第12話 五国大戦、始まります
五国大戦。その戦争は、後に大陸の多くの国の歴史に刻まれる。
主な当事者となったのは、その呼び名の通りに五ヶ国だが、実際にはもっと多くの国が関わっていた。
しかし、その戦争の中心であったのは誰なのか?
歴史家に尋ねれば、まず間違いなくバルトラント帝国だと答えが返ってくる。
一人の少女の名前を出す者もいるが、それはまた別の話だ。
ともあれ、バルトラント帝国は大戦の最初期から当事国であった。
そもそもの始まりも、帝都の結界消失から始まったのだから―――。
結界の消失は、目に見える変化としては表れない。
城内にいて正確に異変を察知できた者は、ほんの数名に過ぎなかった。
鋭い魔術的感覚を持ち、かつ転移術を会得している者。
そんな稀少な数名でさえ、実の所、完全に事態を把握するには至らなかった。
結界塔のひとつが氷漬けにされているなど―――、
この”襲撃”の主謀者でなければ、想像ですら難しい。
さらにその主謀者にさえ、計画と外れた事態がいくつも起こっていたのだから。
「赦す。そのまま警戒を続けろ」
自分に向けて剣を抜き放とうとした騎士に、ディアムントはそう告げて頷いた。
未だ正式な即位前とはいえ、皇帝へ剣を向けようとしたのだ。この場で首を刎ねられ、一族郎党諸共に逆賊として討たれてもおかしくはない。
しかしこの場合は、騎士の対応が正しかった。
謁見の間に、いきなりディアムントが転移してきたのだ。
「どうやらルギフェルドは無事だったようだな」
「はい。ですが、まずは城内の兵へ連絡を致します。警戒を促し、結界塔へも部隊を差し向けましょう」
異変を察知したディアムントは、即座に対応すべく動いた。ゼグードだけを連れて、自らの転移術で謁見の間へと飛んだのだ。
即位の儀が行われる予定だった謁見の間には、大勢の貴族が集まっていた。
当然ながら警護役の騎士も控えている。
玉座の横に何者かが転移してくるなど、異常事態でしかない。すぐさま剣を抜いて対処しようとした騎士は、むしろ決断力を誉められてもよいほどだ。
広間にいた貴族の中には、呆然として立ち尽くすしかできない者もいた。
「皆の者、聞け! 帝都の対転移結界に異変が起こった可能性がある」
騒然としていた場に、ディアムントの声が響く。
威圧を伴った声は、それだけで注目を集め、混乱を鎮めてみせた。
「まだ事態の全容は掴めぬ。だが、危急に備え―――」
言葉は遮られた。乱入者によって。
広間の入り口に、青白い光の塊がいくつも現われた。次の瞬間には、二十名ほどの男達がその場に立っている。転移してきたのだ。
帝国式の全身甲冑に身を包んだ乱入者は、すぐさま玉座へ向けて駆け出した。
見事な不意打ちと言えた。
儀式のために剣を持たない貴族たちを殺し、『断傲剣』も奪う―――、
そんな蛮行も叶っただろう。
けれど乱入者の目論見は、黒い剣撃によって断ち切られた。
「落ち着いて迎え撃て! 転移術では、どうせ大した数は送り込めん」
自らも剣を振るいながら、ディアムントは指示を飛ばす。
そして指示されるまでもなく、警護騎士たちは迎撃の構えを整えていた。
事前にディアムントが現れて、警戒を促していた効果も大きい。乱入者の不意打ちは、もはやただの無謀な突撃になっていた。
『断傲剣』は召喚能力を起動せずとも、単体で恐るべき武器となるのだ。すべてを断ち切る黒い刃は、剣でも盾でも受け止めることを許さない。
ディアムントの剣技も加わり、一振りごとに死を生み出していった。
乱入者たちは次々と血の海へ沈む。
ほんの数呼吸の後には、片手で数えられる人数しか残っていなかった。
「さて、貴様らには主謀者が誰なのか吐いてもらおう」
ディアムントは威圧的な眼光で、乱入者の残党を睨む。
不意の襲撃をあっさりと蹴散らしてみせるのは、新皇帝として武威を示す絶好の機会とも言えた。戦いは望むところだ。しかし即位の儀を穢された怒りは大きい。
なにより、こういった姑息な手はディアムントが嫌うところだった。
いっそ全員を斬り殺した方が心が晴れるのでは―――、
そんな思考は、横合いからの声で遮られた。
「武人としては成長したようだな、ディアムントよ」
野太い声とともに、一人の貴族が歩み出る。元より謁見の間に集まった貴族の中にいた壮年の男で、豊かな口髭を生やし、鍛え抜かれた体格をしている。
その顔立ちは、何処となく先代皇帝であるアドラバルドに似ていた。
「容易く奪えると思ったのだがな。こうなっては、正面から戦うしかあるまい」
「ハイメンダール公爵……まさか、貴公が?」
「そういうことだ。儂の方が、新皇帝に相応しい」
堂々と宣言すると、赤茶けた顔を凶悪に歪めてみせた。
ハイメンダール公爵。帝都北方に領地を持つ大貴族だ。ディアムントとは遠縁であるが、皇家の血筋に連なるのは間違いない。
帝国に於いて、北方貴族と呼ばれる者達は、他の貴族と少々異なる。
まず北方という地域が特殊なのだ。寒冷なだけでなく、高濃度魔素の影響による魔力災害が頻発する。徘徊する魔物も多く、その脅威に日頃から相対している兵士は、野戦では極めて高い戦闘力を発揮する。
出自を辿ると、歴代皇帝の不興を買っていたり、所謂”厄介者”と看做された者ばかりだ。過酷な領地に封じられて没してしまう家もあった。
そういった事情もあって、北方貴族に連帯感が生まれるのは、ある意味で自然な成り行きだった。厳しい環境の中で助け合いが生まれ、何代にも渡って主従に似た関係を築いている家もある。
だからといって、皇帝への反感を抱えている者ばかりではない。
ひたすらに忠義を尽くし、認めてもらった者もいる。
しかしハイメンダール公爵は、隙あらば皇帝の座を狙おうとする、好戦的とも言える一派の旗頭的存在だった。
「ディアムントよ、其方は皇太子の位を剥奪されたとも聞いたぞ。それが事実であれば、元より貴様の即位には正当性など無いではないか」
「戯れ言を! 私に帝国を任せるという遺言は、多くの者が聞いている!」
「ふん。日和見主義者どもの証言など、信用できんな」
ハイメンダールは鼻で笑ってみせる。
理屈としては無茶苦茶だが、ディアムントへの疑念を僅かでも撒ければよいのだ。加えて、最初から口論で決着をつけるつもりなど皆無だった。
「不服あらば武によって決する。この帝国の習わしに従おうではないか」
「愚かだぞ、ハイメンダール公。我らが争えば、他国を喜ばせるだけではないか」
「その柔弱な姿勢が、他国に付け入る隙を与えるのだ。儂が皇帝となった暁には、周辺諸国すべてを制圧してやろう!」
鍛え上げられた全身から自信を溢れさせて、傲然とした笑みを見せつける。
そうしてハイメンダールは、周囲の貴族たちを見渡した。
どちらへ味方するのか―――、
強い眼光で問い掛けながらも、さすがにこの場での返答は求めない。
「では、次は戦場で会おう。あまり簡単に倒れてくれるなよ?」
「っ、待て、ハイメンダール……!」
ディアムントは駆け出し、黒剣を振り払う。
しかしまだ残っていた乱入者が壁となり、僅かな時を作り出した。
加えて、最後に告げられた一言に、ディアムントは足を止めてしまう。
「貴様の妻と娘も、無事であればよいな」
「な……っ!」
最大の不意打ちに、ディアムントの顔が驚愕に染まる。
直後、ハイメンダールの姿は青白い光に包まれて消えていた。転移術を使える魔術師を控えさせていたのだ。
ディアムントは歯噛みしながら、微かに残された魔力の残滓を睨んだ。
「陛下、ここは……」
「分かっている。私はこの場に残る。ゼグード、妻と娘を頼む」
「はっ、すぐに無事を確認して参ります」
騎士二名だけを連れて、ゼグードが駆け出していく。
その背中を見送ってから、ディアムントは玉座の前に立った。まずは貴族たちを落ち着け、この場を治めねばならない。
厳かな即位式が執り行われるはずだった場は、まだ騒然とした空気に包まれていた。
◇ ◇ ◇
凍りついた壁が割れる。光を乱反射する破片が無数に散っていく。
まるで雪花が咲き誇るような光景の中で―――、
「お久しぶりですわ、皇太子妃……いえ、現在は皇妃殿下でしたわね」
雪像を想わせるほどに白く美しい女が立っていた。腰まで伸びた長い髪は銀髪で、氷の如く冷たい輝きを纏っている。肌も絹のように白い。
口元に浮かべた妖艶な微笑だけでも、大勢の男を惑わせられるに違いない。
しかし美しさよりも、不吉な気配の方が強いのは、黒一色の服を纏っているからだろうか。宝石まで黒い輝きを放つものをドレスに散りばめ、マントとローブを合わせたような衣装を羽織っている。
「ミヒャエル卿……これはいったい、何の真似です?」
親衛隊長を前に立てたまま、シュテラリーデが鋭く問い返す。
対してミヒャエルは、やはり微笑を崩さなかった。
凍姫ミヒャエル侯爵。その名はヴィレッサも聞き及んでいる。
帝国西方を守護する女将軍であり、その任を数十年も務め続けている。
だというのに若々しい外見を失っていないのは、魔導遺物『凍珠ゴールヴェニア』によって己の時を凍りつかせているからだそうだ。
重要な役職にありながらも、他の貴族との関係は薄い。皇帝からの呼び出しにも応えるのを渋るほど、領地から出たがらないのだ。
魔導遺物の力に魅せられ、奪われるのを極端に恐れている、と噂されている。
事実、ミヒャエルの後継者は未だに空席のままだ。帝都から候補者を派遣したこともあったが、全員が何の成果も上げられずに帰還した。『凍珠』に触れるどころか、ミヒャエルとの面会すら叶わなかったのだ。
しかしそれ以外は大きな問題行動はなく、帝国のために尽くしてくれていた。
そんな彼女が何故?
こんな叛逆としか取れないような真似を?
ヴィレッサも疑問を覚えずにはいられなかった。
「まずは、御挨拶を。そちらの皇女殿下御二人には、初めて―――」
「―――死ね」
短い宣告とともに、ヴィレッサは引き金を弾いた。
ミヒャエルの行動について疑問は覚えた。
しかし、そんなことはどうでもいい。
とりあえず殺す。まず敵なのは間違いないのだから。
崩された壁の破片に埋もれる形で、部屋の外を守っていた騎士の姿が見て取れた。氷漬けにされている。ぴくりとも動かない。
あるいは、生きているのかも知れないが―――。
もしもシャロンやルヴィスが、同じ目に遭わされたら?
その危険性を考えると、ヴィレッサは引き金を弾くのを躊躇わなかった。
「な……っ!?」
ミヒャエルの美しい顔が驚愕に染まった。
不意打ちに近い形で襲撃を行っておきながら、自分が虚を突かれるとは考えていなかったらしい。
それでもさすがに警戒心は残していた。
速射形態から撃ち出された数発の魔弾は、ミヒャエルが作り出した氷の壁によって阻まれた。多少の氷片は散らばったものの、魔弾が削った部分も、またすぐに氷が作られて埋められてしまう。
『敵の防壁は強固です。狙撃形態が最適と判断。砲撃や掃射形態でも削れます』
「分かった。容赦しねえ。一撃で終わらせ―――」
ヴィレッサは魔導銃を変形させる。狙撃形態へと。
しかしその一瞬の隙を待っていたかのように、ミヒャエルが動いた。
「噂以上に、好戦的な方ですのね」
呟くと同時に、黒ローブの懐へ手を伸ばした。
複数の何かが、室内へと放り投げられる。
それは指先ほどに小さな銀色の球体だった。空中にばら撒かれた球体は、ミヒャエルの微笑に反応したかのように輝きを放ち―――、
「っ……なにか、マズイ!」
「―――皇妃殿下!」
「―――抗魔障壁を張りなさい!」
室内にいた全員が、其々に声を張り上げ、動いた。
ヴィレッサもルヴィスを抱えて飛び退いた。咄嗟に、全身から魔力を放つ。
ミヒャエルが持つ『凍珠ゴールヴェニア』は氷結を操る。それはここまでの行動を見ても明らかだ。部屋ひとつを丸ごと凍りつかせるのも容易いのだろう。
しかしヴィレッサの魔力には、無効化魔素が含まれている。
あらゆる魔術を打ち消す。魔導遺物の効果に対しても例外ではない。
それでも、一瞬の内に放てる魔力には限りがあった。
「ぁ……」
壁際まで飛び退いたヴィレッサは、周囲の状況に愕然とした声を漏らした。
まず室内のほぼすべてが氷で満たされている。
無事だと言えるのはシャロンだけ。どうにか障壁を張って防いだのだ。
けれど周囲は分厚い氷に囲まれて、動きは封じられてしまった。
ルヴィスも無事に近い。床に倒れ、ヴィレッサを見上げてくる瞳は涙で濡れていたが、一見すると怪我もしていなかった。
しかし、その片足は膝から下が凍りついていた。
治療法はある、と思いたい。
断言はできない。目を覆いたくなる惨状なのは間違いない。
もしも片足を失うような事態になったら―――幼い少女には想像すら辛いはずだ。
けれどルヴィスが泣き出しそうな顔をしていたのは、自分以外の、もっと別の理由からだった。
「お姉ちゃん……どうして、こんな……お母さんが……」
「―――!」
ヴィレッサが振り向くと、そこには完全に氷に閉じ込められたシュテラリーデがいた。親衛隊長も、他の騎士も全員が氷漬けにされている。
さながら時が止まったかのように。
そこにいた双子を庇おうと手を伸ばしたまま、シュテラリーデは凍りついていた。
「……大丈夫だ。すぐに助ける」
決意とともに告げると、ヴィレッサはルヴィスへ背を向けた。
狙撃形態の銃口をミヒャエルへと向ける。
分厚い氷塊を挟んで、ミヒャエルは妖艶な、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「いいのかしら? この氷を解けるのは私だけ―――」
「黙れ」
一切の躊躇無く引き金を弾く。
轟音が響き、魔弾が氷塊を貫いた。
幼女にはほのぼのと暮らしてもらいたいのに!
くそぅ、誰がこんな酷い物語にしたんだ!?




