第2話 修道女の秘め事
午前中は修道院で勉強をして、午後からは大人に混じって農作業などを手伝う。それがこのウルムス村での子供たちの毎日だった。
幾名かの大人と村の広場で昼食を済ませた後、子供たちは解散する。
「シャロン先生、今日もありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ。カミルくん、お手伝いもしっかりするのよ」
「うん! 先生、明日も魔術を教えてくれるんだよな!」
「そうね。明日は土と風の魔術を教えてあげる」
ほとんどの村人は、シャロンのことを『シスター』とは呼ばない。そうだと理解はしているのだが、ほとんどの大人たちにとっても彼女は『先生』なのだ。
数十年前にこの地で修道院を建て、ずっと村を支えてくれている彼女のことを、住民全員が尊敬していた。
その変わらぬ美貌に見惚れる者もいるが、理由は知れ渡っている。
エルフィン族であることは、シャロン自身の口からずっと以前に語られていた。
バルトラント帝国には、先代皇帝の時代にエルフィン族と争い、迫害した歴史がある。現在では互いに不可侵を約束しているが、まだ帝国民の中にはエルフィン族に敵対心を持つ者は多く、下卑た欲望を向ける者はもっと多い。
しかしウルムス村の住民にとっては、信頼できるシャロン先生でしかないのだ。
だから、そのシャロンが育てている双子の姉妹も村の皆から可愛がられている。
「それじゃ、私達も帰りましょうか」
「はぁい。せんせぇ、はたけのようすも見るんだよね?」
「ん。それと、お昼寝も大事」
「ふふっ、そうね。お野菜に水をあげてから、三人で日向ぼっこでもしましょう」
この村の修道院の前に捨てられて、すでに五年―――、
ヴィレッサは平凡な女の子として過ごしていた。いやまあ、あれこれと問題は起こしているのだが、辛うじて平凡の枠内に収まっている。
時折、スマホとかRPGとか、この世界には無い単語を呟いてしまうこともあった。自分を『俺』と呼んでみたことも。だけど子供の戯言として聞き流されたし、口調はシャロンによって矯正された。
ちなみに、魔力を固めるというのも異世界知識があってこそだ。分子や原子といった物質の構造をなんとなくでも知っていたおかげで、魔力も圧縮すれば硬くなるのでは、という発想を浮かべられた。
もっとも、何かしらの魔法効果のおかげという可能性もあるのだけれど。
それにしても、いったい自分は何者なのか―――、
疑問に思ってもいたが、いまのところ答えはひとつのみだ。
田舎村に住む小さな女の子、ヴィレッサでしかない。
異世界の知識は持っていても、記憶に関しては曖昧なのだ。自分が育った場所や、友人の顔さえ覚えていない。自分をこの村に捨てた親の顔は、はっきりと覚えているけれど―――。
それでいいと素直に思える。この村での生活は楽しい。
近くの森では兎や猪がよく狩れるし、果物も獲れて、冬の薪にも困らない。水は豊富で畑の収穫も安定している。村人全員がシャロンから魔術を教わっているので、日々の生活でも多くの不便が解消されている。
おまけに、領主から格別の配慮をされていて税も安い。なんでも以前、領主の息女が病気で苦しんでいた際に、シャロンの魔術で治療してあげたそうだ。
正しく、シャロン先生様様である。
「エルフィン族の人って、みんなシャロン先生みたいに魔術が得意なの?」
修道院への帰り道で、ヴィレッサは子供っぽく首を傾げた。
「そんなはずないよ!」
何故か、答えたのはルヴィスだった。偉そうに胸を張って眉を吊り上げる。
「せんせぇは”とくべつ”なの! そんなことも分からないの?」
「えっと、そう言いたい気持ちは分かるけど……」
シャロン先生大好きなルヴィスに詰め寄られて、ヴィレッサは困惑してしまう。
そんな二人の遣り取りを眺めて、シャロンは小さく笑みを零した。
「特別というほどではないけど、エルフィンでも魔術が苦手な人はいるわ。今の私があるのは、一生懸命に勉強したからよ」
「ほらやっぱり! せんせぇはすごいんだから!」
「どうしてそうなるのさ……」
「とにかく、二人も頑張って勉強すれば、立派な魔術師になれるわよ」
シャロンが優しく言って聞かせると、ルヴィスは「はぁい!」と素直に返事をする。
その隣でヴィレッサも頷いたが、そっと自身の耳に指を這わせていた。
この村での生活で、ひとつだけ危惧していることがある。その耳に刻まれた傷跡に関してだ。
普段は髪に隠れているが、よく見ると耳の上半分だけを切り落とされたのだと分かってしまう。ルヴィスはかなり綺麗に、普通の人間と見分けがつかないくらいに治癒されていたが、ヴィレッサの方は火傷痕のように醜く歪んだままだ。
どういった意図があって、この耳が切り落とされたのかは分からない。
その当時のヴィレッサは、まだこの世界の言葉を理解していなかったのだ。
しかし自分がエルフィン族の血を引いているのだと、いまのヴィレッサには推測できていた。
シャロンは何も告げてくれないが、恐らくは気づいているのだろう。エルフィン族は子供である時間が長いようなので、いつかはルヴィスが察する時も来るはずだ。
そして、ヴィレッサは―――この傷を刻んだ相手の顔も覚えていた。
「早く、魔法を覚えたいな……」
だから力をつけておきたいと、ヴィレッサは溜め息混じりに呟く。
自分が特殊な家の生まれであるのは、まず疑いようがない。
恐らくは貴族の血筋だが、捨てられたのだから今後も関わる可能性は低い。だが、もしも跡継ぎ騒動などに巻き込まれたら困る。村に迷惑を掛けるのも避けたい。
最悪、ルヴィスと二人で生きていく選択を迫られるかも知れないのだから。
「もう! ヴィレッサはまだ気にしてるの?」
「大丈夫よ。水と火は適性がなかったけど、他にも魔術はたくさんあるから」
項垂れたヴィレッサの様子を、二人は勘違いしたらしい。両脇を挟んで、わしゃわしゃと頭を撫でてくる。
「べつに、落ち込んでた訳じゃ……」
そう言い掛けて、ヴィレッサは首を傾げた。
村の広場から雑木林を抜けて、修道院の入り口が見えてきたところだ。普段は静かな場所なのだが、そこで数名の大人達がなにやら大きな声で話をしていた。
村長と、その両脇にいる二人はヴィレッサも顔を覚えている村の住民だ。
けれどもう一方、白い装束を着た男達は明らかに村の者ではなかった。
「どうかしたのかしら?」
「あぁ、シャロン先生。これは、えっと……」
こちらに気づいた村長が、喜んだような、困ったような声を上げた。
そうして村長が逡巡している間に、白装束の男がシャロンへと顔を向ける。数名の中心にいたのは痩せ型の、額が随分と広い男で、訝しげに目を細めていた。
「ふん……貴様が、この村の住民を騙しているというシスターか」
シャロンが眉を顰める。同時に、彼女の指先から青白い魔力の光が漏れたが、そちらはすぐに消えた。
初対面で決定的な敵だと判別できたが、実力行使は踏み止まったのだ。
「随分な勘違いをなさっているようですが、貴方は?」
「聖モゼルドボディア教会にて司祭を務めているディザハムラだ。この度、この村に正しい教えを広めにきた。よって、この建物は我々が譲り受けてやる」
言葉の前半と後半に繋がる理由が皆無であった。なにが、「よって」なのか。あまりに傲岸不遜な物言いに、シャロンは額に指を当てて嘆息する。
そのシャロンの背後に隠れるようにしている五才の子供でさえ、呆れ顔をせずにいられなかった。
「ねぇヴィレッサ、あのひとたちってバカなのかな?」
「少し違うよ。可哀相な人たちだね」
「ん、そっか。やさしくしてあげないといけないね」
シャロンの影から、二人は揃って哀れみの視線を向ける。しかし子供の声はよく通るもので、まるで小馬鹿にするような遣り取りもディザハムラの耳に届いていた。
「ええい、なんだその無礼なガキどもは! 聖職者を嘲るとは!」
広い額の隅々まで真っ赤にして、ディザハムラは怒鳴り声を撒き散らす。
「貴様らのような異教徒は、偉大なるモゼルド=ゼゥ=ボディア神によって排除されるのみ。だが神には慈悲もある。即刻にこの村から退去すれば、神罰は免れるであろう」
「はぁ、馬鹿馬鹿しい」
「なんだと? 貴様、私の言葉を……」
ディザハムラは急に眉根を寄せ、シャロンの顔をじっと覗き込んだ。正確には、その視線は特徴的な長い耳に注がれていた。
シャロンもその視線に気づいて、「あっ」と小さく声を上げる。
村の外から人が来る時には幻影術で隠すようにしているのだが、最近は平和すぎて忘れていたのだ。
「その耳……エルフィン族か。何故、帝国内でのうのうと暮らしている?」
「……村長、彼等は急に訪れて勝手を述べている、という解釈でよろしいですね?」
ディザハムラを無視して、シャロンは村長に確認をした。村長は困惑しながらも頷く。
その態度はディザハムラの怒りを買ったが、そうでなくとも彼が取った行動は同じであっただろう。
モゼルドボディア教は唯一絶対の神を信仰対象として、他の宗教を一切認めていない。さらには純粋な人類種は自分達『ヒューラル』のみとして、他の種族への排斥を唱えている。
国力を左右するような『魔導遺物』も、彼らの神が創り出したと謳っていた。
「貴様らのような下賤な者には、神の慈悲も与えられん! 捕らえろ!」
ディザハムラと同じような白装束を着た男達が、腰に差した剣を抜き放った。彼等はディザハムラと同じくモゼルドボディア教会の信徒であり、同時に兵士でもあるようだった。
教会の威光を実力を以って知らしめるのが彼等の役割、という訳だ。
だからといって、こんな辺鄙な村まで派遣された兵士たちがさほど信心深いはずもない。しかしエルフィン族の女が相手となれば、張り切る理由には充分だった。
美しいエルフィン族の女は奴隷として高く売れる。さらに自分達も”お楽しみ”にありつけるのだ。
下卑た眼差しが、シャロンの細い身体の上を這い回る。
シャロンは不快に眉を揺らしたが、背後にいる幼い双子を庇うように腕を広げると、普段の授業と同じく冷静な声で言った。
「二人とも、よく覚えておきなさい」
「……?」
「簡単に神様の名を口にするのは悪人ばかりよ。信じちゃいけないわ」
悠然とした笑みを浮かべると同時に、シャロンは自身の前に魔法陣を描き出した。
指を動かす必要はない。熟達した魔術師は、複雑な魔法陣も意思の力だけで描き、魔術を発動できるのだ。
教会兵達が危機を覚え、動こうとしたがすでに遅い。
魔法陣が弾け、そこから放たれた雷撃が、白装束の全員を貫いた。ディザハムラも白い閃光を全身に浴びて、悲鳴すら上げられずに倒れる。
村長も、ヴィレッサたちも、突然の出来事に唖然として固まっていた。
「気絶させただけよ」
シャロンが涼しげな声を投げると、全員がはっと我に返った。安堵する部分もあったが、さてこれからどうするのかと、村長たちは目を見合わせる。
しかしシャロンはまた全員を宥めるように、柔らかな微笑をみせた。
「彼らには、私が説得をしておくわ。村には何の影響もないから安心してちょうだい」
「あ、ああ……そうしてもらえると有難いが、大丈夫かね?」
「平気です。こういった物分りの悪い連中の扱いも慣れてますから」
村長へ手を振ると、シャロンはまた空中に魔法陣を描いた。青白く複雑な模様を、そのまま足元の地面へと下ろす。
一拍の間を置いて、土が大きく盛り上がり、やがて人の形を取った。
同じような土人形が三体作り出されて、気絶している男達を抱え上げる。
「それじゃあ私は、彼らを村の外まで送ってくるから……二人は修道院に戻ってなさい」
「……先生?」
シャロンが背を向けようとしたところで、ヴィレッサがか細い声を投げた。低く沈んだ不安混じりの声だった。
「……大丈夫よ。すぐに帰ってくるわ」
僅かに逡巡するように目蓋を揺らしたシャロンだったが、そのまま村の外へと歩いていった。後に残された村長たちも、双子が修道院へ戻るのを見届けると自分の家へと帰っていく。
そうして村にはまた平穏が戻ってきたが―――、
この日の夜、シャロンはやけに長い祈りを奉げた。
まるで大きな罪を贖おうとするように。あるいは、死者の平穏を願うように。
そしてその背中を、ヴィレッサは密かに見つめていた。
シャロン先生は黒くありません。
もろもろの生臭い事情は、物語の中で徐々に語っていきます。
そして次回、太くておっきいアレと奮戦!




