第5話 魔弾vs断傲剣①
帝国の歴史上、玉座の間まで迫った逆賊は片手で数えられる程度しかいない。
しかもそれは他国の使者や、ある程度の身分を持った者など、正式に謁見の許可を得た者ばかりだ。交渉が決裂した末に逆上して、あるいは綿密な暗殺計画を立てて、いずれにしても静かに皇帝の前まで迫って膝をついた。
だが、ヴィレッサは―――。
「いい絨毯使ってやがるなあ。汚すのが勿体無いぜ」
瓦礫が転がる謁見の間で、悠然と歩を進める。
玉座を睨みつけ、敬意どころか敵意を向けている。
あまりにも前代未聞、傍若無人な態度に、ほとんどの者が唖然として凍りついてしまった。もしもヴィレッサが容赦無く引き金を弾けば、皇帝暗殺すら成し遂げられていただろう。
それでも我に返った護衛騎士は、すぐさま玉座の前に駆け寄って身構えた。
「はっ、さすがに反応が早いな」
数名が玉座の前で盾となる。魔術による障壁も展開させる。
残りの数名が剣を抜き、ヴィレッサへと斬り掛かろうとしたが―――、
「―――待て!」
制止の声が上がった。ひとつではなく、ふたつ。
玉座と、その対面から。アドラバルドとディアムントが同時に声を上げたのだ。
両者ともに僅かに眉を揺らし、互いの顔を窺う。
「なんだよ、随分と仲の良い親子じゃねえか?」
「……戯言を……そんなことを言うために、ここまで侵入したのか?」
問い返したのはディアムントだ。相変わらずの威圧的な眼差しを向けてきた。
ヴィレッサは肩をすくめる。無論違う、と。
そうして魔導銃を速射形態へと変形させると、両手に持った其々の銃口を、自分の血縁であろう二人へと向けた。
「いくつか聞きたいことがある、けどな」
玉座へ向けた銃口を僅かにずらして、引き金を弾いた。
張り詰めた空気を引き裂くような発砲音に、護衛騎士たちがびくりと反応する。
けれど放たれた魔弾は、玉座の斜め後方の床を削っただけだった。
「ひ……っ!」
「逃げるなよ。それと全員、妙な動きをするんじゃねえぞ?」
ヴィレッサが睨んだ先では、一人だけ逃げようとしていた相談役が尻餅をついていた。元より不健康な顔色を、さらに蒼白に染める。
この一発は、ヴィレッサが意図した以上に、場を留める効果を上げた。
威嚇としての効果はさほどではない。護衛騎士の幾名かは、いざとなれば主君による制止の声を振り切ってでも、乱入者に飛び掛かる覚悟を固めていた。
しかしそんな護衛騎士も、相談役に対して嫌悪を抱いていたのだ。
いっそコイツだけ殺してくれれば―――そう願う者も少なくなかった。
だからほんの少しだけ、ヴィレッサに味方したい気持ちが沸いた。
それに加えて、次の言葉の効果も大きかった。
「あたしの魔弾は、テメエらの逃げ足よりずっと早いぜ。試してみるか?」
「魔弾、だと……?」
バルツァールの魔弾。
正式に認められた魔導士ではないものの、その武名は帝都まで轟いている。
万の軍勢を相手取れる、尋常ならざる戦闘能力―――、
だが同時に、帝国の危機を救った英雄でもある。たった一人で戦場に乗り込んだ心意気に、多くの騎士が感銘を受けていた。
一度は帝国に味方した勇者が、何故このような暴挙を?
もしや、何かしらの事情があるのでは?
そういった疑問と戸惑い、あるいは期待感が、護衛騎士の足を留める結果となった。
「……いいだろう。『魔弾』の、ヴィレッサであったな?」
玉座の前に立ったアドラバルドが、重々しく告げた。
口調や表情に怯えた色は混じっていない。脅されたからでなく、皇帝の判断として話を聞くと、全身から溢れる覇気で語っている。
「余も貴様には興味があった。直言を許そう」
「偉そうにしてんなよ、乱心ジジイが」
場が凍りつく。あまりな物言いに、ほとんどの者が事態を把握できなかった。
皇帝陛下に対して、まさか、これほど無礼な―――。
そんな驚愕を無視して、ヴィレッサは視線を横へと移す。
強く、ディアムントを見据えた。
「まずは確認だ。テメエは、あたしの父親だな?」
「っ……気づいていたのか?」
「まあな。でも認めるかどうかは別だぜ」
それと、と口調を強める。
この場を訪れた最初の目的が、それを告げることだった。
「ルヴィスは何も知らねえ。勝手に行動して、混乱させるんじゃねえぞ」
「……そうか……いや、そうであるのが当然か」
銃口を向けられたまま、ディアムントは複雑に表情を歪めた。
悔恨や寂寥、躊躇や戸惑い、その瞳には父親らしい感情の色が覗いたが、すぐに消える。ヴィレッサへ向け直された眼差しは、相変わらずの威圧を伴っていた。
「了承した。あの娘への対応は、貴様の意見を第一としよう」
「よし、信じてやるぜ。忘れるなよ」
思いの外すんなりと進んだ交渉に、ヴィレッサは口元を緩める。
そうしてディアムントへ向けていた魔導銃を引き戻した。ひとまず敵対する理由はなくなったのだ。
続いて、アドラバルドへと向き直る。
けれどそこで、ヴィレッサは首を捻った。
「ディアムント様が、父親だと……つまりは……」
「皇孫殿下、ということなのか……?」
「し、しかし、そのような話は聞いたことがないぞ!?」
「いや、そういえば以前、御懐妊されたという話は……」
護衛騎士や文官が、困惑に包まれている。
ヴィレッサにとってはさらりと流せる事柄でも、彼らにとっては一大変事であるらしい。剣を抜こうとしていた護衛騎士の中には、卒倒しそうなほど顔を蒼くしている者もいた。
しかしその困惑も、一言で治められる。
「―――鎮まれ」
齢を重ねた大樹を想わせるような声が、一瞬にして場を支配した。
アドラバルドが軽く手を掲げる。それだけで、玉座の前に立っていた騎士たちが一斉に退き、元の位置に戻ると深々と頭を垂れた。
さすがは大陸に覇を唱えるバルトラント帝国皇帝―――、
そうヴィレッサでさえ息を呑み、あらためて向き合う心構えが必要だった。
「この娘が、正統なる皇家の血を引いているのは事実である。皇帝として余が認める。これに異を唱えることは、帝国への反逆であると心得よ」
何故、これまで事実が隠されていたのか?
いったい、どういった事情が裏に秘められているのか?
問い質そうとする者はいなかった。護衛騎士も文官も、一様に頭を垂れたまま、ただ静粛に言葉を事実として受け止める。
その様子にひとつ頷くと、アドラバルドは片手をゆっくりと横へ伸ばした。
微かな魔力光が散り、背後へと光の筋を描く。
光の先にあるのは、『断傲剣ルギフェルド』―――、
壁に掛けられていた黒々とした大剣が、宙に浮かび、アドラバルドの手元へと引き寄せられる。
『マスター、あの剣は脅威となる可能性があります』
「……分かってる」
頷きながらも、ヴィレッサは魔導銃を構えただけで留まっていた。
そもそも皇帝の排除が目的ではないのだ。帝国を乱す元凶だと判断できたなら、引き金を弾くのも躊躇わないつもりだった。しかし皇帝本人と直に向き合い、その言葉を聞き、まだ話し合いの余地があるとも思えた。
威圧を受けて、そう”思わされた”可能性も否定しきれない。
あるいは、ヴィレッサの内にある平和な異世界の常識が、暴力的解決への一歩を踏み止まらせたのだろう。銃口を向けながらの話し合いというのも、ヴィレッサにとってはかなり常識外れなのだ。
とはいえ、武器を捨てて握手をすれば全部解決、なんてのは夢物語に過ぎない。
まだ問い質し、糾弾したい事柄がある。
だからヴィレッサは、油断なく魔導銃を構えている。
アドラバルドも大剣を握ると、一段と眼光を鋭くした。
「我が孫娘よ、其方に命じる。今日よりヴィレッサ・ギルディウス・アルトゥス・ジ・バルトラントを名乗れ。そして帝国に尽くすがよい」
「―――断る!」
即答し、ヴィレッサはがちりと奥歯を噛み合わせた。
周囲の騎士達が目を剥く。しかし気に留めない。
「あたしはヴィレッサだ。ウルムス村のヴィレッサだ! テメエを祖父だなんて認めやしねえ! テメエがどれだけ馬鹿な統治をしてるのか、それを教えてやるために帝都まで来た! そして―――」
ヴィレッサはフードを払うと、髪を掻き上げ、自身の耳を見せた。
醜く歪んだ傷痕を見せられて、アドラバルドが一瞬だけ眉を揺らす。
「忘れてねえぞ。テメエが、あたしと、ルヴィスを傷つけた!」
「……帝国のため、必要な行為であった」
「必要だあ? 無力な赤ん坊に斬りつけるのが、どう必要だってんだ? 仮に必要だったとしても、そんな国なら滅んじまえよ!」
怒りを放つと同時に、ヴィレッサは引き金を弾いた。
しかしアドラバルドは一歩も動かない。軽く首を傾けただけで、耳を狙った魔弾を完全に見切ってみせた。
白色混じりの頭髪を少し揺らした魔弾は、そのまま背後の壁を削って消えた。
「納得できぬか。あくまで帝国に牙を剥くと言うのか?」
「はっ、勘違いすんじゃねえ。あたしが気に喰わねえのはテメエだけだ」
言い方を変えるならば、帝国が現状のままでいるのは認められない。
アドラバルドの言葉ひとつで、大勢の人間が迷惑を被っている。
歯軋りをする兵士がいた。家族を失う者もいた。
それを、ヴィレッサは実際に目にしてきたのだ。だから―――。
「退位しろよ。テメエの息子の方が、幾分かマシな皇帝になるぜ」
「……それが、貴様の選択か」
アドラバルドはひとつ息を吐く。
そして、握った大剣を軽々と振って、切っ先をヴィレッサへと向けた。
「貴様こそ勘違いをするな。バルトラント皇帝とは、即ち、帝国そのものである。故に、弱者の言葉になど耳を傾けぬ」
大剣から魔力光が溢れる。
その光に誘い出されるように、アドラバルドの足下から黒々とした影が沸き上がった。足下だけでなく、周囲を埋め尽くすかのように、無数に影が現われる。
ヴィレッサは舌打ちし、咄嗟に引き金を弾いた。
しかし魔弾はアドラバルドまで届かない。
影に阻まれ、その一部を散らしただけで受け止められた。
「力を示せって言いてえのか? 野蛮人が、理性を投げ出してんじゃねえぞ!」
「武こそ正義。どう言い繕おうと、この真実は揺るがぬ。我を退けたいのならば、力を以って捻じ伏せてみるがいい!」
自信に満ちた声が響き渡る。
その間にも、無数の影が”人の姿”を形成していく。
静寂に包まれていた謁見の間は、瞬く間に戦場へと変化していった。
お話し合い、決裂。
次回は本格的に、お祖父ちゃんと幼女が戯れます。




