第16話 次の戦いへ向けて
帝都陥落より数日、二隻の大型飛翔船が到着した。
一隻はモゼルドボディア教の聖旗を掲げて、ボドル枢機卿以下、聖堂騎士団二千名を乗せていた。
もう一回り大きな飛翔船は、レミディア国国王専用のものだ。国王インスティウス四世、宰相ギルアード、それと近衛隊も同乗している。
城へと入るインスティウス四世を、大勢の騎士が出迎えた。
「陛下とともに勝利を祝えることを、将兵一同、大変喜ばしく思います」
「まことに。此度の勝利も、陛下の英断があればこそ」
「このまま大陸すべてを席巻するのも、容易いことでしょう」
口々に述べる騎士達の中には、素直に喜んでいる者もいた。けれど半数ほどは、内心では溜め息を堪えている。バルトラント帝都を陥とせたのは歴史的勝利に違いないが、あまりにも犠牲が多く、そして得るもの少なすぎた。
けれどインスティウスは、そんな事情を知らない。
まだ若い王は、騎士たちの微妙な表情にも気づかず、純粋に笑みを浮かべて労いの言葉を掛けていった。
「大陸すべてとは大袈裟だが、レミディアの威光が広く轟くのは間違いないな」
「はい。そのためにも、早急に帝国軍残党を討ち果たすべきかと存じます」
「ギルアードは気が早いな。残党と言っても、大したものではないのだろう?」
「……詳しくは、後でフェリシア殿から報告させましょう」
ひとまずは無難な会話に終始して、ギルアードは恭しく一礼した。我が物となったばかりの城を巡るインスティウスに付き従い、一通りの挨拶を済ませた後、用意された自室へと入った。
そこでようやく肩を落とし、大きく溜め息を吐く。
「まさか、ここまで帝国との戦力差があるとは……」
大方の戦況は、ギルアードの下に届いていた。インスティウスに聞かせた耳当たりの良い報告だけでなく、敗戦に近いほどの打撃を受けたことも含めて。
「くそっ、なにがレミディア最強の十二騎士だ! 無能どもが!」
机に拳を叩きつける。冷静さを旨としているギルアードだが、怒りを吐き出さずにはいられなかった。
今回の帝国侵攻は、千載一遇と言えるほどに絶好の機会だったはずだ。
皇帝の急逝から始まった北方貴族の叛乱は、ギルアードも予測していないことだった。しかしそれに乗じる形で魔導国を焚きつけ、西方国境を脅かすことにも成功した。魔女ミルドレイアの復活は予定外だったが、そちらもレミディアにとっては好都合と言えた。
北方と西方から帝国を攻め立て、戦力を分散させる。東と南でも守備兵力を引きつけておく。さらには飛翔船で各地を荒らし、秘蔵の魔導遺物阻害装置まで使い、十二騎士も可能な限り参戦させた。
確実に帝国を滅ぼせる流れだったはずなのだ。
だが、実際にはどうだ?
帝都を陥落させ、大きく兵力を削ぐことはできた。しかし皇帝ディアムントには逃げられ、東西国境をはじめ、各地に戦力が残されている。
帝国最高の魔導遺物である『断傲剣』も、本体こそあっても一切の手出しが叶わない。その鍵である黒剣が手に入らなかったからだ。恐らくはディアムントの手にあるのだろう。
その他の魔導遺物もほとんど入手できなかった。なにせ城の宝物庫が空だったのだ。転移術では持ち去れないほどの財貨があったはずなのに、広々とした空間しか残されていなかった。
交易の中心地として栄えるエウィドグラードは、これから大きな富をもたらしてくれる。けれどすぐに使える財貨が無いというのは痛い。
それよりなにより―――。
「……次は、果たして勝てるのか?」
犠牲を惜しまぬギルアードが頭を抱えるほどに、戦力低下は著しかった。
今回の戦いで派遣した十二騎士は六名。レミディア最強戦力の半数だ。
その内、四名までもが討ち取られた。辛うじて生き残った二名も、無事と言えるのは『傀儡裂鞭』のミュリエルだけだ。その彼女も治療中であり、まだ公の場には姿を現していない。
『殲滅輪』のフェリシアに至っては、今後の復帰も難しいという。身体の治療は済ませたそうだが、ずっと部屋に閉じこもって、誰とも会おうとしない。どうにか連れ出そうと部屋に踏み入った騎士もいたが、細切れにされた。
「魔弾皇女……やはり、侮るべきではなかったか……」
ギルアードは苦々しく呟き、握った拳を震えさせる。
たった一人の子供に、何年も掛けて積み重ねてきた計画が叩き潰された。俄かには信じ難い事実だった。
けれど認めざるを得ない。
阻害装置すら効かないという魔導銃は、もはや最大の脅威と言える。
「なんとかして排除できれば……」
危険を冒すのは、ギルアードの主義に反する。けれど目の前に映る栄華はとても魅力的に思えた。
それに、勝利を治めたのは事実なのだ。
まだ動かせる戦力も尽きていない。
いざとなれば、飛翔船を使って逃げられる。
その余裕から、攻めるべきだと判断を下した。下してしまった。
「そうだとも……私は、こんなことで躓くような器ではないはずだ」
袖に覆われた二の腕を擦りながら、ギルアードは暗い笑みを零す。
濁った笑声が、一人きりの部屋に響いていった。
◇ ◇ ◇
帝国西方―――、
ヴァーヌ湖城砦へと逃れたディアムントは、帝都奪還のための戦力を集めようと精力的に動いていた。
シャロンに連れられて城砦へ入った当初は、憤慨して誰も近づけようとはしなかった。いっそ帝都へ駆け戻ろうとしなかったのが不思議なほどだ。それでも一晩が経つと冷静さを取り戻して、まずは事態の把握に努め始めた。
転移術を得意とするシャロンのおかげで、百名余りの騎士や兵士、文官が脱出できた。さらには宝物庫の財貨を持ち出せたのも大きい。戦力となる魔導遺物も手元に残せたし、帝都奪還の兵を動かすにはどうしても金銭は必要になる。
「ヴィレッサ殿下も、無事に撤退なされたのが確認されました」
その報告がもたらされた時、ディアムントは一際激しく顔を顰めた。けれど口元だけは隠し切れない歓喜で緩んでいた。
帝都の東にある街へ、転移術士を飛ばして確認させたのだ。事前の予定では、そこから南東、港町のあるヴァイマー伯爵領へと向かって戦力を整えることになっている。
「ふん。あの我が侭娘は、海遊びでもしていればいいのだ。その間に帝都を取り戻してやろう」
「……実は、ヴィレッサ殿下から伝言がございます」
「む……何と言っていたのだ?」
「畏れながら……すべて自分に任せておくように、と」
実は「テメエはカキ氷でも食って昼寝してろ」と続いたのだが、さすがに伝令役はそこまで口にできない。
ただ内心では、似たもの親子だ、と懸命に苦笑を堪えていた。
「……手綱を握れる者を送る必要がありそうだな」
苦々しく呟いたディアムントだが、なにも本気で娘と張り合うつもりはない。
広大な帝国領の西と南、其々が旗頭となって、近隣諸侯の兵をまとめればよいのだ。魔導通信と手紙によって連絡を取り、協力を呼び掛ける手筈は整えてあった。
ヴァーヌ湖城砦には、すでに守備部隊としておよそ三万の兵力がある。近隣諸侯に召集を掛ければ、それに倍する兵力が整えられるはずだった。
戦力という話になると、ルヴィスが控えめに手を挙げた。
「陛下、私からもひとつ提案を宜しいでしょうか?」
「無論だ。良い意見があれば、すぐに採用しよう」
「ありがたく存じます。先程、手綱を握れる者を、と仰られた話とも関係するのですが―――」
軍議の場で出されたルヴィスの提案に、一同は眉を顰めた。帝国騎士にとっては容易に受け入れられる話ではなかったのだ。戦力の補充にはなるかも知れないが、実現する可能性も乏しいと思われた。
けれどディアムントは、しばし考えた後に承諾した。
「試してみるといい。だが間違っても、其方はこの城砦から出るでないぞ?」
「はい。私はお姉ちゃん……姉と違って、イノシシではありませんから」
ルヴィスが小さく笑みを零す。
幼く、純粋な微笑みだ。
けれどそこには自信も滲んでいて、深刻な顔をしていた騎士達の心を自然と和ませていた。
◇ ◇ ◇
帝都から南東、主要な街道よりも細い道を、ヴィレッサは黒馬に跨って駆けていた。無論、ゼグードをはじめとした親衛騎士たちも従っている。
目指すは帝国領南東端、ヴァイマー伯爵領。そこにある港町キールブルクだ。
かつて帝都へと訪れた道を、今度は逆に辿っていくことになる。
「もうしばらくは順調に進めそうだな」
あるいは、レミディアからの追っ手に苦労させられる事態も考えていた。その際には逃げるよりも蹴散らす方向でいくつもりだったが、どうやら敵も警戒しているらしい。
平穏無事、と言っていいだろう。
つい昨日、偵察らしき飛翔船が近づいてきたが戦闘にもならなかった。狙撃形態で何発か撃ち込んでやったら、そのままあっさりと墜落したのだ。
『平穏ではありますが、少々血生臭い道程ではあるかと』
「そういう感覚は大切にしねえとな」
魔導銃の修復も、この数日でほぼ完了している。帝都奪還の軍を挙げれば、また大勢の命を奪うことになるだろう。
それを躊躇うつもりはない。
ただ、悲しいと思う気持ちは捨てたくなかった。
「途中の街でも、レミディアの奴等に出遭わなければいいんだけどな」
『街道を外れて隠密行動、という選択肢もありますが?』
「そいつは無しだ。侵略者ども相手に、逃げ隠れするなんざ納得できねえ」
『すでに逃走中なのでは?』
「戦略的撤退、って言うんだ」
軽口を叩き合っている内に、街道の先に小さく街が見えてきた。隣を走るゼグードへ目配せすると、ヴィレッサは黒馬の速度を上げた。
「あそこの住民にも知らせてやらねえとな。帝都が陥ちたってことを」
「姫様、それは我らに任せていただいても……」
「皇族として、民と向き合うのも仕事だろ? 違うか?」
ゼグードは口を開き掛けたが、異論は唱えずに頭を下げた。
複雑な表情も見て取れたが、ヴィレッサは敢えて構わずに正面を見据えた。
「とりあえず、この争いが終わるまではな。それが生き残った人間の務めだ」
目を細めて、子供らしからぬ物憂げな表情を浮かべる。
けれどそれは一瞬のこと。
いつものように口元を吊り上げると、腰に手を当てて、頼りになる相棒をそっと撫でた。




