第18話 お風呂で迫る、幼女の秘密
そろそろサブタイトルに苦情が来る気がする……。
魔女というのは、どうやら直接に魔素を操る術に長けているらしい。
広く使われている陣式魔術は、あらかじめ定められた効果しか生み出せない。例えば基礎である水球魔術にしても、手を加えられるのは水球の大きさ程度だ。
しかし直接に魔素を操れば、魔術の汎用性は大きく広がる。大気中から集めた水を角型に固めたり、一度に複数の水球を作ったりも可能になる。
とはいえ、魔素の直接操作は難しい。ヴィレッサは無効化魔素の制御だけでも苦労させられているのだ。
自称魔女であるマーヤも、既存の魔術に僅かな変化を加えるのが精一杯だった。
扱う魔術の効果自体は、陣式魔術のそれと大差ない。けれど触媒によって様々な魔素の助けを得られるので、使える魔術の種類は幅広い。
「あ~……このまま蕩けそうだ……」
やや熱めの湯が張られた風呂に浸かって、ヴィレッサは気の抜けた声を漏らした。
全身を脱力させて疲れを溶かしていく。肩口まで伸びた金髪が湯面に広がると、月明りを反射して綺麗な光彩を描き出した。
地面を凹ませ、石のように固めた風呂は、マーヤが作ってくれたものだ。
触媒として兎の心臓が使われたと聞くと、やや気後れもしてしまうが、その兎の肉も明日の昼食として有難くいただく予定だ。
ちなみに、お湯の方も魔術で沸かしたものだ。こちらはロナが担当したが、失敗して、最初は沸騰するほどの熱湯になってしまった。
まあ、すぐに水で薄めたので大した問題ではなかった。「ロナはこういう熱湯に入りたいんだな?」と冗談めかして言うと、やたらと慌てていたが。
ともあれ、ヴィレッサは一人での風呂を満喫させてもらっている。
三人くらいは一緒に入れる広さがあるのだが、
「変な物は食べてなかったはずだけどなあ」
ロナは急に蒼い顔をして、『お花摘み』に行ってしまった。
マーヤもそれを追い掛けて、ついでに野草などの触媒を集めてくるそうだ。
「ま、何かあったら呼びに来るか。メアもつけてるから大丈夫だろ」
『はい。彼女達の生命反応は安定していました。ご安心を』
湯船の脇に置いた魔導銃へ頷き返しつつ、ヴィレッサは濡れた肌をそっと撫でた。
ここ数日で、随分と肌が荒れてしまった気がする。まだ年相応の柔らかな肌は保たれているけれど、無茶な強行軍をしてきたのは間違いなく響いている。
それよりも、問題は精神的な疲労の方だろうか?
人間の適応能力は馬鹿にできないが、こうも緊張状態が続くと―――。
「……はぁ。子供らしくねえ悩みしてるなあ」
溜め息とともに、ヴィレッサは顔から湯面に突っ伏した。
弱音など吐いていられない。帝国領に到着して、シャロンやルヴィスと再会するまでは気を緩めてはいけないのだ。
『マスター、質問の許可をいただけますか?』
「んん? あらたまって何だよ?」
機械的な口調はまったく揺らぎないディードだが、心なしか緊張感が増していた。
許可を、と繰り返し求めてくる。
「いいぜ。許す。言ってみろ」
『マスターは子供らしくありません。何故ですか?』
「質問か、それ? 冗談か冷やかしに聞こえるぞ」
まあ色々あったからなぁ、と曖昧に答える。
思い当たるフシは幾つかあったが、深く自分を見つめ直したい気分でもない。
『以前、「アニソン」や「オプションパーツ」などと口にしておられました』
「あぁ……あの時は、あたしも混乱してたからな」
『この世界には存在しない知識のはずです。その知識と、子供らしさの欠如と、関係しているのではないか、と推察します』
「んで、そういった知識をどうやって手に入れたのか、ってのが質問か?」
『現状認識に必要であれば』
まるで真剣な眼差しが見えるように、ディードは語り掛けてくる。もちろん魔導銃である彼女には目も口も存在しないのだが。
ヴィレッサは首を捻ったが、別段、隠す必要もないと思えた。
「正直言って、あたしもよく分かってねえぞ?」
前置きをひとつ挟んで、ぼんやりと湯面へと言葉を落とす。
「簡単に言うと、異世界転生……ってやつかも知れねえ」
『転生、ですか?』
「赤ん坊の頃から意識があった。異世界に関する知識も持ってる。と、なると、そういう推測に行き着く訳だ。確かめようは無いし、なにより、前世の記憶ってやつもかなり曖昧なもんだ。だから断言はできねえな」
『なるほど。理解しました』
ですが―――と、ディードは冷ややかに断言する。
『異世界転生は有り得ません。それは極めて低い、奇跡的な可能性です』
「……なに?」
ヴィレッサは振り返り、魔導銃を睨む。怪訝に眉も寄せてしまった。
それは、生まれた時から信じてきた概念の否定―――大袈裟に言えばそうなる。
自分が転生者ではない? では、異世界の記憶がある理由は?
どうして有り得ないと断定できる? いったい、何を知っている?
『私がアクセス可能な知識書庫には、魂に関する研究結果を記したものもあります。とりわけ熱心な研究がされたもので、信頼できる情報です』
「つまり、そこに『異世界転生は有り得ない』って結論が書かれてるのか?」
『肯定。魂とは、その生物固有のものとして完全に定着し、別個の魂を置き換えることは不可能です。試みた場合、魂同士の干渉によって互いが消滅。最悪の場合では世界ひとつを崩壊させたと、実験データも残されています』
「世界ごと……って、おい! そんなとんでもねえ実験もしたのかよ!?」
『とても熱心に研究していたようです』
冷静に述べつつも、ディードは目を逸らしたような気配を漂わせた。
まあディードを責めても仕方ない。古代文明にもマッドがいたというだけだ。
『そもそも魂とは、とても強固なものです。そこに改変を加えるのは、世界への干渉を行えるほどの膨大なエネルギーを必要とします』
「……魂を壊して魔力を引き出す、っていう魔導遺物もあったが?」
怨霊槍クレイグレイブ。
禍々しい黒槍と、その持ち主の顔を思い返して、ヴィレッサは舌打ちを堪えた。けれどいまは憎悪に駆られる時ではない。
ディードが返す声も、やはり淡々としたものだった。
『誇張であると推測できます。私もすべての魔導遺物を把握している訳ではありませんが、恐らくは、魂に刺激を加え、僅かなエネルギーを得るだけなのでしょう。或いは、極式と冠されたものであれば、魂の破壊も可能かも知れませんが』
「……難しい理屈はともかく、まず魂は破壊されない、って考えていいんだな?」
『はい。少なくとも、私の知識に於いては断言できます』
「そう、か……」
短く呟いて、ヴィレッサは口元を緩めた。
村の皆の魂が壊されてはいない。弄ばれ、利用されただけでも許しがたい話だが、それでもほんの少しだけ喜ばしい話だった。
とはいえ、まだ鎮魂の祈りを奉げる気分にはなれない。
なにひとつ、片付いてはいないのだから―――。
「……話を戻すぞ」
そっと湯をすくい、顔を拭ってから、ヴィレッサはあらためて思考を巡らせる。
「転生じゃないとして……だったら、私の頭にある知識は何なんだ?」
『推論として挙げられるのは四十八。その内で蓋然性が高いものは三つです』
「……最も確率が高そうな話だと、どう説明できる?」
尋ねていいものかどうか、ヴィレッサの口調には若干の躊躇いが滲んだ。
自分が転生者ではない。それに関しては、落ち着いて考えれば大した問題ではないとも思える。むしろ正しい魂の在り方だと喜ぶべきかも知れない。
しかし自分が何者なのか?
その答えを得るのは覚悟が必要だ。
何処にでもいる普通の両親から生まれて、何処にでもいる普通の子供だったら、こんな悩みは必要なかったのだろうけれど。
だからといって、いまの自分を否定する覚悟もなくて―――。
『あくまで推論ですが』
前置きをしたのは、ディードなりの気遣いだろう。
『異世界から、何者かの知識と記憶のみが取り入れられたのではないでしょうか?世界の壁を越える際に記憶が破損、あるいは封印されたとすれば説明がつきます。無限魔力自体が、マスターを守るために何かしらの施術を試みたかと』
「……有り得るのか、そんなことが? そもそも無限魔力ってのはいったい……?」
何なのか、とヴィレッサは眼光を鋭くする。
およそ子供らしくない威圧的な眼差しだったが、ディードはやはり機械的に答えた。
『不明です』
「あん? 不明って、だったらさっきの推論はどっから出てきたんだよ?」
『知識書庫が導き出した推論です。しかし無限魔力そのものに関する情報は、アクセスを拒否されています』
「……おまえ、無限魔力の持ち主を探してたんだろ?」
『肯定。ですが、対象の詳細情報を知らずとも、判別は可能です』
小難しく、納得できかねる理屈を並べられて、ヴィレッサは頬を歪ませる。
苛立ちに任せて魔導銃を湯船に沈めてやりたくもなったが、そんなことをしたって何も解決はしないのだ。防水機能も完璧だと聞かされている。
それよりも、語られた情報を信じるならば―――。
「……つまり、あたしの人格は……無限魔力の都合で弄繰り回された……? 元の記憶があるとして、取り戻せるのか? いやそもそも、魂がこの世界のものだとしたら、あたしは何者ってことに……」
『返答を保留します』
肯定でも否定でもなく、保留。機械には答えが出せないということ。
ならば、ヴィレッサが選ぶ答えは決まっている。
「……馬鹿馬鹿しい。あたしは、あたしだ」
無限魔力だかなんだか知らないが、ウルムス村での生活を否定させはしない。
八歳児でも、しっかりと人生を経験してきたのだ。
もしも別の人生を送った記憶もあるというなら、そっちもまとめて飲みくだせばいいだけの話だ。
「なんだっていいさ。この力と……おまえも、頼りにしていいんだろ?」
『肯定。マスターを支えるのが、私の存在意義です』
淡々とした返答を受けつつ、ヴィレッサは湯船に肩を沈めなおした。
いまは小さな悩みに拘っていられない。敵国領内を抜ける旅の最中なのだ。
なんとしても無事に帰って、みんなと再会して―――。
「……絶対に、取り戻さねえとな」
夜闇に昇っていく湯気を眺めながら、ヴィレッサは緩やかに目を細めた。
ちょっとした真面目回でした。
もう一話くらい挟んで、第一章のクライマックスへと入ります。




