捻ったミヒャエルは、頬と耳から鮮血を散らし、魔弾の衝撃によって吹き飛ばされた。暴風に当てられたかのような衝撃で、そのまま気を失ってもおかしくなかっただろう。
「あああぁぁぁぁぁぁぁ―――!」
己を奮い立たせるように叫び、ミヒャエルは力任せに床を蹴った。近接戦は不得手とはいえ、身体強化術程度、仮にも帝国の武人ならば当然に使いこなせる。
吹き飛ばされた衝撃も利用して、ミヒャエルは太い柱の影へと身を隠した。
「足掻きやがって! 往生際が悪ぃんだよ!」
「その通りよ! 醜く命乞いなんてしない。最期まで美しく、生き足掻いてみせるわ。たとえ人質を取るような手を使ってでもね!」
「何処が美しくだ! 矛盾してんだよ!」
罵声を浴びせつつも、ヴィレッサは素早く周囲の状況を確認する。
人質、という言葉が気になった。
先程感じた、爆発的な魔力の広がりでも何かが起こったのは間違いない。
この城主の間では、取り立てて変化は起こっていない。シャロンと黒馬も緊張を纏ったまま、いつでもミヒャエルへ襲い掛かれるよう身構えている。
ただ、幾分か肌寒さが増したようで―――、
ちょうどその時、ヴィレッサの足下に白く染まった冷気が漂ってきた。
「私の『凍珠』の能力は理解しているわよね? 『子珠』のことも」
「っ……人質ってのは、まさか!?」
「勘が良いわね。そうよ、たったいま、この城砦全体を氷漬けにしてやったわ。
無事でいるのは、この部屋だけ」
凍珠ゴールヴェニア―――、
それ単独では、使い手の周囲程度を凍らせる力しか持たない。時すら凍りつかせる力も異質なのだが、本当に恐るべきは、凍結能力が及ぶ範囲の広さにある。
正確に言えば、”広範囲”ではなく”遠隔”でも力が発揮されるのだ。
適合者と一体化する『凍珠』本体は、指先ほどの小さな『子珠』を作り出す能力を与える。魔導士本人の魔力を大量に注ぎ込み、凍りつかせて作られるため、数を揃えるには時間が掛かる。数日から数十日で一個、といったところだ。
その『子珠』は本体である凍珠と繋がりを持ち、距離に関わらず凍結能力を発揮する。湖に『子珠』をばら撒き、全体を一斉に凍りつかせる、といった真似も可能だった。
帝都での襲撃の際、ミヒャエルは幾つかの『子珠』をばら撒いていった。人質とともに『子珠』があれば、砕くも溶かすも思い通りにできる。
そちらについては、シャロンの虚無魔術によって丁寧に除去したが―――。
「帝都の子珠が破壊されたのは、私にも伝わっているわ。でもそれは、逆に言えば人質を砕かれては困る、救いたいという証明よね? この城にいる兵士は三万以上と、貴方の親衛隊も幾らか、全員を犠牲にできるかしら?」
「はっ、覚えてねえのか? あたしに脅しは通用しねえ」
「だけど、『凍珠』は回収したい。そうでないと―――」
言葉を断ち切るように、ヴィレッサは引き金を弾いた。
放たれた魔弾は、ミヒャエルが隠れていた柱を貫通し、砕き散らす。
しかし身を低くしていたミヒャエルは無傷だった。
「やっぱり頭を狙うのね。凍珠が宿る身体の方は狙わない。それだけでも、こちらには戦い易くなるわ」
「甘く見てんじゃねえ、ディード!」
『了解。近接形態へと移行します』
剣と化した魔導銃を握り、ヴィレッサは距離を詰めるべく床を蹴る。
同じく、黒馬とシャロンも援護すべく駆け出していた。
けれどミヒャエルも動いていた。柱の影から、数個の『子珠』を放り投げる。
「甘く見る余裕なんて無いわよ!」
癇癪を起こしたような叫びとともに、分厚い氷壁が一瞬にして作られる。
広間を分断する形で現れた氷壁に、黒馬もシャロンも足止めを余儀無くされた。
黒馬は蹄で氷を砕き、シャロンは虚無の魔術で削り取ろうとするが、氷壁が再生される速度の方が速い。
そもそも時すら停滞させる氷なのだ。削るだけでも至難と言える。
他の道を探して回り込もうにも、きっとそれよりも早く決着は訪れるだろう。
「一騎打ちの場は整えましたわ、皇女殿下」
柱の影から姿を現したミヒャエルは、その手に氷の剣を握っていた。
そうして恭しく一礼する。
「御命頂戴いたします。お覚悟を」
「はっ、そっちこそいい覚悟じゃねえか」
数歩で剣が届く間合いを挟んで、二人は睨み合う。
近接形態を前方へ突き出しつつ、ヴィレッサは訊ねた。
「褒美に聞いてやる。テメエは、何のために戦おうとした?」
「……永遠の美しさを得るために」
述べた言葉は利己的で、低俗で、馬鹿馬鹿しいとも思えた。
けれどミヒャエルの瞳には迷いがなく、純粋で、美しい輝きを放っていた。
絶対に許せはしない。
しかし―――嫌いではない。
「いいぜ、その名を覚えて、永遠に語り継がれるようにしてやるぜ」
腰を沈めると、ヴィレッサは犬歯を剥き出しにして笑う。
「美しくも、愚かなババアがいたってなぁ!」
ヴィレッサは荒々しく床を蹴る。手にした近接形態から、炎のように魔力が吐き出される。
対峙するミヒャエルは優雅に構えて、細い氷剣を鋭く突き出した。




