第1話 帝都
柔らかな感触に全身が包まれている。頭を撫でる手も優しくて心地良い。
だけど違和感がある。
見上げる先には天幕があって、自分は豪奢なベッドに寝かされているのだと理解できた。布団やシーツも清潔感に溢れている。周囲に配置されている調度品も品が良い物ばかりで、随分と贅沢な部屋なのだと見て取れる。
恐らくは貴族の寝室なのだろう。
そして―――ああ、とヴィレッサは思い出した。
これは夢だ。幾度も見た、過去の記憶を思い返させる夢。
自分の隣にはルヴィスも寝ていて、赤ん坊らしい無邪気な笑顔を浮かべ、小さな手足をばたつかせている。なにやら嬉しそうに声も上げていた。
一緒に並んでいるのは母親だろう。
綺麗な金髪をしている。碧色の目を優しげに細めている。
いつの間にか、ベッド脇には一人の若い男も立っていた。腕組みをして眉根を寄せているが、緩みそうな表情を懸命に取り繕っているようにも見える。
鮮烈なほどに威圧的な眼差しが、なによりも印象的だった。
若い男の方は父親だろう。母親と親しげに話もしていた。
両親ともに、耳は”長くない”。
不思議な点はあったけれど、そう悪くはない夢だと言える。赤ん坊の身では何もできないけれど、家族の温もりに包まれているのは安心できる。
ただし、途中で終わってくれれば、だ。
この夢の終わりは、いつも凄惨なものだ。悪夢と言っていい。
厳しい顔をした別の男が、いきなり部屋に踏み込んでくる。そいつの手には短剣が握られていて、その凶刃を、ヴィレッサとルヴィスへと振り下ろすのだ。
真っ赤に濡れた耳が千切れ飛んで、悲鳴が上がったところで目が覚める。
今回もそうなるのかと、ヴィレッサは半ば諦めて、これから開け放たれるであろう扉へ目を向けた。
痛みを覚悟する。隣で眠っているルヴィスの手を握る。
だけど扉は開かれず、代わりに馬の嘶きが響いてきて―――、
「ん……? 馬?」
ぼんやりと目を開いて、ヴィレッサは首を傾げた。
途端にフードの隙間から寒風が吹き込んできて首筋を撫でる。小さく悲鳴を上げて、正面に座っているルヴィスを抱き締めた。
「お姉ちゃん、居眠りしてた?」
「ん、ごめん。うとうとしちゃった」
ヴィレッサとルヴィスは、黒馬に跨って街道を進んでいた。すでに帝都まで残り数日の距離へと迫っている。
いまにも空から雪が降ってきそうな天候だが、実のところ、ヴィレッサはさほど寒さには悩まされていない。『赤狼之加護』は防寒性能もばっちりで、ルヴィスに抱きついていると尚更に温かくて心地良い。
おまけに黒馬に任せれば、黙っていても間違わずに道を進んでくれる。
だから、つい気が抜けて睡魔に襲われてしまった。
「変な夢、見ちゃった……」
最近は滅多に見ることもなかったのに。でも、最悪な場面の前で起きられたのは良かったかな。
もしかして、黒馬が起こしてくれたのだろうか?
黒き悪夢って呼ばれるくらいだし、そういった能力を持っているのかも―――。
「……ま、いいか」
深く考えるのはやめて、黒馬の背を撫でた。
嬉しそうな嘶きが返ってきて、ヴィレッサも頬を緩める。
「休ませてあげたいけどね。あと少しだから、帝都まで頑張りましょう」
先頭で馬を進ませているシャロンが振り返る。常に周囲を警戒して、一番疲れているはずのシャロンに言われて、ヴィレッサも素直に頷いた。
両脇を固めているロナとマーヤも、同意しつつ話を向けてくる。
「馬に乗ったまま居眠りなんて、さすがにボスは肝が座ってるニャ」
「んん……誉められることじゃ、ないと思う」
「でもこの旅は、馬には恵まれたわよね。どの子も大人しいもの」
「怒らせると、凄いけどね」
ヴィレッサが小さく笑うと、マーヤは、はっとして目を見開いた。自分の常識がズレてきているのを、あらためて自覚したらしい。
「そうよね……黒き悪夢、でも……やっぱり大人しいのよね……」
「にゃはは。マーヤ、いい加減に諦めるニャ」
ロナの笑声に、マーヤは顔を顰めて睨み返す。だけどすぐに視線を外すと、街道の先を眺めて眼鏡を上げ直した。
「……本当に、もうすぐ帝都なのよね」
感慨の混じった呟きに、皆も一様に遠くへと視線を向けた。
帝都へ辿り着いても、そこですべてが終わりではない。むしろ始まりと言える。
まずは皇帝との面会を果たすのが、ヴィレッサの目的として定められている。けれど、その面会すらも上手く行くかどうかも分からない。
話の進め方次第で、皆の身の振り方も左右されるのだろうが―――。
「そういえば……」
ふと思い出したように、ルヴィスが切り出した。
「お姉ちゃん、皇帝陛下と会うつもりなんだよね?」
「うん。魔導士になれば、話はできるはず」
「だけど、えっと、謁見する時の礼儀作法とか、そういうのは大丈夫なの?」
あ、と声が上がる。
ヴィレッサだけでなく、全員が失念していた。
礼儀作法とか言われても知っているはずもない。なので、皆の視線は一点に集中する。困った時のシャロン先生頼みだ。
「参ったわね。私だって、帝国貴族の作法なんて詳しくないわよ」
「でも何も準備してないままだと……いきなり、無礼な!、とか言われるかも」
ルヴィスが不安げに表情を曇らせる。
けれど、ちらりとヴィレッサを窺った眼差しには、単純でない思考が滲んでいた。姉の身を案じつつも、そうなった時に暴れる事態の方を心配しているらしい。
そんなに短気じゃないよ、とヴィレッサは抗議の眼差しを返す。
でも有り得ないとは言い切れないので、口には出さなかった。
「まあ、そこまで厳しくないとは思うわ。平民から魔導士になる人も、それなりにいるって話だもの。多少は目を瞑ってもらえるわよ」
「ん。きっと、常識的に話せば大丈夫」
「お姉ちゃんは、その常識が一番足りないと思うんだけど?」
鋭い指摘を受けて、ヴィレッサは目線を逸らす。残念ながら言い返せない。
それにしても、最近、お姉ちゃんの威厳が失われている気がする。どうしてこうなったのか、礼儀云々より早急に検討したい。
そう思案するヴィレッサの願いは、しばらくは叶いそうになかった。
「帝都に着くまでに、特別授業でもしましょうか」
シャロンの提案は、多数決であっさりと決定事項へと変わる。
帝都まで残り数日。思い掛けぬ問題に、ヴィレッサは頭を抱えた。
◇ ◇ ◇
帝都エウィドグラード。
初めて訪れる者は、まずその威容に息を呑む。
都市を囲う高い城壁もそうだが、なによりも中心部にある黒い影に目を惹かれる。見事な造りの城を支えるように、その背後、巨大な剣が聳え立っている。
およそ人の業による物とは思えない。
神の手によって創造されたと信じる者も少なくない。
水晶を磨き抜いたような透明な剣は、切っ先を天へ向けている。雲を切り裂くほどの高さがあり、持ち手の部分は地下に埋まっているのか見て取れない。あるいは武具ではなく装飾品であるかのように、時折、陽光を反射して幻想的な光を散らしている。
断傲剣ルギフェルド。その本体である。
巨大な魔導遺物は、地下にある古代遺跡とも繋がっている。遺跡を利用する形で帝都が建てられたのだ。
広い城壁に守られた市街地も、活気に満ちて、何日か歩き回っても飽きないだろう。東西に伸びる大陸交易路の中心にあるエウィドグラードは、人や物や情報、夢も希望も絶望も、およそ手に入らないものは無いとまで言われている。
当然、出入りする人間はいつだって多い。
城壁に設けられた門は大きく開かれ、審査を行う兵士が忙しなく働いている。
「すごい、ね」
「うん! 想像してたよりも、ずっと! お姉ちゃんと一緒に来れてよかった!」
感嘆混じりに呟いたヴィレッサに、ルヴィスは大はしゃぎで同意する。旅の疲れなんて吹き飛んだみたいに、黒馬に跨ったままぶんぶんと足を揺らした。
帝都から少し離れた丘の上で、五人と四頭は壮大な光景を眺めていた。
シャロンによると、ここからの眺めが一番のお勧めらしい。
「街の中心部は少し高くなってるから、ここからでも見えるでしょう? 貴族街は整ってて綺麗だけど、下町も面白いわよ」
「人がいっぱいニャ。獣人族も普通に歩いてるみたいニャ」
「あっちにあるのは……魔術関係の建物? 学院かしら?」
ロナは嬉しそうに尻尾を振って、マーヤは眼鏡越しに目を凝らしている。
其々に興味を引かれるものがあるだろう。何日かは、街を巡る時間を取っても良いかも知れない。
そんな計画をぼんやりと立てながら、ヴィレッサは帝都の門へ目を移した。
「そろそろ行こう」
名残惜しさを覚えたけれど、いつまでも眺めている訳にもいかない。いまも大勢の人々が門の前に並んでいて、街に入るには時間を取られそうだった。
それに、一際大きな黒馬は目立つ。
街に入るまでに一騒動あるだろうと覚悟していた、が―――、
「迎えに来てくれたみたいね」
シャロンが目線で示した先から、数名の騎兵集団が向かってきていた。帝都へ向かう行列の横を逆行する形で、真っ直ぐにこちらへ駆けてくる。
黒き悪夢を警戒してやって来た、という様子でもない。
「ゼグード様に頼んでおいたのよ。帝都に着いたら、ヴィレッサが正式な魔導士になるための手続きとか、色々と便宜を図ってくださるように」
「そういえば……」
旅の途中でも、シャロンは野営時などに転移魔術であちこちに飛んでいた。村の皆と連絡を取っているのは聞いていたけれど、他の準備もしてくれていたのだ。
頼りになるなあ、と。
ヴィレッサは腰に伸ばし掛けた手を戻して、肩の力を抜いた。
兵士などが近づいてくると、警戒する癖がついてしまったらしい。
「よかった。すぐに街に入れそうだね」
「うん―――」
ルヴィスに頷こうとして、ヴィレッサは急に表情を強張らせた。
目線は、騎兵集団の先頭にいる男へと固定されている。まだ二十代後半くらいであろう、苛烈なほどに、威圧的な眼差しが印象的な男だ。
ルヴィスはまったく気づいた様子がない。当然だ。
しかしヴィレッサは、その男の顔をはっきりと覚えている。
男の方も、しばしヴィレッサの顔を見つめていた。けれど厳しく眉根を寄せたまま、やがてシャロンへと目を移す、二言三言挨拶を交わす。
そして、名乗った。
「ディアム……ディフリートだ。帝都の案内役を務めさせてもらう」
事務的に会話を済ませると、ディフリートは馬首を巡らせた。先導する形で、帝都の門へと進んでいく。
黒馬が歩むのに任せて、ヴィレッサも無言のまま後に続いた。
「お姉ちゃん、どうかしたの?」
「……なんでもない」
静かに首を振って、ヴィレッサはじっとディフリートの背中を睨んでいた。
自分の父親かも知れない男の後ろ姿を―――。
ディフリートさん、いったい何ムントなんだ……。
ともあれ、次回はようやく帝都内へ入ります。




