第12話 デス・バーサーカー
骸狂戦士―――それはかつて狂気によって生み出された、人為的な災害だ。
戦時中、帝国の西に位置するミルドレイア魔導国は、捕虜を使った様々な魔術的実験を行っていた。
元より魔術への探究のためなら犠牲を厭わない者達が集まっていたのに加えて、捕虜という使い潰しても構わない材料が揃えられたのだ。倫理や資金といった枷が取り除かれて、研究者たちは嬉々として実験を繰り返していった。
そんな実験のひとつに、不死の戦士を作り出そうというものがあった。
死も疲れも知らず、強靭な肉体を持ち、主人の命令に忠実に従う戦士。あるいは魔術師にとっては理想的な肉壁か。
もしも完成して、量産化でもされていたら、恐るべき脅威となっただろう。
果たして、実験は成功する。ほんの僅かな瑕疵を残して。
数十名の人間を触媒として創られたという戦士は、確かに死も疲れも知らず、並の者では太刀打ちできない戦闘力を備えていた。材料とされた生前の戦士の技術を覚えていて、魔術も使いこなしてみせた。
ただし、主人の命令には従わなかった。
いや、ある意味では従ったのだ。戦うという命令を実行し続けたのだから。
戦場に投入されたそれは、敵味方の区別なく襲い掛かった。死の山を作り出し、研究者たちが排除しようとした時には遅かった。周囲の死体を次々と取り込んで、巨大な肉の塊となって、それでもまだ戦い続けた。
並の攻撃は通用せず、傷を負っても即座に回復し、死体を喰らい続ける―――、
そんな化け物の暴虐は、十日余りも続いた。
最後には飢えて力尽きたのか、寿命を迎えたのか。ぼろぼろと肉塊は朽ちていった。しかしその際にも、周囲を汚染し、不毛の大地を残していった。
あまりの結果に、ミルドレイア魔導国でもさすがに実験を打ち切った。
細かな実験経過などは消去されて、関わった者も処断されたはずだが―――。
「そんな化け物が、どうしてここに?」
子供には似合わない忌々しげな表情をして、ヴィレッサは疑問を投げた。
ルヴィスを後ろから抱える形で、黒馬に乗って上空を駆けている。隣にはシャロンも飛行魔術によって浮かんでいた。
街から幾分か離れた位置で、眼下にはおぞましい化け物の姿があった。
外形は、頭のない巨人といったところだ。背丈はバルツァールの城壁と並べる程に高い。赤黒い肌は筋肉が張り詰めたように所々が隆起していて、血管に似た筋も浮き出ている。
しかしよく目をこらすと、それは血管ではなく鮮血なのだと見て取れる。
正しく人体を寄せ集めて、粘土のように固めてあるのだ。歪められてはいるが、人の手足や、顔らしき部分も見て取れた。
シャロンから説明を受けるまでもなく、禍々しい呪術的なものの結果だと分かる。
「骸狂戦士に関わるものは、すべて消去されたはずよ。もしも情報が残っていたとしても、並大抵の術者では真似できるはずもないのに……」
自分ですら知らない、とシャロンは眉根を寄せながら首を振った。
不可思議で、まったく歓迎できない状況だったが―――、
それよりも、とヴィレッサは手を伸ばした。自分の正面に座っていたルヴィスの頭を抱えて、胸に寄せる。
「お姉ちゃん……私、気分が悪い」
「うん……あんなのは見ない方がいい」
蒼い顔をしたルヴィスを撫でながら、ヴィレッサは失敗を悔いる。街の近くだったので、つい勢いに任せて連れてきてしまったのだ。
こんな化け物が相手だと分かっていたら、もっと遠くで控えていた。
恐らくは、盗賊団の中にいた黒甲冑の剣士とやらが大元なのだろう。領主軍を退けるまでは理性が残っていて、その後、暴走したのだと推測できる。
そうして領主軍と盗賊団と、数十名分の死体を喰らい、街へと向かってきた。
「奇妙なのは、辛うじてでも人型を取っているところね」
「狂戦士っていうくらいだから、元は人型じゃないの?」
「以前に見た時は、粘体生物みたいな不定形だったわ。術式が違うのか、それとも暴走して間もないからか……理性が残ってるのかしら……」
ともあれ、早々に片付けた方がいい。
そう結論して、シャロンはヴィレッサには下がっているよう指示を出した。
飛行魔術の速度を上げて、上空から赤黒い巨体に近づいていく。
「まずは、街から遠ざけるわ」
前例が少ないために、骸狂戦士の討伐方法は手探りになる。倒しても周囲に汚染を撒き散らすという情報がある以上、人が少ない場所で戦った方がいい。
注意を引くため、シャロンは数発の炎弾を放った。
小手調べも兼ねてだが、人を丸焼けにするくらいの威力は込められている。
「っ……!」
炎弾は空中で炸裂した。骸狂戦士に届く前に、障壁で防がれたのだ。
狂戦士と呼ばれる化け物が防護魔術を使うのも驚きだが―――、
直後、体表面に浮かぶ無数の眼が、ぎろり、とシャロンを睨んだ。
緩慢な動きで膝を曲げると、高々と跳躍する。
シャロンもヴィレッサも、努めて冷静を保っていたが、これには目を見張らざるをえなかった。それでも二人は揃って声を上げる。
「―――避けて!」
落下しながら、赤黒い巨人は拳を薙ぎ払った。ヴィレッサたちをまとめて叩き潰せる軌道だったが、動作自体は鈍いので、風を巻き起こしただけで終わる。
空中で体勢を崩したまま、巨体はまともな着地もできず地面に転がった。
「……ほとんど本能で動いてるみたいね」
ヴィレッサにもっと下がるよう指示しつつ、シャロンは冷静に分析を重ねる。
起き上がった骸狂戦士を誘導するべく、先程よりも距離を取って炎弾を放った。それはまた障壁に防がれたが、今度は反撃が無い。
反撃どころか、巨人はこちらに見向きもしなかった。
街の方へと足を向けて、ゆっくりと前進を再開する。
「人が多い方へ引かれているのかしら。厄介ね」
「先生、難しいなら、あたしの魔導銃で……」
どれだけ堅い防護障壁があろうと、ヴィレッサの魔弾ならば撃ち破れる。巨体に対しても、例えば砲撃形態であれば有効な打撃を与えられる。
そう提案しようとしたが、シャロンは首を振って拒絶した。
「大丈夫よ。あの程度の障壁くらい……ここで片付けましょう」
誘導が難しくても、攻撃手段が限られてくるだけだ。幸いなことに、シャロンの攻撃手段は、魔術という一種類に絞っても豊富と言える。
ヴィレッサもそれは承知しているので、距離を取るために馬首を巡らせた。
手綱を握り、ルヴィスを抱き締めながら、戦いの行方を見守る。
黒馬が離れる短い間にも、シャロンは複雑な積層型魔法陣を展開させていた。
魔法陣が弾け、骸狂戦士の頭上に無数の光が瞬き、集束していく。教会兵を死体すら残さずに消滅させた魔術だ。攻城用にも使われる衝撃と高熱を叩きつける魔術なので、障壁もろとも巨体を丸ごと消し潰す威力が期待できる。
さらに、それは一発だけではなかった。
「え……?」
唖然とした声を漏らしたシャロンは、上空で瞬く光を確認し、振り返る。
双子を乗せて離れた位置にいる黒馬が、任せろとでも言うように嘶いた。
「驚いた……まさか、私の術式を見て覚えたの?」
今度は頷くように黒馬が嘶く。
馬上で目を丸くしているヴィレッサを見て、シャロンはくすりと笑みを零した。けれどすぐに表情を引き締め、戦闘に意識を集中させる。
「なら、合わせなさい!」
シャロンは高々と手を掲げ、振り下ろす。
上空で集束した光も、苛烈なまでの勢いで地面に叩きつけられ、高熱を伴う柱となって骸狂戦士の巨体を包み込んだ。
さらに一拍を置いて、同じ一撃が加えられる。
地面が割れたような轟音が響き、事実、光が叩きつけられた場所は大きく窪んだ。集束された熱も柱の内部を焼いて、激しい煙と異臭を吹き上がらせる。
「やったか……!?」
『マスター、それは失敗フラグです』
即座に飛んできたディードの指摘を、ヴィレッサは渋い顔で受け流した。
冗談を交わす状況でもない。それに、見る限りでは威力は充分で、赤黒い巨体はあっさりと消滅したものだと思えた。
「すごい……さすがシャロン先生だね!」
「うん。あれで無事なはず、ない」
感嘆するルヴィスには、素直に同意しておく。またディードから苦言が飛んできそうな台詞だったが―――それがまずかった、という訳でもないだろう。
しかし光の柱が消えると、そこにはまだ醜悪な巨体が蠢いていた。
いや、より醜悪になったと言うべきか。
骸狂戦士の腕は一本が千切れ、足は奇妙な方向に捻じ曲がり、全身のあちこちが焼き爛れていた。体表面に浮かぶ無数の顔も歪み、悲鳴にも似た耳を塞ぎたくなるような音を漏らしている。
さながら呪いのように、体表から溢れる濁った血は周囲にも被害を及ぼす。木々を腐らせ、焼けた地面までもぐずぐずと溶かしていった。
恐らくは、想像以上に抗魔障壁が厚かったのだろう。完全に防がれはしなかったものの、巨体を消滅させるには至らなかった。
シャロンは眉根を寄せて、苦々しげに呟く。
「……複雑な抗魔術の気配はなかった……でも、強引に防いだってこと? 大量の魔力を注ぎ込んで……あの怨霊槍みたいに、死体から魔力を引き出してる?」
冷静な分析に驚愕と不快感が滲んでいた。
戦闘経験の多いシャロンでさえそうなのだ。死体どころか人の血さえ見慣れていないルヴィスでは、目を覆いたくなるのも当然だった。
だから、そんな一言を漏らしたのも無理はなかった。
「酷いよ、こんなのって……」
救いようのない死者の姿を、ルヴィスは涙を湛えた瞳で見つめていた。
まるで、目を逸らすことが罪悪でもあるように。
全身を震えさせながら。それでも現実と向き合おうとするみたいに。
「……うん。こんなの、早く終わらせてあげたいよな」
「お姉ちゃん?」
振り返ったルヴィスの頭を撫でながら、ヴィレッサは手綱を引いた。意図を察した黒馬は素早く地上へと降りる。
そうしてヴィレッサはフードを目深に被ると、一人だけ空中へと駆け出した。
ルヴィスへ背を向けて、魔導銃を握る。
「ちょっと待ってな。あたしが、一発で消し飛ばしてやる」
「あ……!」
制止しかけたルヴィスだが、直前で言葉を呑み込んだ。
その気配を背中で受けながら、ヴィレッサは外套をひらめかせて空中を駆ける。
「ディード、周囲に被害を出さずにやれるか?」
『肯定。砲撃形態が最適と判断します。五〇%の出力で充分です』
「念の為、出し惜しみしないでおけ」
『了解。上空から入手した情報から、近隣の村にも被害が及ばない砲撃ポイントを算出します』
視界に示されるマーカーに従って、ヴィレッサは移動する。
その姿を見留めて、新たな魔術を展開しようとしていたシャロンが動きを止めた。
「ヴィレッサ、貴方は―――」
「大丈夫。無茶はしない。先生がアイツの足を止めてくれたから……」
赤黒い巨体からやや離れた、街道の脇にヴィレッサは降り立つ。
しっかりと地面を踏み締め、口元を吊り上げ、鋭い眼光で標的を見据えた。
「ここから先は、『魔弾』の時間だ!」
すでに大型の砲撃形態へと変形していた魔導銃を、両手で構えて狙いを定める。
骸狂戦士は自己回復もしているようだが、まだ動きはない。たとえ動き出したとしても、城壁の如き巨体を照準から外すはずもない。
ヴィレッサはひとつ呼吸をした。
静かに目蓋を伏せて、送られてくる相棒の声を確かめる。
『殲滅用砲撃弾形成、順調に進行中。
第一リミッター解除。充填率五〇%、六〇%、七〇%……。
第二リミッター解除。反動抑制機構、重力アンカー、セット。
最終安全装置、解除。充填率一〇〇%。射線クリア……撃てます』
「月までぶっ飛べやオラァァァッ!」
カッ、と。目を見開く。雄叫びとともに引き金を弾く。
直後、破壊が閃光となって解き放たれた。一直線に放たれた魔弾は、周囲の木々を衝撃で薙ぎ倒しながら赤黒い巨体へと向かう。
狙い過たず、命中し―――撃滅の咆哮を上げた。
街ひとつを丸ごと呑み込むほどの、巨大な爆炎が広がっていった。様々な色で辺り一帯を照らす光が、炎が、その内部であらゆる破壊を為していく。
さながら、神話にある神罰の火のように。
あるいは、見る者によっては悪魔の所業と映るだろうか。
『命中。銃身損耗は規定値以内です。引き続き、警戒に当たります』
「はっ、いくらあの化け物でも、これで無事なはずがねえ」
『ですから、失敗フラグを立てないでください』
軽口を叩きながら、ヴィレッサはにぃっと八重歯を見せる。
それでも魔導銃を掲げたまま、緊張は保っていた。
ほどなくして破壊の光が治まっていく。周りでは白煙が立ち昇り、内部では空間の歪みまで残されていたが、大方の状況は確認できそうだった。
つまりは、何も残っていない、と。
「倒した後も汚染を撒き散らすって話だったが……この分なら、大丈夫そうか?」
『肯定。砲撃形態による破壊は、物理的なものに限らず、術式にも及びます。あれを形成していた根底の術式まで消滅したはずです』
「頼もしいな。まあ……派手過ぎるのは考えものか」
白煙が晴れていく中を、ヴィレッサはゆっくりと進む。
前方を眺めて、ほっと息を吐いて、ようやく魔導銃を下ろした。
本当に何も残っていない。抉れた地面と、広大な空間が在るばかりで、化け物にされた死体も欠片すらなく完全に消え失せていた。
記憶の中だけには、あまりにも禍々しい姿が刻まれているけれど。
「……とりあえず、墓を作る土地には困らねえな」
ぼんやりと呟いてから、ヴィレッサは顔を上げた。上空に浮かぶシャロンの姿を確認しつつ、背後へと振り返る。
荒々しい馬蹄の音と、嘶き声が近づいてきた。
そして、その馬上には可愛い妹の姿もある。
「よかった! お姉ちゃん、怪我もしてないよね!?」
ぶんぶんと手を振って、ルヴィスは心から安堵した笑みを見せてくれた。
ヴィレッサも頬を緩める。
魔導銃を腰に収めると、飛びついてきた妹を優しく抱き止めた。
次回でガーゼムの街編は終了です。
もう一回くらいは連日更新できる、かも?




