第16話 魔女と獣人と黒き悪夢
自称魔女であるマーヤは、山間の小さな村に生まれた。
領地自体が陸の孤島みたいな場所で、贅沢は叶わないが、皆がのんびりと暮らしていた。国からの干渉は少なく、教会も影響を及ぼそうとしなかった。
ひとつ山を挟んで獣人族の村があっても、大きな争いはなく、僅かながら交流も生まれていた。
変わったことと言えば、近くの森に魔女が住んでいたくらいだ。
魔女―――世間では、邪神に生贄を奉げて恐ろしい禁術を扱うと言われている。
けれど実際には、生物の死骸や植物などを触媒にするだけだ。触媒から魔素を取り出し、自分の魔力のみでは発現不可能な魔術を扱う。
いずれにせよ、世間の誤解から住居に困っていたのだろう。
その魔女は小さな隠れ家を構えて、時折村に来ては食料を交換したり、魔術で畑仕事の手伝いをしたりしていた。
マーヤが魔術に興味を覚えたのは、間違いなくその魔女のおかげだ。
「にゃははは。やっぱりマーヤには魔女の才能はないニャ」
「二回に一回は暴発させる貴方よりマシよ」
ウルディラ族であるロナとは、魔女の家で出会った。
幼馴染、と口にはしたくない。縁を切れればいいと今でも思っている。
この正式名称ロベルテュナシアという喧しい生き物は、とにかく喧しく、喧しい。
魔術の講義を受けていても十秒と黙っていられない。
質問の答えを聞く前に質問を重ねる。
陣式魔術に勝手な詠唱をつけようとする。
練習用の触媒を渡されて、まず最初にしたことが味見だった。
なによりマーヤが許せないのは、狼人族なのに語尾に「ニャ」とかつけていることだ。
初対面では遠慮して問い質せなかった。一時もすると、無視すると心に決めて、指摘したら負けな気がした。
「マーヤは本当に変わり者だニャ。魔女になりたいなんて」
「貴方だって、そのために来ているんでしょう」
「んニャ? 最初はそうだったかも知れないニャ」
ロナは本当に喧しかった。勝手に喋って、邪魔ばかりする。
そんなことを言われたら、縁を切りたくても切れなくなってしまうのに。
「でもいまは、マーヤと会えるのが一番の楽しみニャ」
そうして二人は魔女の弟子として成長して―――唐突に、終わりを迎えた。
村の近くで古代遺跡が見つかったのだ。
すぐに押し寄せてきた教会兵は、当然のように獣人族の村を襲った。同時に魔女の噂も聞きつけ、森の隠れ家も焼き払った。
マーヤ一人ならば、傍観して村での生活に戻れただろう。
けれど、そんな選択はできなかった。
ちなみに師匠である魔女はさっさと一人で逃げ出したが―――、
「腐れ縁だからね。仕方ないわ」
「マーヤは素直じゃないニャ。でもどうしてもって言うなら一緒に連れていって……あ、嘘ニャ。置いていかないで欲しいニャ」
溜め息を漏らしながらも、マーヤはロナとともに戦火の中を逃げ出した。
ほとんど行き当たりばったりの逃避行だったが、追っ手もさほど熱心ではなかったのだろう。少女二人は他国へと逃れるべく、数週間ほど旅を続けた。
街道を避けて、野営を繰り返しつつ、魔物にも襲われながらの旅は楽ではなかった。それでも途中の街や村で食料は得られた。
自称魔女であるマーヤは、服装さえ変えれば旅人と見られないこともない。ロナは奴隷ということで誤魔化した。
けれど幸運は長続きしなかった。
街道から外れた森の中まで捜索に来た兵士に見つかってしまったのだ。
数日前、魔導遺跡を襲った何者かが逃亡中らしい。そのおかげで、急に兵士達が熱心な捜索を始めたという訳だ。
何処の馬鹿だ、なんて傍迷惑な、とマーヤは内心で罵倒した。
呪術を習っておけばよかった。いっそ魔術の触媒にしてやりたい。
けれどそんな願いは叶いそうもなかった。遺跡襲撃の疑いが晴れたとしても、自分達は教会から排斥対象とされている魔女と獣人だ。釈放されるはずもない。
そして―――この街の領主は、最悪な趣味を持っていた。
「こいつと戦い、生き残れれば解放してやろう」
屋敷の裏手、練兵場のような広々とした庭に、マーヤとロナは連れて来られた。
屋敷のテラスから見下ろす形で、領主であるビルウッド辺境伯がにやけた顔を覗かせている。
マーヤたちの縄は解かれて、武器と荷物も返してもらえた。
周囲にいる兵士は、領主の護衛についている数名のみ。全力を振るえば逃げ出すのは難しくない。
ただし、相手が兵士だけならば、だ。
「……どうしたものかしらね」
どうしようもない。こんな奴から逃げられるはずがない。
そう分かっていても、嘆きとともに呟いてしまう。
目の前には巨大な黒馬―――ナイトメアが、赤々とした眼光を向けてきていた。
「な、なんで、ナイトメアがこんな所にいるニャ! おかしいニャ! 捕まっても死ぬまで暴れるってのは嘘だったのニャ? だいたい、人間に従ってるなんて野生の誇りはどこに……あ、ごめんにゃさい。睨まないで欲しいニャ」
馬鹿なロナが羨ましくなるくらい、状況は最悪だった。
『黒き悪夢』と呼ばれる魔物は、とりわけ危険な種として知られている。
普段は森の奥から出てこないらしいが、縄張りを侵した相手には容赦無く襲い掛かる。狂戦士のような真っ赤な眼で捉えた獲物はけっして逃がさず、何処までも追い掛けて踏み潰す。魔物とは思えないほどに知能も高く、様々な魔術も使いこなす。
かつて開拓地の近くで発見された際には、一日で村が廃墟にされた。
討伐に向かった兵士と魔物狩り、さらに魔導士も加えた総勢一千名余りが全滅したこともある。
文字通りの全滅。一人として帰ってこなかったのだ。
「くくっ、錯乱するのも無理はないな」
豪奢な椅子に腰掛けたまま、ビルウッドは醜く頬肉を揺らした。小太りで、不摂生をしているのは一目で分かる。
貴族のくせに、およそ剣を握ったこともなさそうな男だ。
けれどその手に掲げた杖は、不健康な足腰を支えるものではないらしい。
「これぞ聖遺物、『堕天権杖ムールヒムト』である。何者であろうと従えるこの力に掛かれば、大災害級の魔物であろうと従順な下僕と化すのだ」
杖の先端には拳大の丸い宝石がはめられて、そこから紫色の妖しげな光が漏れている。見ているだけでも怖気が走るほどだ。
聖遺物と呼ぶのも憚られるが、それを持つビルウッドは恍惚とした表情をしていた。
「罪人には過ぎた栄誉であろう。この偉大なる力を示す一助となれるのだからな」
物は言い様だ。悪趣味をここまで飾り立てるとは。
要するに、おぞましい魔物に蹂躙される人間を見て愉悦に浸りたいのだ。
よくもこんな奴に遺物を与えてくれたもの―――そう教会への恨みも抱えて、マーヤは愛用の木杖を握り締めた。
「ま、マーヤ、なんとかなりそうかニャ?」
「ならないわね。終わりよ」
「にニャ! あ、諦めるのは早いニャ! きっと何か手はあるはずニャ!」
「馬鹿は幸せでいいわね。まともな触媒も無し、あっても準備する時間も無し、おまけに相手はナイトメアよ。万全の状態でも勝てる可能性は低いわ」
「だ、だったら―――」
ロナは握った短剣を震えさせながら、ちらりとナイトメアへ目を向けた。十数歩先で身構えている魔物を見て、それだけで小さく肩を縮める。
剛毅な者が多い獣人とは思えないほど情けない態度だ。
怯えながら、瞳に涙を溜めながら、それでもロナは爽やかに笑ってみせた。
「あ、あちし自身が触媒になったら、マーヤだけでも助かるかニャ?」
「っ……貴方、何を言ってるの?」
「にゃはは。大丈夫ニャ。マーヤなら、きっといつか凄い魔女になって、あちしの銅像を建ててくれると信じてるニャ」
「そんなもの建てないわよ! じゃなくて―――」
思わず、マーヤも声を荒げてしまった。
人の命を触媒として大きな力を振るう魔術はある。もちろん試したことはないが、成功すれば、いまの危機的状況も覆せるだろう。
だからといって受け入れられるはずもなく、マーヤは止めようとした。
けれどロナの手に握られた短剣は、すでに咽喉元へと迫っていて―――、
「……にゃ、にゃはは……」
震えたまま停止していた。
「怖くて手が動かないニャ。マーヤ、悪いけどちょっと押してくれないかニャ?」
「お断りよ。それに……手遅れみたい」
ロナの手を引きつつ、マーヤは首を回した。
二人を見下ろしてくる巨大な黒馬と目が合った。
「やれ、ナイトメアよ! 生きたまま腸を食い千切ってやれ!」
下卑た声が響いてくる中で、マーヤはぼんやりと頭上を見上げていた。
黒馬の蹄が大きく振り上げられている。間も無く、それは自分の頭を砕くだろう。
不思議と怖くはないものだな。もう少しだけ抗ってみようか。
せめて、この馬鹿な幼馴染よりも先に死ねるように―――。
「―――!」
決意とともに、マーヤは全身に魔力を巡らせた。
ローブの内に仕込んでいた触媒は数少ない。けれどすべてを把握しているし、即座に発動できる魔術もある。
だから、精一杯の抵抗をしようとして―――叶わなかった。
いきなり背後へと弾き飛ばされたのだ。
黒馬に、ではない。振り下ろされる蹄よりも早く何かが降ってきた。
マーヤも、ロナも、巨大な黒馬までも、突然の衝撃で吹き飛ばされていた。
地面が割れ、濛々と土煙が立ち込める中で―――、
「さあて、お仕置きの時間だぜ」
真紅の幼女が、まるで御伽噺の騎士みたいに外套をはためかせていた。
「おやかたぁ、空から女の子が!」




