第4話 鬼ごっこ 鬼が追うとは 限らない
さすがに帝都の衛兵はよく訓練されている。不審者を発見すると同時に声を上げるのは当然、対処としての攻撃も、実に容赦なく統制されていた。
まず効果範囲の広い炎弾を飛ばし、直後に殺傷力の高い光槍も放ってくる。
無論、単発ではなく数名がまとまって。
ヴィレッサでなければ、けっして無傷では済まなかっただろう。
おまけに―――、
「ぬう。魔術を無効化できるのか? 弓矢を使え! 剣でも槍でも構わん、渾身の力を込めて投げつけてやれ!」
「な、ちょっ、対応早すぎだろ!」
隊長らしき騎士の言葉に、ヴィレッサは思わず頬を引き攣らせてしまう。
弓矢程度ならば、『赤狼之加護』によって完璧に防げる。高い防刃性能を備えているし、この世界は魔術を扱える者が多い分、弓矢の発達は遅れているのだ。
弩弓ですら数が少ない。たとえ直撃を受けても痒い程度で済む。
だが、投槍はマズイ。
強化された腕力によって放たれる野太い衝撃は、幼い体にはかなり堪える。下手をすれば痛いでは済まされない。
『撤退を進言します』
「そうだな、戦術的撤退―――」
まだ空中に立ったままだったヴィレッサは、踵を返して城から離れようとした。
しかし直後、四方八方から矢が放たれる。
さすがに戦場ほど矢の密度は高くない。すでに心構えをしていたおかげで、ヴィレッサも即座に回避行動へと移れた。
小回りの利かない空中でも充分―――、
そう思った直後、体が引っ張られた。
「え……っ!?」
唖然とした声を漏らし、魔力板を踏み外してしまう。
死角から放たれた弩弓の矢が、外套の端に引っ掛かって体をずらしたのだ。
そのまま地上に落下、とはならなかった。
ヴィレッサは新たな魔力板を浮かべて、体勢を整えようとした。しかし続け様に弓矢や投槍が放たれ、地上へと追いたてられる。
城壁を越えられず、広い庭の中央に降り立ってしまった。
舌打ちするヴィレッサとは対照的に、隊長の嬉しそうな声が響く。
「よし、追い詰めたぞ! 囲め! 絶対に逃がすな!」
ふははははははっ、とか笑い声も響いてくる。
目を向けると、偉そうに腕組みをして勝ち誇っている隊長がいた。
『敵、士気旺盛。脅威になると判断します』
「分かってる。どうにかして逃げるぞ!」
『反撃を行えば、事態打破の可能性は高いと思われますが?』
「ああ、打破できるだろうな。もっと悪い方向にな!」
ヴィレッサとて、不法侵入した自覚はある。ちょっと気づくのが遅れてしまったが、反省だってしているのだ。
帝国兵と事を構えるつもりもない。少なくとも、現状では、まだ。
だから反撃をして被害を出すのはマズイのだ。
加えて、変形する魔導銃なんて使ったら、一発で誰だかバレてしまう。名乗りを上げて投降するという選択肢も頭に浮かんだが、結局は処刑という破目になっても困る。
というか、あの隊長のノリだと投降なんて認めてもらえそうにない。
相手の紳士度に期待するには、状況が危機的過ぎる。
「みんなにも迷惑が掛かるだろうし、な!」
言いながら、ヴィレッサは握った拳の中に魔力を集中させた。
なにも殺傷能力の高い魔導銃に頼らなくても戦う手段はある。旅の途中、ルヴィスが魔術の訓練をしていたように、ヴィレッサも新たな技を磨いていたのだ。
凝縮するように一点に魔力を集め、解放する。
そして、閃光と化す。
「なにぃ―――っ!?」
小さな掌から、目を眩ませるほどの光が撒き散らされた。
隊長だけでなく、周囲の兵士すべてが視界を塞がれ、動揺の声を漏らす。
その隙に、ヴィレッサは駆け出していた。
しかしさすがに城壁側は包囲網が厚い。仕方なく、とにかく身を隠せそうな物影へと走り込む。
「ええい、小細工を! しかしまだ遠くには行っていないはずだ! 草の根分けても探し出せ! 休暇中の者も呼んでくるのだ!」
よく響く隊長の声を耳にしながら、ヴィレッサは困惑に顔を歪めていた。
衛兵部隊の対応が本当に素早い。なにより、こちらを躊躇なく殺しにきているのが厄介だ。捕らえて情報を得ようとか、そういった欲をかく、ある意味では油断となる部分も一切無いのだ。
皇帝をはじめとして守るべき人物が近くにいる以上、安全第一なのだろう。
実に勤勉で、実直で、敵に回したくない相手だ。
「久々の獲物だぞ! どうだ、貴様らも楽しいだろう?」
「無論です。我らの庭に踏み入ってきたこと、必ずや後悔させてやります!」
「口先だけの者はいらんぞ。だが一番槍の者には、私からも報償を出そう」
また笑い声と、無数の足音が響いてくる。
どんどん城内奥へと追い込まれながらも、ヴィレッサは懸命に足を動かした。
「ああくそっ! なんでこんなにテンション高いんだ!? こいつら絶対、訓練教官にハートマン軍曹とかいるだろ!」
『我々は、アカの手先と勘違いされましたか』
「ああ、そうかもな! 真っ赤だからな!」
自虐気味の軽口を叩きながら、ヴィレッサは逃走路を探して走り続ける。
その背後から、大勢の声と矢の雨が降り注いだ。
衛兵に追い立てられながら、物影に身を隠しながら、ヴィレッサは走り続けた。
何処をどう走ったのか覚えていない。一度、隙を突いて城壁を乗り越えようともしたが、隠れていた部隊に矢の雨を浴びせられた。
気づくのが一瞬遅れていたら、命を落とすところだった。
そうしてまた逃げて、あちこちの壁や扉を壊し、時には隠し通路みたいなものも見つけて、かなり城の奥まで来てしまった。
「集団戦になると、帝国の兵士はやっぱり手強いぜ」
『そう仰られる割には、嬉しそうですが?』
「そりゃまあ、あたしだって帝国の一員だからな」
味方が頼もしいのは悪くない。もっとも、いまは敵視されているけれど。
苦笑いを零しつつ、ヴィレッサは壁に背を当てて進む。
通路と言うよりも、隙間と言った方が正しい。どうにか隠れ潜んだこの場所は、幼い体でなければ入れなかっただろう。背中を当てているどころか、ほとんど体が壁と壁に挟まれている。
「防御を考えた、二重壁ってやつか?」
『そうであれば、意外と重要な所まで入り込んでしまった可能性があります』
「なんか、どんどんドツボに嵌ってく気がするなあ」
溜め息を落としたい気持ちを苦笑いで誤魔化して、ヴィレッサは進んでいく。
その途中で、いきなり野太い声が響いてきた。
「ディアムント―――」
見つかったのかと、ヴィレッサは肩を縮める。けれど違った。
明かり取りのためか、斜め上方に小さな窓があって、声はそこから流れてきていた。
「―――貴様の皇位継承権を白紙に戻す」
ヴィレッサは眉を顰める。
その台詞に出てきた単語だけで、只事ではない様子が伝わってきた。
「ディアムントって……たしか、第一皇子だったよな?」
『肯定。継承権でも第一位、正式な皇太子だと聞き及んでいます』
「なら、それを白紙に戻すってのは……」
不穏な気配を無視できず、ヴィレッサは小窓へと近づいた。
かなり高い位置にある小窓は、背伸びをしても指先すら届かない。けれど空中に足場を作れば問題なく中の様子も窺えた。
広々として、それでいて豪奢な気配を漂わせている空間は、そこが謁見の間だとすぐに察せられた。玉座に腰掛けている皇帝からは、さすがは一国の主だと納得できるだけの威圧感が漂っている。
けれどヴィレッサが目を引かれたのは、玉座に対して跪いている男の方だ。
「あいつは、ディフリート……?」
つい先程まで顔を合わせていた相手だ。見間違うはずもない。
自分の父親であるのはもう確実だし、なにより―――。
「こんな目に遭ってるのも、あいつの所為だ」
『それは、さすがに逆恨みでは?』
「うっせぇ、分かってるよ。言ってみただけだ」
それよりも、とヴィレッサは謁見の間の会話に耳を傾ける。
途中から聞いただけでも、大方の事情は推し量れた。
「なあ、これって……ディフリートってのは偽名だったってことだよな? つまり皇位を継がせる二人ってのは……」
『恐らくは、マスターとルヴィス様のことを意味しているのでしょう』
まさか、という気分だった。
自分が貴族の生まれだというのは、赤ん坊だった当時の記憶から推測できていた。けれど親との再会すら可能性は低いと思っていたし、ましてや皇族の血筋だったなんて想像もしていなかった。
けれど同時に、それがどうした、とも思える。
貴族だの、至尊の血筋だのと言われても、あまり有難いとは感じられない。これは異世界の知識と、薄ぼんやりでも記憶として、血統に縛られない社会を覚えているからだろう。
むしろ、平民でいて自由を謳歌したい。
田舎村でのんびりとした日々を過ごして、親しい人たちと笑い合って、偶に都会から訪れた商人から珍しい物を見せてもらって、日向ぽっこをして―――、
そんな暮らしができれば充分だ。
睨み合い、剣を向け合う家族なんて、きっとルヴィスだって喜ばない。
「なにより……勝手に決めようとしてるのが気に喰わねえ」
だからこそ、ヴィレッサはわざわざ帝都まで旅をしてきたのだ。
周りが勝手に喧嘩を始めて、自分たちも巻き込まれる。そんな事態はもう二度と経験したくない。
ましてや、運命だの凶兆だの、皇帝の権威だの―――、
存在すら疑わしいものに左右されて黙っていられるものか。
「それに、まあ……」
『? どうかしましたか?』
「いや……知らない爺さんより、ちょっとでも親切にしてくれたオッサンに味方してやろうかな、なんてな」
言葉は尻すぼみになり、ヴィレッサは頭を振って思考を切り替えた。
あまりのんびりとはしていられない。
小窓の向こうでは、正に一触即発の空気が場を支配していた。
「とにかく行くぞ、砲撃形態」
『了解。派手な乱入を演出します』
やり過ぎないよう注意しつつも、ヴィレッサは口元を吊り上げ、頷く。
そして引き金を弾いた。一切合切を吹き飛ばすために。




