第10.5話 その頃の二人
サブキャラ短編。
幼女の活躍を期待していた方には申し訳ありませんが、次回までお待ちを。
増量して、なんとか一話に収めました。
新皇帝の即位式と、それに伴う襲撃事件が起こる数日前―――、
「来たか。御勤め、大儀である」
「はいニャ。リアルドメイガー様も、お疲れ様ですニャ」
城の奥にある厩舎を訪れて、ロナは慣れた様子で会釈した。
ヴィレッサが城へと移って以来、この厩舎を訪れるのがロナの日課になっている。一日置きくらいにヴィレッサとも会えているが、即位式の準備に追われていて、あまり長い時間は一緒に過ごせていない。
「メアの様子はどうですかニャ?」
「変わらずだな。元気ではあるが、まだ俺には触れさせてもくれん」
ヴィレッサに頼まれて、ロナは黒馬の面倒を見ていた。主な役目は、毎日の散歩や毛繕いだ。
雪が降る日でさえ、メアはきまって外に出るのを要求してきた。
「このままでは、皇女殿下に申し訳が立たん」
難しそうな顔をするリアルドメイガーは、元は城の警備隊長として務めていた。ヴィレッサが城内に侵入した際、執拗に追い回したのも彼である。
彼は実に帝国騎士らしく、職務に忠実で真面目な男なのだ。
しかし見方を変えれば、謁見の間に侵入を許すという大失態を犯し、皇女殿下に刃を向けた叛逆者となる。
混乱した状況だったので、その罪を誰も咎めようとはしなかった。
断罪を申し出たのは、他ならぬリアルドメイガー本人である。
本来ならば相応に重い罰が下るところだが、話を聞いたヴィレッサが口を挟んだ。自分の親衛隊に入り、当面は愛馬の面倒を見ろ、と。
ヴィレッサとしては、自分の行動で誰かに罪を負わせたくなかった。
ついでに、真面目な騎士に仕事を任せられるのは悪くない。
打算混じりの、軽い気持ちの裁定だ。
けれどリアルドメイガーにとっては寛大な処置であり、大いに感謝していた。
「なんとしてでも皇女殿下の御期待に応えねばならん。例え黒き悪夢が相手であろうと、俺が世話係だと認めてもらわねばな」
「……あんまり肩肘張らない方がいいと思うにゃぁ」
ロナが苦笑いを零すと、メアも同意するように嘶いた。
どうやらリアルドメイガーを嫌っているのではなく、からかっているらしい。
そんな遣り取りをしつつ、厩舎からメアを連れ出す。
ヴィレッサがいないところでは、メアは誰も背に乗せようとしない。なのでロナは自分の馬に乗って併走する形になる。
リアルドメイガーも後に続く。
他にも数頭、親衛隊用の馬を散歩に連れて行く。練兵場を走らせるだけでも馬の運動には充分なのだが、メアはいつも帝都の外まで行きたがるのだ。
「おう、ロナちゃん。メアも。相変わらずデカイな」
「はいニャ。いつもお疲れ様ですニャ」
帝都の門を守る兵士とも、ロナはすっかり顔馴染みだ。軽い挨拶を交わしてから馬を走らせる。
黒き悪夢の巨体にも、帝都内では驚く人も減ってきた。
珍しい動物や魔物は見世物にもされているので、住民は順応性が高い。
目を剥くほど驚くのは、初めて帝都を訪れる者ばかりだ。
そういった者に迷惑を掛けないよう、散歩に出る際は街道から外れるようにしている。けれどこの日は、少しだけ運が悪かった。
「うおぉぉぉぉぉぉ、ナイトメアだとぉ!?」
帝都の門から離れたところで、いきなり大声が投げられた。
そちらへ目を向けると、フード付きの外套を羽織った男が身構えていた。顔は隠れて見えないが、厚手の服の上からでも体格の良さは見て取れる。
加えて、鼻の良いロナはもうひとつの事実も嗅ぎ取っていた。
「あ~、お騒がせして申し訳ないニャ。でも大丈夫にゃから……」
慌てて逃げ出す者にも、これまで幾度も遭遇していた。けれど騎士であるリアルドメイガーも共に居るので、話をすれば落ち着いてもらえる。
だからロナは、ひらひらと手を振って男に近づこうとした。
けれど、そんな事態はさすがに初めてだった。
「面白え、さすがは帝都だ! 早速腕試しをしてやるぜ!」
「んなっ、ちょっ、待つニャァ!」
男は素早く腰の剣を抜き放つと、フードも払い除ける。金と黒が斑模様を描く特徴的な髪と、その上でピンと立つ獣耳が露わになった。
ロナが嗅ぎ取った通り、虎の血が混じった獣人族だ。
「行くぜ、化け物ぉぉぉうおおおおぉぉぉっ!?」
飛び掛かろうとした男へ向けて、メアが雷撃魔術を放った。
気絶させる程度に威力を抑えたものだが、並の兵士程度ならば一掃できる。
しかし男は咄嗟に障壁を張り、金色の髪を逆立てただけで防いでみせた。
「へへっ、やるじゃねえか。魔術も使うって話は本当だったんだな」
「ああもう! 待つニャ! 虎人族にしても好戦的すぎるニャ!」
叫びつつ、ロナは馬首を巡らせて男の前に立つ。
そこでようやく、男はロナの存在に気づいたようだった。
「あん? なんだよ、おまえは? いいところなんだから邪魔するなよ」
「邪魔するに決まってるニャ! いいかにゃ、このナイトメアは……」
「ええい、控えよ!」
ロナの背後から大声が響く。リアルドメイガーだ。
「この黒き悪夢は、皇女であるヴィレッサ殿下の愛馬である! それを承知で刃を向けるは、帝国への敵対行為になると心せよ!」
「はぁ? 皇女の愛馬だぁ!?」
間の抜けた声を上げた男は、”殿下”という敬称すら忘れて唖然としていた。
リアルドメイガーは眉を顰める。けれど、さすがに剣は抜かない。
それどころか、男の次の発言に、大いに気をよくしたようだった。
「すげえな! まさかナイトメアを手懐けるとは! さすが帝国の皇女様だ!」
「ほう……その通りだ。ヴィレッサ殿下は素晴らしい御方だぞ」
「おっさん、会ったことあるのか? やっぱ強えんだろ?」
「無論だ。強いだけでなく、お優しい。この命を奉げても惜しくない御方だ」
「かぁ~、いいなあ。部下にそう言われるってのは、いい王族の証だぜ。仕える訳にはいかねえが、憧れちまうな」
どうやら男二人で通じ合うものがあったらしい。
でも、そんなことはロナやメアにとってはどうでもよかった。
「あ、そうだ。俺はレオパルドだ。よろしくな!」
今更のように、手を上げて挨拶をしてくる。
なにやらトラブルの予感を覚えながらも、ロナも勢いに押されて手を振り返していた。
獣人族は、ふたつの大部族に分かれている。
ひとつは『世界を巡る部族』。
大陸に限らず、世界のあちこちへと散らばっている。狩猟を営んでいたり、各国の傭兵となったり、あるいは独自の国を築いたりと、生き方は様々だ。その始まりも数十名の小集団だったり、数千名の一種の兵団だったりもする。
もうひとつは、『守り手たる部族』。
獣人族の生まれ故郷であり、帝国南方に位置するミストラ大丘陵を守る者達だ。隣り合う形で暮らすエルフィン族の国家とも親交があり、帝国もおいそれと攻め入れないほどに国力は高い。
つまりは、虎や狼、犬や猫といった区分けは、小さなものでしかないのだ。
元々は、獣人族もエルフィン族も、一人の偉大な王に仕えていた。その王が世を去る時に、其々の部族に使命が与えられたという。
ふたつの部族が別れたのは遥か昔だが、その言い伝えは未だに残されている。
曰く、いずれ偉大なる王は帰還し、すべての人々を理想郷へと導く、と。
さすがに、そんな御伽噺みたいな言い伝えを信じている者は少ない。
けれど発祥が同じという部分は信じられていて、獣人族は仲間を大切にする。
世界を巡る者も、故郷を守る者も、何処で出会っても互いの無事を祝い合うのが常だった。
「へえ。ロナはレミディアにいたのか」
レオパルドと再会したのは、二日後のことだった。
初めて会った時は、メアの散歩の途中でもあったので、名乗り合うくらいの挨拶しか交わせなかった。
いま、ロナとレオパルドは大きな建物の脇で胡坐をかいて座っていた。
一般にも開放されている剣術訓練場、その庭の端で、疲れた体を休めている。
「そっちはミストラから来たのかニャ?」
「ああ。いまはけっこう、成人前に帝都へ来る奴も多いんだぜ。こうして剣術やら魔術やらを学べるからな」
レオパルドは壁に背を預けたまま、手にした木剣を軽く振る。
黒き悪夢に挑み掛かっただけあって、レオパルドはそれなりの腕前も備えていた。それでも帝国式の剣術からは、学び取れるものが多いらしい。
戦い自体も好きで、闘技場にも顔を出しているようだ。
「ロナは、剣を鍛えにきたって感じじゃねえな?」
「にゃはは。あちしは、いつだってふらふらと旅の途中だからニャぁ」
おどけてみせながらも、だけど、とロナは目を細める。
久しぶりに獣人族の仲間と会って、口が軽くなっていたのかも知れない。
「レミディアから旅をして、色んなものを見て、それで思ったニャ。旅を続けるにしても、力を付けておいて損は無いにゃぁ、って」
「そうだな。どうもここ最近、世の中は物騒みてえだもんな」
神妙に語るレオパルドに、ロナも苦笑いしつつ頷く。
国境での戦いがあったり、魔導士に襲われたり、皇帝が代わったり―――、
確かに物騒な世の中だなあ、と。
「ここに来るまでに、俺も一度、夜盗どもに襲われたぜ」
「にゃはは。それくらいに平和なら安心できるのにニャぁ」
「え?」
「にゃ?」
ぱちくりと瞬きをしながら見つめ合う。
そんな平穏な遣り取りも交わしつつ、二人は稽古に励んでいた。
事件が起きたのは、即位式の前日だった。
「マーヤ、目が血走って怖いことになってるニャ」
「……充血っていいなさいよ。大丈夫、三日寝てないだけだもの」
ふらふらと歩くマーヤは、ここ数日、ほとんどの時間を魔導院で過ごしていた。眼鏡の奥にある瞳は、本人が言う通りに充血して疲れきっている。
帝国に於ける魔術や魔導遺物研究、それらに関するすべてが魔導院には集められている。機密性の低い資料が公開されている図書館だけでも、マーヤにとっては宝の山みたいなものだった。
さらに、ヴィレッサやゼグードの口利きで、貴族か関係者しか目を通せない資料にも触れられた。おかげで本来の目的を忘れそうになるほど、夢のような時間を過ごせたのだ。睡眠時間なんていくらでも差し出せた。
普段通りの平静な表情こそ崩していないが、目だけは爛々と輝いている。
そのくせ顔色は蒼白で、いまにも倒れそうなのだ。
「あちしが他人だったら、絶対に近づかないニャぁ」
半病人みたいな友人の肩を支えながら、ロナは苦笑いを零す。
マーヤは不満顔をしながらも、素直に助けを受けていた。
二人は街の外れにある安宿へと向かっている。いつまでもゼグードの屋敷で世話になっているのは、さすがに気が引けたのだ。
当面の生活費はシャロンから渡されていたし、それなりに蓄えもある。
いっそ家を借りてもよかったのだが、根が村娘の二人は贅沢をする気になれなかった。
「それで、調べ物ってのは進んだのかニャ?」
「進んだというか、ますます謎が深まったというか……」
曖昧な言葉を、ロナはのんびりと受け止める。
そもそも何を調べているのかも聞いていなかった。だからといって興味がない訳ではなく、獣耳を揺らしながら話の続きを待つ。
「私達の師匠に関することなんだけど……っと?」
ロナは急に足を止めた。獣耳をぴくぴくと動かす。
マーヤはズレた三角帽子を直しつつ、何事かと首を傾ける。
「剣の音、それに血の匂いニャ」
「え……?」
蒼ざめた顔色のまま、マーヤは即座に緊張を纏う。
いつでも戦闘へと移れるのは、帝都までの旅路で嫌というほど危険を味わったおかげだ。
二人がいる路地は、表通りから少々離れている。それなりに治安が保たれている区画ではあるが、薄暗い裏通りも隣接している。
影に覆われた路地を睨んで、一拍置き、ロナは駆け出した。
「残念ながら、見捨てられないニャ」
「ちょっ、いきなり……なんなのよ、もう!」
マーヤは不満たっぷりの声を上げながらも、手にした杖を頭上に掲げた。
空高くへと魔術を放つ。光弾を発するだけの簡単な術式だ。
帝都では何かしらの事件が起こった際に、そういった術式で兵士に報せるのだ。赤は火事、黄は争いごと、緑は怪我人や病人、と定められている。
マーヤが打ち上げたのは黄色の光弾。そしてすぐに自分も駆け出す。
路地に入り、ひとつ角を折れて走ると、程無くして剣撃の音が響いてきた。
ついでに、粗暴な声も。
「クソがっ、悪党だってのになかなかやるじゃねえか!」
路地の角に追い詰められていたのは、虎人族の男―――レオパルドだ。
腕や足にいくつかの傷を負っている。
そのレオパルドを囲んでいるのは、三名の怪しげな者達だ。暗灰色のローブで頭まで覆って、其々の手には剣を握っている。
もう一名、路地の隅にローブ姿の男が倒れていた。どうやらレオパルドによって斬り伏せられたらしい。
個人の技量としては、レオパルドは男達に劣っていないのだろう。
しかし多勢に無勢。加えて男達は、無言のままに巧みな連携を見せていた。
一人がレオパルドの剣撃を受け止める。
同時に、もう一人が反対方向から斬り掛かる。
それが避けられても、死角からまた別の一人が剣を突き出し―――、
「そこまでニャ!」
やや間の抜けた声を投げた時には、ロナは三本のナイフも放っていた。
一本が男の剣を弾き、
もう一本が背後から肩に突き刺さり、
さらにもう一本はレオパルドの頭に突き刺さる直前で、辛うじて避けられた。
「あ、ごめんニャ。焦って手元が狂ったニャ」
「てっ、テメエ! どっちの味方だコラァッ!」
怒鳴り声を上げながらも、レオパルドの顔は緩む。頼りになるかどうかはともかく、援軍が駆けつけてきてくれたのだ。嬉しくないはずがない。
対照的に、怪しげな男達は困惑したように動きを鈍らせた。
その隙を見計らったように、”四人”の頭上から雷撃の雨が降り注ぐ。
「のわあああぁぁぁぁぁ!?」
「ま、マーヤ、ダメだニャ! レオパルドは味方ニャ!」
「ん……? そっちの虎の人? そういうことは先に言いなさいよ」
眠たそうな眼差しを返しながら、マーヤは次の術式を準備する。
雷撃で仕留められたのは、怪しげな男一名のみだった。レオパルドも、怪しげな二名も、咄嗟に障壁を張って身を守っていた。
とはいえ、優勢に立ったのは確かだ。
すでに残る敵は二名。加えて、時間を稼げば兵士もやって来る。
「と、とにかく、勝負は決まったみたいだな。大人しくすれば命までは……」
レオパルドが剣を構えなおす。
しかし怪しげな男達の判断も早かった。
一人が路地の壁を砕き、もう一人が小さな術式を描く。
マーヤが描いていた炎弾の術式を発動させた。けれど同時に、路地が閃光に包まれる。
「っ……野郎、逃げるつもりか!?」
「深追いはダメニャ!」
閃光に閉ざされながらも、ロナは鋭敏な感覚で状況を把握していた。
レオパルドも踏み止まる。彼の眼前には炎の壁が燃え盛っていた。
乗り越えられないほどではなかったが―――。
「……ひとまず危機は逃れたみたいね。それで良しとしましょう」
目眩ましの光が消えると、マーヤはひとしきり辺りを見回してから息を吐いた。
怪しげな男達は逃げ去っていた。後には炎壁が空気を焼く匂いと、倒れた二名の男達が残されている。
ロナも若干の緊張を残しつつ、剣を腰に収める。
ただ、レオパルドだけは違っていた。
「そっちの彼は怪我してるみたいね。よかったら治療するわよ?」
「……おまえ、その格好は魔女か?」
まだ剣を握ったまま、レオパルドは警戒の眼差しを向けてくる。
仮にも助けに入った相手に対して無礼ではある。けれどマーヤにとっては慣れたものだ。魔女に対する偏見を抱く者は多いのだから。
「確かに魔女だけれど、剣を向けられる理由は無いはずよ」
「……そうだな。いや、悪かった。ロナの仲間なんだよな?」
「まあ、腐れ縁ね」
レオパルドが剣を引いて、マーヤは肩をすくめる。
ひとまず事態は治まった。あとは兵士が駆けつけてくるのを待って、調査などは任せればいい。
「それで、これはどういうことニャ?」
「襲われたんだよ。なんか怪しい奴等がいたから、気になって後をつけたんだよ。そうしたら、いきなり……」
簡素な説明をしながら、レオパルドは訝しげな眼差しをマーヤへ向ける。
どうもまだ、”魔女”である彼女に対して思うところがあるらしい。
「何かしら?」
「いや、関係ないとは思うんだが、念の為に、な……」
ばつが悪そうに頭を掻いてから、レオパルドは口を開く。
そして告げた。その名を。
「魔女ミルドレイアって、知ってるよな?」
ロナとマーヤは揃って目を見開く。
それはミルドレイア魔導国の始祖であり、重犯罪人であり、そして―――、
二人に魔術を教えた師も、そう名乗っていた。
宿に戻って、ロナとマーヤはベッドに腰を落とした。
揃って息を落とす。
「どう思うかニャ?」
「どうって言われても、ね……」
ロナは珍しく深刻な顔をしていて、マーヤも眉間に皺を寄せている。眠気を我慢しているだけではない。
暗灰色ローブの怪しげな男達の正体は、分からず仕舞いだった。
レオパルドの話によれば、帝国式剣術を学んだ、それなりの地位を持つ者であるらしい。剣を合わせた時に、上品なものを感じ取れたそうだ。
実際、死体となった男の服装や剣は、平民と言うには上質なものだった。
しかし、身元を示すような物は何も残されていなかった。
後ろ暗いところがある者達なのは間違いないのだろう。裏路地でいきなり斬り掛かったのだから、その時点で犯罪者と言える。
とはいえ、それ以外には直接的な犯罪行為との関わりは窺えなかった。
帝都の端にある、結界塔の付近をうろついていたそうだが―――。
「まさか、師匠の名前が出てくるとは思わなかったわ」
そちらの話の方が、マーヤにとっては衝撃的だった。
魔女ミルドレイア。
数百年の時を生きているという、恐らくは大陸で最も有名な魔術師だ。
魔導士殺しの異名を持ち、帝国の将も幾名か彼女によって討たれている。現在は行方を眩ませているが、何処かで野垂れ死ぬなど、彼女を知る者ならば期待すらしないだろう。
ロナとマーヤの師も、魔女ミルドレイアと名乗っていた。
だが、二人は信じていなかったのだ。
二人の知る師は、森の果実を小麦と交換したり、魔術で大岩を退けて開墾の手伝いをしたり、乾季に少しだけ雨を降らしたり―――、
辺鄙な村の外れに住む、ちょっと変わってはいるが優しい魔女だった。
レミディア軍に追われた際、師は一人で逃げ出していた。
けれどそれを、ロナもマーヤも恨んでいない。
当然の行動だったと思えるし、笑顔での再会も望んでいた。
「でも……疑問は覚えたのよね。ファイラット領にいた時よ」
「ファイラット領? 何かあったかニャ?」
「骸狂戦士よ。村からも、あの巨体は見えたでしょう?」
咎めるような口調で返されて、ロナは肩を縮める。
マーヤに怯えたのではなく、おぞましい化け物の姿を思い出したのだ。
「あれは怖かったニャぁ……あ、だけど骸狂戦士って……」
「そうよ。魔女ミルドレイアが国を追われた原因。もしも師匠が本当にミルドレイアなら、あれを作り出せても不思議じゃないわ」
なにせ、作り出した張本人なのだから。
骸狂戦士に関する資料も関係者も処分された。
だが、一人だけ、ミルドレイアだけは逃げ延びたのだ。
「で、でも、本物のミルドレイアがあそこにいただけかも知れないニャ!」
「その可能性もあるわね。だけど……時期は合うのよ」
レミディア軍から逃げて、山脈を越えて帝国へと入っていたら。
その後、夜盗どもを材料に骸狂戦士を作り上げたとしたら。
理由は分からないし、ほんの小さな可能性に過ぎない。
でも本当に、自分達の師が、”あの”ミルドレイアだとしたら―――。
「気づいたら、不思議な部分もあったわ。いくら魔女だからといって、人間を触媒にする魔術も知っているなんて……しかも簡単に教えてくれた」
「にゃぁ……でも、実際に使ってるところを見た訳じゃないニャ?」
「そうね。だけど疑問を持ったら、調べずにはいられなかったのよ」
だからマーヤは、その調査のために魔導院に篭もっていた。
そうして分かったのは、”何も分からない”ということ。
魔女ミルドレイアには不可能が無いとまで言われている。あらゆる魔術に精通していて、容姿すら簡単に変えられる。帝国をはじめ、魔導国や商工連合、さらには獣人族やエルフィン族から追われても逃げ続けているのだ。
唯一の手掛かりは、とても儚いもので―――。
「本人は、けっして偽名を使わないらしいわ」
「え……? そ、そんなので手掛かりになるのかニャ?」
「さあね。心情というか、拘りみたいなものらしいから、頼りにはできないわよね」
だけど、とマーヤは姿勢を正して、眼鏡も上げ直す。
「レオパルドも言っていたでしょ。十日ほど前に、ミルドレイアが現れたって」
一人の魔女が、獣人族の守るミストラ大丘陵を抜けて、エルフィン族の里へ向かおうとしていたらしい。その際に、獣人族の戦士数名が負傷し、拉致された。
数日後に発見された者は、まるで魂を失ったような状態だったという。
そして現在、ミルドレイアはまたも行方を眩ましている。
ただ、次は魔導国へ行くような言葉を残していったそうだ。
「さすがに、西方国境まで越えて調査する気にはなれないけど……」
「そうだにゃぁ。それこそ深追いするのは危ない予感がするニャ」
「貴方の予感は当たるものね。切り上げ時かしら」
話を打ち切ると、マーヤはベッドから立ち上がった。被ったままだった三角帽子を脱ぎ、黒ローブも壁に掛けて、寝間着へと着替える。
さすがにもう眠い。限界だ。
だから、気づかなかったのだろうか?
もうとっくに、手遅れになっていることに。
「あ、でもこのことは、ボスには知らせておいた方がいいかニャ?」
「……重犯罪者の弟子だなんて、知らなかったで済まされるのかしら?」
「だからこそ、言っておいた方がいい気がするニャ」
後からバレるよりも、自分から告げておいた方が傷は小さくて済む。
それに、ヴィレッサの無茶に振り回された二人だが、だからこそ信頼している部分もある。少なくとも話が通じる相手であるのは確信できた。
「そうね。即位式が終わったら、面会の時間をもらって……運が良ければ、魔導国関連の情報も回してもらえるかも知れないわね」
そうして二人は、即位式の翌日にヴィレッサと面会する。
報告を聞いたヴィレッサは、嬉しそうに告げてくれた。
「あたしも西へ行くんだ、ちょうどいいから一緒に行こうぜ」
「ニャッ!?」
どうしてこうなった。
頭を抱える二人だが、もはや逃れるのは手遅れになっていた。




