第27話 再会……?
港町キールブルクは、帝国でも指折りの都市として知られている。
南側は無限の海に面していて、多くの交易船と、その乗員や商人達が港を賑わせている。帝国領内を縦断する大河の河口もあって、内陸部との行き交いをする船も多い。
気候的には幾分か暑さが肌につくが、もうじき冬となる今の季節は過ごし易い。近隣から出稼ぎに来る者もいて、この時期だけ増える仕事の募集もある。
そういった意味では、避難してくるには良い季節だったかも知れない。
「……皮肉な考えよね」
低く呟いて、シャロンは大きな建物の中へと入った。
そこは造船所で、独特の活気が溢れている。ヴァイマー伯爵が直接に声を掛けた船大工もいて、交易用の大型船や軍艦も造っていた。
修道女が出入りする場所ではないが、シャロンは幾度も訪れて顔馴染みになっている。しっかりとフードも被っているので、エルフィン族だとはバレていない。
もっとも、その美貌は男達の視線を集めずにはいられないのだが、
「あ、シャロン先生!」
作業音や掛け声が響く中、可愛らしい声が投げられた。
大柄な男達に混ざって、ルヴィスが作業台に向かっていた。足りない背丈を補う木箱の上からぴょこんと飛び降りて、小走りに駆け寄ってくる。
「修道会のお手伝いは終わったの?」
「ええ。早目に終わったから、みんなの様子も見てきたわ。ガステンもしっかりと働いてたわよ」
「そっか。よかったぁ」
にっこりと頬を綻ばせる。子供らしい、屈託のない表情だ。
明るく、朗らかで、だけど何処か演技じみている―――、
この港町に来て以来、ルヴィスはそういった笑い方をするようになった。
逃れてきた当初は、まるで死人のように虚ろな目をしていた。一日のほとんどをベッドの上で過ごして、食事すら取ろうとしなかった。
シャロンも魔力切れで丸一日は昏睡状態に陥ったが、ルヴィスのそれは明らかに精神的な症状だった。それも深刻な、いつ自らの命を断つか分からないほどの。
だけど数日が過ぎると、急に活発に動き出した。
―――お姉ちゃんも、いま、頑張ってるから―――
そんなことを言って、同じように気力を失っていた村の皆を励まして回った。
心身の疲労から臥せっていた者の面倒も積極的に行っていた。息子を失った棟梁など、ルヴィスがいなければ立ち直れなかっただろう。
生憎、すぐに村へ戻って復興作業を、という訳にはいかなかった。
レミディア軍が何処に潜んでいるか分からないのだ。領主軍が出撃して捜索も行ったが、満足な痕跡も発見できず、荒らされた村からは家財道具などもほとんど回収できなかった。
だから避難した村の皆も、ひとまずはこの港町で生計を立てなければならなかった。
百名余りの者に、新しい仕事や住居を用意する必要があったのだ。領主の援助があったとはいえ、代表であるシャロンや村長の苦労は大きかった。
けれどその際、ルヴィスが随分と活躍してくれた。
元よりルヴィスは細かな作業が得意で、読み書きや計算にも長けていた。その技能は、避難した村の皆を取りまとめるのに役立った。
この造船所への出入りも、事務作業の手伝いを始めたのが切っ掛けだった。
そしていまでは、ただの手伝いに留まっていない。
「こっちもね、試作品が完成したんです」
「へえ。それが、例の?」
「うん。”羅針盤”です」
長期航海の助けとなる、新たなる発明品―――、
ルヴィスの発想を元にして造られたそれが、作業台の中央に置かれていた。取り囲む船乗りや職人たちも、誇らしげに笑みを浮かべている。
さすがにシャロンも航海術には詳しくないが、それが有用なのは察せられた。
それと、ルヴィスが非凡であることも。
「ルヴィス嬢ちゃんを見てると、才能ってのはあるもんだと思い知らされるぜ」
「ううん。私はただ、学ばせてもらっただけ」
「何言ってやがる。いくら勉強したって、一週間で船の設計図まで書ける奴なんざいねえよ」
頑固な職人たちが、苦笑いしながらも褒め称える。
手伝いをしながら横から見ていただけで、ルヴィスは彼らの仕事を覚えてしまったのだ。始めは設計図の小さな数値の間違いを見つけて、木材の仕入れ交渉で強欲な商人をやり込めたりもして、あっという間に職人たちに認められていった。
さすがにまだ、本当に造る船の設計までは任せてもらえない。けれどそれも遠い日のことではないと思えてしまう。
「そうだ、シャロン先生。今度、商業ギルドの人を紹介して欲しいんです」
「商業ギルド? それなら、ヴァイマー伯爵に頼んだ方がよさそうね」
なにをするつもり?、とシャロンは小首を傾げてみる。
ルヴィスは悪戯っ子みたいに笑って、でも一瞬、遠くを眺めるような目をした。
「文字を印刷する装置を作りたいんです。完成したら、すっごく便利になると思うんですけど、お金が掛かりそうだから」
「印刷……? 木版という訳でもなさそうね」
「えっと、文字のひとつずつを組み合わせて、こう……設計図はできてるんです。それが作られて、広まれば、何処かにいるお姉ちゃんにも私達の無事が伝わる可能性は高くなるから。簡単な木版印刷でもいいとも思うんですけど……」
その幼い瞳には、どんな可能性が見えているのか―――。
シャロンには分からなかった。だけどこの時、恐れを抱いた。
ルヴィスに対して、ではない。
目の前にいる愛しい子が、また何処かに行ってしまう予感に駆られたのだ。
「……詳しい話は後にしましょう」
柔らかな表情を取り繕って、シャロンは話を変えた。
「まずは、お昼御飯を食べてから。頑張りすぎちゃダメよ」
「あ、そうですね。もう休憩の時間でした」
ルヴィスだけでなく、作業台を囲っていた職人たちも、言われてようやく気づいたらしい。職人気質と言うべきか、それだけルヴィスの影響が大きいのか。
ともあれ、一旦休憩を挟むことにして、ばらばらと解散していく。
シャロンもルヴィスを伴って外へ出ようとした。
「―――ルヴィス! シャロン殿!」
涼やかな、けれど覇気のある声が響いてきた。
そちらへ目を向けると、軽甲冑を身につけた女性が小走りに向かってくる。
ヴェルティルート・ヴァイマー。この港町を治めるヴァイマー伯爵の娘で、領主軍の大隊長も務めている。まだ十五歳だが、女性らしくしなやか、かつ戦士としても鍛えられた身体付きをしている。長い黒髪を頭の後ろでまとめていて、腰には東方からの舶来品である”刀”を差していた。
数年前、流行り病を患っていたヴェルティは、シャロンの治療術によって救われた。それ以来シャロンを慕っていて、魔術や剣術の師としても仰いでいる。
だからルヴィスに対しても優しく、妹のように可愛がっていた。
とはいえ、シャロンは彼女だけを救おうとしたのではない。病が広まっては村も困るので、大規模な治療術を近隣の街や村に掛けて回ったのだ。
その際に目立つのを嫌ってヴァイマー伯爵に協力を頼んだ、というのが実際のところだ。世間では、使い捨て型の魔導遺物を伯爵が使ったとされている。
いずれにしても、ヴェルティが力を貸してくれているのは間違いない。村の皆で避難してきた際にも、軍を出すべきだと真っ先に伯爵に進言してくれた。
避難した村民への支援策をまとめたり、襲撃者であるレミディア軍を捜索したりと、いまも惜しみなく力を貸してくれている。今回の事件に対して、伯爵からかなりの権限を与えられていた。
そんなヴェルティが慌てた様子で訪ねてきたのだ。
襲撃事件に関して何かしらの動きがあったのでは、と身構えてしまう。
「どうしたんです? わざわざ足を運んでくださるなんて」
部下でも遣わせてくれればこっちから向かったのに。
それだけ重要な事柄だろうか―――と、シャロンは首を傾げる。
「いや、私が直接に伝えたかったのだ。父からの伝言だが」
「ヴァイマー様から?」
シャロンは柔らかな態度を保ちつつ、ヴェルティの表情を窺う。
けれどどうも、普段から仏頂面をしているヴェルティの感情は読み難い。慌てた様子に見えたのも、走ってきたので少し息を切らしているだけかも知れない。
「ああ。良い報せだ。とは言っても、私が何かを成し遂げたのではないのだがな。思えばシャロン殿に恩返しをすると言っておきながら、私はまだ何ひとつとして返せていない。レミディアの不埒者どもの痕跡すら見つけられず、あまつさえ、慣れぬ暮らしで苦労を掛けるばかり。帝都にも再三に渡って協力要請をしているのだが奴等の呑気さと言ったら―――」
「あ、あの、ヴェルティ様?」
急に熱く語り出したヴェルティを、シャロンは慌てて止めた。
修道女として懺悔を聞くのもやぶさかではないが、放っておくと日が暮れるまで語っていそうだった。
シャロンの影に隠れて、ルヴィスもそっと溜め息を漏らしていた。
「お、おお、そうであった。まずは伝言だ」
こほん、と咳払いをひとつして、ヴェルティは僅かに頬を緩めた。
そして、告げる。
「―――ヴィレッサが見つかったそうだ」
一瞬、シャロンもルヴィスも呆然として立ち尽くしてしまった。
まじまじと目を見開き、告げられた言葉の内容を反芻する。
ヴィレッサが、見つかった? 生きている? 再会できるということ!?
「ルヴィスの姉なのだろう? バルツァール城砦のゼグード閣下から急な魔導通信が届いてな。それによると……」
「―――無事なのね! あの子は、生きて、何処にいるの!? すぐにでも迎えに行くわ! 教えなさい!」
立場も忘れて、シャロンはヴェルティに詰め寄った。両肩を掴んで、がくがくと身体を揺する。
「お、落ち着いてくれ。詳しいことは、まだ……」
「バルツァール城砦って言ったわよね? そこにヴィレッサがいるの? いいわ、あそこならすぐに転移して―――」
「―――シャロン先生!」
背後からの声に、シャロンは我に返る。
振り向くと、ルヴィスが服の裾をちょこんと摘んで、こちらを見上げていた。
瞳に、涙をいっぱいに溜めて。
「……落ち、ついて、ね……」
「ルヴィス……?」
掠れた声で呟くと、ルヴィスは抱きついてきた。シャロンのお腹に顔を埋めて、嗚咽を漏らす。
「……ごめん、なさい……お姉ちゃんは、いまも、一人で……なのに私だけ……」
「っ……いいの! 謝るのは私の方よ!」
シャロンも屈み込んで、ルヴィスを抱き寄せた。
華奢な体の震えを宥めるように、そっと背中を撫でる。
ああ、と悔やむ。
どうして自分は、こんなにも我慢をさせてしまったのだろう。
どんなに大人びて見えても、まだ幼い子供なのに。
どんなに逞しく振る舞っていても、心までは鍛えられないのに。
苦しみも、辛さも、大人である自分が背負わなければいけなかったのに―――。
「我慢しなくていいの。嬉しい時も、悲しい時も、あなたは泣いていいのよ」
「……せんせぇ……―――」
堰を切ったように、ルヴィスは大きな声を上げて涙を流した。
周りの目も気にせず。子供らしく。
そのルヴィスを抱き締めたまま、シャロンも空を仰ぎ、溢れそうになる涙を堪えていた。
◇ ◇ ◇
陽もまだ昇りきっていないのに、バルツァール城砦では大勢の兵士達が忙しなく行き交っている。朝食もそこそこに片付けて、戦闘後の処理に追われていた。
とりわけ大きな声が響いているのが西側城壁だ。
奇襲を受けた際にできた城壁の穴を、大急ぎで修復している。少数の錬金術師を中心に、大勢の兵士が瓦礫や土砂を延々と運び続けていた。
そんな作業を横目に、ヴィレッサは黒馬を連れて城門前へと向かう。
後ろにはロナとマーヤ、それに数名の兵士を連れたゼグードもいた。
「すまぬな。本来なら、騎兵部隊のひとつも付けて送り出したいのだが」
「気にすんなよ。身軽な方がいいって言ったのはこっちだ」
いつまたレミディア軍が戻ってくるかも分からないのだ。可能性としては低くとも、国境城砦を守る者としては少しでも多くの兵力を留めておきたい。
子供の旅に護衛を出す訳にはいかない。
もっとも相手が魔導士となれば、その保護は重要な役目になるのだが―――。
「すでに帝都には、おぬしのことも報せてある。今日か明日にでも正式な通達が来て、帝都へ招かれると思うぞ?」
「勝手に出てったって言ってくれ。なんなら、脅されたって言ってもいいぜ」
「そこまで儂は落ちぶれてはおらぬよ」
ヴィレッサを城砦に留めて、その後、安全に帝都へと送る。ゼグードの役職からすれば、それが最適な選択だろう。
帝都へ赴けば、ヴィレッサは正式に帝国所属の魔導士と認められる。皇帝陛下の御言葉を直接に賜り、貴族並の権利を保障されるのだ。今回の戦闘による恩賞だって貰えるはずだ。
けれど、そんなものにヴィレッサの興味は向かなかった。
ルヴィスやシャロン、村の皆が無事であると分かったのだ。一刻も早く会いに行きたい。目指すは南、港町キールブルクだ。
「堂々と胸を張って出て行けばよい。儂には、見送るくらいしか出来ぬからな」
「いや、通行証を書いてもらっただけでも助かるぜ」
「まあ旅の助け程度にはなろう。まだ近くにはレミディア軍の残党がおるやも知れぬが……おぬしならば心配は要らぬか」
「ああ。暴れてるようなら、爺さんの仕事を減らしといてやる」
唇の端を吊り上げ、ヴィレッサは軽やかに咽喉を鳴らした。
その凄惨な笑みに、ゼグードの背後に従っている兵士たちが肩を縮める。
長年に渡って帝国の守りを担ってきたゼグードに対して、ヴィレッサの態度はあまりにも不遜だった。まだ魔導士とはいえ仮の地位であるし、子供でも本来ならば許されるものではない。
しかし兵士たちは目を見張るだけで沈黙していた。昨日の戦闘を見て、目の前の幼女の”異常さ”を認識しているというのもある。
けれどなにより、当のゼグードが嬉しそうに接しているからだ。
まるで、ちょっと生意気な孫と話しているように。
「戦う力に関するばかりではない。おぬしならば、無用な争いは避ける知恵も備えているであろう?」
「……どうかな。この世界は、どこもかしこも地獄だらけだからな」
「だが、少しはマシなものもある」
顎鬚を擦りながら、ゼグードは視線を移した。
ヴィレッサの背後、困惑気味に肩を縮めている二人へと。
「おぬしらも、しっかりとヴィレッサ殿を守ってやってくれ」
「に、にゃ!? は、はい! もちろんですニャ!」
「はい……微力を、尽くします」
ロナは思い切り上擦った声で、マーヤもやや緊張した面持ちで頭を下げた。
レミディア軍撃退に協力したということで、二人とも僅かながらも恩賞を授かっていた。入国審査も省かれ、もう帝国民として暮らしていける。
適当な街まで行けば落ち着ける立場だ。
けれどヴィレッサの中では、すでに二人は旅の仲間として決定している。ウルムス村の住民になる同意も得たつもりになっていたからだ。
今朝早くに出立を告げた際も、「一緒に来るだろ?」と確認した。
二人は喜んで同意してくれた。笑顔がやや引き攣っていたけれど、安全な土地まで辿り着いた嬉しさと、急な出立への不安が綯い交ぜになっていたのだろう。
獣人と魔女。帝国内では表立っての迫害は少ないが、奇異の目は避けられない。
そういった不安もあるはずの二人を見知らぬ土地で放り出すほど、ヴィレッサは薄情者ではなかった。
「守ってやるのは、あたしの方だと思うぜ?」
なるべく恩着せがましくならないよう、冗談めかして笑ってみる。
とはいえ、ヴィレッサにしても一人旅よりは安心できるのも事実で―――。
「あまり何もかもと気負いすぎるな」
ゼグードの言葉に、咄嗟に反応できなかった。
頭に手を置かれ、撫でられても、そのまま項垂れてしまう。
騎士として鍛えられた手は大きく、ごつごつとして、でも温かかった。
「おぬしはまだ子供なのだ。もっと周りに甘えてもいい」
「……はっ」
息を吐くと、ヴィレッサは乗せられた手を押し退けた。
そうして振り返り、黒馬へと跳び乗る。
「爺さんに言われるまでもねえ。気に喰わねえヤツがいたら、甘えて、ぶん殴らせてもらうぜ」
「いや、そういうことではなくてだな……」
「うっせえ。ほら、おまえらも行くぞ」
ロナとマーヤを促して、ヴィレッサは馬首を巡らせる。
だけど数歩離れたところで、振り返って声を上げた。
「説教なら、次に会った時に聞いてやる。それまで耄碌するなよ!」
苦笑するゼグードの顔を見てから、ヴィレッサは黒馬を走らせた。
後にはロナとマーヤも続く。
城壁上から手を振っている兵士もいた。修復作業の声も、まるで見送ってくれているみたいに遠くまで響いていた。
だけどそれも、やがて聞こえなくなって―――、
「……子供だって、守りたいものがあるんだよ」
真っ赤なフードを目深に被りながら、ヴィレッサは呟いた。
小さな声は馬蹄の音に紛れて消えていく。けれど想いは胸に留まっている。
だからヴィレッサは顔を上げて、正面へと向けた。
幼い瞳が見つめる先には、広々とした平原が続いていた。
次回から、第二章へと入ります。
書き溜めはもうちょっとありますが、どうするか迷い中。
週2~3回の更新は維持していく予定です。




