第3話 嘘吐きは泥棒より強し
国境付近の街というと、紛争に巻き込まれる機会が多い。
しかしビッドブルクの街は長年の平穏が続いていた。精々、バルツァール城砦へ向かう援軍が通過するくらいだった。
そこそこに大きな街なので夜盗の類にも襲われ難い。魔物にしても、出没するのはもっと北の地域であるはずだった。
それでも魔術に慣れ親しんだ帝国民だからか、魔物の襲撃を受けても、我先にと逃げ出す者は少なかった。似たような光景を、兵士の訓練などでも見ていたからだろう。
もっとも、見慣れている光景とは規模はまるで違ったが―――、
街のすぐ近くで巨大な爆発が起こっても、大きな混乱には陥らなかった。
唖然とした顔を、ほとんどの者が隠せてはいなかったが。
「さて。あらかた片付いたみてえだな」
巨大狂蟻の死体で黒々と埋め尽くされた大地を眺めて、ヴィレッサはほっと息を吐いた。腰に手を当てて、ぐるりと辺りを見回す。
「は、はい。本当に助かりました」
「そう畏まるなよ。魔導士っても、まだ正式に決まってねえんだ」
ヴィレッサの後ろには、数十名の兵士が集まっていた。まだ困惑顔の者が多いが、それでも隊長の命令に従って隊列を組んでいる。
怪我人も多かったので、緊急を要する者はロナとマーヤに治療をさせた。比較的軽傷の者は、黒馬に荷車を引かせて街の治療院へと運ばせている。黒馬が嘶くたびに死にそうな顔で怯える者もいたが、まあ大丈夫だろう。
「街の方にも人を回したんだよな? 混乱してねえか?」
「撃退したと告げて回りますから問題ないでしょう。あの派手な爆発は、街からも見えたでしょうし」
「あ~……まあ、あたしのことは控えめにな? あんまり目立ちたくねえし」
苦笑いしつつ、ヴィレッサは空中に視線を彷徨わせる。
想像していた以上に、『魔導士』の称号効果は大きいらしい。帝国領に戻るまではあまり気にしていなかったが、少しは自重を覚えるべきだろうか?
ただの村娘として、のんびりと暮らしていきたいのだが―――。
「考えても仕方ねえか。あたしは好き勝手にやるだけだ」
「はぁ……あの、魔物どもの死体は片付けても構いませんか?」
「ああ、任せるぜ。こいつらの殻は、それなりに使えるって話だったな」
ギガ・アントの殻は、下手な剣ならば容易に弾く。少々割れ易いのが欠点だが、軽くて加工もできるので、様々な品に流用できるという。
厄介な体液も、工作品や技術研究の材料などとして需要がある。さらに僅かではあるが蜜も取れるので、街の被害を補う財産になるだろう。
ただ、問題がひとつ。
「これだけの量を運ぶのは大変だよなあ」
「はい……それに、うっかり体液に触れれば大怪我をしかねません」
「あ、それなら、あちしが良い方法を知ってるニャ」
声を上げたのは、兵士たちの治療を終えて駆け寄ってきたロナだ。得意気に胸を張り、尻尾も振りながら語り出す。
「バンブーの木を使うニャ。あれなら、こいつらの体液でも溶けないニャ」
「おお、それは本当ですか」
「もちろんニャ。ウルディラ族は嘘吐かないニャ」
それは嘘だ。
内心でツッコミを入れたヴィレッサだったが、口に出しては何も言わなかった。
ともあれ、事後処理は知識のある者に任せることにする。子供が下手な口出しをして混乱させるのはよろしくない。
周囲をもう一度見回ってから、宿を取りに街へ向かおうか―――、
そう考えたところで、なにやら騒々しい声が耳に届いた。
「―――貴様ら、なにを勝手なことをやっておる!」
野太く品の無い声に振り向くと、まず白い服装が目についた。
その姿に、ヴィレッサは反射的に眉を顰める。
別段、白が苦手だとか、十字架が弱点といったことはない。けれど白地に赤の剣で十字を描いたその模様に対しては、怒りとともに身構えてしまう。
レミディア軍―――正確には、モゼルドボディア教徒が掲げる紋様だ。
その紋様が刺繍された白い装束を纏った、中年の男がなにやら声を荒らげていた。神父なのだろうが、その表情は世間一般的な穏やかな聖職者のものとは程遠い。
こちらへ向かってくる足取りも荒々しく、魔物の死骸を運ぼうとしていた兵士に対して怒鳴りつけた。
「魔物は穢れたもの! その死骸も、安易に触れてはならぬ!」
「はぁ? なに言ってんだ?」
作業に取り掛かっていた兵士も呆れた声を上げる。
穢れているかどうかはともかく、積極的に魔物に触れたがる人間はいない。一部の研究者や物好きは別だが、それでもいまは、嫌なのを我慢して片付け作業を行っているのだ。
だというのに、触れるなとは。
邪魔をするつもりか? それとも、自分が代わりに片付けてくれると?
そう訝しむ兵士たちの視線に対して、神父の返答は想像の遥か斜め下を行くものだった。
「これらはすべて教会が預かる。さあ、さっさと運ぶのだ!」
「はぁ?」
兵士たちだけでなく、ヴィレッサも間の抜けた声を漏らしてしまう。
しかし神父の中では何の問題もない発言どころか、すでに決定事項だったらしい。背後に顔を向けると、控えていた二十名ほどの男達に顎で命じる。
簡素な白鎧を着た男達は、教会兵というやつだろう。さして精兵ではなさそうだが、いまや傷だらけである街の兵に対して、彼らの装備は随分と綺麗に見える。
教会兵は作業に取り掛かろうとしたが、その前に兵士隊長が立ちはだかった。
「クロボス神父、勝手な真似をされては困る」
「邪魔をするな! 神の御意思に逆らうつもりか!?」
「生憎、俺は精霊修道会の信徒だ。貴様が言う神の意思なんぞ知らん」
「ええい、不心得者めが!」
クロボス神父は顔を真っ赤にして唾を飛ばす。睨まれたくらいでは引き下がるつもりはないらしい。
だが、狂信者という人種とは少々異なる。
神父の目に宿る輝きは、小狡い人間のそれだった。
「偉大なるモゼルドボディアへの信仰は、皇帝陛下も認めておられる! 貴様は帝国の兵でありながら、陛下の御言葉にも逆らうつもりか?」
「……陛下は、布教の許可を出しただけだと聞いている」
「同じことだ! これは陛下の言葉に従い、布教を行うために必要な行為なのだ!」
帝国に於いて、皇帝の言葉は桁違いに重い。
かつて賢帝ブロスフェルトが遺した言葉に、「子は国の宝である」とある。それによって子供を害する者は厳罰に処されるようになり、子供を大切に育てる風土としても根付いている。
そんな皇帝の言葉を、傲慢な神父が口にするだけでも業腹なのだが―――、
兵士隊長は苦々しげな表情で沈黙した。
受け入れ難い、けれど否定もできない、といった顔をしている。
「分かったら邪魔をするな! おまえたちも、さっさと仕事をしろ!」
神父に怒鳴られながらも、教会兵たちが歩み出る。その顔には、にやけた笑みが浮かんでいた。
街のために戦ったのは自分達だと、周囲の兵士が忌々しげに睨み付ける。
しかしそんな視線も受け流して、教会兵は魔物の死骸に手を伸ばし―――、
「ぁ……がぁっ!?」
その手が弾けた。吹き出した鮮血が舞い散る。
ヴィレッサが放った魔弾が、教会兵の手を撃ち抜いたのだ。
「盗っ人だぜ。隊長のおっさん、捕まえてくれよ」
「え……? し、しかし……」
「他人の物を勝手に取ろうとする。そいつは盗っ人だ。神父だろうが、皇帝だろうがな。そんでもって……」
変形した魔導銃を両手に構えつつ、ヴィレッサは悠然と歩み出る。
「こいつらは盗賊団って訳だな。まとめて捕まえてやろうぜ」
「なぁっ……な、なんだ、貴様は!? 神の信徒である私を盗賊だと!?」
「ああ、抵抗するなら殺しちまっても構わねえか」
教会兵に銃口を向けて、首を傾げる。
いっそ問答無用で処断した方が、世の中のためには良いかも知れない。そうも思えるのだが、相手は狂信者ではなく盗賊だ。一応は言葉を掛けてやるべきだろう。
自分は甘いかなあ、とも思いながら、ヴィレッサは口を開く。
分かり易く、投降を呼び掛けるための決まり文句だ。
「みっつ数える間に武器を捨てな」
ひと~つ。
全員に聞こえるよう、子供らしく良く響く声で数えてやる。
しかし教会兵は困惑するばかりで、武器を捨てようとはしない。
ふた~つ。
最初に手を撃ち抜かれた教会兵が、剣を抜いて襲い掛かってきた。
仕方ないので頭を吹き飛ばす。最期に人命の尊さを教える材料になれたのだから、教会兵としては本望ではないだろうか。
み~っつ。
武器を捨てたのは、集団の一番後ろにいる教会兵二名のみだった。
他の者が蒼ざめた顔をしている中で、クロボス神父が罵声を上げる。
「ええい、なにを怯んでおる! あんな子供一人に、恥ずかしくないのか!?」
「で、ですが、ギガ・アントを退治したのは魔導士だという話も……」
「もしや、あの子供がそうなのでは?」
「そんなはずがあるか! たかが魔導銃一丁、何ができる!」
癇癪を起こしつつも、クロボス神父は障壁魔術を発動させる。
それを見て、他の教会兵も慌てて障壁を展開した。まだ剣を抜くかどうかは迷っていたが、僅かに余裕を取り戻した表情を見せる。
「あたしは、武器を捨てろって言ったんだぜ?」
もう充分に待ってやった。これ以上の口論は必要ない。
こいつらは、魔物の死骸なんて物を手に入れるために、自分の命を賭けたのだ。
そう溜め息をひとつ落として、ヴィレッサは引き金を弾いた。
「な……っ!?」
「ぎっ、アアアアアアァァあぁぁぁァァ―――」
阿鼻叫喚。二十名余りの教会兵が、次々と悲鳴を上げる。
断末摩でないだけでも喜ぶべきだろう。ヴィレッサは手足ばかりを狙って、彼らの戦闘力を奪っていった。
もっとも、結果的に苦しんで死ぬ者もいるかも知れないが。
「こういう時、電撃形態とかないのは不便だな」
『殺傷能力を持たない銃は、銃ではありません』
「極端な言い分だなあ、おい」
口元を捻じ曲げながら、ヴィレッサは足を進める。
その間に、もう抵抗しようとする教会兵はいなくなっていた。武器を捨てた二名とクロボス神父を除いて、全員が部位欠損級の重傷を負って蹲っている。
「隊長のおっさん、こいつらの処断は任せるぜ」
「あ、あぁ……はい……」
「心配すんな。文句言ってくる奴がいたら、あたしの責任にして構わねえよ」
街の兵士たちは、唖然として事態を眺めていた。それでもヴィレッサに指示されるまま、負傷した教会兵に応急処置をして、縛り上げていく。
クロボス神父も縛られ、ヴィレッサの前に転がされた。
「さあて、テメエには聞きたいことがある」
「き、貴様ら、私にこんな真似をして、神罰が、っ―――」
魔導銃の銃身を口に突っ込み、黙らせる。
この馬鹿神父は、どうやらまだ自分の立場というのが分かっていないらしい。
『マスター、申し訳ありませんが不快です』
「おぅ。そうだな、悪ぃ悪ぃ」
銃身を引いたヴィレッサは、代わりに神父の頭を踏みつけた。その頭の真横に、魔弾を一発放ってやる。
穿たれた地面を見つめて、神父はガタガタと震えて静かになった。
「んじゃ、尋問といくか。どうにも気になってたことがあるんだよな」
騒動の最中には気づかなかった。
けれど一旦落ち着いて、街に関しての話を聞くと不思議に思えたのだ。
「この辺りじゃ、魔物が出るだけでも珍しいって言うじゃねえか。なのに、どうして急にギガ・アントの巣なんて出来たんだろうな?」
「っ、し、知らん! わ、私は何も知らん!」
ああ、この反応はクロだ。有罪確定。拷問決定。
知っている限りの情報を吐き出させるため、ヴィレッサは背後へ目を向けた。控えていたマーヤへ手招きする。
「おまえのところの兵士も、随分と落ち着いてたよな? 街が危機だったっていうのに、戦おうともせず、コソコソと何かやってたんじゃねえのか?」
「し、知らんと言っている! いったい、何の証拠があるのだ!」
「証拠、か。教会を調べれば、色々と出てきそうだけどな」
そちらの探索は後回しにするとして、ヴィレッサはマーヤに目配せする。
話を合わせろ、と。
「とりあえず、テメエの口から語ってもらうぜ。こっちには優秀な尋問役もいるからな」
「……どうも。尋問魔女のマーヤです」
マーヤは軽く会釈すると、三角帽子を深く被って目を細めた。
どうやら凄んでいるつもりらしい。元が整った顔立ちなので、むしろ艶っぽくもあるのだが、不気味な雰囲気と思えなくもない。
少なくともクロボス神父にはそう見えたようで、小さく悲鳴を上げていた。
「ま、魔女だと!? え、ええい、邪悪な! 失せろぉっ!」
「邪悪だとよ。んで、どんな恐ろしい方法で尋問するんだ?」
「……そうですね」
マーヤは不満げに眉根を寄せつつ、周囲を見渡した。転がっているギガ・アントの死骸を指差す。
「ちょうどいいので、アレを使いましょうか。体液を変質させて、溶かす力を抑えながら体内に注ぎ込むんです」
「エグイな。身体の中から溶かされるのかよ?」
「はい。想像を絶する痛みを味わえるかと」
本当にできるのかどうかは知らない。けれど、脅しとしては効果的だ。
蒼ざめた顔をしていたクロボス神父が、さらに顔色を失っていく。
「あと、ヴィレッサさんの魔弾に呪いを掛ける方法もありますね」
「ん……? ああ、前にも使った手だな。撃ち込んだ魔弾が、嘘を吐くたびに心臓に迫っていくんだったよな? あの時の捕虜は、ひでえ悲鳴を上げてたなぁ」
「……ええ。真実を語らせるには効果的かと」
マーヤは複雑に表情を歪める。なにやら恨めしげに。
魔女でさえ顔を顰める拷問手法―――クロボス神父には、そう思えたのだろう。
「や、やめろ! やめてくれ! 話す、なんでも話すから!」
「触媒は足りるよな? これだけ死骸があれば……」
「頼む! 助けてくれ! わ、私がやったんだ! 上からの命令で―――」
涙を流しながら、クロボス神父は洗いざらいを語っていく。
まるで、深く深く懺悔する敬虔な神の信徒みたいに。
だからヴィレッサは優しく頬を緩めて、その罪の告白を聞き届けてやった。
許すつもりはないし、極刑も間違いなしなのだろうが、苦しむ相手を見下ろして悦に入る趣味も無い。
何故か、周囲からは怯えきった眼差しが注がれていたのだが。
◇ ◇ ◇
ギガ・アント襲撃事件は、モゼルド教会の企みだとして処理された。
密かに魔物を持ち込み、放し、繁殖させて街を襲わせるという企みだ。
教会を預かる神父が自らの口で語ったのだ。是非もない。
さらに教会を調べると証拠も出てきた。魔物除けの香木が大量に保管されていたのだ。襲撃された際に教会の安全を守り、それを神の加護だと吹聴する計画だったという。
決定的な証拠とは言えないが、自白の裏付けとするには充分だった。
ただし残念ながら、モゼルドボディア教会の組織的な関与は証明できなかった。
上役から命じられたとクロボス神父は語ったが、その証拠は無い。文書などは、すべて破棄するよう指示され、神父もそれに従っていた。
正式な処断には、もう少し日数が掛かることになる。救助のために訪れるはずの領主軍を待って、身柄を引き渡す予定だ。
残念な報告が、もうひとつあった。
教会兵の内、最初に武器を捨てて投降した二名が逃げ出したのだ。しっかりと牢に入れておいたのだが、暗器を隠していたのか、少し目を離した隙に鍵が開けられていたという。
それでも、他の者達はまず極刑を免れない。
少なくとも、ビッドブルクの街からモゼルド教会の勢力は消え失せる。元より、領主であるアンブロス伯爵も教会勢力を嫌っていた。それでも排除できなかったのは、やはり皇帝の言葉が重かったらしい。
帝国領内でどうなるかは、まだ推測も難しいが―――。
「全部、潰しちまえばいいのにな」
魔導銃を構えながら、ヴィレッサは口元を三日月型に吊り上げる。
「にゃあ。やっぱりボスは過激だニャ」
「賛成したいけど、言葉に出すには勇気がいるわよね」
肩を縮めてから、ロナは両手に持った泥玉を投げた。連続して幾つも。
隣にいるマーヤも、複数の水球を魔術で浮かべて空中へと放つ。
ヴィレッサの訓練だ。飛び交う泥玉や水球を、速射形態で次々と撃ち抜いていく。時にはマーヤが風魔術で軌道を変えたり、水球そのものを操ったりしているので、なかなかに難しい。
『命中率82%。成長が見られます』
「いや、速射形態が扱いやすいおかげだな」
魔導銃の破壊力は頼りになるが、それだけで魔導士同士の戦いは決まらない。
ガラディスとの戦いで欠点が見えた。むしろ、ヴィレッサの弱点だろうか。
強化魔術もあるこの世界では、一流の戦士の反応速度は侮れない。引き金を弾く瞬間を見て取り、銃口から弾道を予測し、瞬時の判断で躱してみせるのだ。
対応策としては、遠隔形態をはじめとして幾つか挙げられる。
手元を隠す、あるいは避けられないほどの広域殲滅を行う―――。
しかし小手先の策に頼っては、いつか逆に対応策を打たれて痛い目を見る。
ヴィレッサが欲しいのは、もっと確固とした技術だ。例えば剣術で、基本の型を突きつめた末に必殺の一撃が繰り出せるような。
撃てば確殺―――と言うと、さすがに物騒すぎる気もするのだが。
「試行錯誤しねえとな。銃での戦い方なんて、よく分からねえし」
『本来の銃とは、誰もが安定した殺傷能力を得られる兵器なのですが』
「だからって、技術が伸びねえ訳でもねえだろ?」
『……肯定。では私も、新たな形態を模索するべきでしょうか?』
そんな殺伐とした話も交えつつ、ヴィレッサは訓練を重ねていく。
訓練場所に選んだのは、街の外、門から少し離れた空き地だ。安全のために滅多に人が訪れない場所を選んでおいた。
それでも時折、訪れてくる者がいる。
「どうした? 巣の方で動きでもあったか?」
ギガ・アントの巣は、街の北東方面で発見された。現在は監視塔を建てて警戒中だ。何かあれば兵士が報せに来る手筈になっている。
本格的な駆除は、領主軍が到着してから。
だからそれまで、ヴィレッサは街に留まることにしたのだ。
「いえ。魔物どもに変化はありません」
街の方から歩いてきた兵士は、形式ばった敬礼をしてみせた。
ヴィレッサとしては畏まられるのは未だに慣れない。けれどやはり魔導士の看板は重いらしい。派手な暴れ方をした影響もあるのだろう。
「アンブロス伯爵軍より、先遣部隊の方が参られたのでお連れしました」
「ん? そっちの奴等か。そういや初めて見る顔だな」
兵士から紹介される形で、後ろに控えていた五名の男達が歩み出る。
先遣部隊の隊長だという男が名乗って、礼儀正しく頭を下げた。
領主軍はあと数日で到着するが、街の様子を見るために彼らを先行させたのだ。他にも数十名がいて、必要とあれば救助を、魔物に占拠されているようならば情報だけでも持ち帰る任務だったという。
しかし実際に街に辿り着いてみると、事件は既に終息しており、唖然とさせられた。そうして兵士から話を聞いて、事件の顛末を知った。信じ難い話だが嘘だとも思えない。なので詳しい情報を持ち帰るべく、実際に魔物を片付けたヴィレッサからも話を聞こうという訳だ。
「ヴィレッサ殿は、ゼグード様からの紹介状を持っておられるそうですな」
「ああ。紹介状って言うか、通行証だけどな」
赤狼之加護の内側に縫い付けてあるので、すぐに取り出せる。その通行証を見せたり、魔導銃を変形させて見せたりしながら、一通りの説明を済ませた。
先遣兵達は目を白黒させていたが、ほどなく事情を飲み込んでくれた。
「多大なご助力に、心から感謝を。アンブロス伯爵も安心されることでしょう」
「やめろって。あたしは偶然、通り掛かっただけだ」
「ですが、ヴィレッサ様がおられなければ街は壊滅していたでしょう。私個人としても、深く感謝させていただきます」
やたらと丁寧な先遣部隊長は、この街に思い入れがあったらしい。
かつて想いを寄せた女性がいるとか、いまは結婚しているとか、その幸せを願っているとか、そんな話も聞かせてくれた。
まあ、ヴィレッサは半分以上を聞き流していたのだが。
「では、我々は本隊へと戻ります。数日後には街へ到着するかと」
「了解だ。それまで、しっかりと守っててやるぜ」
去っていく先遣部隊を、ヴィレッサはひらひらと手を振って見送った。
けれど、ふと思う。
「魔導士になったら、あたしも敬礼とか、貴族の礼儀とか覚えるべきなのか?」
「にゃ? さすがのあちしも、魔導士の常識は知らないニャ」
「もしかして、私達も従者としての振る舞いとか必要なのかしら?」
ロナが首を捻り、マーヤが眼鏡を上げ直して真剣な表情を見せる。
けれど元村娘と元異国人では、答えなど出るはずもなかった。
「ドレスとか着せられるのは嫌だな。スカートだって苦手だぜ」
「にゃはは。ボスもマーヤも、まだまだお洒落をする年頃じゃないニャ」
「ちょっと! 私はそれなりに、服装には気を配ってるわよ?」
「気を配って、その黒一色なのかよ」
どうでもいい話もしつつ、また訓練をして、のんびりと一日を過ごす。
夕方近くになると、平原の奥から黒馬が駆けてきた。街の馬房に預けてもよかったのだが、散歩ついでに辺りの見回りをさせていたのだ。
「おかえり。楽しんできたか?」
嬉しそうに嘶く黒馬とともに、ヴィレッサたちは街へと戻る。
ただ、マーヤが項垂れながら、ぽつりと呟いていた。
「隣にナイトメアがいるのに、なんで私、平気でいられるのかしら」
「にゃはは。『慣れは最高の教師』って言うニャ。あちしはもう、常識は投げ捨てることにしたニャ」
「なんでそんなに脳天気なのよ。はぁ……」
二人の遣り取りを横目に、ヴィレッサも苦笑を漏らす。
自分の常識もかなり壊れてきたな、と。
兵士に頭を下げられ、町長の屋敷で世話になって、丁重なもてなしも受けている。何もしなくても食事は出るし、町長の娘が身の回りの世話も焼いてくれる。
ほんの少し前まで、田舎村で畑仕事の手伝いをしていたのに。
随分と遠くまで来てしまったような―――。
「ん……?」
微かな憂いを覚えながらも、ヴィレッサは街の入り口を見つめた。
こちらの姿を見留めて、一人の兵士が小走りに向かってくる。
「おかえりなさいませ、ヴィレッサ様。あの、実は……」
「あの親子のことか?」
「あ、はい。そうです。どうしても直接にお礼を申し上げたいと」
兵士が振り返った先、門の前には、一組の親子がいた。
こちらを見て、母親は深々と頭を下げ、小さな女の子がぶんぶんと手を振っている。
「いいぜ、見覚えのある顔だ。あたしも気になってた」
兵士を労って、親子の元へと足を向ける。
ギガ・アントに襲われていた親子だ。無事だとは思っていたが、それを自分の目で確認できて、ヴィレッサは小さく安堵していた。
「おねえちゃ~ん!」
「あ、ダメよ、ルル!」
押さえようとする母親を振り切って、ルルと呼ばれた女の子が駆け寄ってくる。
ヴィレッサは苦笑いしつつ、自分より少しだけ背の低い女の子を抱き止めた。
ついでに一回転。抱え上げ、下ろしてから、ぽんぽんと頭を撫でてやる。
「おねえちゃん! えっと、あのときは、ありがとう!」
「おう。元気いっぱいだな」
「うん! おかあさんも、あたしも、げんきだよ!」
撫でられながら、ルルは花が咲いたような笑顔を見せてくれた。
その後ろで、母親もほっと胸を撫で下ろしている。
「あの、本当にありがとうございました。あの時はお礼も言えず、魔導士だとも知らず、申し訳ありません」
「ん……えっと、まあ、気にしなくていい」
丁寧に礼を言われて、ヴィレッサは頬を歪めながら目線を逸らす。
悪い気分ではない。でも、なんだか調子が狂う。
そんな風にヴィレッサが困惑していると、
「あのね、おねえちゃん!」
ちょいちょいっと、ルルが袖を摘んできた。
首を傾げるヴィレッサを見上げて、両手の上に乗せた”それ”を差し出す。
「これ、あげる。あたしが作ったんだよ!」
「ん……紐細工か?」
赤と白の紐を絡めたそれは、どうやら腕輪らしい。ところどころに荒さが窺えるが、手の込んだ一品だと分かる。
「えっとね、これをつけてると、わるいことから守ってくれるんだよ」
「そっか、ありがとうな。大切にする」
「うん! あたしがつけてあげる!」
ヴィレッサの手首に紐を回して、ルルは小さな指を動かしていく。
途中で首を捻って、「えっと、こうだっけ?」とか言っていたが、母親の手も借りてしっかりと結びつけてくれた。
「できた! おねえちゃん、とっても”おしゃれ”だよ」
誉められて、ヴィレッサははにかむ。
可愛いと言われたら、内心では喜べなかったかも知れない。でもまあ、小物でのお洒落くらいなら受け入れられる。
こういう物は男女の区別もなさそうだしな、と。
「そうだ、あたしもお返しだ」
ふと思いついて、ヴィレッサは懐に手を伸ばした。以前に手に入れて、使い処のなかったそれを一枚取り出す。
一瞬、母親が目を見開いていた。
けれど誤解はすぐに解ける。本物ではなく、玩具の金貨だ。
「こいつはな、古いお金で使えないけど、御守りになるんだぜ」
「おまもり?」
「ああ。ずっと持ってると、危ない時に守ってくれるんだ」
胸ポケットのコインが銃弾を受け止めたり―――とは、さすがに言えない。
そんな危ない場面には遭って欲しくないし、願掛けみたいなものだ。
だけどルルは喜んで、小さな手に金貨を握り込むと胸に抱えた。
「おねえちゃんみたいだね!」
思わぬ言葉に、ヴィレッサはすぐに返答できなかった。
ただ、小さな頭を撫でてやる。
微かに乱れた、子供らしい髪の感触が心地良い。
嬉しそうに笑うルルとともに、ヴィレッサも自然と頬を緩めていた。




