第8話 戦いはいつだって波乱とともに
ガーゼムの街へ襲い掛かる暴徒たちを、グリエル司教は遠目に眺めていた。
その口元には嘲笑が浮かんでいる。
帝国領内への布教を命じられた時は、自分の耳を疑った。遠回しな処刑をされるほどの失態を犯したのかと、かつてないほど真剣に神へ祈ろうともした。
直接の戦闘をする必要は無いと言われても、敵国へ赴くのだ。
どれだけの危険があるか分からない。民衆すら敵になるかも知れない。
国を出た時点で、部下を盾にして逃げ帰る決意を固めていた。布教の許可を出したという帝国皇帝にも恨みを抱かずにはいられなかった。
余計な許可を出してくれたものだ、と。
けれど実際に帝国に着いてみると、その『許可』の影響力に驚かされた。
物を知らない農民は震え上がっていた。領地を預かる貴族からも、無碍な扱いはされなかった。
もっとも、すべてが思い通りとはいかなかったが―――。
「大領地での布教では、こうも上手くいかなかったであろうな」
帝都から南東に位置する、ガーゼムの街を含んだ一帯が、グリエルの担当教区だった。小領地が幾つも並んでいる地帯で、其々の領主によって教会への対応も異なり、派遣する神父を選ぶだけでも苦心させられた。
帝国貴族は皇帝の言葉には弱いが、それは即ち、忠誠心が高いとも言える。
敵国の国教であるモゼルドボディア教に対して、警戒心を持つのも当然だった。
利益をちらつかせて取り込めたのは、極一部のみ。
グリエルの配下には百名ほどの教会兵もいたので、小領主を脅す手法も考えていた。しかし住民二百名足らずの貧しい村を治める領主でさえ、頑として抵抗する意志を示したのだ。
さすがに帝国貴族と正面から争うのは避けたい。
貧しい村を潰したところで、その後は他の貴族によって排除されてしまう。
だが、方法はいくらでもあった。本国からの指示では、あらゆる手段が許されていたのだ。
たとえば、教会と無関係の者が暴れるのならば喜んで見ていられる。
帝国内に混乱をもたらす―――それこそが、真の目的なのだから。
「やはり異教徒は愚かですな。自ら進んで地獄へ落ちるとは」
「しかもそれで救われると思っている。いや、これも司教様の慈悲ですかな」
「まさか。異教徒には絶望した無様な死に様の方が相応しいでしょう」
グリエルを守る形で立っている教会兵たちも、揃って愉快げに咽喉を鳴らした。遠くの戦火を他人事のように眺めている。
彼らの慢心を咎めるべきか、グリエルは少しだけ迷った。
けれどそんな慎重な考えも、計画通りに事が運んでいる嬉しさに打ち消される。
「異教徒は滅びるのが必然。それが神の御意志なのだからな」
免税札に関しては、結果がどちらに転んでも構わなかった。
受け入れられるなら教会に入る資金が増える。領主の怒りを買って排除されたとしても、早々に逃げてしまえば次の策に移れる。
この領地に盗賊団を誘い込んだのもグリエルだった。多少の金銭と、都合の良い情報を流すだけで、荒くれ者どもは簡単に動かせた。
盗賊団が派手に暴れれば、領主軍が討伐のために街を出る。
それを待つ間に、免税札を売った村に噂を流しておいた。
教会と領主は税免除の約束をしていた、と。
それを破った領主が二重に税を搾り取ったのだ、と。
さらに領主の信仰心が足りないから農作物に被害が出るとか、治安が乱れているのも領主が悪いとか、配下の者を使って吹聴して回らせた。
あとは村のまとめ役を手懐ければ、反乱戦力の出来上がりだ。
そうして領主軍が街を出たのを確認して、手薄になった街を襲わせた。街の内にも手の者を潜ませておいたので、守備兵は予想以上に混乱してくれた。
訓練を受けていない農民でも、少ない守備兵相手なら勢いで勝る。
露払いとしては充分で―――。
「あとは、領主の娘を捕らえるだけだ」
そろそろ頃合いか、とグリエルは教会兵に目配せをする。
百名余りの兵を連れて、グリエルは街から離れた雑木林に潜んでいた。どうにか街の様子を観察できて、暗闇に紛れれば隠れられるギリギリの距離だ。
しかしもう隠れている必要は無い。
堂々と、”街を救うために”兵を向かわせればいい。
「戦術級魔術の準備はできておるな?」
「無論です。すでに乱戦ですが、”敵のみを”狙えます」
「うむ。あそこには排除すべき異教徒しかおらぬからな」
まとめて潰してしまえ。そう小声で告げる。
領主の娘を捕らえた後は、そのまま他領の領主に引き渡す予定だ。教会と懇意にしている数少ない小領主だが、交渉の窓口として利用できる。
ファイラット男爵から、教会への優遇を引き出してもいい。
あるいは、対立する両者を眺めているだけでも構わない。
もしもすでにファイラット男爵の身に”不幸な事故”が起こっていたとしても、娘にはまた別の利用価値が出てくる。
領地の相続を手引きするか、また争乱の種となってもらうか。
いずれにしても、グリエルの計略によって踊らせることが可能だ。
「まだ幼いが美しい娘だったはず。いっそ、どこかに物好きな貴族でもいれば高値で売れるかも知れんな」
兵に運ばせている輿の上で、グリエルは近い未来を想像する。
哀れな領主の娘に、どんな言葉を掛けてやるべきか。
情けをかけてやるべきか。それとも、さらなる絶望に堕としてやるべきか。
近づいてくる騒乱を見つめながら、緩む口元を撫でた。
「ここらでよいだろう。愚かな異教徒どもに、神の威を……」
攻撃の指示を出そうとした、その時だ。
轟音が響き渡った。同時に、夜空に真っ赤な光が灯される。
空中で巨大な爆発が起こったのだ。もしも、その爆発が地上で起こっていたら、真下にいた数百名全員が木っ端微塵に吹き飛ばされていただろう。
しかも、爆発はひとつではなかった。
ふたつ、みっつ、と同時に夜空を照らす。
街にいた誰もが空を見上げて、気がつけば騒乱は止まっていた。
そして―――、
「―――そこまでだ。全員、武器を捨てろ」
高らかに宣言される。
「この戦場は、『魔弾』のヴィレッサが預かったぁっ!」
注がれる視線の先に、青白い光と小さな影が浮かんでいた。
◇ ◇ ◇
ああくそっ、やっちまった! なんでまた『魔弾』とか名乗ってんだ!?
恥ずかしいのに! 後悔してたのに!
でもなあ、こういうのは勢いが大事だしなあ、仕方ないよなぁ。
『マスター、ここはもう戦場です。警戒を』
「分かってる! ああもう!」
どうにも意識が散漫だ。緊迫した事態だというのに集中できない。
これまでの戦いでは、余計な思考が混ざることなんて無かったのに。
まさか寝不足だからか?
それとも、暴徒の側に同情している?
あるいは―――。
「とにかく、作戦は『犠牲を少なく』だ。殺さない余裕はあるだろ?」
『条件付きで肯定。敵戦力の把握と、周辺警戒に努めます』
淡々とした声を受けてから、ヴィレッサは魔導銃を変形させた。
砲撃形態から遠隔形態へと。
眼下を眺める。すでに戦いは停止して、暴徒も兵士も全員がヴィレッサを見上げていた。しかしまだ驚くばかりで状況を掴めていない者が多い。『魔弾』と言われても、それが魔導士の二つ名だと理解できていない者がほとんどだった。
完全に戦意を奪うには、もう少し演出が必要だろう。
「我は帝国を守る魔導士である! いま、この場での一切の争いを禁ずる!
この命に逆らう者は、その者だけでなく、家族や縁者まで、我が魔弾によって撃ち砕かれることを覚悟せよ!」
言葉を切ると同時に、遠隔形態から魔弾を放つ。
数発の魔弾は、暴徒達が持つ農具や棍棒に命中して、砕き散らした。
悲鳴が上がり、ざわめきが広がる上から、ヴィレッサは声を響かせる。
「さあ、武器を捨てよ! 素直に従うならば話を聞いてやる!」
ざわめきが、困惑から恐怖へと染まっていく。
魔導士だって? 帝都から来たのか? 家族まで殺されたら―――。
もはや戦いへと向かう勢いは消え失せていた。一人が武器を置くと、暴徒たちは蒼ざめた顔をしながら次々と投降の姿勢を見せていく。
その様子を、ヴィレッサは腕組みしながら見守った。
「不満そうな顔してる奴もいるな」
『警戒を維持。マスター、敵勢力の後方に動きがあります』
「後方……? って、なんだあいつら?」
夜闇に紛れるようにして、百名ほどの集団が陣形を作っていた。
揃いの白鎧を見て、彼らが何者か、ヴィレッサは即座に理解した。輿の上に座っている男の白装束を見て、確信できた。
ああ、やっぱり。教会勢力。こいつらの仕業か。
だったら―――。
「ディード、砲撃形態」
『了解。充填せずとも殲滅可能です』
魔導銃を構え直し、引き金を弾く。光の束が地上へと撃ち下ろされる。
暴徒たちから悲鳴が上がった。頭を抱えて蹲った者もいる。
けれどヴィレッサが狙ったのは後方集団、そのさらに後方だ。逃げるような動きを見せた教会兵に対して、警告の意味で一撃を見せつけた。
そうしてまた宣言する。
「逃げる者には容赦しない! 貴様らが主謀者だな、抵抗は無駄と知れ!」
教会兵の動きが乱れる。困惑の声を上げる者、首を回して周囲の様子を窺う者、剣を握って歯軋りする者など様々だ。
そんな中で、輿の上にいた、グリエル司教と呼ばれた男が罵声を上げた。
「あ、あの子供を討て! 魔導士だなどと、虚言に過ぎぬ!」
「し、しかしあの爆発の威力は……」
「馬鹿者が! このままでは、どうせ殺されるぞ!」
教会兵は混乱しながらも、グリエルの命令に従って陣形を組み直す。前列の兵は剣を構え、中央と後列の兵が魔術の準備に入る。
明らかに抵抗の意志を示したと言える。
砲撃一発で片がつくところだが、ヴィレッサは溜め息を落とした。
『敵、攻性魔術が来ます。撃たないのですか?』
「……ややこしい事件だからな。なるべく生かして捕まえた方がいいだろ」
教会兵が魔術を放った。炎の矢や雷撃、風の刃など、数十の魔術がヴィレッサを狙って襲い掛かる。しかし一発も脅威にならない。
元よりヴィレッサには魔術が効かないのだ。
前面に魔力を固めた盾を作って、すべて打ち消してみせた。
「ったく、無駄なことしやがって……」
舌打ちを漏らしつつ、ヴィレッサはちらりと視線を下へ向けた。街を襲っていた農民たちの顔が見て取れる。
怯えきって蒼ざめた顔。
困惑してうろたえるばかりの顔。
ただひたすらに嘆く顔。
怒りに歪んだ顔―――すべて、ヴィレッサには見た覚えがあった。
故郷であるウルムス村が襲撃された時と同じだ。
嫌な記憶が刺激される。しかも今回は、嘆きや怒りをヴィレッサに向けてくる者もいた。
理不尽な状況に、ヴィレッサの小さな胸にも様々な感情が沸き上がった。
「……全部、テメエラが悪いんだろうが!」
砲撃形態を狙撃形態へと変形させて、長大な銃身を教会兵へと向ける。
対集団には不向きな形態だが、その貫通弾には強烈な衝撃波も伴う。生身の人間が弾道の側にいれば、それだけで五体が弾け飛ぶほどだ。
偉そうな奴だけ残して、他は殺してやる―――、
そうヴィレッサは眼光を鋭くして、引き金に指を当てた。
だが、その時、声が届いた。
「お姉ちゃん?」
聞き覚えのある―――いや、聞き間違えるはずのない声だ。
涼やかで、温かくて、胸に響く。
生まれた時から傍にいるのが当り前の、耳に馴染んだ声。
まるで、他の音はすべて消え去ったように感じられた。
ヴィレッサは狙撃形態を構えたまま凍りついた。
ぎこちない動きで首だけを回す。
大きく目を見開いて、斜め後方にある、その姿を確認する。
民家の屋根の上、街を燃やす炎に照らされて、ふたつの人影があった。ひとつは修道服を着た細身の女性で、もうひとつは小さな子供だ。
見間違えるはずも、ない。
ずっと、ずっと会いたかったのだから―――。
「……ルヴィス、シャロン先生―――」
『―――マスター!』
切迫した呼び声に、ヴィレッサは意識を引き戻された。
正面へと顔を向け直す。目の前まで迫っていた光景に息を呑む。
教会兵の陣から、幾本もの太い投槍が放たれていた。強化された膂力によって放たれる剛槍は、子供の体など容易に穿ち貫く。
ヴィレッサは咄嗟に身を守ろうとした。けれど、遅かった。
「あ……」
ぽかんと開けた口から吐息が漏れる。
野太い槍が、小さな体の中心に突き立っていた。




