第6話 寝る子を起こすと……
街道から少し外れた森の中、ぽつんと開けた場所に焚き火が置かれていた。
簡素なテントも作られ、空になった食器も積まれている。数名の旅人が野営をしているのだと見て取れるが、奇妙なことにその場には誰もいない。
時刻は深夜。
ちょっと旅の経験がある者なら、迂闊な者が夜盗に襲われた後だと察しただろう。見張りの者はいたのかも知れないが、火を点けっ放しで寝ては、襲ってくださいと言っているようなものだ。
その推測を後押しするように、周囲の森から悲鳴が響き渡る。
けれど事実は逆だった。
「た、助げでぇっ―――!?」
襲う側だったはずの夜盗どもが、逆に悲鳴を上げて逃げ回っているのだ。
肉が潰れる音と、野太い断末摩の叫びが重なり合う。
「な、なんでこんな化け物がぁっ!?」
「逃げろ! とにかく逃げるんだよぉっ!」
「まっ、待ってくれ! 俺の足が―――」
夜盗にとっては美味しい獲物のはずだった。
若い女が二人に、子供が一人。火を焚いたまま、見張りも置かず、警戒用の簡単な防護結界が張られているだけだった。
技量が分からない魔術師がいるとしても、大勢で不意を突いて接近してしまえば脅威にならない。贅沢にも人数分の馬がいるのには違和感も覚えたが、警戒には繋がらず、むしろ金の匂いを感じて舌なめずりをしていた。
女二人には、たっぷりと楽しませてもらおう。
子供の方は小間使いにでもしてやるか。あるいは人質にしてもいい。
飽きたら、奴隷として売り払って―――。
そんな欲望は、もはや後悔に取って代わられていた。
「や、やめっ、ぶ―――」
黒馬の嘶きが、周囲の木々までも震えさせる。
夜盗にとって不幸だったのは、暗がりだったために、その黒馬の姿をしっかりと確認できなかったことだ。陽の光の下で異常な巨体を見ていれば、けっして挑もうとはしなかった。
災害級の魔物である黒き悪夢と戦うなど、勇猛な騎士団でも望みはしない。
「にゃはは。夜の森でウルディラ族に挑むなんて、おまえら馬鹿だニャ」
「そうね。貴方に言われるんだから、よっぽどよね」
女二人の方も、尋常な相手ではなかった。
獣耳の女は、木々の影から影へと素早く移動して、まったく位置を掴ませない。それでいて逃げるばかりでなく、意識が逸れたところで投げナイフを飛ばしてくる。あるいは頭上からの投石や、ふざけたような罵倒も厄介だった。
挑発に乗って森へ踏み込んだ夜盗は、木枝の上から垂らされたロープに捕まり、無様に縛り上げられた姿を晒した。
しかし警戒して足を止めると、もう一方の魔女に狙われる。
魔女の周囲には赤々とした無数の光球が漂い、次の獲物を探していた。
その赤い光球に触れた夜盗の一人は、この世ならざるモノを見たように、恐怖に悲鳴を上げて全身を痙攣させた。またある者は恍惚として、また別の者は大量の涙を流して、次々と気を失っていった。
何をされるか分からない、御伽噺そのものの魔女が、そこにいた。
だが、この二人に捕まった者はまだ幸運だった。
最も恐ろしかったのは―――。
「逃げられる、なんて甘い考えはしてねえよなあ?」
真っ赤な外套を頭から被った、幼女の姿をした悪魔が笑っている。
そう、最も恐ろしかったのは、この場の誰よりも小さな子供だった。
その子供に近づいただけで、夜盗たちは手足を吹き飛ばされ、鮮血を吹き上げながら倒れ伏した。頭を消し飛ばされた者もいる。腹に大きな風穴を開けられた者もいた。
部下がほとんど動けなくなったところで、夜盗の首領は逃げ出した。
一番離れた所から様子を窺っていたので、自分だけは無事に逃げられると思ったのだ。見捨てた部下のことなど振り返りもしなかった。
夜の森を懸命に走り、アジトにしていた小屋に辿り着く。
ほっと安堵の息を漏らしたところで―――目の前で、アジトが爆発した。
「他人の命を狙ったんだ。当然、自分の命も賭けてんだろ?」
「ひ、ひぃっ、頼む! い、命だけは助けてくれ!」
首領は武器を投げ捨て、地面に頭を擦りつけ、涙を流しながら命乞いをする。
それを見下ろす幼女は、にぃっと、三日月型に唇を吊り上げた。
「ああ、構わねえぜ」
炎に照らされた碧色の瞳が、爛々と輝いている。
「死んだ方がマシだったって思わせてやる」
夜の闇に、無様な悲鳴が響き渡る。
数十名もいた夜盗の群れは、こうしてあっさりと壊滅した。
黒馬の上で、ヴィレッサは大きな欠伸をした。
眠い。寝不足だ。恨みを込めた眼差しを背後へ向ける。
「ひ、ひぃぃっ!」
十数名の男達が手足を縛られ、簡素な板の上で懸命にしがみついていた。
昨夜襲ってきた夜盗の生き残りだ。半分以上は黒馬によって命を散らされたが、投降した者、運が良かった者は生かしたまま捕らえておいた。
荷車が欲しいところだったが、街道の途中では手に入らない。夜盗のアジトには置いてあったかも知れないが、建物ごと吹き飛ばしてしまった。
なのでこうして、処刑方法のような形で運んでいるのだ。
放っておいて夜盗に戻られても寝覚めが悪いので、次の街で兵士に引き渡す予定だった。もちろん、逃げ出そうとしたら命は無いと優しく告げてある。
「こんな奴等でも、生きてりゃ何かの役に立つだろ」
「ボス、また悪い顔してるニャ」
「盗賊狩りの賞金って、それなりの額になるものね」
別段、賞金が欲しい訳ではない。
ヴィレッサは命を大切にする善良な子供なのだ。罪に見合った罰が与えられるのなら、夜盗の命だって余裕があれば救ってやる。
まあ、奴隷となって使い潰される可能性は高いが、そこまで面倒は見られない。
精々、荒廃した世界の在り様を嘆いてやるくらいだ。
「次は、もうちっと活気のある街だといいんだけどな」
背後の悲鳴が荒い息遣いばかりになってきたところで、街の姿が見えてきた。
ビッドブルクの街を出て十日余り。ヴィレッサたちは南へと進路を取りながら、小規模の街や村が点在する地域に入っていた。
アンブロス伯爵領ほど栄えていない。畑ばかりの土地を、幾人かの小領主が治めている。裕福な者は少ないが、魔物などの大きな危険も無く、住民にはほどほどの暮らしが約束されていた。
そう、ビッドブルクの街を出る前には聞かされていたのだが―――、
これまでヴィレッサが通ってきた村々は、どちらかと言えば貧農に近い印象を受けた。項垂れ、溜め息を落とす住民が多かったのだ。
あるいは、やけにギラついた目つきをしている者もいた。
疑問には思ったが、ほとんど素通りしていたので事情の追及はしなかった。
「とりあえず、一騒動は確実でしょうけどね」
「にゃはは。もしかして、この盗賊が原因だったんじゃないかニャ?」
マーヤとロナが言った通り、街の入り口に着いたところで大騒ぎになった。
街の名前はガーゼム。周囲には木の柵が作られ、中央の大通りのみ石畳で整備されている。住民は三千名ほどで、旅商人の出入りも珍しくない。
これから発展しそうな、あるいは中途半端さが目立つ街だ。
さすがに黒き悪夢を見て平然としているような、歴戦の兵士はいなかった。
「え……ぜ、ゼグード様の紹介状? ま、魔導士の方だったのですか!?」
まず巨大な黒馬の姿に驚かれ、ゼグードから貰った通行証を見せると畏まられ、そして子供の魔導士だと知られて唖然とされる。
これまで通り過ぎてきた街や村でも、似たような反応ばかりを受けてきた。
ヴィレッサとて不必要に目立ちたくない。面倒事が増えるだけだ。
けれど黒馬の姿は隠しようがないし、下手にこそこそして余計な騒動が増えても困る。
なので、適当にあしらうことにした。
どうせまだ魔導士といっても仮の身分だ。おまけに子供なのだ。
あとで、「ごめんちゃい(はぁと)」とかすれば許してもらえる。たぶん。
「あたしのことはいいから、先に後ろの犯罪者どもを引き取ってくれ」
「え、あ、はい!」
「それと……おまえでいいや。街を案内しろ」
「り、了解しました!」
兵士の一人に先を歩かせ、ヴィレッサたちは街へと入る。やはり黒馬は街中でも目立つので、道行く人々が揃って目を見張っていた。
「あ、あの……魔導士の方が来られるとは、何か事件でも起こったのですか?」
「大した役目じゃねえよ」
兵士の問いに、ヴィレッサはぞんざいに答える。
そう、私的な役目だ。公務と勘違いされても知ったことではない。
「まさか、レミディアの隠密部隊が侵入したとか……」
「あん? そんな噂でもあるのか?」
「い、いえ! ですが、一応は国境も近いので、レミディアのことを気に掛ける者が多いのです」
ふぅん、とヴィレッサは黒馬の上で呻る。
国境守備の任に当たっているのは、まず第一にバルツァール城砦に駐屯している部隊だ。しかし事が起これば、帝国東側にいる領主は援軍として呼び出される機会も多い。
なので、一介の兵士や住民も、レミディアに対する警戒心が高いようだった。
「特に最近は、また侵攻があったと聞きましたので……」
「それなら、もう追い返したぜ?」
「え!? そ、そうなのですか!?」
「ここらにはまだ届いてねえのか。まあ、話しても構わねえだろ」
目を輝かせる若い兵士に、バルツァール城砦攻防戦のあらましを聞かせてやる。もちろん、ヴィレッサの恥ずかしい二つ名の部分は省いて。
そんな話をしている内に、宿屋へと到着していた。
質素な旅宿に泊まると言うと、案内の兵士は戸惑っていたし、宿屋の主人も困惑していた。普通は領主の家などに泊まるものだからだ。
けれどそんな反応を黙らせる術も、ヴィレッサは学んでいた。
「あたしは、ここに泊まりたいって言ってるんだぜ?」
にっこり、と。八重歯を見せた笑みで説得する。
子供の我が侭と魔導士の権威、両方を重ね合わせた一撃で、案内兵士も宿屋主人も小さく肩を縮めると素直に従ってくれた。
馬小屋に黒馬を預けて、四人用の一番大きな部屋へと通される。質素だが、旅宿としてはまともな部類だった。
扉を閉め、ベッドに身を投げ出し、ヴィレッサはほっと息を吐く。
「あ~……やっぱ、お偉いさん扱いされるのは慣れねえ」
旅の休憩地点であるはずなのに、街に入る方が疲れる。
納得し難い状況に、ヴィレッサは枕に顔を埋めながら唇を尖らせた。
「でもボス、御飯は街で食べた方が美味しいニャ」
「そうね。野営ばかりだと、どうしても材料が偏るものね」
「それはそうだけどよ……ああ、新鮮な卵とか手に入るかな。だけど砂糖や蜂蜜は珍しいんだよな……お菓子つくりたい……」
寝不足もあって、ベッドに溶けるように全身を脱力させていく。
けれど、うとうととしてきたところで、部屋のドアがノックされた。
「失礼します、ヴィレッサ様。ファイラット男爵様の使いの者が―――」
聞き慣れない声に、聞き覚えのない名前。
この街の領主がそんな名前だった気もしたが、ヴィレッサにとってはどうでもよかった。
いやいやをするように、枕を抱えて首を振る。
「やだ。眠い」
「ぼ、ボス、さすがにマズイんじゃにゃいかニャ?」
「私も、顔くらい見せた方がいいと思うけど……」
珍しく子供っぽさを発揮したヴィレッサを、ロナとマーヤが慌てて説得する。
ヴィレッサが身を起こしたのは、それから三回もドアがノックされた後だった。
◇ ◇ ◇
もうじき陽が落ちようという頃、ガーゼムの街に近づくふたつの影があった。
魔導士や黒き悪夢ほどではないが、その二人も珍しい組み合わせだ。
一人は修道女。しっかりとフードを被って銀色の長髪を隠している。
もう一人は小さな女の子で、藍色の外套を頭から被っていた。
「少し、遅くなっちゃったわね。今日はこの街で終わりにしましょう」
「うん。でも……」
手を引かれて歩きながら、女の子を碧色の瞳を輝かせた。
「なんだか、お姉ちゃんが近くにいる気がします」
「そうなの? ルヴィスの勘は、よく当たるものね」
シャロンとルヴィスだ。
ヴィレッサの無事を知って以来、二人は再会するべく行動していた。
南を目指すヴィレッサとは反対に、北上する形で街や村を巡っていたのだ。
転移魔術を使えるシャロンとはいえ、帝国領内で転移できる場所は限られている。一度訪れた、記憶深い場所でないと移動できない。しかし他にも、飛行魔術という強力な移動手段を持っていた。
速度としては並みの馬と同程度。しかし遮るものなく、最短距離を行ける。
街から街へと高速で飛行して、転移可能な箇所を増やしていった。そうして街を訪れる際には、一度ヴァイマー伯爵領に戻り、ルヴィスも連れてくるのだ。
双子であるルヴィスがいれば、「こんな女の子を知りませんか?」と言って尋ねればいい。ヴァイマー伯爵からも捜索協力を要請する書状をもらったので、各街の兵士は素直に協力してくれた。
ここより南の街には、すでに要請が行き渡っている。
もしもヴィレッサが立ち寄れば、街で待つように伝わる手筈だ。
「今度は擦れ違わないようにしないとね」
ルヴィスと歩調を合わせながら、シャロンは街の入り口へと近づいていく。
ぼんやりと立っていた兵士が、こちらに気づいて首を捻った。
「なんだ、アンタら? 女二人で旅してきたのか?」
「旅というほどのものでもないんです。実は……」
事情を説明しようとするシャロンの横で、ルヴィスがフードを脱いだ。
その途端、兵士の顔色が変わる。
「ヴィレッサ様!? え、で、でもさっき街の方へ―――」
唖然とした兵士が言葉を詰まらせる。
その直後、がっしり、と。
目の色を変えたシャロンが、兵士の肩を掴んでいた。
そう、あまりお待たせしないのがロリガンクオリティ。
再会も近日中?
でも、書き溜めがそろそろ……ね。




