10 クロス・スラッシュ
ドレス姿のレニーの手には、金属製の火薬式拳銃が握られている。
収束光拳銃を部屋に残したために、緑帽子の男から取り上げたものだ。ずっしりと重量があり、撃てば相手は死ぬのだと教えてくれる。
「ばかな……、アデーラ、裏切ったのか……?」
心の大部分がどこか遠くへ逃避してしまったのか、ジモンは漠然とした表情で問いかけた。
「すまないね。こっちの方が、条件が良かったのさ」
少しも悪びれた様子もなく、アデーラはジモンの手から銃を取り上げ、周囲に向かって叫んだ。
「ほら小僧ども! 何ぼさっと見物しているんだい! 銃を捨てるんだよ!」
良く通る声で一喝されると、少年たちは素直に銃を地面に下ろした。
「そこのガキ。バケツに川の水を汲んできな」
指示された少年は命令の意図が理解出来ず戸惑うが、アデーラの「いいから汲んでこい!」の一言で、ほとんど転びながら駆けていった。
「さて、ジモン。私は話し合いを目的にここへ来た。応じるつもりはあるか?」
レニーがそう言うと、ジモンはようやく自分を呼び戻したのか怒気を含めて返した。
「話し合いだと!? 今更何を言うか! ローリールではそんな機会も与えなかったではないか」
「それは先にお前が拒否したからだ。散々住民の声を無視しておいて、都合が悪くなったら話し合いましょうでは間尺に合わない」
「私の町だ! 私がどうしようと勝手だ!」
「勝手ではなかったんだ。身を持って証明したのは誰だ?」
「黙れ、悪魔め!」
ジモンが怒りに任せて銃を掴もうと手を伸ばした。だが、アデーラの足払いを受けて右半身を地面に叩きつける。
レニーは労働者たちに向き、話しかける。
「もう終わりだ。反乱を停止させろ」
何も出来ず、何も手にせず、ただ反乱者のレッテルを貼られただけの顔に、絶望の二文字が描かれた。
その中から、勇気を持った少年たちが前へ出た。
「だけど、オレたちはこのままじゃ家畜以下の暮らしが待っているんだ。それなら戦って死んだほうがいい!」
「そうだ! 西の人間に思い知らせるんだ!」
声は悲痛に彩られている。レニーは言葉では説得出来ない事を悟り、静かに見つめ返す。
丁度その場へ、鉄製のお椀になみなみと水を溜めた少年が戻ってきた。レニーは荷台から小さな水筒缶を取り出し、銃を持った手でふたを開ける。
「ありがとう。ここに注いでくれ」
優しく声をかけられた少年は照れたように表情を緩めると、慎重に水筒へ茶色く濁った川の水を移す。
レニーは労働者たちの見守る中で、三十秒ほど軽く水筒を振った。
再び空けると、白いフィルターを嵌めて蓋へ水を注ぐ。
「飲んでみてくれ。安全は保証する」
少年は戸惑いを見せたが、お椀を地面に置いて蓋を受け取る。
松明に照らされた水は見るからに透明で、底まではっきり見る事が出来る。
周囲を見やり、誰もが自分に注視している事を確認し、一気に水を煽った。
「地下水だ!」
少年が叫び、労働者からはどよめきが上がった。
「地下水じゃない。それは確かに川の水なんだ」レニーが訂正する。
「え、でも……」少年は信じられないと手元を見る。
レニーは労働者に告げた。
「これが浄水器だ。川の水を地下水以上に清潔な物へと変える事が出来る」
広がる動揺はゆっくり囁きへと変わり、労働者の一部がおずおずと蓋を持つ少年の周囲に集まった。 レニーが無言で水筒を渡すと、彼らは先を争うように水を飲み、驚愕と歓喜の二重奏を生む。
「シルバに無料の浄水器を設置させるよう約束させている。石油が枯渇しても、農業をすれば飢えることはない」
「それは嘘だ!」叫んだのはジモンだった。「そんなもの嘘に決まっているではないか! つまらん手品だ!」
レニーの肌が薄く赤みがかる。怒りが全身を駆け抜け、出口を求めて舌に飛び乗る。だが、声に出す直前で別の声に先を奪われた。
「うるさい! もうあんたなんか信じるもんか!」
「子供を盾にしやがって! この卑怯者が!」
労働者たちから浴びせられる罵声にジモンは閉口するしかなかった。側でアデーラが心底呆れたとばかりに肩をすくめる。
「お前たちの代表者は誰だ?」
レニーの問いに、ロブと名乗る壮年の男が前に出る。疲労と題した演劇を始めるかのように肩は落ち、顔は土色に塗られている。
「戦闘を止めてもらいたい。車を使って現場に急行し、労働者たちに降伏の呼びかけを」
「ですが……、今更降伏しても反乱を起こした事実は……」
そこまで言った所で、レニーの眉が吊り上り、今度こそ怒りの衝動が口を突いた。
「このままだと死者が増えるだけだ! 私がシルバに助命を請う! すぐに行け!」
ロブは気圧され数歩下がると、慌てて貨物自動車に飛び乗り敷地外へ走って行った。
エンジン音が遠ざかり、交代するように地鳴りが聞こえる。
真っ先に反応したのはアデーラだった。驚きには硬直より行動するよう訓練していた彼女は、肺活量の限りレニーへ叫んだ。
「レニー! 右だ!」
振り向くと同時にフェンスがなぎ倒された。昼間、壁の上で見た長虫が全身から体液を撒き散らし、真っすぐにレニーへ向かってくる。
レニーは前へ三歩踏み出し、それだけでは間に合わないと体を投げ出した。
目標を失った長虫はそのまま突進を続け、建物へと激突し、壁にめり込み動きを止めた。
どこから来たのか。考えるなり、レニーは北を見やった。遠く壁の方角で赤い光が明滅を繰り返している。
「壁を壊したな」
誰にでもなく吐き捨てたレニーの前で、長虫が壁を削りながら体の向きを変え始めた。
アデーラがダニロから奪った拳銃の残弾を確認して、労働者たちに指示を出す。
「逃げろ!」
返事もなく、彼らは一目散にフェンスをよじ登り始めた。銃を持った少年が数人残ろうとするが、
「こいつには銃が効かない。早く逃げろ」
とアデーラに諭され、大人たちに続いた。
長虫は方向転換を終え、胴体に対して小さな頭に嵌った、宝石のような赤い目を二人に向けた。
「レニー、何か超兵器は持ってないのかい?」
「そんなものはない。そもそもこの格好だ」
アデーラの問いに、レニーはドレスの裾を摘んで見せた。地面に寝そべったせいか全体的に汚れている。
無数の足が地を蹴った。巨体がぐんぐんと迫る。
二人は左右に跳び、アデーラが傷口へ銃弾を叩きこんだ。痛みを感じるのか、急停止した長虫は、今度はアデーラに狙いをつける。
そこへ、唸りを上げて車が飛び込んできた。
レニーは一瞬、先ほどのリーダー格の男が戻ってきたのかと思った。だが、車の形状が違う。土を払って停車すると、数人の男達が降りてきた。その手には銃。
レニーは反射的に駆け出した。その後ろを、銃声と弾痕が追う。
建物へ飛び込み、様子を伺う。
アデーラは長虫の突進を避けるのに精一杯で、こちらに振り向く余裕もない。
男達はジモンに駆け寄ると、助け起こし、一斉にこちらを振り向く。
レニーは状況の不利を悟り、奥へと駆け出した。
ジモンたちが踏み込んだのは、ヘルメットや手袋などが詰まった棚が並んでおり、作業準備室と呼べる一室だった。
扉が複数あり、様々な場所に繋がっている。
「手分けするぞ」
「……あいつを殺すより、逃げた方が良くないですか?」
ダニロの命令に、マティはつい口を滑らせた。血走った目を向けられ、心から後悔する。
「私達があの女にどれだけの目に合わされたか、覚えてないようだな」
「いや、あの……」
マティが必死に言い訳を考えるが、焦って何も出てこない。
「バルタ、銃を貸せ」
「ジモン様……」バルタが躊躇を見せる。
「良いから貸せ!」
一喝してバルタの腰から拳銃を抜き取ると、マティのヘルメットへピタリと当てた。
「思い出させてやろうか。私たちの屈辱を」
怒鳴るでもなく、感情のこもらない声で言われ、マティはようやく言葉を搾り出した。
「すみません、ジモン様……」
しばらく銃口と目線を交わしていると、ゆっくり銃が下ろされた。
「あの女を殺すのだ。その後、あのアデーラと生意気なシルバも殺してやる。いいな」
誰も返事が出来ない。沈黙が深くなる前に、ジモンが指示を下す。
「マティ、アメットはそちらから回れ。バルタ、貴様はここを封鎖だ」
「しかし、ジモン様一人では……」
「一人ではあの女に勝てんか!」
バルタは閉口した。巨体を曲げて頭を下げる。
「行くぞ!」ジモンが荒々しく扉を開け、姿を消した。
「アメットさんよ。オレが思うに、だね。オレたちのご主人様はおかしくなってると違うか?」
マティは油でぬるぬると滑る床に気を使いながら、隣を歩く緑帽子の男に尋ねた。
ついさっきまでゴミ箱の隅に転がされていただけあって薄汚れているが、アメットは特に怪我もなく、意外そうに返事した。
「今更気付いたのか? ジモン様はとっくに狂ってるね。バルタの野郎も気付いてる筈なんだ」
「じゃあなんでこんな事してるんだ? オレたち」
銃を構え、建物の奥へ進む二人は顔を見合わせて、仲良くため息を吐いた。
「着いてきて失敗だった。俺たちは破滅だ」
マティがそういうと、アメットが帽子のつばを上げて抗議した。
「そりゃないだろ。お前が言ったんだぜ。ジモン様は大金持ってるから、きっとおこぼれに預かれるって」
マティはヘルメットを目深に下げた。
「悪い夢だったんだ。ジモン様も、バルタの奴も、労働者もオレたちも」
「ローリールの頃は良かったなぁ……。飯も、女も金も、困った事なかったもんな」
アメットが甘い思い出に浸ると、マティが寂しげに呟く。
「それをあのお嬢ちゃんに奪われちまったんだ」
「おいおい」アメットが驚く。「ほんとにそんな事思ってるのか? ジモン様が正しいって?」
マティは肩をすくめた。
「分かってるさ。奪ったってんなら、あの少女は今こんな所で俺らに追われちゃいない。まぁ、町の連中に返して上げたって所かな」
言い終わって、アメットが着いてきてない事に気付き、振り返る。
「なぁ、逃げないか?」
アメットの提案にマティは息を呑んだ。長年の付き合いから本気なのを感じ取ってしまった。
「無駄だぜ、こんなこと。もう十分恩は返したさ」
言われ、マティは思案を巡らせた。逃げる事は出来る。監獄ではないのだから、どの窓からでも脱出は可能だ。レニーとか言う少女も、ジモンとの決着に拘らなければとっくにそうしているかもしれない。
「……でもよ、軽々しく判断出来る話じゃないぜこれは」
迷いを満載してマティが言うと、アメットはにやりと笑った。
「ジモン様のトラック、まだ金も武器も積んであるぜ」
「そりゃ、重い」
マティが即答し、二人は小走りで道を引き返して行った。




