第14話 はじめての出陣
黒地に黄金色で狼が描かれた旗が、高々と掲げられている。
大きく開かれた城門から、帝都の大通りを抜ける形で、約二千五百の騎兵部隊がゆっくりと進んでいた。
新皇帝が即位したばかりだというのに、いったい何事なのか?
雄々しく叫ぶような軍旗は誰の者なのか?
帝都の門から出陣していく騎兵部隊を見送りながら、首を捻る住民も多かった。
いずれ大陸に知れ渡る金狼の軍旗は、ヴィレッサ直属の親衛隊のものだ。まだ作られたばかりなので、住民の反応が鈍いのも仕方ない。
加えて、急な出兵でもある。情報が行き届いていない。
国外からの侵略者を討つのではなく、国内での征伐戦になるため、不安顔をしている者もいた。
それでも出陣する部隊へ向けられる歓声は大きかった。
新皇帝ディアムントには、武勲という点では、まださほど目立ったものがない。けれど庶民には親しまれている。武勲以外で、あれこれと騒動を起こしているのだ。
黒馬の上で歓声を浴びるヴィレッサに、ゼグードが馬を寄せて教えてくれた。
「陛下は若い頃から、街に出るのを好んでおられましたから」
「それだけで、この人気なのか?」
「まあ、なんと申しますか……身分を隠して剣術大会に出場されたり、悪徳商人を懲らしめたりと、騒動も起こしておられまして……」
「……なにやってんだ、アイツは」
何処の暴れん坊将軍だ? いや、皇帝か。
心の内でツッコミを入れながら、ヴィレッサは馬を進めていく。
新皇帝が庶民に親しまれる一方で、『魔弾皇女』の人気も高い。レミディア軍に対する多大な戦果や、災害級の魔物である黒き悪夢を従えているなど、最近の帝都では最も話題となっているのがヴィレッサだった。
庶民に理解のある皇帝に対して、異を唱え、狼藉を働いた貴族がいる。
傲慢な貴族は、武器を持たない皇妃や皇女までをも傷つけた。
怒りに奮える皇女が、逆賊どもを討つために立ち上がる―――、
帝都の酒場などでは、そんな物語がすでに詠われているらしい。
大々的な宣伝を許したのはヴィレッサだが、ちょっとだけ後悔もしてしまう。
「さすがに、派手すぎじゃねえか?」
「いえ、これでも控えめなほどです。凱旋の際には冬も明ける頃でしょうし、帝都を上げての祭りとなるやも知れませぬな」
「……まあ、喜ぶ連中がいるのは悪くねえけどよ」
派手に出陣を喧伝するのには、ふたつの理由がある。
ひとつは、貴族諸侯に対して武威を示すため。
現状の帝国は三つに分かれようとしている。新皇帝であるディアムントと、その即位を認めない北方貴族、そして自領地の独立を求めるミヒャエル侯爵だ。
ディアムントとしては、北方貴族もミヒャエル侯爵も叩き潰したい。
その点では、ヴィレッサの方針とも一致している。
ヴィレッサとしては、まずミヒャエルを討つのが最優先事項だ。『凍珠』を手に入れて、シュテラリーデやルヴィスを救い出す。
その上で、万が一にも北方貴族がディアムントを討つような事態は避けたい。
元皇帝の娘なんて看板を背負っては、平穏な暮らしは望めないのだ。
いずれにせよ、相手から宣戦布告されたのだ。
叩き潰し、殲滅し、しっかりと上下関係を刻み込んでやるのが最善だろう。
派手に喧伝した上で、ミヒャエルを早々に討つ。その戦果も大々的に広まって、北方貴族に味方しそうな貴族も恐れおののき、ディアムントとヴィレッサに頭を垂れるという寸法だ。
もうひとつの理由は、西方征伐隊の位置を明確にすること。
これは、『凍珠』対策の要でもあるのだが―――。
「なんにしても、速攻でカタをつけてやる。冬明け前に帰ってきても構わねえんだろ?」
「……無論、姫様の勝利は疑うべくもありませぬ」
頷くゼグードの顔には自信が溢れている。
その言葉にも嘘はなかったが、それでも苦言をひとつ付け加えた。
「なればこそ、どうか焦りませぬよう。ご自愛くださいませ」
「ヴァール湖へ着くまでは私達に任せなさい、ってことよ」
ゼグードとは反対側から、シャロンも馬を寄せてくる。さすがに公の場なので頭を撫でたりはしない。
それでも優しい眼差しは、ヴィレッサの逸る気持ちを抑えてくれた。
「一月や二月くらい、ルヴィスはちゃんと我慢できるわ。それよりも失敗しない方が大切よ。戦場に絶対は無いけど、為るべくしての敗北はあるんだから」
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。
異世界の言葉を思い返しつつ、ヴィレッサは神妙に頷いた。
無論、敗北など欠片も考えていないのだが―――、
なんとなしに城の方へと振り返る。
ルヴィスは見送りにも出て来られなかった。片足を氷漬けにされて、部屋から出るだけでも難儀しているのだ。
それでも柔らかな笑顔を浮かべて手を振ってくれた。
安心して待っている、なんて子供らしくない言葉まで掛けてくれた。
「……珍しいお菓子でも買ってきてやらないとな」
「そうですな。商工連合から入ってくる品には、珍しい物もあるでしょう」
「甘い物には目がないものね。きっと喜んでくれるわ」
ヴィレッサは静かに頷いて、あらためて観衆を見回す。
騒いでいる住民の中には、やたらと目を輝かせている子供たちの姿も見て取れた。子供みたいに歓声を上げている虎人族の男も目立っていたが―――。
「この騒がしい街も、守ってやりてえな」
苦笑を零し、正面を見据える。
冬を忘れたような歓声に後押しされながら、ヴィレッサは帝都を出立した。
◇ ◇ ◇
帝国西端に位置するヴァーヌ湖周辺領。
広大な湖を中心として、その西北をブランダ商工連合、西南をミルドレイア魔導国と国境を接している。過去に幾度かの争いは起こっているが、ほとんどの戦いで帝国は勝利を収めている。
とりわけ、『凍珠ゴールヴェニア』を得てからは、ヴァーヌ湖城砦は難攻不落を誇っている。まともに城壁まで辿り着いた敵兵すら数えられるほどだ。
元々は湖畔に造られた城砦だった。
しかし『凍珠』を得たのを切っ掛けに、湖の中心に新たな城砦を築いたのだ。
天然の小島を利用したのだが、それがなくとも建設は可能だった。なにせ湖全体を凍らせることも容易いのだ。
さすがに河川への影響もあるので控えてはいる。けれど湖の一部を凍りつかせ、道を作るだけで周辺の情勢は大いに変化した。湖の周囲を回るよりも早く、船に頼るよりも安全な道ができたことで、人や物の流通が一気に活性化したのだ。
ヴァール湖城砦と、その氷道に繋がる街は、帝国に大いなる富をもたらした。
逆に戦となれば、氷道は一瞬にして溶け落ちる。
迫る敵軍を湖へと叩き落し、また凍らせて、いとも簡単に捻り潰せるのだ。
足場を支配しているのだから、どれほどの大軍も恐れるに値しない。
安全が保障されることで、さらに大勢の人が行き交い、富が生まれる―――。
この地を支配している限り、ミヒャエルが手に入れられないものはない。
帝国からの独立でさえ、取引材料のひとつに過ぎない。
栄華を極める日々はいつまでも続いていく。
そのはずだった。
「出陣ですって? あの忌々しい皇女が?」
城主の間で、ミヒャエルは美しい顔を苦々しげに歪めた。
帝城にある謁見の間をやや手狭にしたような部屋には、数名の先客が訪れていた。
重要な会合ではあったのだが、その報告もまた無視できない。
伝令兵を凍りつかせようと思っていたミヒャエルだが、ひとまずは踏み止まった。
「こちらの要求に従った、という訳ではないのね?」
「はい。征伐の軍だと、帝都では喧伝しているそうです」
伝令兵は片膝をついたまま、淡々とした口調で報告する。伏せた顔は、死人のように表情を消していた。
主人の勘気に触れないため、何も考えずに仕事をこなすのが一番なのだ。不用意な発言をして、氷漬けにされた同僚を何名も見送ってきた。
そんな伝令兵の内心など気にも留めず、ミヒャエルは自身の腕へ目を向ける。
魔弾によって穿たれた片腕は、まだ失われたままだった。
身体欠損の再生を行える治療術師は、帝国でも数えられるほどしかいない。残念ながら、この城にいる術師では不可能だった。
とりあえずの治療を行い、痛みこそ消えたものの、思い返すだけでも怒りが込み上げてくる。
「あくまでも、私に逆らうつもりなのね……」
ミヒャエルの要求は、帝国からの独立。
この領地を新たな国として認めろと、魔導通信と使者の両方で伝えてある。
ついでに、自分の腕を奪った皇女の首も要求しておいた。
さすがに最後の要求までは無理だと承知しているが、帝国としても、ミヒャエルと争うのは避けたいはずなのだ。新皇帝が即位したばかりで、さらに北方貴族から叛旗を翻された状況で、西方にまで軍を向ける余裕はないと思われた。
なにより、このヴァーヌ湖城砦は難攻不落だ。
攻めるとすれば、湖の外周すべてを取り囲んでの兵糧攻めしかない。
けれどそれは帝国一国では叶わない。魔導国や商工連合側からの流通がある以上は、充分に兵を賄っていける。
そして―――ミルドレイア魔導国とは、すでに話をつけてあった。
「帝国の『魔弾』皇女……ヴィレッサ殿下、でしたか」
室内にいたのは、その魔導国からの使者だ。
中央にいるのは二十代前半くらいの男で、グロウシスと名乗っていた。
やや痩せた体型をしているが、品の良い純白のローブが似合っている。黒髪には艶があり、顔立ちも整っている。銀光を散らす特徴的な片眼鏡をはめているが、別段、目が悪い訳ではないらしい。
歌劇にでも出演すれば、きっと大勢の女性が熱い声援を送るだろう。
あわよくばミヒャエルと良い仲に、という魔導国の思惑もあっての人選だった。
とはいえ、ミヒャエルの好みとは随分と違っている。
グロウシスにしても、礼儀正しい使者としての姿勢を崩さなかった。
「噂では、随分と武勇に優れた御方のようですね。僅か九歳での初陣というだけでも驚きです」
「そちらこそ、随分と耳が早いのね」
帝都での即位式から、まだ三日しか経っていない。皇女ヴィレッサの名が公にされたのも即位式と同時だ。
恐らくは帝都からの魔導通信によって、グロウシスは情報を得ているのだろう。
つまりは、魔導国からの間者が帝都にも潜んでいるということ。
まあ、いまのミヒャエルには咎めるべき事柄ではないのだが。
「早いと言えば、出陣も異例の早さですね。準備も必要だったでしょうに」
妖艶な眼差しを受け流すように、グロウシスは話題を転じた。
それに気づいたミヒャエルだが、敢えて流れに乗っておく。
「言われてみればそうね。親衛隊を中心にしたといっても、遠征にしては……」
ふと眉を寄せて、ミヒャエルは伝令兵へ尋ね返した。
「騎兵部隊二千余りと言ったわね? 他の兵は?」
「いえ、騎兵部隊のみであると聞いております」
「……待ちなさい。中心となるのが、親衛隊二千という意味ではないの? まさかたった二千の兵のみで、この城砦を落とせると?」
「それは、自分にはなんとも……いま一度、確認致しますか?」
伝令兵を睨みながら頷き、退出させる。
無事な方の腕で頬杖をつくと、ミヒャエルは呆れ混じりに呟いた。
「本当に二千のみで攻めてくるとしたら、とんだ愚か者ね」
「それだけ自信があるのでは? 奇妙な魔導銃を持つと聞き及びましたが」
「だとしても、どうやってこの城まで辿り着くというのかしら?」
足場となる湖は、ミヒャエルが完全に支配している。
もしも空を飛ぶなどして城内に入り込まれても、こちらには三万の兵がいる。
二千程度、囲んで鏖殺してしまえばいい。
血の海に沈む哀れな皇女の姿を想像して、ミヒャエルは口元を吊り上げた。
「確かに、子供らしくない鋭い眼差しをしていたわね。まるで野生の狼みたいな。でも、実態は間抜けな猪だったようね」
機嫌良く咽喉を鳴らす。
そうして微笑んだまま、目を細めてグロウシスを見据えた。
「帝国軍は確実に追い返してみせるわ。それよりも、例の件よ」
「はい。お任せを。腕の再生に関しましても、速やかに術師を呼び寄せます」
グロウシスは恭しく頭を垂れる。
形式通りの所作には、何処となく胡散臭さも漂っていた。
ミヒャエルとて、伊達に何十年も貴族として生きてきた訳ではない。腹芸に長けた者とも数え切れないほど相対してきた。
この男は信用ならない―――、
けれど、そんな不審も、次の言葉の魅力によって霞んでしまう。
「約束が果たされた暁には、必ずや”永遠の若さ”を献上致します」
「……ええ。楽しみにしているわ」
軽く目蓋を伏せつつ、ミヒャエルは細い指先で自身の頬を撫でる。
傍目には、瑞々しい肌だと映るだろう。
けれど僅かな衰えが感じられる。
時すら凍りつかせる『凍珠』とて完璧ではないのだ。
緩やかではあるが、確実に時の流れは押し寄せてきている。
永遠が欲しい。
満たされているからこそ、小さな欠損も埋めたくなる。
そんなミヒャエルの渇望を、魔導国が新たに開発した魔術は満たしてくれる。
帝国を裏切るには、少なくない覚悟が必要だった。
しかし一度踏み切ってしまった今では、胸に情熱が溢れてきている。
そこにある『凍珠』すら溶かしそうな情熱が。
「帝国の滅びを見届けるのも、また一興かも知れないわね」
退廃的な悦びも覚えて、ミヒャエルは小さく笑声を零した。
幼女大暴れまで辿り着けなかったです。
でも、次回こそ……!




