第14話 刺客
久しぶりに、新たな魔導遺物の登場です。
帝都近く、とある街の教会で、一人の司祭長が震えていた。
偉大なるモゼルドボディアに己の罪を告白する時でさえ、これほどの緊張と恐怖は覚えない。彼は敬虔な信徒を名乗り、神が人に罰を与えるほど暇ではないと確信できるくらいには、知恵が働く男だった。
だから自分を庇護してくれているレミディア聖教国に関しても、ある程度の情報は常に押さえている。目の前で不機嫌そうに肘をついて座っている男についても、不幸ながら耳にしていた。
「聖職者という奴等は、やはりつまらんな」
ランドル・リオーダン。近衛十二騎士、六位。
騎士の頂点たる地位にありながら、最も”敬われていない”男だ。
彼の部下となって、些細な理由から殺された者は数知れない。戦場で殺した敵は多いが、味方もやはり数え切れないほど犠牲になっている。
教会の重要な地位にあった者も、過去に幾名か惨殺された。地方に勤める司祭の命など、「太陽が昇ったから」なんて理由で捻り潰されてもおかしくない。
一言で表すならば、無法。
しかしそれでも近衛十二騎士であり、ある程度は行動を制限されている。
その男が何故、敵国である帝国領内に?
わざわざ転移魔術を使ってまで、それほどに重要な何かが動いているのか?
尽きない疑問が司祭長の頭の中を巡っていたが、いまはそれよりも、己の命を守る方が重要だった。
「どいつもこいつも、俺の顔を見ただけで怯える。もっと他の反応はできんのか? それとも、それほどまでに俺の顔は醜悪だとでも言いたいのか?」
「い、いえ、けっしてそのようなことは! 実に整った顔立ちであられると……」
「ほう。整った顔立ちか。それだけか?」
司祭長は逃げ出したい衝動を抑え込みながら、懸命に愛想笑いを作る。
あながち方便ばかりではない。まだ三十代に入ったばかりのランドルは精悍な顔立ちをしていて、社交の場に出ればそれなりに女の目を惹きつけるだろう。体格も豪奢な甲冑を着こなせる程度には鍛えられている。
いくらでも誉めようはある。司祭長は思いつく限りの美辞麗句を並べ立てた。
「腕に自信のある宮廷画家でも、ランドル様の肖像画であれば喜んで描きたがるでしょう。私も、己の非才を今更ながらに悔やむほどで……」
「ふん。肖像画、か」
頬杖をついたまま、ランドルは自分の顔を指先で撫でた。
まるで、『それ』を意識させるように。
「悪くないな。貴様が描いてみるか?」
「い、いえ、お言葉は有難いのですが……」
「俺も一枚くらいは自分の顔を残しておきたい。素顔のままの姿をな。貴様が望むならば、この眼帯の下を見せてやってもよいぞ?」
ランドルが歪んだ笑みを浮かべる。
まるで、これから小動物をくびり殺すかのように。
司祭長は卒倒しそうな顔をして、地面に頭を擦りつけた。
ひたすらに許しを乞う。
何が拙かったのか分からないが、ともかくも命を守らなくてはいけない。
眼帯の下にあるという『蛇毒石眼』、その恐ろしさは聞き及んでいるのだ。
「どうか、どうかそれだけは御赦しを!」
「……つまらん。もっと面白い命乞いはできんのか?」
吐き捨てて、ランドルは司祭長から視線を外した。
部屋の中を見回すが、教会の応接室にはこれといって珍しい物はない。テーブルに置かれた酒と軽食は、そこそこ上質なものだったが、ランドルにとっては退屈を紛らわすにも足りなかった。
「だいたい、いつまで俺を待たせるつもりだ? 『魔弾』の行方はすぐに掴めると聞いていたのだぞ?」
「はっ、はい。動向は把握しております。詳細な滞在場所も間も無く……」
「今日中に探し出せ」
有無を言わせぬ口調で告げて、ランドルは手にしたグラスを放り投げた。
グラスは重い音を立てて床に転がる。脆いはずの容器は割れず、中身すら一滴も床に零れない。
何故なら、それはすでに暗灰色の石と化していたから。
「探し出せなければ、次は貴様がそうなる」
司祭長は床に這いつくばったまま、ひたすらに頷きを繰り返す。
命綱となる情報が届いたのは、司祭長の体が半ばまで石化してからだった。
◇ ◇ ◇
吐いた息が白く染まる。フードの隙間から入ってくる空気が冷たい。
赤狼之加護の防寒効果があるとはいえ、過ごし易い季節が恋しくなる。
正面に座ったルヴィスの温もりに甘えながら、ヴィレッサは馬上で揺られていた。
目指す場所は、帝都。
目的は、ひとまず皇帝陛下と”お話し合い”をすること。
「雪が降る前に帝都まで辿り着けるか、微妙なところね」
先頭で馬を進ませているシャロンが、曇り空を見上げながら呟いた。
隊列は、シャロンが先頭、その斜め後ろにヴィレッサとルヴィスを乗せた黒馬が続いて、両脇をロナとマーヤが守っている。
さらに、上空には探索鳥が飛んで警戒を続けている。
ガーゼムの街を出た時から、五人と四頭はこの布陣を敷いていた。
旅路で警戒心を失わないのは当然だ。女性ばかりで狙われ易いという理由もある。けれどこの一行は、見た目と人数と比べて圧倒的に戦力過多なのだ。並の夜盗どころか、そこらの領主軍でさえ一掃できる。
そんなヴィレッサたちが警戒心を高めているのには、それなりの理由があった。
「さすがにもう、アイツラも諦めたんじゃないかニャ?」
「そうね……暗殺者とはいえ、割に合わない仕事はしないでしょうし」
ここ数日、明らかに”殺し”を生業としている者達に狙われていた。
隠密術を使っての待ち伏せをされたり、探索鳥が落とされたりもした。一般的な解毒術が通じない毒を剣に塗っている者もいた。誰も傷一つとして負わなかったが、ヒヤリとさせられる場面はあった。
お返しとして、十数名ほどを地獄送りにしてやったが―――、
それでも、誰が何の目的で送り込んできた刺客なのかは分からなかった。
「今度は、こっちが油断したところを襲ってくるかも知れないね」
「ん。ルヴィスが言うなら、そうかも」
「次が来たら、なるべく捕まえる方向でいきましょうか」
何も起こらない方が望ましい。
けれど自分達の置かれた状況は、しっかりと把握しておきたい。
実の所、狙われる理由には思い至っていた。
「やっぱり、モゼルド教会の仕業なのかな?」
ヴィレッサの呟きを、誰も否定はしなかった。
悪いことには、だいたい奴等が関わっている。経験則だ。けっして偏見じゃない。
それに加えて―――。
「まあ、前の街でもひとつ潰しちゃったものね」
ガーゼムの街を出てから十日余りだが、その旅程でも教会の悪行は目についた。
とはいえ、さすがに前回ほど大きな騒ぎにはならなかった。ただちょっと神父や教会兵を縛り上げて、犯罪の証拠とともに街の住民へ突き出し、教会の建物を爆破しただけだ。
一人も殺していない。平和的な解決、とヴィレッサは胸を張れる。
けれど教会勢力からしてみれば、目障りなのは当然だろう。
「バルツァールでの活躍も、そろそろ帝都で唄われてる頃ニャ」
「そういえば教会の異端狩り部隊はしつこいって話も……いえ、さすがに帝国領内での活動は難しいでしょうね」
マーヤが首を振って、ロナが一瞬だけ怯えるように肩を縮めた。
レミディアから逃げてきた二人にとっては、教会からの追っ手というのは忘れたい存在だ。ひとまず安心できる場所まで逃げたとはいえ、頭の片隅には嫌な記憶が残っているのだろう。
「心配しないでも大丈夫!」
口を開きかけていたヴィレッサだが、先に言われてしまった。
ルヴィスが背後に体重を預けつつ、皆を見回して微笑む。
「私達みんな一緒だもん。どんなことだって出来るよ」
同時に、ルヴィスの手元で魔法陣が弾けた。シャロンから新たに教えてもらった術式を、先程から練習していた。
柔らかな光が広く散らばって、冷えた空気に熱が灯っていく。
術者を中心として周囲の気温を一定に保つという、旅には嬉しい術式だ。
あまり適性に左右されずに使えて、冬や夏には日々の暮らしの中でも役に立つ。ウルムス村では、この術式を十歳までに覚えるのがひとつの課題となっていた。
ちなみに、ヴィレッサはどんなに頑張っても使えそうにない。
「うん、合格ね。だけどもう少し魔力を絞ってもいいわよ」
「はい。このままだと、すぐに魔力切れになっちゃいそうです」
「持続系の術式は、慣れないと難しいからね。でも魔力量を増やす鍛錬になるし、慣れれば一日中でも使っていられるわよ」
シャロンにとって、ルヴィスは先が楽しみな生徒でもあるのだろう。
では、自分はどうなのか―――ふと寂しさを覚えたヴィレッサだったが、すぐに頭を振って嫌な考えを打ち消した。
大切にされているのは疑うべくもない。命懸けで守ろうともしてくれたのだ。
普通に成長して、普通の子供らしく恩を返すというのは難しいかも知れない。だけど、他にもいくらだって方法はある。
自分たちは、これから先もずっとずっと一緒にいるのだから。
「お姉ちゃん、聞いてる?」
「ん……魔力量は、使えば使うほど増える?」
「簡単に言うと、その通りね。だけど使い過ぎは本当に危ないのよ。無理をして、気絶して、そのまま目が覚めなくなる人もいるんだから」
他の教師と比べたことはないが、シャロンの講義はきっと分かり易いのだろう。隣で馬を進ませているロナとマーヤも興味深そうに耳を傾けていた。
「先生! 魔術の暴走を抑えるにはどうしたらいいのかニャ?」
「一番簡単なのは、直操式魔術を使わないことね。魔素を直接操るのは、本当に難しいのよ」
「私の師匠は、いつでも直操式でしたけど? 魔女だからって言ってました」
「そういう人もいるわね。よほどの才能があって、鍛錬も兼ねているんでしょうね。でも暴走を考えたら、私は怖くてやりたくないわ」
そんな魔術談議も交えながら、ヴィレッサたちは街道を進む。
変化が訪れたのは夕刻、空の雲が暗色に染まり始めた頃だった。
「っ……そのまま静かに聞いて」
シャロンが緊張を纏い、低く潜めた声で告げた。
全員が頷きつつ、馬の速度を僅かに落とす。
「このまま進むと、百名くらいの集団が待ち構えてるわ。装備からして教会兵ね。向こうの探索鳥も飛んでるから、私達の位置も間違いなく掴まれてる」
「待ち伏せ……?」
ヴィレッサは首を捻る。
百対五と言うと数字だけなら圧倒的に不利だが、ヴィレッサたちを抑えるには少な過ぎる戦力だ。ある程度の情報を持っているならば、向こうもそれは承知しているはず。
情報が届いていないのか、蹴散らされるのを承知で挑んでくるのか、
あるいは、そうでないとしたら―――。
「先頭に立ってる男は、教会兵とは雰囲気が違うわね。着てる甲冑も、手の込んだ物だし……眼帯をしてて……」
「まさか、魔導士……?」
ルヴィスの呟きに、全員が眉を顰める。
教会とレミディア聖教国は繋がっている。その気になれば、教会関係者として転移魔術師を送り込み、さらに魔導士を連れてくることも可能だろう。
転移魔術で送れる人数は限られる。しかし強力な魔導士を敵国へ送り込めば、ほんの数名でも充分な脅威となる。実際、重要な拠点や人物のみを狙う戦術は、過去に幾度か試されていた。
しかし、そんな戦術は割に合わない、というのが結論だ。
強力な魔導士でも人間である以上は、永遠には戦い続けられない。大勢に囲まれれば苦戦は必至。危なくなったら逃げられるように転移魔術師を守りながら戦う、というのも現実的ではない。
さらにバルツァール城砦や帝都といった重要な拠点には、直接に転移できない。転移術を防ぐ持続系魔術、所謂、結界が張られているのだ。シャロンが帝都へ転移可能だと言っても、正確には、帝都の入り口前までしか飛べない。
国の重要人物や魔導士は、普段から、そういった結界がある場所に詰めている。だから強襲しようにも返り討ちにされる。貴重な魔導士と転移魔術師を失い、魔導遺物まで奪われる破目になる。
けれど、狙うべき相手が呑気に旅をしていたら?
しかも、その先々で派手に暴れて、名乗りまで上げて、居場所が明らかだったら?
敵国からすれば、これほど狙いやすい相手もいないだろう。
「目立ちすぎたかなぁ」
ヴィレッサは申し訳なさそうに呟いて、視線を空中に彷徨わせる。全員からじっとりとした眼差しが向けられていた。
だけど、自国内で敵国からの刺客を警戒しろというのが、そもそもおかしな話なのだ。
「まあ確かに、情報が筒抜けってのは異常事態よね。帝都のゼグード様も、その点は気にしてたわ」
「ボスの暴れっぷりが、それだけ過激だったんじゃないかニャ?」
「ある意味、相手にとっても異常事態でしょうね」
誉められているのか、呆れられているのか。
渋い顔をするヴィレッサだったが、今更、過去の行動を悔いても仕方ない。
それよりも、と話を区切ったのはルヴィスだった。
「ここからどうやって進むか、ですよね?」
全員が頷いて、方針を決める。選択肢はふたつだ。
多数決の結果は―――、
迂回して逃走、四票。
正面突破、二票(黒馬含む)。
「むぅ……」
「そんな顔してもダメよ。ヴィレッサだって、戦いたい訳じゃないでしょう?」
「それはそうだけど……」
放っておけば何をされるか分からない。被害が出る前に片付けるべき。
そう訴えるヴィレッサだったが、シャロンは静かに首を振った。
「いまは、自分達の安全を第一に考えなさい」
シャロンは馬を寄せると双子の頭に手を乗せた。ぽんぽん、と優しく撫でる。
ほんの少しだけ、ルヴィスに対する時間の方が長かった。
なによりもルヴィスを守れ、と言いたかったのだろう。
「ん……分かった」
「いい子ね。それじゃあ、ここからは森へ入りましょう。相手の探索鳥は私が潰すけど、見つからないように―――」
馬首を巡らそうとしたシャロンだが、急に言葉を切り、眼差しを鋭くした。
直後、上空から赤々とした光が降り注ぐ。
人を呑み込むほど大きな火球。それも無数に。
戦術級魔術による攻撃が、ヴィレッサたちを包み込んだ。
次回、『魔弾』vs『蛇毒石眼』
あ、でも多数決だと戦わずに逃げることに……?




