第2話 いきなり始まる、帝都騒乱
幼女だって、考え無しじゃない、はず……?
帝都の街並みは丁寧に整備されている。街を訪れた者を最初に迎える大通りは、綺麗に石畳が敷かれて、清掃も行き届いている。多くの商店が軒を連ねて、帝都でしか手に入らないような商品も並び、活気ある声が溢れている。
道幅には余裕があり、行き交う場所も留まることなく進んでいく。
さらに露店が建ち並ぶ広場に着くと、一段と喧騒が激しくなった。
旅人や商人ばかりでなく、詩人や大道芸人なども一区画に集まって歓声を浴びている。炎を纏った短剣を空中に放って見事に操る者や、次々と氷の塊を生み出してそれを売っている者などもいた。
一際大きな歓声と、奇妙な鳴き声が上がる。
目を向けると、黒き悪夢よりも大きな、一本鼻で灰色の肌をした動物が、芸人を背に乗せたまま器用に逆立ちをしていた。
「象なんているんだ……」
「うわぁ……あれ、魔物かな? すっごく大きい! あんなの初めて見たよ!」
ルヴィスが目を輝かせて、ぱちぱちと手を叩く。黒馬から落ちそうなはしゃぎっぷりで、ヴィレッサは慌てて背後から抱き止めた。
と、同時に、馬を並べているディフリートも手を伸ばしていた。
ルヴィスを支えようとして空を切った手を、所在無さげに漂わせる。むっつりと唇を引き結んでから、ヴィレッサへ威圧的な眼光を向けつつ手を引いた。
「あれは、エレファンと言う。魔物ではなく、南方を生息地とする動物だ」
「ふぅん……」
なにやら睨み合う形になる。
別段、ヴィレッサは敵意を向けようとは思っていない。ただなんとなく、目を逸らしたら負けのような気がしたからだ。
父親かも知れない男―――、
その件に関しては、ヴィレッサは頭の隅に追いやることにした。ルヴィスに知らせるつもりはないし、ディフリートが気づいているかも関係ない。
自分の家族はルヴィスとシャロンだけ。
今更、血の繋がりなんて持ち出されても困る。ルヴィスだって混乱するだろう。だからディフリートに対しても、他人と同じように接すると決めていた。
ただ、その言葉には不意を突かれた。
「乗ってみるか?」
「え……?」
「興味があるのだろう? あの芸人には、俺が口を利いてやろう」
凶器みたいな眼光を向けてくるディフリートだが、その台詞だけ聞くと親切な提案だとも思えた。
もしや、単純に目つきが悪いだけなのだろうか?
ヴィレッサが首を傾げていると、ルヴィスが遠慮がちな口調を挟んでくる。
「興味はあるけど……やっぱり、危ないからやめておこう」
「うん。それに、偉そうにして邪魔もしたくない」
「……そうか」
ディフリートは簡単に頷くと、そのまま馬を進ませた。
広場を過ぎると、また小奇麗な商店や住宅が並ぶ区画が続いている。幾分か人通りが減って、落ち着いた空気が流れ始める。
そこでようやく、ヴィレッサは気づいた。
道行く人々が、自分達にも興味深そうな視線を向けてくるのだ。
やはり黒き悪夢の巨体は目立つのかと思ったが、どうやら少々違うらしい。
―――な、なあ、あの子供ってもしかして……―――
―――真っ赤な外套と、黒き悪夢……本当にそうなのか?―――
―――噂の『魔弾』? バルツァールの悪魔?―――
―――本物か? でも確かに、あの子供とは思えない凶悪な目つきは―――
なにやら妙な噂が囁かれている。
どう反応したものかと、ヴィレッサは眉根を寄せながら周囲を窺う。
何故か、怯えた悲鳴を上げて逃げ出す者もいた。
「お姉ちゃん、有名人になってる?」
「そうみたい……手を振るとかした方がいいのかな?」
「大人しくしてるのが一番じゃないかな」
可能なら、妙な噂は根絶してしまいたい。それが無理なら、せめて良い方向に持っていきたいのだ。
『魔弾』は優しくて、理性的で、戦いを嫌うお淑やかな少女だとか―――。
「……無理っぽい」
がっくりと項垂れたヴィレッサは、不躾な視線に晒されながら、街路を進んでいく。
貴族街の前には、大きな門が設けられていた。見張りの兵士はこちらに気づくと、一度大きく目を見開いて、それでもすぐに姿勢を正して敬礼をしてみせた。
「ご苦労」
兵士に対して、ディフリートが鷹揚に告げる。それなりに身分の高い貴族なのだと、ここにきてヴィレッサにも推察できた。
手続きもなく門は開かれ、一行はさらに中心部へと進む。
貴族街へ入ると、また空気が一変したようだった。綺麗な建物の合間に、緑色もちらほらと目につく。庭付きの大きな家が多いのだ。
一際大きな屋敷の前まで案内されて、ヴィレッサたちは馬を止めた。
「シャロン先生は、何度か来てるんだよね?」
「ええ。ゼグート様から泊まっていくように言われてるわ。お世話になるんだから、ちゃんと御挨拶するのよ?」
ルヴィスが元気良く返事をする。どうやら貴族に対する物怖じとは無縁らしい。
その点はヴィレッサも同じで、小さく頷くと黒馬から降りようとした。
「手伝おう」
無愛想な声とともに、ディフリートが歩み寄ってきた。黒馬の上へ手を伸ばす。
馬から降りるのを手伝ってくれようとしたらしい。確かに、黒馬は大きいので、子供では飛び降りたら怪我をしそうなくらいの高さがある。
けれどディフリートが声を掛けてきた時には、もうヴィレッサはルヴィスを抱えていた。空中に魔力板を浮かべて、慣れた動作で地上へと降りる。
「大丈夫」
「……そうか」
ディフリートは噛み付いてきそうなほどに顔を歪めていた。苦々しげに呟いて手を下ろすと、じっと双子を睨んでくる。
戸惑うルヴィスを促して、ヴィレッサは屋敷へ向かおうとした。
「待て!」
野太い声が響いた。
呼び止められたヴィレッサだけでなく、周囲の皆が一斉に視線を注ぐ。
ディフリートが歩み寄ってくると、ルヴィスが小さく肩を縮めた。
むぅ、とヴィレッサは唇を引き結ぶ。
何のつもりか知らないが、ルヴィスを怯えさせるとは許せない。その無愛想な顔を蹴りつけてやろうか―――、
そうヴィレッサは腰を沈めた。
けれど同時に、ディフリートも膝を折って双子の正面で屈み込んでいた。
「辛い旅路であったろう」
ヴィレッサもルヴィスも目をぱちくりさせる。
ディフリートは仏頂面を固めたままだったが、ほんの僅かに目蓋を揺らした。
一瞬だけ優しげな眼差しが覗く。そっと伸ばした手でルヴィスの頭を撫でた。
「よくぞ辿り着いてくれた。本当に……心から感謝する」
周囲の者は一様に沈黙して、不思議な情景を見守っていた。
ルヴィスも呆然としたまま瞬きを繰り返す。だけど微かに、何かを言おうと唇が動いた。
そこでディフリートは頭を撫でていた手を離す。
次に、ヴィレッサにも手を伸ばそうとして―――、
「―――ディフリート様!」
唐突に割って入ってきた声に、動きが止まった。
声が響いてきた方向へ目を向けると、甲冑を着た騎士らしい数名の男達がいた。屋敷へと続く道をこちらへと駆けて来る。
「探しましたぞ。至急、城へと戻ってくださいませ」
「……誰の使いだ?」
「それは、その……」
騎士達は言葉を濁す。けれどディフリートには何かが伝わったらしい。
一段と表情を厳しく歪めると立ち上がった。
「すまんが、少々事情が変わった。後のことはゼグードと話すといい」
手短に告げると、ディフリートは騎士達を連れて足早に去っていく。甲冑の音を見送って、残されたヴィレッサたちは首を傾げた。
ぽつりと、ルヴィスが呟く。
「優しそうな人だったね」
「……うん。そうかも」
フードを目深に被り直しながら、ヴィレッサは思う。
頭を撫でるくらいは許してあげてもよかったかな、と。
さすがは侯爵家といったところだろう。門から玄関までの間に窺える庭も広く、冬でも咲く花が目を楽しませてくれる。腕の良い庭師を雇っているのだと察せられる。
侍女も丁寧に迎えてくれて、ロナやマーヤは却って恐縮していた。
荷物を運んで上着まで預かってくれるなど、これまで泊まった街の宿屋では考えられない上品な対応だ。
応接室に通されると、すぐにゼグードもやって来た。
「おお、ヴィレッサ殿、御無事でなにより! シャロン殿、ルヴィス殿も、息災なようで安心したぞ」
大袈裟なくらいにゼグードは喜んで、相変わらずの柔和な顔をさらに緩めてみせた。ロナとマーヤにも声を掛けて、労をねぎらうのも忘れない。
田舎の爺さんの家を久しぶりに訪ねたみたいだな、なんて思いながら、ヴィレッサも小さく口元を緩めた。
「旅の話なども聞かせてもらいたいがな。まずは、休まれるのがよかろう」
「うん。あたしも、ちょっと疲れてる」
ヴィレッサは何気なく、自然に言ったつもりだった。
けれど皆が一様に目を見開く。
「ふむ……ヴィレッサ殿がそう言うとは、余程のことだな」
「お姉ちゃん、大丈夫? 風邪とかじゃないよね?」
「すぐに休んだ方がいいわね。ゼグード様、失礼ですが部屋の方に……」
なにやら非常に納得し難い反応を返された。
ともあれ、ヴィレッサは敢えて反論せずに部屋へと案内されることにした。
客間はいくつも空いていて、一人が一部屋を使っても余裕があるそうだ。けれどヴィレッサにはルヴィスと一緒の部屋にあてがわれた。
その方が安心できるだろうと、事前にシャロンが話を通していたらしい。
部屋には、二人でも贅沢なくらいの広さがあった。ベッドだって枕を並べて寝られる。充分に疲れが取れそうだ。
「うわぁ。お布団もふかふかだよ」
「ん……」
喜ぶルヴィスに頷いてから、ヴィレッサは部屋の入り口へと振り返った。
「ちょっと、シャロン先生に言い忘れてることがあった。すぐに戻ってくる」
「え? お姉ちゃん?」
首を捻るルヴィスに手を振って、扉を閉じる。
辺りに誰もいないのを確認すると、ヴィレッサは廊下の奥へと向かった。なるべく足音も潜めつつ、見つけた小窓から外へと抜け出す。
そうして一人、空中高くへと駆け上がった。
『マスター、いったい何を?』
「さっきの騎士、ディフリートと話をしておきたい」
魔導銃の淡々とした口調に、微かな驚きが混じっているようだった。
ヴィレッサは地上から見咎められないよう、かなりの高さまで昇った。そうして足下の街へ目を凝らしながら、説明を口にする。
あの男が、父親かも知れないこと。
そして、その事実に、向こうも気づいているらしいこと。
いくらヴィレッサでも、あれほどの態度を見せられれば察せられる。だからこそ一刻も早く話をしておこうと思ったのだ。
下手にルヴィスと接触されると、困った事態になりかねない。
恐らくだが、自分が魔導士になるのとは意味合いが違ってくる。
いくら魔導士が貴族に準じる扱いを受けるとはいえ、元は平民、そこに血筋や家柄といった重みは関わってこない。
けれど貴族の血筋として迎えられれば、きっと世界が変わってしまう。
しかもディフリートは間違いなく上級貴族と言ってよい家柄だ。侯爵であるゼグードを呼び捨てに出来るほどで、普段から王城に出入りしている様子も窺えた。帝都での影響力も大きいのだろう。
どうして自分達は捨てられたのか―――興味がない、と言えば嘘になる。
けれどそれを確かめるよりも、いまはまず関わらないで欲しい。
邪魔な子供だから排除しようと向かってくるなら、いくらでも返り討ちにしてやれる。貴族だろうが皇族だろうが、ヴィレッサは容赦しない。
「まあさすがに、皇族ってことはないと思うけど……」
しかしもしも、何かしらの事情があって、家に迎えたいと言ってきたら?
血の繋がった家族との再会を、ルヴィスも望んでいるとしたら?
それが幸せを呼ぶか、不幸を招くか―――ヴィレッサには分からない。
『ならば、むしろ下手な接触は避けるべきでは?』
「……分からない。でも、釘を刺しておく」
事実を告げるとしても、せめてその時期くらいはこちらで調整したい。
だからともかく、ヴィレッサはディフリートと会って事情を打ち明けるつもりになっていた。赤ん坊の頃の記憶があると言えば、きっと奇妙に思われるだろう。
だが、そんなことは些細な問題だ。
これまでの旅でも、随分とルヴィスに迷惑を掛けてしまった。
皆を危険に巻き込んでいる自覚もある。
それでも目の前に迫る問題くらいは、可能な限り片付けておきたい―――。
「見つけた……!」
屋敷の前で別れてから、まださほど時間は経っていない。早々に挨拶を切り上げたのが功を奏した。
ディフリートは城の門をくぐったところで、そこから城内への道を進んでいた。城の中まで入られていたら、さすがに見つけるのは難しかっただろう。
まだ間に合う。追いつける。
そう小さく拳を握って、ヴィレッサは空中から駆け下りようとした。
『マスター、警戒を』
「え……?」
問い返そうとした直後、斜め下方から数発の炎弾が迫ってきた。
咄嗟の回避は間に合わなかったが、ヴィレッサに触れる魔術はすべて無効化される。炎弾も外套に焦げ目ひとつ付けずに消えていった。
だが、問題はそちらではない。
「―――侵入者だ! 警報を鳴らし、迎え撃て!」
どうやら勤勉な警備兵に発見されてしまったらしい。
さすがにヴィレッサは顔色を蒼ざめさせる。戦う訳にもいかない。
「子供だとて容赦するな! 殺しても構わん!」
物騒な怒鳴り声に肩を縮めつつ、ヴィレッサは全力で逃げ出した。
やっぱり幼女は自重できなかったよ……(´・ω・`)
次回は追いかけっこの予定です。




