第18話 続く旅路、あと僅か
品の良い調度品が揃えられた執務室で、ギルアード・ハームズワーズは眉根に皺を寄せていた。レミディア聖教国宰相として様々な仕事に追われているギルアードだが、不機嫌を露わにすることは少ない。
仮にも貴族として、表情を取り繕うのに慣れているというのもある。
しかし慎重な行動を常とするギルアードには、己の計画が外れるという事態がそもそも少なかった。
「……では、『蛇毒石眼』も回収できなかったのだな?」
ギルアードが肘を置いた机の上には、人の頭ほどの大きさがある円柱型の魔導具が立てられていた。量産は可能だが、まだ貴重な通信用の魔導具だ。
繋がっている先は敵国である帝国領内。しかも報告をしてくる配下の者は、ある意味ではギルアードと反目している教会内部に密偵として入り込んでいる。
それだけ信用の置ける、冷静な判断が下せる駒だった。
遠隔地にあっても、これまでは比較的良い報告ばかりが聞けたのだが―――。
『申し訳ありません。自分では、ランドル様を止めることもできず……』
「いや、あれと『魔弾』をぶつけたのは計画の内だ。しかし……討たれたというのは、間違いないのだな?」
『死体こそ確認できなかったのですが、状況的にそうであるかと。連れて行ったという教会兵百名余りの死体は確認できました。焼かれた骨と装備だけですが、近隣の村で集めた情報からしても、『魔弾』は想定以上の力を持つようです』
眉間に皺を寄せたまま、ギルアードは低く呻る。
バルツァール城砦での戦いに参加した兵士から、『魔弾』に関する情報はかなり詳細に聞き取っていた。変形する魔導銃で、障壁が一切通用しないというのは厄介だと思えたが、『蛇毒石眼』の力であれば捕らえられると踏んでいたのだ。
そうなれば、帝国に対する大きな切り札が手に入った。
最高の人質。しかも二人。
上手く利用すれば、帝国を二分、三分する内乱さえも引き起こせるだろう。
「まさかとは思うが、魔術を無効化できるのか? 『怨霊槍』に対しても圧倒してみせたという話であったが……」
『ギガ・アントの体液を浴びても、傷一つ負わなかったという情報もあります』
「うむ……魔導銃にばかり目が行っていたが、もうひとつの遺物の能力かも知れんな。『赤狼之加護』と言ったか」
想定以上の化け物ということか―――。
人差し指で机を叩きながら、ギルアードは思案をまとめる。
『魔弾』と、その双子の捕縛は実に魅力的だ。計画を数年は前倒しできる。
だが不用意に危険を避けてきたからこそ、いまの成功があるのだ。
「赤子の内に捜索が成功していれば……いや、今更言っても仕方のないことだな」
ギルアードは頭を振ると、思考を切り替えた。
無理はするべきではない、と。
「どうせ一度は捨てた計画だ。今回は、危険分子の処分だけで良しとしよう」
強力でも暴走する恐れのある駒は使い難い。
そういった意味では、ランドルの死は望ましいものとも言えた。
「おまえは引き続き情報を集めろ。『魔弾』が帝都へ向かっているならば、そこでまた何かしらの動きがあるやも知れぬ」
『はっ、承知致しました』
通信を切ると、ギルアードは肘を付いて額を手に乗せた。
なにもかもが計画通りとはいかないものだ、と軽く息を落とす。
さほどの落胆はない。けれど胸には警戒も生まれていた。
「軍の再編を急がせるか。それと、西方諸国の動きも……」
若干の躊躇いが呟きに混じる。しかし思考は高速で巡り、決定を下している。
次は、誰の影に隠れて行動を起こすか―――、
薄暗い微笑を浮かべながら、ギルアードは机の上にあった呼び鈴を鳴らした。
◇ ◇ ◇
ランドルによる襲撃から一夜が明けて、ヴィレッサたちは旅を続けていた。
石化された村を元通りにする際には一騒動があった。
戦闘直後は、さすがにシャロンも魔力が尽き掛けていたので、数名を治療するのが限界だった。事情を説明して、休憩を挟んで村全体への治療術を施して、大規模魔術に驚かれて感謝されて―――、
まあ、ヴィレッサはほとんど見ていただけだ。
「シャロン先生、疲れてる?」
馬を並べて歩ませながら、欠伸をしたシャロンの顔を覗き込む。
魔力切れというのはヴィレッサには分からない感覚だ。けれど意識を失うほどだと聞かされていたし、若干蒼ざめたシャロンの顔を見れば心配にもなる。
「大丈夫よ。もう一晩くらい休めば、ほとんど回復するわ」
シャロンは柔らかく微笑む。無理をしている表情という訳でもなさそうだ。
一緒に黒馬に跨っているルヴィスも、小さく頷いていた。
「今夜は、私達で御飯を作りますね。ね、お姉ちゃん?」
「ん、手伝う」
頑張る、とは言わない。あくまでお手伝いだ。
ヴィレッサだって料理ができなくはないが、薄く皮を剥いたり、同じ大きさに切ったりするのは苦手だった。どうにも大雑把になってしまう。
だけどお姉ちゃんなので、威厳が漂うように胸を張っておく。
「ふふっ。本当に、どっちがお姉ちゃんか分からなくなりそうね」
「……あたしが、お姉ちゃんだよ?」
ちょっとだけ頬を膨らませて、正面に座るルヴィスに同意を求める。
ルヴィスはうんうんと頷くと、振り返って、ヴィレッサの頭を優しく撫でた。
「……なんだか間違ってる気がする」
「いいの。お姉ちゃんは、私が支えるんだから」
自信たっぷりに言って、ルヴィスは太陽みたいに微笑む。
シャロンの笑声も柔らかく流れていく。
まるで、故郷の修道院に戻ったようで―――、
だからヴィレッサも目を細めて、心地良い温もりを抱き返しながら誓う。
この笑顔だけは絶対に守ってみせる、と。
野営の作業は、ロナとマーヤが手早くこなしてくれる。人数が増えても作業量はさして変わらない。慣れたものだ。
「マーヤ、足りない触媒はあるかニャ? 薪集めのついでに探してくるニャ?」
「いまのところは充分よ。猫の尻尾くらいかしらね」
「ニャッ!? あちしの尻尾はあんまり触媒には向かないニャ!」
「冗談よ。っていうか、アンタ、自分が狼ってこと完全に忘れてるでしょ?」
そんな二人を横目に、ヴィレッサもルヴィスと食事の準備を進めていく。
「お姉ちゃんは、これとこれを洗って」
「うん」
「あと、お皿も並べておいてね」
「うん」
「それが終わったら、メアの相手をしてあげて」
「……皮剥きくらいできるよ?」
「手を切らなくなったらね。それと、勝手に味見しちゃダメだよ」
「……うん」
そんなこんなで食事も済ませると、五人と四頭は早々に寝床につく。
街道から少し逸れただけの雑木林で、見張りも立てずに休んでしまう。もちろん無警戒ではなく、魔術による結界や、黒馬やロナの感覚を信じてのことだ。
この夜、最初に眠りについたのはシャロンだった。やはり疲れていたのだろう。
そのシャロンの背中に乗ってマッサージをしていたルヴィスも、重なるようにして、いつの間にか静かな寝息を立てていた。
「……無理しすぎないといいけど」
無防備な寝顔を見せている妹に毛布を掛けて、ヴィレッサはそっと頭を撫でた。
気丈に振る舞っていたルヴィスだが、初めての旅で、次々と深刻な事態に巻き込まれたのだ。疲れていないはずがない。
本当なら、もっと安全な場所にいて欲しい。
だけど自分と一緒にいることを選んでくれたのは、とても嬉しくもある。
「さて、と……」
なんとなく目が冴えているのもあって、ヴィレッサは身を起こした。真っ赤なフードを被り直して、天幕の外へと足を向ける。
少し離れた場所で休んでいる黒馬が、静かに目を開けた。
こちらへ向けられた視線に手を振って、眠っているように伝えると、ヴィレッサはなんとなしに夜闇の奥へと歩いていく。
かなり寒さが厳しくなってきた。いつ雪が降ってもおかしくない。
肩を縮めながら、ヴィレッサは外套のポケットへ手を入れる。腰に下げたままの魔導銃に指を這わせた。
『何かありましたか?』
「いや……ただちょっと、これからのことを考えたくて」
どうにも胸がざわつく。それは、漠然とした不安だろうか?
帝都へ赴いて皇帝に会う。その目的自体には何ら憂いを覚えない。
在るとすれば、自分以外に対するものだろう。
つい昨日の戦闘でも、危うく皆が石にされかけて―――、
その元凶である『蛇毒石眼』は、まだヴィレッサが服の内に収めていた。
「こいつは、あたしには使えないんだよな?」
『肯定。大多数の魔導遺物は、無効化魔素を適切に扱えません』
「まあ、変に肉体改造されるのも嫌だけどな」
石化能力はともかく、自身への治癒能力は魅力的に思えた。
けれど使えないというなら仕方ない。帝国の然るべき相手に渡して、安全に管理してもらうのが良いだろう。
シャロンやルヴィスが使えたら、とも考えはした。
けれど身近な者に贈るには、どうにも不気味で物騒すぎる気がする。
「もっとしっかりと、みんなを守れる力があればな……」
『申し訳ありません。私の力不足です』
「ああいや、そんなつもりで言ったんじゃない」
ヴィレッサは困惑混じりに苦笑いを零す。
これまで自分の無茶に付き合ってくれた相棒に対して、感謝こそあれ、文句など言うつもりはなかった。
けれどやはり、夜闇を眺める瞳にも不安が滲んでしまう。
そんなことを考えるのは無駄かも知れないが―――。
「もしも……皇帝と敵対したら、どうなる?」
『『断傲剣ルギフェルド』、ですか……』
大陸に名を轟かせる、帝国の歴史を支え続ける魔導遺物だ。
いくつもの詩に登場するその力は、比喩ではなく、十万の軍勢に匹敵する。
『私は『極式』を冠した魔導遺物です。すべての魔導遺物の上位に存在します』
ですが、と。
淡々とした魔導銃の声に、微かな憂いが混じっていた。
『人の世界は複雑です。上位にあるものが、必ずしも望む結果を得られるとは限らないのではと、最近では考えるようになりました』
「……そうか」
ヴィレッサはほっと息を吐く。
腰にある相棒を軽く叩くと、子供みたいに頬を緩めた。
「なら、安心だな」
『……? どういう意味でしょう?』
「皇帝が、ただの子供に頭を下げてもおかしくないってことだ」
小さく肩を揺らすと、ヴィレッサは踵を返して野営地へと足を向けた。
すぐに温かな焚き火が見えてくる。
『マスターは、いささか楽観的すぎると判断します』
「いいんだよ。悲観的な考えなんて、蜂の巣にして転がしちまえ」
『了解。全力を尽くします』
天幕に入ると、一人分だけ空いている寝場所へ身を横たえる。
毛布を被って、ルヴィスの寝顔を確かめて、シャロンに抱きつくようにして目を閉じた。ほどなくして心地良い眠気に包まれていく。
帝都まで、あと十日余り―――、
ちらほらと降りだした雪にも気づかず、ヴィレッサは一時の休息に身を委ねた。
これにて第二章終幕。
次回から第三章、そろそろ戦記モノっぽく大規模戦闘もある、かも?




