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こぼれ話 悪魔の暗躍できなかった日 後編


 晴れ渡った空に、不自然な黒靄が浮かんでいる。

 帝都を脱出したグレイゴールは、転移術も用いながら、新たな標的を探していた。

 なるべく帝都から離れた方がいい。

 どうせなら、この国の端から蝕んでやろう。

 そう考えたのは、手酷い目に遭ったグレイゴールには妥当な判断だった。


 しかしすべての事情を知っていて、グレイゴールに同情する者がいれば、全力で止めようとしただろう。

 けれど悪魔に味方する奇特な人間はおらず―――、

 グレイゴールは帝国領の南方へと向かっていた。眼下に広がるヴァイマー伯爵領は海上交易によって帝国に富をもたらしていると、人々の話から聞き及んでいた。

 富がある場所ならば、欲に駆られる人間も多い。

 悪魔である自分と取引したがる者もいるはず、とグレイゴールは目論んだ。


 しかし最も栄える港町まで向かうのは躊躇していた。

 人の多い帝都で痛い目を見たばかりなのだ。

 だからここは慎重にと、悪魔らしからぬ考えも頭に浮かんで、まずは手近な村に目をつけた。


「ふん。本当に小さな村だな」


 畑が広がる光景を見下ろしながら、グレイゴールは嘲笑を浮かべる。

 住民は二百名にも満たない小さな村だ。

 その気になれば一瞬で焼き尽くせる、とグレイゴールには思える。

 利用価値のある人間がいるかどうかも怪しいところだった。

 けれど田舎村にしては、綺麗な建物もある。村を囲む柵はしっかりと作られているし、中心部にある修道院も頑丈そうな石壁で守られている。大きな屋敷も建てられていて、そこには数十名の騎士が出入りしていた。


「新興貴族の領地といったところか? ならば、利用価値はあるか」


 低く咽喉を鳴らしながら、グレイゴールは村の近くにある森へと目を移す。

 そこではちょうど、村の子供たちが果実や野草などを採取していた。


「まずは、適当な子供と入れ替わってやるとするか」


 幻惑術で身を覆いながら、グレイゴールは森へと降りていく。

 何も知らぬ子供を騙してやろうと。

 悪辣な愉悦に浸りながら。

 そこが、地獄の入り口だとも知らずに。







 村の子供たちとともに森へ入る。

 ルヴィスやヴィレッサにとってはもう日常的なことだった。

 野生の獣や魔物に襲われないよう、一応は全員が揃って行動する。だけど黒馬(メア)が森の主として君臨しているため、危険な動物はほとんど排除されている。もしも迷子になっても、すぐに見つけてもらえる。

 だから、少しくらい離れても問題はないはずだった。


「あたしたちは、アペルの実を採ってくるから」

「うん。私達はここらへんでキノコとか採ってるね」


 魔力板を扱えるヴィレッサは、高い位置にある果実も収獲できる。他にも木登りを得意とする子供たちを連れて、森の奥へと向かった。

 姉の背中に小さな手を振ってから、ルヴィスも子供たちと共に別方向へ足を進める。

 ヴィレッサとルヴィスを中心に、自然と班行動になっていた。

 子供とはいえ、野草の採取などはもう慣れたものだ。

 ちょっとした息抜きをする余裕もある。


「ルヴィスおねいちゃん、このお花で”かんむり”作ってもいいかな?」

「そうだね。シャロン先生にあげたら喜ぶかも。あ、でも丁寧にね。無駄に摘んだらダメだよ」

「ねえ、このキノコって食べられる?」

「うわぁ、それはダメ! 離して。似てるけど、躍っちゃうやつだよ」


 年下の子供の面倒も見ながら、ルヴィスも採取を進めていく。

 少し離れた場所にキノコを見つけて近づいた。

 でも、手を伸ばそうとして止める。

 ふとした違和感―――背筋に嫌な感覚を覚えて、ルヴィスは辺りを見回した。


 異常はすぐに分かった。

 一人の老婆が森の奥から歩み出てくる。

 暗灰色のローブを纏った老婆は、丸まるみたいに腰を曲げたまま、ゆっくりとルヴィスの方へ近づいてきた。


「おやおや。可愛らしいお嬢ちゃんだねえ」

「……お婆さん、誰?」

「この森の奥に住んでいる者さ。怪しい者じゃないよ」


 老婆は皺だらけの顔に人の好さそうな笑みを浮かべる。

 だけど、怪しい。

 ルヴィスでなくとも、間違いなくそう警戒を覚えただろう。


 しかし老婆は、ルヴィスの警戒心などまったく気に留めていない様子だった。

 優しげな、演技じみた笑みを浮かべたまま、老婆は腕に下げていた籠へ手を伸ばす。そこにあった真っ赤な果実をルヴィスへと差し出した。


「よかったら、お食べ。とっても甘くて美味しいよ」

「いりません! 誰か―――」


 ルヴィスは大声を上げて助けを呼ぼうとした。

 けれど同時に、老婆は舌打ちを漏らす。

 もはや悪意を隠そうともせずに苦々しげに顔を歪めた。


 老婆―――グレイゴールにとって、子供に成り代わるなど容易いことだった。騙そうとしたのは、気まぐれからの戯れに過ぎない。

 強引に連れ去り、骨まで焼き、幻惑術で成り代わる。

 そちらの方が、作業としては簡単だった。

 だから警戒心を抱かれた時点で、強行に及ぶのは半ば決定していた。

 言葉を交わすという選択肢はすでに無かったのだ。


 ただし、それは黒馬(メア)にとっても同じだった。


「ぶはっ―――!?」


 巨大な蹄が、老婆の横っ面にめり込む。

 枯れ木のような体が、木ッ葉みたいに吹っ飛んだ。

 そのまま老婆は太い木の幹に叩きつけられ、勢い余って地面を転がり、幻惑に包まれていた悪魔の正体を現す。


 禍々しい翼と角を生やした姿に、ルヴィスが息を呑んだ。

 けれど黒馬は一切構わず、追撃を加ていく。

 うつ伏せになっていたグレイゴールの背中を踏みつける。

 何度も、何度も。

 濁った悲鳴をたっぷり上げさせてから、黒馬はグレイゴールの頭に齧りつき、森の奥へと放り投げた。


「えげつねえ……」


 思わず、ヴィレッサでさえ呆れてしまうほどの容赦無い攻撃だった。

 離れた場所にいたヴィレッサだったが、いきなり黒馬が駆け出したので後を追ってきたのだ。

 すでに魔導銃を手にしている。

 けれど引き金を弾く機会を逃がしてしまった。


「ルヴィス、無事だよな?」

「う、うん。何もされてないよ。メアが助けてくれたから」


 黒馬が誇らしげに嘶く。

 だけどまだ警戒は残していて、森の奥へ鋭い眼差しを向けていた。


 そう、グレイゴールはまだ生きていた。

 普通の人間であったら数十回は命を落としていたはずだ。

 しかし悪魔であるグレイゴールは、全身から血を流し、怒りに顔を歪めながらも、立ち上がろうとしていた。


「よくも……よくも、人間如きが……ここまで私に屈辱を与えるとは……」

「ルヴィス、皆を連れて村へ戻ってな」

「でもお姉ちゃん、大丈夫なの? あの人って変だよ?」

「問題ない。ちょっと血生臭くなるから見せたくねえだけだ」


 ヴィレッサは三日月型の笑みを見せる。

 ルヴィスは複雑な表情をしたが、すぐに頷くと踵を返した。他の子供たちの下へと向かう。黒馬も護衛として続いた。


 後には、ヴィレッサとグレイゴールだけが残った。

 グレイゴールはまだ頭から血を流しながらも、殺意に満ちた眼光を放つ。


「貴様は逃げぬのか? 私への生贄にでもなったつもりか?」

「はっ、随分とお気楽な脳味噌だな。悪魔ってのは、まさか全員がそう退化してやがるのか?」


 ヴィレッサは腕を上げて、真っ直ぐに魔導銃を掲げる。

 グレイゴールは訝しげに目を細めた。ここにきてようやく、ヴィレッサが魔導銃を持っていることに気づいたのだ。


「魔導銃だと……? まさか、そんな物で私に対抗するつもりか?」

「ああ。命乞いするなら今の内だぜ?」

「命乞い? 私が? くっ、ははっ、そうか、私を笑わせて機嫌を取るつもりか! こいつは予想外だ! 子供にしては知恵が回るではないか」


 魔導銃は障壁ひとつで防がれる、謂わば”使えない兵器”。

 それがこの世界の常識だ。

 ましてや霊的な存在であり、身体能力に優れ、魔術にも長けた悪魔に通用するはずもない。

 そうグレイゴールが認識しているのも、当然と言えば当然だった。


 しかし、だからといってヴィレッサは容赦しない。

 相手が悪魔だから、ではない。

 大切な(ルヴィス)に手を出そうとした。

 その時点で、もはや塵すら残す価値もないと決定しているのだ。


「ディード、掃射形態!」

『了解―――』


 ヴィレッサの手にあった魔導銃が光を放ち、瞬く間に変形する。

 三×三連装の銃身を備えた、対軍用掃射形態へと。

 その凶悪な銃口を向けられて、グレイゴールはさすがに目を見張った。


「へ、変形だと!? ただの魔導銃ではない―――」

『―――対悪魔用滅霊弾、装填。ご存分にどうぞ』


 機械的な声に、轟くほどの銃声が続く。

 グレイゴールは咄嗟に地面を蹴って逃れようとした。しかし回避行動を予測していたヴィレッサは、僅かに射線を移し、逃げる足を捉える。

 数多くの戦いを経験したヴィレッサは、素早い相手への対処も会得していた。

 そして一発でも当たれば、もはや決定打となる。

 足を穿たれたグレイゴールは、地面に転がり―――、

 その最中にも銃弾の雨に晒されて全身を粉微塵に砕かれる。


「ご、がっ、ああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ―――――!?」


 ほとんど肉塊となりながらも、グレイゴールは苦悶を叫び続ける。

 特別な構造をした悪魔の肉体は、常に再生を続けるのだ。

 魔弾で砕かれ続けても簡単には滅びない。

 だが今回は、苦しみを長引かせるだけでしかなかった。


 悪魔を滅ぼす手段は、”死を認めさせる”こと。

 あるいは、”死んだ方がマシ”と思わせること。


 そのために『対悪魔用滅霊弾』は、悪魔の体に喰い込み、激痛を持続させる。

 しかも悪魔は、生まれた時から完成された存在だ。

 人間のように成長をしない。

 即ち、痛みに慣れることもない。


「はっ、苦しそうだなあ? さっさと滅んだ方が楽になれるぜ?」


 引き金から指を離し、銃身を肩に乗せて、ヴィレッサは無様な悪魔を見下ろす。

 情けを掛けるつもりはない。

 もはや放っておいても、魔弾が自動的にグレイゴールを痛めつけてくれる。

 それでもグレイゴールは蠢き、濁りきった怨嗟の声を吐き出す。


「ぶざ、げるぁ……ぎざまごどぎ、ガギ、にぃぃぃ……」

『ちなみに、滅霊弾の効果は四十九日間持続します』

「じ、っ……―――!」


 グレイゴールは大きく目を見開き、そして―――絶望に屈した。

 死んだ方がマシ、と思ってしまったのだ。

 真っ赤な瞳から色が失せる。

 肉塊と化していた体が崩れ、光の粒子を散らばらせて、やがて完全に消滅した。

 静けさが戻った森を眺めて、ヴィレッサはほっと息を吐く。


「終わったか……それにしても、四十九日って随分なハッタリだな」

『有効であったと判断します』


 苦笑するヴィレッサは知っている。

 滅霊弾の効果は、本当は三日で切れるということを。

 まあ、いずれにしても地獄であるのは違いないが。


「それじゃ、林檎狩りに戻るか」

『了解。探索任務へと復帰します』


 魔導銃を腰に収めると、ヴィレッサは振り返る。

 真っ赤な外套をはためかせながら村へと戻っていった。







 とある空間―――。

 悪魔たちが集い、暗く濁った声で語り合っている。


「グレイゴールが滅ぼされたようだ」

「ほう……奴は人間界へ出向いていたはずだ。人間に遅れを取ったのか?」

「まさかとは思うが、人の成長も侮れぬということか」

「くくっ、なにを馬鹿な。奴は、我ら二十四柱の中でも最弱」

「人間ごときにやられるとは、悪魔の面汚しよ」


 低く笑う悪魔たちには、仲間の死を悼む様子はない。

 それどころか、久しぶりに起こった変化を歓迎しているようだった。


「面白そうではないか。次は、我らが出向いてみるか?」

「奴が消えた場所くらいは分かっているのだろう?」

「偶には、人間どもと戯れるのもよかろう。絶望を味わわせてやろうではないか」


 悪魔たちはまだ知らない。

 その思いつきが、どれほどの危険を呼び込むのかということを。

 そして近い将来、この空間が随分と寂しくなることも―――。



短編として別枠で投稿しようかとも迷いましたが、一応は蛇足編ってことで。

でも正規ナンバリングにはならない話ですね。

今後も、不定期ですがこういうSS的なものを投稿していこうと画策中です。


少なくとも、あと一回か二回は確実に。

もうちょっと間が空くと思うので、気長にお待ちください。

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