第13話 幼女からは逃げられない
鋭利な輝きを散らす魔弾が、分厚い氷を一直線に貫いた。
狙撃形態は貫通力に特化した魔弾を放つ。連射性能に欠け、殺戮範囲は限定されるが、確殺を期待するなら他の形態よりも一歩抜きん出ている。
どれほど堅牢な城壁だろうと一撃で貫く。
あっさりと氷塊を穿った魔弾は、勢いを落とさず、ミヒャエルの白い肌を鮮血に染めた。
だが、致命傷には至っていない。貫き断たれたのは右腕一本だけ。
「あっ……が……っ!」
美しい顔を苦悶に歪めて、ミヒャエルは廊下の壁にもたれ掛かる。
咄嗟に飛び退き、この至近距離で魔弾を避けてみせたのは見事だった。並の兵士ならば、腕一本では済まず、体の中心を貫かれていたはずだ。
だが、そんな抵抗は、ほんの僅かに命を永らえたに過ぎない。
「よくも……こんなことをして、人質がどうなると……」
「うっせえ! テロリストの言葉に耳を傾けねえのは基本なんだよ!」
地獄で後悔しやがれ―――。
蒼白に染まったミヒャエルの顔に照準を定め、ヴィレッサは引き金に指を掛けた。
『マスター、お待ちを』
「なに……っ!?」
がちり、と金属質の音を立てて、引き金が固定された。
ヴィレッサが指に力を込めても動かない。
「テメエ、どうして止める!?」
『申し訳ありません。ですが、この氷を不用意に破壊するのは危険だと判断しました』
若干の焦りも滲んだ魔導銃の発言に、ヴィレッサは眉を寄せた。
けれど無視もできずに状況を確認する。
部屋全体が氷で満たされ、ヴィレッサとシャロンの周囲だけに空間が残されている。たったいま放たれた魔弾によって、氷にはひとつの穴が穿たれて、その穴から無数の亀裂が走っていた。
氷なのだから、衝撃を与えれば割れる。
落ち着いて考えれば当然だが、その”割れる”というのが問題だった。
『この氷を下手に砕けば、閉じ込められた人間も巻き込まれる恐れがあります』
「っ……なんとかならねえのか!?」
『近接形態ならば、衝撃も少なく切り裂くことが可能です。しかし解放となれば、推測ですが、『凍珠』の力を使うより他にないかと』
つまりは、人質を取られた―――。
好ましくない事態を理解して、ヴィレッサは舌打ちを漏らす。
一方、腕を穿たれたミヒャエルも、敵意に満ちた眼光を向けてきていた。
「ようやく理解できたようね。詳しい要求は、後で伝えるわ……」
ミヒャエルはふらふらとした足取りで身を翻す。
断たれた腕は氷に覆われて出血は止まっていた。けれど歩くことさえ辛そうに、激しく息を乱していた。
「まずは、私を無事に帰してもらってから……」
「ディード、近接形態!」
耳を貸さない。要求など無視する。敵は粉砕する。
そして、どんな困難があろうとも守り抜く―――。
それはすでに決定事項だ。僅かなりとも曲げるつもりはない。
だからヴィレッサは、さらに戦闘を続行する。
「要するに、この氷を壊さなきゃいいんだろうが!」
ヴィレッサは振り返ると、背後の壁へと刃を振り下ろした。
一直線にミヒャエルへ向かおうとすれば氷に阻まれる。しかしヴィレッサの背後にある壁は凍りついていなかった。
壁を切り裂き、砕き、別の道を作り出して回り込めばいいのだ。
ミヒャエルを殺して、『凍珠』だけを無傷で回収すればなんとかなる。
そう、ヴィレッサは判断した。
「っ、なんて無茶苦茶な……」
ミヒャエルは慌てた呟きを漏らして駆け出す。逃走するつもりだろう。
そうはさせまいと、ヴィレッサも壁の穴へと身を投じる。
王宮の三階に位置する部屋の外には、何もない空間が広がっていた。そのまま落下すれば無事では済まないが、空中を歩けるヴィレッサならば問題にならない。
浮かべた魔力板の上を駆け、隣室への壁を叩き割り、さらに廊下へと出る。
『マスター、右です』
魔導銃からの声に従い、視線をそちらへ向ける。
廊下の先にミヒャエルがいた。その隣には、魔術師らしき格好をした一人の男も合流している。
魔術師が手元に青白い光を浮かべている。
ヴィレッサはすぐさま狙撃形態を構え、照準を定めた。
「逃がすかよ―――!」
引き金を弾く。だが、ほんの一瞬だけ遅かった。
放たれた魔弾は空中を貫き、廊下の壁に穴を開けて何処までも飛んでいった。
ヴィレッサは歯噛みして、青白い光だけが残された空間を睨む。
『……敵生体反応、索敵範囲より消失。転移したものと判断します』
機械的な声が寒々しく響く。
それでもヴィレッサは燃え立つほどの敵意を瞳に宿して、遥か遠くにいるはずの敵を睨んでいた。
◇ ◇ ◇
城内への侵入を許し、皇妃と皇女が負傷させられる。
あまつさえ皇帝にも剣を向けられ、主謀者を捕り逃がしてしまう。
帝国の長い歴史上でも類を見ないほどに不名誉な事件であった。
それでも即位式は執り行われた。
新皇帝は剛毅な御方だと、素直に賞讃と期待を述べる貴族も少なくなかった。
けれど同じくらいに、不安顔を隠せない者もいた。
北方貴族に対する処置はどうするのか?
皇妃や皇女殿下の様態は? これからの治世は―――。
様々な疑問に対する答えは、翌日以降に持ち越された。予定されていた華々しい晩餐会なども中止されて、貴族たちは複雑な表情をしながら帰宅していった。
だからといって、静かな夜が訪れるはずもない。
重要な役職にある騎士や文官は、城の一室に集められた。
もはや帝国を揺るがす重大な局面にあると、会議に出席する面々は誰もが理解していた。夜を徹してでも、早々に方策を取りまとめる必要がある。
だが、すでにひとつだけ決定している事柄もあった。
「明日にでも、あたしは西へ向かう」
会議が始まるなり、ヴィレッサはそう宣言した。
上座にいるディアムントが眉を顰め、隣にいるゼグードも渋い顔をする。
西へ向かう。つまりは、ミヒャエルを討ち、『凍珠』を確保する。
それはもはや、ヴィレッサにとっては絶対の決定事項だった。
「無論、此度の主謀者には報いを受けさせるが……」
「言っとくが、許可は求めてねえぞ。一人でも行くからな」
『凍珠ゴールヴェニア』によって作り出された氷は、ほぼ破壊不可能と言える。熱で溶けることはなく、剣や槍で突いても砕けない。ヴィレッサの魔導銃か、あるいは虚無の魔術ならば、氷だけを砕くか消すかはできる。
しかし、氷漬けにされた人間を助ける手段は無い。
唯一の手段は、『凍珠』の力によって解除することだ。
魔導遺物の研究者や宮廷魔術師、そしてシャロンも同じ結論に至っていた。
「あのクソ女は、ルヴィスを泣かせた。絶対に許さねえ。テメエだって、自分の妻を氷漬けのまま放っておくつもりはねえだろうが!」
「分かっている! だが、貴様は性急すぎると言っているのだ!」
「性急だあ? だったら、黙って待ってりゃ解決するっていうのかよ!?」
「我慢を覚えろと言っている。半月もあれば、征伐の軍を揃えられる!」
「悠長なこと言ってんじゃねえ。あたし一人なら一日で充分だ。一人だって、城のひとつやふたつ落として、あの女の首を持ち帰ってやる」
「無茶を言うな! 貴様が思っているほど、戦は甘いものではない!」
「うっせえ! これ以上、我慢できるか!」
ヴィレッサとディアムントは犬歯を剥き出し、獣じみた眼光をぶつけ合う。
まるで、いまにも殺し合いを始めそうなほどに空気が張り詰めていく。
騎士や文官は揃ってゼグードへ視線を送った。この場で二人を宥められそうな者は他にいないのだ。
しかしさすがにゼグードも困惑してしまう。
実は、襲撃直後にも、ヴィレッサは帝都を飛び出そうとした。
それを、どうにか辛うじて、ゼグードとシャロンの二人掛かりで諌めたのだ。
ひとまず”今日のところは”踏み止まる、という形で。
けれどいま、シャロンはこの場にいない。片足を氷漬けにされたルヴィスの介助をしつつ、シュテラリーデの様子も見守っている。
ゼグード一人では、この皇帝と皇女を諌めるのは荷が重すぎた。
『マスター、提案があります』
緊迫した空気を完全に無視して、機械的な声が響いた。
しばしの沈黙の後、ディアムントもヴィレッサも、声の主へ目を向ける。
「……なんだ? 言ってみろ」
『はい。その前にひとつ、ゼグード様に確認したいのです』
ヴィレッサの腰に下げられたまま、魔導銃が声を投げる。
話を向けられたゼグードは、僅かに首を捻りながらも続く問い掛けを待った。
『少数の騎兵部隊ならば、二日か三日の間に準備を整えられませんか? 数百名で構わないのですが』
「その程度ならば、すぐにでも……二日あれば二千の騎兵は出立できる」
幸い、バルツァール城砦から引き抜いてきた少数部隊が、帝都で訓練を重ねている。以前にディアムントからの提案があって選び抜いた、精兵と言える者達だ。
ディアムント直属の部隊として編成される話は流れてしまった。けれど有能な者が揃っているので、ヴィレッサやルヴィスの親衛隊の中心となる予定だった。
その者達を中心にすれば、明日にでも精鋭騎兵部隊が出来上がる。
遠征となると装備や糧食の問題もあるが、少数であれば無理も利く。
「しかし西方国境には三万の兵が詰めておる。加えて、ヴァーヌ湖の城砦は正しく難攻不落。いかに精鋭を集め、姫様の御力があろうとも……」
神妙に首を振ろうとしたゼグードだが、はっとして息を呑んだ。
魔導銃が提案しようとする策に、ゼグードも思い至ったのだ。
「まさか、”アレ”を使うつもりか?」
『肯定。あの魔導遺物の力があれば、強行軍も可能でしょう』
場がざわつく。騎士や文官の中には、事情を把握できない者が大半だった。
だが、事情が分からずとも、ほとんどの者が戦慄を覚えていた。
「はっ……面白え。いいじゃねえか……」
小さな頭が揺れて、金髪が淡い光を反射する。静まり返った場に笑声が流れる。
ヴィレッサが、三日月型に口元を吊り上げていた。
まるで血に飢えた殺戮者のような表情を、可愛らしい子供が浮かべているのだ。
いかに戦慣れした帝国の騎士でも、背筋に怖気を覚えずにはいられない。
「うっかりしてたぜ。そうか、『一騎当千』か」
装軍型極式魔導殲滅刃『一騎当千』―――。
それは以前、ディアムントから伝えられたものだ。魔術や魔導遺物の研究を行っている帝国魔導院に、ひとつの”極式”魔導遺物が保管されている、と。
即位式の準備に追い立てられる中で、確認だけはしておいた。
掌に乗るくらいの、小さな騎馬を模した装飾品にも見える魔導遺物だ。
その能力は、製作者の正気を疑わせるもので―――。
『敵の陣容が不明である以上、圧倒的な戦力で蹂躙するべきかと』
「そのために待てって訳か。仕方ねえ、乗ってやるぜ」
ヴィレッサは愉しげに咽喉を鳴らしつつ、ディアムントとゼグードを見やる。
その瞳は、おねだりをする子供みたいに輝いていた。
けれど同時に、狂気じみた殺意も感じさせるのだ。
「……止めても聞かぬか。ゼグード、頼む」
「はっ……この命に代えましても、姫様を御守り致します」
ディアムントが溜め息混じりに承諾して、ゼグードが恭しく頭を垂れた。
そうして十日ほど後、魔弾皇女の親衛隊は大陸に名を轟かせる。
大陸史上、最も容赦ない騎兵部隊として。




