第17話 怒張した黒くて逞しいモノを優しく鎮めると喜んでもらえた
タイトルに偽り無し!
悠然と立ち、口元を吊り上げながらも、ヴィレッサは冷徹に周囲を見渡していた。
まず背後にいる魔女と犬耳少女の無事を確認する。
地面に転がっていたが、「こ、子供は逃げないと危ないニャ」とか言う余裕もあるので大丈夫だろう。
黒馬の方も、よろめきながらも立ち上がろうとしていた。
ヴィレッサが目一杯に強化術を施せば、殴っただけで生身の人間程度ならば四散する。ブルド・ボアの首さえ圧し折ったのだ。
しかしさすがは『黒き悪夢』、そこらの魔物とは耐久力も違うらしい。
「あいつ、咄嗟に障壁も張ろうとしてたよな?」
『はい。知能の高さが窺えます。高脅威目標と判断します』
「……いや、標的はあいつじゃねえよ」
ヴィレッサは目線を上げて、屋敷のテラスにいる小太り領主を睨んだ。
問答無用で撃ち殺したくなるような顔だが―――。
レミディア聖教国に組する者は、ヴィレッサにとって敵であるのは間違いない。ウルムス村襲撃に参加した兵士は抹殺対象であるし、主謀者にも必ず報いを受けさせるつもりでいる。そのためならば一切の躊躇なく引き金を弾ける。
それでも踏み越えてはならない一線は、常に心に刻んでおかねばならない。
魔導遺物の力に酔って、嬉々として殺人を行う―――そうなったら終わりなのだから。
「反面教師としては最高の外道、ってところだな」
嬉々として、ヴィレッサは犬歯を剥き出しにして笑った。
ああ。まったく。なんて世界だ。こんな外道がのさばっているなんて。
笑っていなければ、涙の海に溺れてしまいそうだ。
「な、何者だ、貴様は! いったい何をした?」
外道呼ばわりされた領主ビルウッドは、ようやく我に返って声を荒げた。
いきなり子供が降ってきて魔物を殴り飛ばしたのだから、慌てふためくのも無理はないだろう。
しかし小太りの腹を揺らしながら喚く様は滑稽極まりない。
まともに返答するのも馬鹿馬鹿しくなる。
「あたしが何者かなんてどうでもいい。それより、約束は守ってもらうぜ」
「約束、だと? 平民が何を偉そうに……」
「ついさっき言っただろ? 生き残れたら解放するってな」
腰に差していた『万魔流転』を抜いて、ヴィレッサは斜め上方へと向けた。ビルウッドがいるテラスは充分に射程範囲に入っている。
ビルウッドは僅かに目を見開いたものの、その表情はすぐに嘲りへと変わった。
「ふん、何かと思えば魔導銃だと? それで戦うつもりか?」
魔導銃は使えない武器だと、ほぼ一般常識として知られている。頭の九割が脂肪と欲望で占められていそうな小領主では、その認識を疑いもしないだろう。
ましてや相手は子供だ。持っている武器が玩具に見えても仕方ない。
さらに加えて、やはりビルウッドは下劣な人間だった。
「不意打ちには驚かされたが、哀れな子供ということか……しかし悪くないな。よく見れば、なかなかに整った顔立ちをしているではないか」
ねっとりとした欲望を含んだ視線が、ヴィレッサの全身を這い回る。
自制を捨てた変態というのはあまりにもおぞましく、鳥肌を覚えたヴィレッサが引き金を弾くのを遅れさせたほどだった。
もっとも、本当にただ遅らせただけで終わったが。
「このままナイトメアに潰させるのは惜しいな。捕まえて―――」
舌なめずり混じりの言葉を遮って、パリィンと、甲高い音が響き渡った。
禍々しい紫色の光が霧散する。全員の視線が、そこへと集中する。
ビルウッドが掲げていた『堕天権杖ムールヒムト』、その先端にあった紫色の宝石が砕け散ったのだ。
『命中。敵性魔導遺物の機能停止を確認しました』
「約束だからな。きっちり前払いで『解放』させてもらったぜ」
撃ち放った魔導銃を軽く振りつつ、ヴィレッサは黒馬へと目を向けた。
最初の不意打ちから立ち直った黒馬は、二度、三度と瞬きをしてヴィレッサを見つめていた。しかし事態を把握したのか、一度頭を垂れてから、くるりと振り返る。
赤々とした獣の瞳が、テラス席にいるビルウッドを捉えた。
「こ、こんなことが……聖遺物が破壊されるなど……ひっ!」
ほんの僅かな助走の後、一跳びで、黒馬は二階のテラス席へと降り立った。まるで獅子が呻るような吐息をひとつ漏らし、赤い瞳から殺意を溢れさせる。
黒々としたタテガミが逆立っている。全身の筋肉が怒張している。
そんな、自分の倍ほどもある魔物に睨みつけられて、ビルウッドはぶるぶると小刻みにありあまった肉を震えさせた。
「ま、まっ、で……誰、が、助げ―――」
雷鳴に似た獣の咆哮に、まさしく豚といった悲鳴が重なった。
鮮血が飛び散り、テラス席が丸ごと崩壊する。さらに破壊は止まらない―――。
「……馬って、草食じゃなくて雑食なんだな」
『肯定を保留します。アレはもはや馬の枠を超越しているかと』
ヴィレッサが呆れている間にも凄惨な復讐劇は続いていた。
もはや黒い暴風と化した巨大馬が駆け回り、兵士達が紙吹雪のように散らされていく。
「おーい、無関係な奴までイジメるなよ」
一応注意しておく。あまりにも惨劇が続くようなら、また引き金を弾くつもりだった。
けれど黒馬は一度ピタリと動きを止めると、ヴィレッサの声に応えるみたいに嘶きを上げた。すぐにまた逃げ出す兵士を追いかけて、跳ね飛ばしたが、途中にいた侍女は器用に避けていた。
「ナイトメアか。噂よりも大人しいじゃねえか」
『とはいえ、相手は魔物です。警戒は必要であると進言します』
はいはい、と鷹揚に頷きつつ、ヴィレッサは魔導銃を腰に戻した。
ここに来た本来の目的は戦闘ではない。屋敷が完全に壊れる前に、貰える物は貰っておかねば、今度こそ空腹で倒れかねない。
ゴミも片付けたことだし、気分良く食事にありつけるというものだ。
そうして足を進めようとしたヴィレッサだが、ふと思い出して振り返った。
「ついでに手伝えよ。どうせ、おまえらも逃げるんだろ?」
魔女と犬耳少女は呆然としたまま、吹き荒れる破壊を眺めて立ち尽くしていた。
◇ ◇ ◇
旅は道連れ、世は情け。
この世界には存在しない諺に感心しつつ、ヴィレッサは手綱を握り直した。
初めての乗馬はさほど難しくなかったが、ちょっと速度を上げようとすると体勢を崩してしまう。おまけに幼女の体では、跨るのではなく、正しく『乗る』形になっていた。
けれど領主の館から貰ってきた鞍は座り心地が良い。『赤狼之加護』から帯を伸ばして体の固定もできた。
黒馬も、まるでヴィレッサの意思を読み取っているように走ってくれた。
そうして乗馬訓練をしているヴィレッサの横では、ロナが野営の準備をしていた。
「ボス、そろそろ夕食ができあがるニャ」
「こっちも寝床が準備できたわ。はぁ、どうして私がこんなことまで……」
「ん。それじゃあ休むとするか」
黒馬の背から飛び降りると、ヴィレッサは軽い足取りで焚火へと向かった。
便利な道連れが加わって、旅もかなり楽になった。面倒臭い作業が減っただけではない。領主の屋敷が崩れ落ちる前に、お小遣いもたっぷりと回収できた。
そのおかげで旅に必要な道具や食料、マーヤたちが乗る馬まで手に入れられた。
ついでに潰した教会にも金目の物が溜め込まれていたので、適当にばら撒いておいた。信用できそうな魔物狩りや傭兵の男には多目に渡して、治安を守るよう言い含めておいた。
やはり本物の金貨は違う。
街を出る時も、大勢の住民が笑顔で見送ってくれたのだ。
「焼き豆をくれたおばちゃんも、喜んでくれてたからな」
「あれは喜んでいたというより、引き攣った笑いみたいだったけれど……」
「ナイトメアに乗った人間なんて、ボスが初めてだろうしニャ」
「まあ、あれだけ目立っておけば、住民の反乱だなんて思われねえだろ」
領主殺しの犯人がハッキリしていれば、街の住民が責められることはない。
追っ手が来るにしても、領主に従っていた兵士は、ほぼ全員がナイトメアに踏み潰された。しばらくは街の混乱を収めるだけで手一杯だろう。
レミディア国軍が出てきても、いざとなれば力技で逃げ切れる。
「おまえの脚には期待してるぜ、メア」
ヴィレッサの脇に座った黒馬は、嬉しそうに嘶いた。
相変わらず赤々とした眼光は鋭く、幼女など一呑みにできそうな巨体だが、ヴィレッサに甘えるみたいに寄り添っている。
見方によっては、子供と動物が心を通わせている微笑ましい光景なのだが―――。
「レミディアは、恐ろしいコンビを敵に回したニャぁ」
「そうね。私達も運が良かったのか、悪かったのか……」
悪魔と悪夢が悪巧みをしているようにしか見えない。
助けられたロナとマーヤでさえ、怯えた顔を隠しきれていなかった。
そんな表情を焚火越しに見て取って、ヴィレッサは眉を顰める。
「心配すんなよ」
努めて明るく、口元を吊り上げてみせた。
「置いて逃げたりはしねえ。追っ手の一万や二万、軽く蹴散らしてやるぜ」
はじめは空腹から領主襲撃を行ったヴィレッサだが、それだけが目的ではなくなっていた。互いを守ろうとする二人を、純粋に救いたいとも思ったのだ。
街を出てからの道中で、ロナとマーヤが捕まった経緯なども聞き及んでいた。
故郷を追われ、理不尽に虐げられる―――この世界では珍しくない話なのだろう。
でも、不幸なんて少ない方がいいに決まっている。
だからヴィレッサは笑い掛ける。絶対に繋いだ手を離しはしない、と。
「運命共同体ってやつだ。仲良くしようぜ」
「にゃ、にゃはは。も、もちろん、ボスから逃げようなんて考えてないニャ」
「はぁ……そうよね。覚悟を決めるしかないわよね」
獣耳と三角帽子が、がっくりと項垂れる。
それでも辛うじて頬を緩めてくれた二人を見て、ヴィレッサは満足げに頷いた。
きっとまだ捕らえられた恐怖が抜け切っていないのだろう。自分がしっかりと支えて、安心させなくては―――そう決意を新たにする。
「ま、とにかく食事にしようぜ。腹が減っては戦はできねえ……っと、こっちにはない諺だったな。まあ間違ってねえか」
すでに焚火の上には鍋が置かれていて、山菜と芋のシチューが程好く煮えている。自分の器を手に取って、ヴィレッサは久々の温かな食事に舌鼓を打った。
だから、正面にいる二人の呟きにも気づいていなかった。
「にゃぁ……やっぱり、戦う気満々みたいニャ……」
「諦めなさい。奴隷なんかになるよりはマシでしょう……たぶん」
ちびちびとシチューをすすりながら、二人は溜め息を落とす。
そんな二人をからかうみたいに、黒馬の嘶く声が夜闇へ響いていった。




