第13話 新たな出発
骸狂戦士の討伐から数日、ガーゼムの街はひとまずの平穏を取り戻していた。
大勢の兵士が命を落としたので、弔うだけでも苦労は多かった。遺体が残されていたのはファイラット男爵をはじめ数名のみだが、葬儀は街全体で行われた。
反乱を起こした近隣の農民たちは、教会に騙されたということで減刑をされた。全員の首を切れば、また新たな混乱を生じるという事情もある。主謀者に近かった者のみを処断して、あとは多少税を重くするのみで解放された。
街の復興はこれからだろう。領主の後継問題もある。
本来なら、すぐさま帝都へ報せて、次の領主を決めなくてはいけない。ファイラット家が続くとしても、成人前のエリムが当主として認められるのは難しい。さらには骸狂戦士という、尋常ならざる化け物の出現も報告しなくてはいけない。
そういったややこしい事情に関しては、シャロンが積極的に動いていた。
転移術を活用して、ヴァイマー伯爵や、帝都にいるゼグード侯爵にも相談している。なにやら難しい顔をして帰ってくる時もあったが、「任せておきなさい」と頼もしげに胸を張っていた。
だからその言葉を信じて、ヴィレッサはのんびりと過ごさせて貰っている。
しばらくは領主屋敷の客間で寝泊りさせてもらって、昼間はルヴィスと一緒に本を読んだり、黒馬と遊んだりして過ごしていた。やや手持ち無沙汰ではあったけれど、久しぶりの穏やかな時間に文句を言うつもりはなかった。
おやつも美味しかったから。
「これ、大学芋……?」
「ん? 私が作ったんだよ。カルトフ芋の糖蜜揚げ。美味しいでしょ?」
黄金色の蜜が絡みついた新作おやつを、ルヴィスが口元へ差し出してくる。
甘い香りに誘われるまま、ヴィレッサはぱくりと齧りついた。
その途端、口の中に幸せが広がっていった。
「うん。甘くて贅沢」
「そうでしょ。これね、お茶ともよく合うんだよ」
嬉しそうに頬を緩めたルヴィスは、自分の口にも黄金色の塊を放り込む。
はむはむと咀嚼して、うっとりと目を細めた。
「キールブルクから少し離れた島でね、トゥービっていう植物を育ててるの。その茎から砂糖が取れるんだよ。ちょっと値段は高いけど、お菓子のレシピとか、砂糖を取り易くする道具の設計図とかと交換してもらったの」
「レシピって、この糖蜜揚げの?」
「うん。あと、お姉ちゃんが作ったコロムクリームも」
にへらっ、と。
ちょっと申し訳なさそうに笑いつつ、ルヴィスは尋ねてくる。
「ごめんね。勝手に売っちゃって……ダメだった?」
「ううん。全然」
ヴィレッサは静かに首を振った。
元々、ルヴィスやシャロンとも協力して作ったものだ。独り占めするつもりはない。それに、ルヴィスが必要だと思ったからそうしたのだろう。
「でも、契約とかちゃんと出来たの?」
「大丈夫。そこはシャロン先生にも間に入ってもらったの。あと三年は、砂糖なら好きなだけ使えるよ」
「……ルヴィスって、もしかして天才?」
どんな交渉があったのだろう?
相手の商人を泣かしていないだろうか?
一抹の不安を覚えたヴィレッサだが、それよりもいまは糖蜜揚げの美味しさの方が大切だった。一口を噛み締めるたびに、また頬が緩んでいく。
「キールブルクって港町だよね? 賑やかなのかな?」
「うん。とっても。色んな物があってね、あと、お魚も美味しいよ」
「ルヴィス、食べ物のことばっかり」
「そ、そんなことないもん! 船とか、えっと、お洒落な服とかも見てるよ!」
とりとめもない話をして、シャロンが帰ってくるのを待つ。
そんな時間は、あっという間に過ぎていった。
二ヶ月余りも離れていたのだ。話すことはいっぱいあった。
「え? じゃあロナさんって狼人族なの?」
「うん。犬と間違えると、少しだけ怒る」
「そっか、聞いておいてよかった。猫人族とのハーフでもないんだよね?」
「……あれは、ただの口癖」
なんとなしに、ヴィレッサはルヴィスの肩に寄り掛かった。
触れ合う温もりが心地良い。お腹も膨れて、少しだけ眠気も覚えていた。
「キールブルクには、村の皆もいるんだよね?」
「うん。お姉ちゃんが帰ったら、大喜びしてくれるよ」
「そっか……また、お祭りもしたいな」
睡魔に誘われるまま目蓋を伏せる。
いつしか静かな吐息が重なって、双子は小さな手を握り合って眠っていた。
深夜―――、
領主屋敷の庭を、小さな影がこそこそと動いていた。周囲を窺いながら慎重に足を進めていて、明らかに不審者だと思われる。
警備を務める兵士の怠慢が疑われるところだが、この場合は責めるのも酷だろう。その影は外からでなく、屋敷の内から出てきたのだから。
庭の端にある馬小屋に入って、影は可愛らしい声で呟いた。
「こんな夜中に、悪いな」
ヴィレッサだ。赤狼之加護をしっかりと着込んで、背中には大きな鞄も背負っている。馬小屋の奥へ足を進めると、そこで休んでいた黒馬をそっと撫でた。
起きてたのか? 黒き悪夢なのだから夜行性なのだろうか?
そんなことも考えつつ、ヴィレッサは小声で語り掛ける。
「ちょっと……とは言えねえな。少し面倒な旅になりそうだけど、付き合ってくれるか?」
黒馬は一度、不思議そうな眼差しをヴィレッサへ向けた。
けれどすぐに頷くみたいに嘶いて立ち上がる。伸びをするような動作をしてから、馬首を巡らし、頼もしげに背中へ乗るよう示した。
『マスター、本当によろしいのですか?』
ヴィレッサが黒馬に跨ろうとしたところで、服の内側から問いが投げられた。
しかし、何を今更、とヴィレッサは首を振る。
「もう決めたことだ。充分に休ませても貰ったからな」
『ですが、皆様に相談した方がよいとも考えられます』
「いいんだよ。あたしが勝手にやることで、迷惑は掛けたくねえ」
相談したら、きっとシャロンやルヴィスは止めようとするだろう。
心配も掛けてしまう。それくらいは、ヴィレッサだって理解している。
だけど、それでも―――あのおぞましい光景が忘れられない。
「骸狂戦士だけじゃない。ギガ・アントや、バルツァールでの戦いもそうだ。起こらなくていい、誰も望んでない出来事が多過ぎる」
『だからといって、マスターが解決する必要はないのでは?』
「放っておいたら、もっと大きな事件になる。巻き込まれる人間が増える」
その時には、また大切な人が犠牲になる―――。
ウルムス村の惨劇が脳裏に浮かんで、ヴィレッサは顔を顰めた。
「あたしには力がある。過信はしたくねえが、怯えて縮こまってるのは嫌だ」
『……マスターの身を守るのは、私の責務であり、存在意義です』
「なら、これからも頼っていいよな?」
『肯定。この身のすべては、マスターとともに在ります』
服の上から魔導銃を撫でて、ヴィレッサは顔を上げた。
今度こそ、と黒馬に乗るために空中へ魔力板を浮かべる。
「みんなのことなら大丈夫だろ。シャロン先生もいるし、手紙も残したし……」
「そういえば、手紙の書き方は教えてなかったわね」
唐突に、横合いから涼やかな声が投げられた。
ヴィレッサは硬直する。足を空中に踏み出そうとした姿勢のまま。
頬を引き攣らせながら首を回すと、その視線の先、馬小屋の入り口にシャロンが立っていた。
腰に手を当て、胸を張って、一枚の紙切れを掲げている。
「一文だけ、『探さないでください』じゃないわよ。こういうのは手紙じゃなくて書き置きって言うの」
「お姉ちゃん、これは私も酷いと思うよ?」
ルヴィスもいた。
シャロンの脇に寄り添って、やれやれと溜め息を吐く。
どうやらヴィレッサの行動は見抜かれていたらしい。バレないように気を配ったつもりだったが、シャロンやルヴィス相手なら仕方ないとも思う。
それでも若干の悔しさもあって、じっとりと睨み返してしまう。
シャロンたちに対してでなく、その後にいた二人に対して。
「あ、あちしは悪くないニャ! ちょっと匂いが違うって言っただけニャ!」
「ちょっ、盾にするんじゃないわよ。私は何も……」
なにやら醜い争いをしながら、ロナとマーヤがこちらを窺っていた。
短い間とはいえ、一緒に死線をくぐり、旅をした仲だ。普段と違う気配をロナが察して、マーヤが警戒していた、といったところか。
ああ、とヴィレッサは口元を綻ばせる。
そうして黒馬を撫でて小屋へ戻すと、待っている四人へ歩み寄った。
「帝都へ行こうとしたんでしょう?」
一歩前に出たシャロンが問い掛ける。
もはや確認に近い口調で、ヴィレッサも素直に頷いた。
「魔導士になったからって、誰も彼もを救えはしないのよ?」
「分かってる……だけど、何もしないでいるのは我慢できないから」
みんなを幸せに、なんて大それた考えは抱いていない。
だけどせめて、自分の周りにいる人には笑って暮らしていて欲しい。
それは子供の純粋な願いか、我が侭か、まだ分からないけれど―――。
「何もしないでいたら、きっと手遅れになる。村の人や、シャロン先生やルヴィスだって……以前みたいに逃げられるとは限らない」
「……そうね。大きな戦いになる前に、その芽を摘むのは悪くないわね」
だけど、と。
シャロンはヴィレッサに歩み寄ると、その頭に軽く拳骨を落とした。
「一人で行く必要はないでしょう?」
「そうだよ、お姉ちゃん。あたしだって旅くらいできるんだから」
二人は頼もしげに笑ってみせるが、ヴィレッサとしては歓迎できない。
そう言われるとも思ったから、こっそり旅立とうとしたのだ。
「ボス、大丈夫ニャ。あちしらもついてるニャ」
「根拠のないことは言えないけど……まあ、帝都を見ておくのは悪い経験じゃないわよね」
どうやら五人での旅路にはなるのは決定事項らしい。
嬉しくもあり、でも素直に喜べず、ヴィレッサは眉根を寄せる。
「だったら、四人は先に転移術で……」
言い掛けて、口を閉じる。シャロンとルヴィスが物凄い形相で睨んできた。
こうなってはもう、受け入れるしかない。
だけど念の為、最後の確認をしておくことにする。
「四人とも、本当にいいの?」
かなり危険な目に遭う覚悟が必要なんだけど、と。
それでも返答は、予想通りと言うべきか、まったく迷いのないものだった。
「危険だって言うなら、尚更よ」
「そうだよ! お姉ちゃん、放っておいたら何するか分からないもん!」
「にゃはは。逃げ足なら自信あるニャ」
「もう危ない旅には慣れたわ。感覚が麻痺するくらいには」
四人の返答を受けて、ヴィレッサは諦め混じりの息を落とした。
だけど頬は緩んでしまう。目頭も熱くなっていた。
そうして項垂れた小さな頭に、シャロンはそっと手を乗せてきた。
「とにかく、今日は部屋に戻って休みなさい」
「ん……そうする」
「街の人やエリム様にも挨拶して、支度もして、出発は明後日以降かしらね。もう無理に急ぐ必要もないんだから」
ヴィレッサは素直に従う。密かに旅装などは揃えておいたが、少々不安が残っていたのも確かだ。準備は万全にしておきたい。
そういった意味でも、止めて貰えたのは幸運だったかも知れない。
絶対に反対されると思っていた。なにせ、目的が目的だ。
「でもよかった。これで―――」
にっこり、と。
迷いのない、純粋な、晴れ晴れとした笑みを浮かべる。
「心置きなく、皇帝をぶん殴ってやれる」
「「「「え……?」」」」
ヴィレッサ以外、全員が凍りつく。その表情は一様に語っていた。
こいつは何を言っているんだ?、と。
「ま、待ちなさい。帝都に行くのは、魔導士になるためじゃないの?」
「うん。皇帝を殴ってから、向こうが謝って頼むなら、なってやるつもり」
「やっぱり放っておけない! お姉ちゃん、どうしてそんなこと考えたの!?」
「だって、今回の騒動とか、だいたい皇帝が原因だから」
「ぼ、ボス、そんなことしたら、逃げ場所も無くなるんじゃないかニャ?」
「帝国の外なら大丈夫だ」
「あの……それはもう、危険というか、自殺の域だと思うけど……」
「まあ、なんとかなるだろ」
ヴィレッサは胸を張って、自信満々に頷く。
だけど一拍置いて、首を捻った。どうにも四人の反応がおかしい。深刻な齟齬が発生している気がする。
自分だって、不安がない訳ではないけれど―――。
「……ヴィレッサ、ここは一度、じっくりと話し合いましょう」
「え? あれ? シャロン先生、顔が怖い……」
がっしりとフードを掴まれて、ヴィレッサは屋敷内へと連行されていく。
帝都への出立は、”お話し合い”の分、丸一日ほど延期された。
次回から、帝都へ向けての旅路です。
第二章自体は、もうほんのちょっとだけ続きます。
連日更新は……う~ん、どうなるかなあ、というところ。




