8 家族の夕食
ウッドロックの町の人々は原始的な暮らしをしている。
朝日と共に起きて、夕日と共に家へ帰り、夜は寝て過ごす。
町には電気が通っており、大体の家には電灯もあるのだが、滅多に点けない。
それは電灯が貴重なのも一因だが、農業中心に栄えて来た人々の習性がそうさせているのかも知れない。
ウーノの前へ次々と皿を運ぶイルザも、電灯を点けるのは久しぶりだと言っていた。
着古した服から覗く腕は痩せ、白髪の混じる栗色の髪と少しこけた頬が、彼女の暮らしを表している。だが、これでもましになった方だとウーノは思う。一ヶ月前に会った時は、触れば崩れる砂の彫刻のような脆さを感じた。
浄水器が設置されてからは、日増しに元気を取り戻している。その表情には気品が表れ、動作はきびきびとして無駄がない。
その原因の一つは、皿に盛られた野菜だろう。短期間で収穫出来る小型の大根や、アブラナ科と見られる野菜などが色とりどりに並んでいる。
奥のキッチンから、もう一つの原因が大きな平皿を抱えて入ってくる。
「大丈夫かい? リタ」
ウーノが声をかけると、リタは無言で頷いて、よろよろとテーブルに近づく。
「手伝うわよ」
「ダメ。お母さんは見てて」
リタは気丈にイルザへ返事すると、なんとかテーブルに載せることに成功した。ほっと一息ついて、自分の運んだ料理、オージュホグを見つめる。
オージュホグは、オージュと呼ばれる動物の肉をいくつかの香草で包んで焼くウッドロック伝統の料理らしく、ウーノが肉を買いイルザが料理した。
そのオージュは顔と同じ長さの角を持つ大型動物で、レニーが調べた所、ヒツジに属すると言う。この生き物は驚くべき事に、長い食道へ多数の細菌と微生物を常駐させ、水の汚染原因である病原菌や有害物質を無害化させてしまう特性を持っていた。そのため、安全な肉を求め、育てていない町はないと言う。
「本当にありがとうございます、こんなに立派な肉を」
イルザが言うと、ウーノは微笑んで手を振る。
「イルザさんにもリタにもお世話になっていますから、これはそのお礼に過ぎません」
「そんな、お世話になっているのはこちらなのに……」
イルザが恐縮するには理由がある。
彼女はウーノとレニーに、娘であるリタの命を助けられ、その上教育まで与えて貰っている。そして、浄水器を設置したことで汚染水から開放され、日々野菜や穀物が実りをもたらしている。
その上、彼女の尊大な態度と容姿のせいもあり、リタとイルザのレニーに対する感謝の念はもはや信奉に近い。
近頃では町にもレニー信者と言うべき存在が確実に増えているらしく、その影には「レニー様もいらっしゃれば良かったのに」と残念がるイルザの活動があるのは間違いなく、本人がその話を耳にした時は、他人に髪を触られた時以上に嫌そうな顔をしていた。
もちろんウーノも同様の尊敬を受けてはいるが、懐いたリタが親しく「ウーノくん」と呼ぶため、ありがたい事にイルザも敬称をさんで留めている。
準備が終わり、全員が席についた。
「さぁ、食べましょう!」
イルザの一言で食事がはじまる。
ウッドロックは塩や砂糖、スパイスといった調味料に乏しい。そのため調理法に工夫があるらしく、素朴ながら味覚はバラエティーに富んでいる。
ウーノは素直に美味しいと感じた。ここ数ヶ月は星間船の自動調理器と自作の料理しか食べていないことで、家庭の料理に飢えていたのかも知れない。
「お口に合いますか?」
イルザが少し不安そうな視線をウーノへ投げかけた。
「美味しいです。中々新鮮な野菜は食べられないですからね」
「うん、おいしいね!」
リタが同調し、テーブルの上に笑い声が響く。彼女は夕食会が決まった時からいやに上機嫌だった。 いつもイルザと二人の食事なのだろう、母と複数人での食事が珍しいのかも知れない。
ウッドロックの町長ダニロは、本格的な収穫時期には祭りを開きたいと言っていた。その時、リタがどれだけはしゃいでくれるかを考えると、口元が綻ばずにはいられない。
「レニー様は今どちらにいらっしゃるのですか?」
「確か、オッケマと言っていましたね。石油の町だそうです」
イルザは「まぁ」と口に手を当てて驚いている。
「オッケマの町長はその……」リタを見て、少し口ごもる。「女性に対する、……素行があまり良くないと聞きます」
その話はウーノもダニロに聞いていた。だが、そんなことなら特に心配する事もないと思っている。
「先輩なら大丈夫ですよ。護身術を習っていますし」
だがその返答は少しずれていたようで、イルザは困ったように言う。
「ですが、向こうの町長は大変な美男子なのだそうです。心配にならないのですか?」
ウーノはやっと理解した。イルザは一人の男としての意見を聞いているのだ。女性のこういった事柄への興味はどこも変わらないと内心苦笑する。
「先輩の考える事ですから、僕にはなんとも。でも、そんな可能性はほとんどありません」
きっぱりと言い切ったウーノに、イルザはなにやら痛く感心したようだった。
「深い絆があるのですね」
それはどうかなと思う。他人が自分をどう思っているかなんて、確かめようがない。だが、そんな議論をする場でもなく、ウーノは曖昧に笑う。
食事は和気藹々と進んだ。リタが笑顔を振りまくので、そうならざるを得ない。まるで家族の時間だとウーノは思った。
イルザがはしゃぎ疲れたリタを寝室に寝かせ、自家製の茶を淹れる。
ウーノは木製の器に入った茶を受け取り、礼を言って一口含む。少し渋いが、喉を通すと口内が洗浄されたようにすっきりとする。
「イルザさんには言っておかないといけない事があります」
椅子に座ったイルザへ、ウーノはそう切り出した。
「リタの学習能力は非常に優秀です。あと数ヶ月で初等教育は終了するでしょう」
言葉は褒めているが、声は若干硬い。
「問題は次の段階へ進むか、と言う事です」
「どういった問題でしょうか?」イルザは口元を引き締めて聞いている。
「つまり、この星で抜きん出た知識を持つと言うことです。知識は力です。大きな力は本人の意思とは関係なく周囲を動かします」
「それは、その、リタは普通の生き方が出来ないという意味ですね?」
「そうです」ウーノは言い切る。「いずれ多くの人間がリタを頼るでしょう。それが彼女の幸せなのか、僕には分からない」
イルザは目を伏せて考え込んだ。簡単に答えの出る問題ではない。いや、答えなどないかも知れない。
「レニー様はなんと仰ってますか?」
「先輩は、自分自身がああいう性格ですからね、リタの成長を喜びはしても、問題と捉えていません」
捉える事が出来ないのだとウーノは思う。知識を高める事で、人生の選択肢はいくらでも枝葉を伸ばしていく。だが、何もしらないというささやかな人生が消えてしまう事を、彼女には理解出来ない。後頭部を撃たれて訳も解らず死ぬぐらいなら、最後まで銃口を見つめて死ぬ、そういう人なのだ。
やがてイルザは、彼女自身の答えを出した。
「続けて下さい。夫も、それを望むはずです」
彼女の夫、つまりリタの父親は数年前に亡くなっていると言う。若干の興味はあったが、相手が話さない限り聞かないと決めていた。
ウーノが頷くと、軽い電子音が鳴った。腰のポケットから外部端末を取り出すと、表面がレニーからの通信を告げている。
「はい、ウーノです。……フリックさん?」
端末から聞こえるのはレニーではなく、フリックの声だった。やたら慌てており、何の話なのか理解出来ない。
「待って下さい。順序だててお願いします。なぜ先輩の端末を持っているんですか? 先輩はどこです?」
声は次第に焦りを帯びる。イルザもただならぬ事態を察知して、緊張の面持ちを強めた。
ウーノは黙って報告を聞いていた。事態が一つ一つ明らかになっていく。
いつの間にか左手に木製のコップを持っている事に気付いた。喉が干上がっている。温くなった茶を一気に呷り、可能な限り感情を抑えて返事をする。
「解りました。すぐに向かいます」
それだけ言って、通信を切る。
「レニー様に……、何かあったのですか……?」
震える声で、イルザが恐る恐る聞いた。
しばらく静止していたウーノが、突然木製のコップを握り潰した。
イルザの口から小さな悲鳴が漏れるが、血の滴るウーノの左手を見て慌てて駆け寄る。
「大丈夫です。すぐに止まります、そういう体なんです。それより、先輩の身に危険が迫っています。僕はすぐに行かなければいけません。コップ、壊してしまいました。弁償は後日……」
「そ、そんなの要りません!」
言葉を遮ってイルザが怒鳴った。ウーノは自分が混乱している事に気付く。頭を振って必死に冷静を呼び戻す。
「すみません、ダニロさんにこの事を伝えて頂けますか? 星間船に誰も居なくなりますので」
「分かりました。任せて下さい」
ハッキリした返事を聞いて、ウーノは立ち上がった。
労働者たちがバリケードを破壊し、館へ向けて押し寄せているという報告は館を駆け巡った。
守備兵たちは、驚きはしたが事前に予測していた事でもあり、シルバの指示で迎撃の体勢を取るべく館を飛び出していく。
そして今、若き町長は玉座にあって、鎮痛の面持ちでウッドロックの三人を見下ろしている。
痛いのは状況か、したたかに打ち付けたと言う後頭部か。侍女に水袋を頭へ押し当てられながら、シルバは呻くように言った。
「……駄目だ」
「なんでだよ! レニーさんに何かあったらどうするんだ!」
敬語も忘れフリックが怒りをぶちまける。
ディータは、ピルトと共に黙ってその光景を見ている。これは町と町。ウッドロックとオッケマの話になると思ったからだ。フリックのように声を荒げては話にならないが、止める訳でもなくただ機会を伺っている。
彼らが異変を聞きつけ部屋へ突入した時、すでにレニーの姿はなかった。その場で気絶していたシルバを叩き起こし事情を確認するが、彼女の行方は分からない。だが、状況的にアデーラが拉致したと考えるのが自然だった。
だとすれば行き先は東しかない。三人は捜索の許可を願ったが、返答は芳しいものではなかった。
「駄目だ。お前たちの武器を東で使われたら町が火の海になる。向こうは石油だらけなんだぞ」
確かに三人が背負っているプラズマライフルは、生身の人間と戦うには強力過ぎた。たった一発でも貯油タンクに当たるか、採油場へ飛べば大惨事は免れ得ない。
「じゃあ武器は置いていく。素手でもいいから東へ行かせてくれ」
必死に懇願するフリックにシルバは手をかざした。
「まぁ待て、守備兵割いて付近の捜索をさせている。じき報告がある筈だ」
「待ってられないから言ってるんだ!」
フリックが引き下がらないのを見て、シルバは侍女の持つ水袋を払いのけると椅子を蹴って立ち上がり、大きく目を見開く。
「控えろ! 誰の館で、誰に口を聞いているつもりだ!」
さすがに一個の町を統べる人間だけあって、その迫力はフリックをたじろかせた。
そこへ、兵士が飛び込んでくるなり早口でまくし立てる。
「報告します! 館の南で走り去る車を見たという住民の証言がありました!」
シルバが渋面を作るや、フリックが両隣の同僚へ声をかける。
「みんな行こう!」
「ならん! この町で起きた問題は我々が解決する」
「そもそも! あんたが人質にされたからレニーさんが連れ去られたんだろうが!」
フリックの辛辣な言葉にシルバの顔が怒りに歪んだ。
「貴様もう一度言ってみろ!」
二人は感情に我を忘れ、視線はまともにぶつかり、暴発寸前だった。侍女たちは怯え、兵士たちは完全に狼狽の態を成している。
「シルバ町長……」
ディータはここだと思った。沸騰した室内に冷水をかけるように、静かに、冷静に告げる。
「彼女はウッドロックの英雄であり、何物にも変えられない財産です。もし、あなたの落ち度で彼女の身に何かあれば、ウッドロックの人間は誰一人あなたを許さないでしょう」
それはもはや、ほとんど脅迫に近い。実際、ダニロがどう反応するかディータには分からなかったが、少なくとも彼自身、返答次第では一戦を辞さない覚悟だった。
周囲の兵士たちから怒気が立ち上り、場を緊張が覆う。
それを察してかシルバは怒りを忘れ、諸手を上げて誰にも落ち着くことを求めた。
「逸るな。ウッドロックと事を構えるつもりはない」
シルバはため息をついて着座しなおす。
しばらく思案した後、一言ごとに苦虫を噛み潰しながら提案する。
「南へ行けば労働者たちとまともにぶつかる。車を貸す。北の橋から行け。渡った後はその物騒な武器の使用を禁ずる。それでいいだろう」
三人に異論はなかった。一礼を残し、あっという間に部屋を出て行った。




