5 扇ぎ動く
日が傾き、夜の帳が下りはじめた町の東側に灯りは見えない。焚く木材も、ランプに注す油もないからだ。
路上に人影はなく、痩せた野良犬が一匹。これが人間の住む町かと疑ってしまう。
アデーラはやれやれと頭を振り、一軒の家の前に立った。唯一、窓の隙間からランプの明かりが漏れている。
錆だらけの鉄扉を引くと、中からジモンの大声が聞こえてくる。
「だから! 今のままではみな死ぬしかないのだぞ!」
薄暗い室内に男が二十人ほど床に座り込み、熱弁を振るうジモンを取り囲んでいる。それぞれが十人単位の労働者を束ねるリーダーだと言うが、その顔は一様に暗く苦りきっている。
「何故立たん!? 武器はある! 人も居る! 何が不足だ!」
だんだんと床を踏み鳴らすジモンに、一人の中年男性が手を上げる。アデーラの記憶では、ここにひしめく男たちの長のはずだ。もっとも、彼女から見れば誰もがくたびれた病人で、その違いに確信は持てない。
「ジモンさん。あんたの言う事は分かるが、町長の館を襲うのは乱暴に過ぎる。私たちは生活の改善を求めているだけだ」
途端にジモンが詰め寄りがなり立てる。
「まだそんな事を言っている! 西側の連中はとっくにお前たちを見捨てているではないか! 見殺しだ! 死んで食い扶持が減るのを待っているんだ!」
実際の所。アデーラは思う、この男は現実を認められないだけなのだ。
彼女はごく最近ジモンに雇われた身で、事情を詳しく知っている訳ではないが、彼がレニーの浄水器を拒否し、住人に追い出されたと言う事は知っている。
住民に自分の存在が否定された事実を、ジモンは一人の少女へ押し付けているに過ぎない。逆恨みも良い所だが、今はそれのみが体を支えているように見える。
黒煙を上げる情熱は、すでにオッケマの町長へも燃え広がっていた。
彼は一週間前、物別れに終わったシルバとの面会の翌日から労働者へ取り入り始めた。
金銭を分け、食料を与える。そして、十分な人数が集まった所で反乱の扇動をする。
だが、労働者たちの腰は重く、容易には乗ってこない。
その理由がアデーラには良く分かる。
時期尚早なのもあるが、なにより、労働者たちは今の生活をそれほど苦にしていないのだ。
確かに不満はある。耐え難い空腹に苛まれたり、川の水によって病気で命を失う危険も大きい。だが、シルバは少ないながらも食料の配給を行っているし、病人には治療を施している。彼らは、その範囲を広げて欲しいだけだ。
不満はあるが、自ら身を起こそうとしない。守備兵と小競り合いを起こしたと言うが、文字通り命を掛けてまで変革を求めてはいないだろう。その奴隷根性とも取れる考えは根強い。長年旅を続けてきたアデーラは、同じような人間をいくらでも見てきた。
黙ってうつむく男たちに、ジモンの顔が怒りで赤く鬱血している。
このままでは、反乱を起こす前に高血圧で死ぬんじゃないかと考えていると、ジモンがアデーラの姿を見つけた。
「おお、アデーラ!」
大仰に手を上げて、たるんだ頬と腹を揺らしながらジモンが駆け寄る。
「無事だったか! 心配したんだぞ!」
「あんたの部下に置いていかれたんだよ」
アデーラは思わず皮肉を口にする。彼女は二輪車を持っているため帰りは苦労しなかったが、呆気なく見捨てられた事には一言いいたかった。
「そ、そうか。あいつらも悪気はないんだ。それよりも、ちょっとこっちへ」
早口でまくし立てたと思うや、アデーラを柱の影へ誘い小声でしゃべり出した。
「今夜、反乱を起こす。バルタたちが橋のバリケードを破壊する工作をしている」
アデーラはジモンの正気を疑った。今のこの状況で、どうやって反乱を起こすつもりなのか。
しかも、バルタとかいう剃髪の男も信用できない。工作などという高尚な真似が出来るとは思わなかった。
だがジモンは自信たっぷりに計画を話す。
「まず、奥の壁を爆破する。兵がそちらへ向かったのを見て、南のバリケードを破壊し、一気に館を強襲するつもりだ。だが、その時ウッドロックの連中に邪魔をされたらまずい。強力な武器を持っているからな。そこで、お前にはあの女を誘拐して欲しいのだ」
反乱の方法としてはあながち間違ってはいない。だが、労働者を決起させても館に辿り着けるとは思えない。素人に銃を持たせた所で何の役にも立たないからだ。
しかし、レニーの誘拐という点は心引かれる。
あの肌も、顔も、意思も、ラグファリアではまず見ることの出来ない美しいものだ。
その少女を引き据え、足元に這いつくばらせる事が出来れば、それはかなり魅力的な提案ではあった。
だが、果たして可能かと思う。
自分の能力には自信がある。女の身でありながら、培った技だけで生きてきた自負がある。しかし、レニーのあの反射神経は異常と言っていい。
はじめて会った時、彼女は必殺の一撃を入れた筈だったのだ。たとえ避けられる人間が居たとしても、反撃体勢にまで移れる訳がなかった。
あの少女は、自分たちとはまるで違う人間なのだと思い知らされた。
無理ではないが、困難だろう。アデーラはその対価を口にする。
「一千万ガロルだ」
ジモンの表情が引きつった。前回レニーの暗殺を頼んだ時は二百万ガロルだったのが、一気に五倍も跳ね上がれば無理もない。
「それは私の全財産だ! 無理に決まっているだろう!」
声を潜めるのも忘れて怒鳴るが、アデーラは眉ひとつ動かさない。ジモンの全財産は、まだ二千万以上残っていると知っているからだ。
「暗殺より誘拐の方が難しいのは分かるだろう。しかも敵地に乗り込んでだ」
「だが、高すぎる!」
まるで悲鳴のように叫ぶ。
アデーラは今だとばかりにジモンの胸倉を掴み上げた。口の端を吊り上げ、犬歯を見せて凄む。
「いいか、私たち傭兵は安くない。これでもオーバルより東じゃ破格だ」
実際そんな事はない。荒野の最東端オーバルの町では、戦争が終結し余った傭兵で溢れている。傭兵の相場などジモンが知る筈はないと踏んでのブラフだった。
「だが……、せめて五百では」
脂汗を流しながらジモンが声を絞り出すが、アデーラはゆっくりと首を横に振る。
「交渉には応じない。次に千より下を口にしたら私は手を引く」
ジモンが必死に損得を勘定しているのが分かる。アデーラからすると、正直な所どちらでも構わない。確かにおいしい話ではあるが、危険も大きい。
たっぷりと汗を流し終え、ジモンは決断した。
「分かった。千出そう……」
「契約成立だ」
そういって手を離す。ジモンが襟首を正しながら真っ赤な顔で怒鳴った。
「だが、失敗は許さんぞ! あの女を私の前へ転がすまで報酬は払わんからな!」
アデーラは苦笑いを浮かべて言葉を返す。
「あんたこそ、大丈夫なんだろうね」
ちらりと見やった先には、座ったままひそひそと相談している男たち。
「まぁ、みていろ」
言い捨てるとジモンは腹を揺すりながら円の中心へと戻っていく。
男たちが注視する中、何を思ったのか懐から拳銃を取り出した。明らかな動揺が周囲に広がる。
「これから三時間ののち!」
言いながら男たちの顔を一人ひとり眺め回す。全員が自分を向いている事を確認し、銃を掲げて叫ぶ。
「私たちは決起する!」ジモンが男たちの後ろを手で指し示す。「彼らと共にな!」
男たちが一斉に振り返ると、少年が三人立っていた。年は十五前後だろう、手には背丈に合わぬ突撃銃が収まっている。
長が悲鳴を上げた。
「こ、子供じゃないか!」
ジモンが負けじと声を張り上げる。
「お前たち大人が立たぬと、彼らが志願したのだ!」
アデーラはなるほど、と思った。まだ何も知らぬ血気盛んな子供を篭絡するのは、大人を焚きつけるより容易い。予想通り子供たちは、口々に大人への不満をぶちまける。
「オレらだって戦える! みんながやらないならオレたちの手でやってやる!」
「そうだ! 臆病者は引っ込んでいろ!」
「母さんの敵を取るんだ!」
男たちの顔は一様に青ざめている。ジモンはその中を通って少年の前に立つと、ここぞとばかりに畳み掛ける。
「町を救おうとこんな子供が銃を取っているのだ! 外にはまだ何人も、決起の時を待っている! お前たちが立たねば、私は彼らと運命を共にするだろう!」
中々の役者ぶりにアデーラは苦笑するしかない。要するにジモンは、子供を人質に取ったのだ。
「貴様! いい加減にしろ!」
耐えかねた長が腕を巻くって立ち上がるが、一歩踏み出したその眼前に真っ暗なジモンの銃口が突きつけられる。
「拳を振り上げる相手を間違えていないかね? お前たちが立たぬなら、もはや無理にしろとは言わん! 穴倉にこもって泥水をすするがいい! だが、決起の邪魔をするなら容赦はせん!」
長は腰を砕きながら、なお懸命にジモンの足元へすがった。
「だが、子供は……。子供だけはやめてくれ……」
「何を言う!」ジモンは心外の極みだと言わんばかりに驚いて見せた。「私がしろと頼んだ訳じゃない。彼らは彼らなりに町の状況を憂い、一向に埒が明かぬお前たちを見て、もはや立つべしと心に誓った勇士たちだ!」
その演説に同調して、少年たちがそうだそうだとはやし立てる。
鉄扉が開き、バルタとその部下が数人入ってくる。構えはしないが、手には銃がランプの明かりを受けて妖しく光っている。
「準備は如何かね? バルタ隊長」
元々町の守備隊長だったと言う剃髪の巨人は胸を張って答えた。
「細工は流々! 後は命令を待つのみです」
完全に沈黙した労働者たちを見て、アデーラは彼らの運命を悟った。
反乱が成功する確率は低い。それに、仮にもし成功したとしても、玉座にはジモンが座るだろう。
どの道、労働者たちは何も手に出来ない。ジモンの自殺に付き合わされているようなものだ。
アデーラは同情する気も起きず、仕事の準備に取り掛かった。