第2話 またも立ちはだかる黒くて大きな硬いモノ
ビッドブルクの街を守る門の前では、大勢の兵士が怒号や悲鳴を上げていた。
国境の兵ほど熟練とは言えないが、犯罪者との戦闘経験はある。戦争でなくとも、ちょっとした盗賊集団の相手をするとなれば命懸けだ。そんな危険な任務は少ないが、毎日の訓練は欠かしていない。
国境から近い街というだけで人の出入りは多く、必然として、兵士の数も多く配置されている。質も、中の上といったところだろう。
並大抵の荒事であれば、街の住民を守れる戦力なのは間違いない。
けれど目の前に襲ってきている事態は、あまりにも相性が悪かった。
「くそっ、盾がもたん! もっと武器を持って来い!」
「こ、この槍で最後です。後はもう弓矢くらいしか……」
「矢ではこいつらの殻は貫けん! 魔術攻撃だ、何故、手を止める!?」
「皆、魔力切れです! 隊長、このままじゃ……」
「諦めるなぁっ! 組み付いてでも、こいつらを街に入れるんじゃない!」
怒鳴り声を上げながら、大柄な体格をした守備隊長が盾を振り払った。
鈍い音が響き、殴られた魔物が仰け反る。けれど、それだけだ。
その一瞬の間にも、後続の魔物が押し寄せてきている。
巨大狂蟻―――子牛ほどの大きさがある、見た目はただの蟻だ。殻は硬いが、剣や槍で貫けないこともない。小さな傷を与えても暴れるだけなので、メイスやピックで叩き潰すのが最適だろう。
大多数の魔物と同じく、単純な行動しか取らない。なので、一人が注意を引いている間にもう一人が倒すのは難しくない。
ただし、相手が一匹ならば、だ。
ギガ・アントの厄介な点は、集団で行動することだ。地下に巣を作るので、被害が出るまで発見も難しい。加えて、その体液は鉄さえも溶かす。
「お、俺の腕がぁ、っ、た、隊長、助けっ―――」
骨が見えた腕を上げた兵士が、直後に突撃を喰らって倒れた。瞬く間に十数匹のギガ・アントに群がられ、その頑強な牙によって全身を解体されてしまう。
その場にいる百名余りの兵士全員が、顔色を蒼ざめさせた。
次は、自分がああなるのでは? いや、この場の全員が―――。
恐怖に駆られながらも、辛うじて密集陣形を組んだまま持ち堪える。
「くそっ、腕利きの魔物狩りでもいねえのかよ!?」
「んなもん都合よくいるか! だいたい、ここらじゃ魔物だって珍しいんだ」
「だったら、こいつら何処から……」
「知るかよ! それより、他に戦える連中はいねえのよ!」
悪夢としか言いようのない事態を嘆きつつも、比較的冷静な者は打開策を探ろうとする。けれどそんな策があれば、とうに打っているのだ。
この東門にいない兵士も、別の場所を守っていたり、領主の直轄地へ伝令に駆けたりしている。戦える者といえば、商人の護衛などの傭兵もいるが、彼らは依頼主を守るので手一杯のはずだ。
あと、思いつくとすれば―――。
「教会の連中は!? あいつら、普段は偉そうに説教ばっかしやがって!」
「はっ、あんな連中が頼りになるかよ」
「違いねえ。モゼなんとかって神に祈るくらいなら、俺は悪魔に頼るぜ」
「おいおい、そこはせめて修道会の婆さんにしておけよ」
軽口を叩き合い、戦意を振り絞ろうとする。
しかし彼らが持つ剣は折れ、盾は削られ、犠牲者も一人二人と増えている。全員が肩で息をして、足を震えさせている者もいた。
よく戦ったと言えるだろう。彼らの中に騎士や貴族の家に生まれた者は少なく、兵役で仕方なく集められた者ばかりだ。勝ち目のない戦いに挑む誇りなど始めから持たず、義務感もいつ崩れるか分からない。
それでも逃げ出さないのは、街の住民を守りたいからだろうか?
見回りの際に、いつも声を掛けてくれる年寄りがいる。暴漢から助けた少女は、何度も礼を言ってくれた。自分達に憧れて目を輝かせる子供もいた。
そんな人達を見捨てるなんて、できるはずがなかった。
たとえ、どれだけ絶望的でも―――、
もしかしたら、援軍が近くまで来ているかも知れない。
もしかしたら、強力な魔術師が現れて魔物どもを一掃してくれるかも知れない。
もしかしたら―――。
口に出したら霧散してしまいそうな淡い希望を胸に、彼らは抗い続ける。
けれど、気づく。
街の方が騒がしい。悲鳴らしきものが断続的に聞こえてくる。
目の前の戦闘で手一杯だったが、街の中までギガ・アントが侵入したらしい。
だが、ここで押さえているのに何故?
他の門が破られたのか―――疑問の答えは、すぐ近くにあった。
ほとんどのギガ・アントは兵士たちへと向かってきている。しかし一部は別の列を作り、街の壁をよじ登って乗り越えていた。
猪や狼ならば防げる石壁だが、器用な六本足を持つ虫型の魔物にはちょっとした障害物でしかなかったのだ。
「く、くそっ、このままじゃ街のみんなが……」
「隊長、街へ戻らせてください! あそこには俺の幼馴染が―――」
一人の兵士が懸命な訴えをしようとした、その時だった。
一陣の風が吹いて―――直後、数十匹のギガ・アントが弾け飛んだ。
さらに続けて二発、三発と、風の塊が魔物どもを蹴散らしていく。それが魔術による衝撃波だと察して、兵士たちの顔に喜色が浮かんだ。
援軍だ! 誰だか知らないが有難い!
これほどの使い手がいるならば、街の皆を守ることも―――。
そう希望を抱いて、魔術が放たれた方向へと目を向けた。
「え……?」
直後、兵士たちは絶句する。絶望させられる。
視界に飛び込んできたのは巨大な黒馬―――黒き悪夢。
ギガ・アント以上の、災害級の魔物として知られている化け物だ。
およそ馬とは思えない巨躯に、鬣を逆立て、猛然と迫ってくる。兵士たちが息を呑んでいる間にも、ギガ・アントの群れに突撃していた。
その馬蹄で散々に蹴散らし、踏み潰していく。虫の奇怪な悲鳴が響き渡る。
鉄すら溶かす体液も物ともしない。全身の毛に魔力が込められ、障壁の代わりを果たしているのだ。さらに衝撃や雷撃、無数の炎弾など、様々な魔術も使いこなして、瞬く間にギガ・アントの数を減らしていく。
「ど、どうなってんだよぉ……」
兵士の一人が、笑い顔で、泣き出しそうな声を漏らした。
恐ろしい魔物の群れが駆逐されていくのは喜ぶべきことだ。けれど、さらに恐るべき魔物が後に控えているのだから、絶望に膝を屈してしまいそうになる。
だが、さらにさらに、事態は混乱の度合いを高めていく。
「よう。なんだか困ってるみてえだな」
まるでこの場にそぐわない、可愛らしい声が響いた。
黒馬の上から小さな影が跳ぶ。唖然とする兵士たちの前に降り立つ。
何者だ? 敵か味方か―――そんな単純な疑問すら吹き飛んでしまう。
まず、目の前の光景が信じられなかった。
子供としか言いようのない幼い少女が、恐ろしい魔物どもを前にして悠然と笑みを浮かべているのだ。
そして―――、
「とりあえず、こいつらは全滅させちまって構わねえんだろ?」
真っ赤な外套を翻して、幼女は自信満々に言い放った。
◇ ◇ ◇
もしや自分には、厄介事を招く呪いでも掛かっているのでは?
穏やかな旅に喜んでいた矢先なだけに、そう嘆きたくなった。
けれど溜め息を漏らしている暇も無い。魔物の群れは目の前に迫っている。
もはや満身創痍といった惨状の兵士達の前に立つと、ヴィレッサは腰の魔導銃を抜き払った。
「それは、魔導銃……? い、いや、それよりも!」
「早く街の中へ逃げろ! 子供の遊びじゃないんだぞ!」
「そうだ。魔導銃なんかでどうにかなる状況じゃ―――」
足を震えさせている兵士たちが、口々に声を上げる。
その声に眉を揺らしたヴィレッサだが、侮蔑と受け取ったのではなかった。
自分はまだ子供だ。頼りなく見られるのは仕方ない。
ましてやこんな状況では、邪魔をするなと怒鳴られても仕方ないのに―――。
「はっ、余計な心配してんじゃねえよ」
これはもう一人も死なせる訳にはいかない。
言葉よりも行動で示すことにして、ヴィレッサは魔導銃を変形させた。
『掃射形態へと移行、完了。どうやら敵の体液は強酸性のようです。防げないことはありませんが、ご注意を』
「近づかせるな、ってことだな?」
肯定―――と、お決まりの返答を聞くより早く、ヴィレッサは引き金を弾いた。
轟音が響く。無数の魔弾がばら撒かれる。
黒々とした蟻の群れが、瞬く間に”だった物”に変わっていく。硬い殻を溶けたチーズのように貫通する魔弾は、死体を盾にすることさえ許さない。
まだ百匹以上はいたギガ・アントの群れは、一呼吸か二呼吸後には、すべて大地に転がる魔物素材の山と化していた。
「おっし、ひとまずは片付いたか」
『肯定。優先殲滅目標、完全に沈黙です』
静かになった平原を見渡してから、ヴィレッサは振り返る。
兵士たちが唖然とした顔で固まっていた。無理もない。しかし負傷者もいるようなので、さっさと立ち直ってもらわなくては困る。
だからヴィレッサは口元を吊り上げる。渾身の笑顔を見せてやる。
安心していいぞ、と。
「これでもあたしは魔導士だ。ゼグードの爺さんとも知り合い、って言えば少しは信用できるか?」
「ぜ、ゼグード閣下と!? それではバルツァールから援軍に?」
「いや、偶然に通り掛かったんだけどな、と」
短い遣り取りをしている間に、二頭の馬が近づいてきていた。その姿を確認して、ヴィレッサは声を上げる。
「ロナ、マーヤ、ここは任せる。怪我人もいるから手当てしてやれ」
「り、了解ニャ。ちょっとくらいなら治療術も使えるニャ」
「街に入り込んだ魔物もいるみたいよ。どうするの?」
「分かってる。そっちもこれから叩く。メア、ここを守ってやれ」
黒馬の嘶きを聞きながら、ヴィレッサは空中へと駆け出した。
しかし街での戦闘となると厄介だ。まさか砲撃形態ですべてを吹き飛ばす訳にもいかない。上空から狙撃形態で狙うにしても、威力が大きすぎて周囲にも被害を及ぼしかねない。
だからといって一匹ずつ、というのも時間が掛かるのだが―――。
「私に考えがあるわ。こいつらの死体、触媒として貰っていいわよね?」
「分かった。期待してるぜ!」
マーヤが眼鏡を輝かせるのを確認して、ヴィレッサは街壁を跳び越えた。
すでに街の中には、かなりの数のギガ・アントが侵入していた。
夕刻なので出歩く人も多い。非常事態を告げる鐘は鳴り響いていたが、避難する間も無く襲撃されたのだろう。兵士もほとんどが門の守備に回っているので、逃げ惑う人々であちこちの街路が埋め尽くされていた。
『どうやら北東方面に巣があるようです。そちら側から多く侵入されています』
「急がねえとな……魔物だけを判別できるか?」
『了解。特徴的な魔力反応を、視覚へマーカーとして表示します』
悲鳴が上がる街を見下ろしながら、遠隔形態へと変化した魔導銃を展開させる。
最大数である十二機、その内の半数を北門へ向かわせた。ヴィレッサがやってきた東門と同じように、兵士の一団が奮戦している。数十匹も数を減らせば、かなり楽になるだろう。
残りの六機は街の各所、目についたギガ・アントから次々と撃ち抜いていく。
『提言。マスターの身を守るため、二機は手元へ残してください』
「いまは暗殺形態があれば充分だ。それよりも早く……っ!」
その時、ヴィレッサの視界に一組の親子の姿が飛び込んできた。
ヴィレッサよりも幼いであろう少女を抱えて、走っていた母親が路地の隅で倒れ込む。その背中を追って、一匹のギガ・アントが路地の壁にへばりついていた。
遠隔形態を呼び戻そうとする。しかし遠い。
角度も悪く、間に合わない。
「くそっ……!」
舌打ちと同時に、ヴィレッサは空中の魔力板を蹴った。強化された脚力で、矢の如き勢いをつけて地上へと向かう。
だけど―――間に合わない。
親子に追いついたギガ・アントが、いま正に口を開いて体液を吐き出そうとしていた。
「ディード、防げるな!?」
『肯定。赤狼之加護ならば、あの程度は―――』
返答を聞くよりも早く、ヴィレッサは石畳を割りながら着地していた。
親子の前に立ち、外套を広げる。魔力盾も作ろうとして―――、
直後、ギガ・アントの口から体液が吐き出された。生温かい、黄ばんだ粘液が降り注ぐ。それを身体で受け止めて、ヴィレッサは顔を顰めた。
痛みはない。けれど、臭くて、気持ち悪い。
『損傷率軽微。戦闘には支障ありません』
「いますぐ、シャワーを浴びたい気分だけどなぁっ!」
不満を叫びつつ、暗殺形態を構え、引き金を弾く。
装弾数は二発。その後は一拍の間を置かねばならないが、魔物の一匹くらいなら仕留められる。
軽い銃声とともに、ギガ・アントの頭が弾け飛んだ。
それでもまだ蠢いている胴体部分を蹴りつけ、街の外まで飛ばしてから、ヴィレッサは振り返った。唖然として座り込んでいる親子の様子を確かめる。
「無事だな?」
「え、あ、はい。ありがとう―――」
最後まで聞かず、ヴィレッサは再び空中へと駆け上がった。
まだ街に入り込んだ魔物は多い。感謝の言葉に喜んでいる暇はない。
次の標的を探そうとして―――そこで、事態が動いた。
「これは……マーヤか?」
街の東側から、微かに青味がかった靄が流れ込んでくる。街全体を覆うように靄が広がり、それに包まれたギガ・アントたちの動きが乱れ始めた。
殺虫剤、という訳ではないらしい。
直接的な攻撃力は無いようだが、靄を嫌うようにギガ・アントたちが逃げ出していく。
『魔術的な効果は薄いようですね。むしろ生物学的に、蟻の嫌う成分を死体から抽出して散布していると推察できます』
「なんでもいいぜ。とりあえずこれで、被害は防げるだろ」
ヴィレッサはそっと安堵を漏らす。
まだ街の中に残っているものもいるが、人を襲うよりも逃げ出そうとしている。これならば被害が増える前に狩り尽くせる。街の外ならば、まとめて砲撃形態で吹き飛ばせばいい。
「あとは……巣も潰さねえとダメだろうな」
『そちらは街の兵士か、領主軍に任せれば良いのでは?』
「ん~……まあ、わざわざ仕事を奪う必要もねえか」
なるべくなら旅を急ぎたい。だけど兵士の被害が増えるのも見過ごしたくない。
相反する気持ちを、ヴィレッサはひとまず頭の隅に追いやった。ギガ・アントを狩ることに集中していく。
だから、この時は気づいていなかった。
街の一角に、見覚えのある十字模様の旗が掲げられていて―――、
その建物の前を通ったギガ・アントが、不自然に来た方向へと引き返していった。




