9 銃 火
オッケマの町には、南北に二つの橋がある。その南側。
焼け焦げたバリケードの残骸を踏みしめて、バルタが大声を上げている。
「進めー! どんどん進めー!」
銃を持った労働者が次々と橋を渡り町へ入って行くのを見て、意気揚々と笑い声を上げる。
「見たかオレ様の破壊工作を! ちゃちなバリケードなど一捻りだわな!」
実際の所、バルタのした事は工作と言えるか微妙だった。橋の反対側から、石油を詰めた樽に火をつけ、その巨躯から来る怪力に任せて投げつけたのだ。
ごろごろと転がる樽を見て守備兵は逃げ出し、爆発でバリケードの砕けた橋をバルタは占領した。
「さぁ、上手くいきますかね」
部下の一人、マティはそう悲観するしかない。
彼はかつてローリールの守備隊員をしており、町から追い出されるジモンに首根っこを掴まれ、仕方なく着いてきただけだった。もちろん主人のような怒りはなく、上司のような忠誠心もない。
その頭で考えるに、この騒ぎは馬鹿の馬鹿による馬鹿騒ぎとしか言いようがなかった。
自分も馬鹿の一員だと、ため息を吐こうとした瞬間、バルタの鉄拳が頭に落ちた。慣れた物で鉄製のヘルメットを被っているが、それでも一瞬意識が飛ぶ。
「当たり前だ! オレとダニロ様で緻密に考えた作戦だぞ!」
それが心配なんだと、ヘルメット越しに頭をさすりながら思っていると、町の中から銃声が鳴り出した。
「お、始まりやがったな! よし、行くぞ!」
バルタが嬉々として走り出した。
南の橋から館を目指すには北上する必要がある。バルタは挟撃されないよう、手元にいる二人の部下から一人に数人の労働者を付け、町の入り口へ向けた。
本人はマティを伴い北へ進み、大通りに出る。道の南北に労働者と守備兵が対峙していた。
数は圧倒的に労働者側が多いが、飛び出した数人が撃たれると、途端に前へ進めなくなってしまい、現在はお互いに家の壁を遮蔽物にして散発的な銃撃を繰り返している。
「どうした! なぜ前へ進まん!?」
バルタが近くにいた労働者に怒鳴る。
「う、撃たれちまう!」
「当たり前だ! 撃たれてこい! 運が良けりゃ死にはせん!」
無茶な指示を出すが、労働者たちは怯えて動かない。業を煮やしたバルタが、壁の隅に固まっている集団を大通りへ蹴り出した。同時に自身も飛び出すと、炸裂弾を投げながらのっしのっしと進んでいく。
「ほら進め! 前に出ない奴はオレが撃ち殺すっど!」
体をかすめる銃撃を物ともしないバルタを見て、勇気あるものは自分を叱咤し先頭を争った。その後ろをぞろぞろと他の労働者が続く。
決して統率されているとは言えない反乱部隊は、それでもバルタを先頭に進むが、少しずつ濃くなっていく守備兵にやがて足踏みを余儀なくされた。
憤懣やる方ないバルタは家の壁を背に地団駄を踏む。
「リッテェはなにしてる!」
赤毛の部下の名前を呼ぶが、そこに居ない者は返事が出来ない。代わりにマティが答えた。
「食われちまったんじゃ……」
その頭に再び鉄拳が打ち込まれる。
「それならそれで構わん! しばらく待っても来なければ突撃するぞ!」
マティはゾッとしながら壁から頭を出すと、ヘルメットに玉が飛んできてクワンと鳴った。慌てて頭を引っ込め、銃を胸に抱えながら、彼は心から赤毛の仲間のために祈りを捧げた。
死んでいてもいいから、せめて任務は全うしてくれと。
その組んだ手の隙間から、どこかで見た事のある顔が見えた。
手を下げて確認する。ゴミ箱の陰に、手足を縛られ猿ぐつわを噛まされた男が転がっている。
「何やってるんだお前……」
マティは呆れながら声をかける。その顔は、普段は緑の帽子に隠れて滅多に見ることの出来ない同僚のものだったのだ
異変を感じた住人は窓を固く閉ざし、路上には人影がない。
不気味なほど静かな夜を、けたたましいエンジン音とヘッドライトの明かりで蹴散らしながら、ウッドロックの三人は北進していた。
「まだかよ!」
「もうすぐだ! 運転してるんだから少し黙ってろ!」
何度目になるかも忘れたフリックの質問を、ハンドルを握るディータが苛立ちながら返す。
後部座席ではピルトが一人、不安げな声を上げる。
「でも、シルバ町長にあんなこと言って大丈夫だったのかな……」
「じゃあ、あそこでお茶でもしながら待ってるのか? 本当ならさっさとぶん殴って車を強奪すりゃ良かったんだ!」
怒り心頭のフリックに、ピルトが泣き声まじりに返す。
「そんなことしたらほんとに戦争だよ……」
今度は罵声が飛んでこなかった。町を抜け、視界が広がる。
ディータが急ブレーキを踏んだ。タイヤの削れる音が甲高く響き、残響を残して停止する。
三人は目の前の光景に絶句していた。
バリケードが破壊され、その側で4人の兵士が、その倍は居る倒れた仲間を介抱している。
ディータはその一団へ車を寄せて声をかけた。
「大丈夫か? 何があった?」
「労働者たちが現れて、壁を壊しやがった」
兵士が説明するには、突如押し寄せた労働者たちがバリケードと壁を破壊するや、潮が引くように去っていったという。三人が見やると、設置されている証明に照らされた壁に、ぽっかりと大きな穴が空いている。
「……壁を壊して兵力を分散させようってことか?」フリックが問う。
「分からん。車が一台壁を越えて、それから戻ってきていないんだ」
怪訝そうな兵士の足元で、別の兵士が血を吐いた。
「くそっ! 応援はまだか!」
治療をしようと兵士が屈む。放っては置けない三人が車を降りると、複数のうめき声に混じってエンジン音が聞こえた。
壁の穴から、二つの光が見える。照明の中へ飛び出したのは、集団にハンマーで殴られたかのようなボロボロの車だった。
息も絶え絶えに橋へ向かってくるが、ディータたちの目の前で情けない音を立て、ついに息を引き取った。
ウッドロックの三人がプラズマライフルではなく腰の火薬式拳銃を抜いて、慎重に運転席を囲んだ。
ドアが開くと同時に地面へ落ち、中から赤毛の青年が現れ、いきなりディータの足元へ伏せて叫んだ。
「助けてくれ! オレは嫌だったんだ! 本当はこんな事したくなかったんだ!」
ディータは顔を蹴り上げ、赤毛を掴んで拳銃を額に押し当てた。
「何を言ってるんだ? 分かるように説明しろ」
だが、赤毛の顔は恐怖に引きつり、目は焦点を失っている。
「来る! 早く逃げないと来る! みんな死ぬぞ!」
もう一度蹴ろうと手を離すが、その肩をフリックに叩かれ、そちらを振り向く。しかし、彼はディータを見ていない。悪魔に魅入られたかのように北の壁を凝視している。
ディータは、目を細めて壁の、穴の奥を見やった。その瞬間、壁が弾けた。穴を中心に積み上げられた石が飛び散り、真っ黒な巨体が姿を現す。
「長虫を呼んだのか!」
フリックが絶叫した。兵士達が悲鳴を上げる、
「ピルト、フリック、俺たちで止めるぞ。あんたらは怪我人を連れて後ろへ!」
後半を兵士に向けた。次いで、座り込んでいる赤毛を怪我人の方へ蹴り飛ばす。
「お前も手伝え! 逃げたら殺してやる」
赤毛は独り言のように謝罪を繰り返しながら、怪我人に肩を貸した。
「ディータ! 来るぞ!」
フリックが一声、プラズマライフルのトリガーが引いた。
銃の先端に透明な繭に包まれた赤い球体が現れ、かすかな反動を残して地を駆けた。すでに壁を抜けた長虫に命中すると、爆炎を巻き上げる。
「効いてる!」
ピルトが感想を述べた。長虫の甲殻が剥がれ、溢れ出す白い体液に染まっている。
だが、その後ろで再び石が弾けた。すでに広がった穴をさらに拡張させながら、次々と長虫が壁を抜けてくる。
「多すぎるよ!」ピルトが喚く。
「うるせえ! さっさと片付けてレニーさんを探しに行くぞ!」
ディータが叱咤し、三人は一斉射撃を開始した。
しかし、撃ち倒す以上に湧き出てくる長虫にジリジリと後退を余儀なくされる。
前方に散乱する長虫の死骸を乗り越え、または蹴散らし現れる長虫の群れ。ディータは最も接近してきた長虫に一撃を加え、銃に目線を下げる。バッテリー残量は半分を切っていた。
「ディータ!」
ピルトの声に顔を上げた。高密度プラズマを食らった長虫は、それでも脅威の生命力を振り絞ると、その場で方向を転換し、一目散に橋を渡っていった。
「くそっ、東に抜かれたぞ!」
ディータが毒づくが、すぐに別の長虫に意識を集中しなければならなかった。
頭の片隅でレニーの姿が揺れ、爆音に掻き消えた。
橋より少し離れた位置にフェンスに囲まれた建物がある。
外壁をパイプが蛇のように巻き付き、周囲に漂う独特の臭いから製油所だと分かる。その入り口。照明が焚かれている場所に木箱を積み、その頂上にジモンが立っている。
「どうなっているのだ……。進んでいるのか戻っているのか、一つも見えんではないか」
彼の位置からは町の様子が分からず、ひたすら苛々と歯噛みをしていた。
周囲には、特別に選んだ孤児からなる護衛が数人、銃を抱えて立っていた。
その前でうな垂れ黙す労働者のリーダーたちは、もはや抗議する気力もなく、ただ事態の推移を待つしかない。
今のところ、事態はジモンの策略通りに進んでいる。気持ちを落ち着かせようと木箱に腰を下ろして、腕を組んだ。
こうでなくてはならない。かつての支配者はそう考える。
自分の意思に逆らってはいけない。町を起こし、住民を生かして来たのは誰か? 我らが一族ではないか。多くもない地下水を効率よく分配し、防衛と貿易に心血を注いだ。飢えや病気で死ぬものが居てもそれは仕方ない事だ。むしろ、何の生産力も持たない人間を曲がりなりにも養っていたのだから、感謝はされても非難されるいわれはない。
それを、あの女が破壊してしまった。忌々しい事に、住人はあの魔女を支持したのだ。解らせなければならない。先祖に誓って、町を取り戻さねばならない。
その為には、この町を乗っ取る必要がある。苦しむ住民を助けて、あの若造を倒す。言わばこれは、解放ではないか。
もはやジモンにとって、すべてが敵であった。
ままならない世界への怒りから生まれた思考は、今や濁流となって理性や冷静を押し流し、彼の自己を正当化させる巨大な渦となっていた。
そこへ「伝令」と叫びながら少年が走りこんで来る。
「おお、そうか! 待っておったぞ!」
夢から覚めた思いで、ジモンは重そうな体を木箱から下ろして少年に駆け寄る。
「バルタ様の部隊は館の南、約200mの地点で進攻を停止。こう着状態に入りました!」
ここへ来るまでに何度も口の中で練習したのか、淀みない報告だった。だが、その努力は実らず、ジモンは怒り狂わんばかりに地団駄を踏む。
「ええい! リッテェはどうした!? 長虫はまだか!」
少年に答えられる筈もない。まだあどけなさを残した顔いっぱいに困惑の色を浮かべる。
「アデーラからも連絡はないのか!? 高い金を要求しておいて小娘一人連れてこれんとは! なぜ誰も私の指示通りに動かんのだ!」
癇癪を起こして喚き散らす。手に持った拳銃が向けられる度に労働者たちから悲鳴があがる。
そこへもう一人伝令の少年が到着した。
「今度はなんだ!?」ジモンが投げやりに問う。
「リッテェ様が長虫を連れてくるのに成功しました」
一転してジモンが喜色満面の笑みを浮かべる
「そうか! やったか! 戦況が引っくり返るぞ!」
しかし、伝令の少年はまだ何かを言いたそうに場所を動かない。
「どうした、まだあるのか?」
ジモンが問うと、少年は一度唾を飲み込み、早口で答える。
「成功しましたが、長虫は見たことのない武器を持った男三人に食い止められています」
さらに一転。ジモンの顔が赤を通り越してどす黒く変色した。言葉にならない叫びを上げ、少年をけり倒すと、木箱へ振り返って拳銃を乱射した。
穴だらけになった木箱を見て、少年を含めて労働者たちは青ざめ、恐怖した。次に自分がそうならない保証はない。
「もういい! 全員で突撃するぞ!」
ジモンが覚悟を決めた時、橋を渡ってくる車があった。
後部座席を荷台にした貨物自動車。緑帽子の部下がアデーラを迎えに行った物だ。
流石に慎重になったジモンは、ジッとその様子を観察する。だが、運転席はヘッドライトに邪魔されてよく見えない。
橋を渡った車はフェンスの内側へ進入すると反転し、荷台の扉をジモンに向けてバックしてきた。
停車した車から降りてきたのをアデーラと認め、ジモンは声をかける。
「アデーラ! 遅かったではないか! 小娘はどうした!?」
「悪かったね。ちょっと手間取っちまったけど、上手く行ったよ。レニーはこの中さ」
車の側面を叩いて、アデーラが荷台の扉に手をかける。ジモンは飛び上がらんばかりに喜んだ。
「出かした! 祝着だ!」
気の早い感想を述べるジモンの眼前で扉が開く。荷台の中は薄暗く良く見えない。気を利かせた少年が、手持ちの照明灯を後ろからかざした。
そこには、ただ空間が広がるだけで何もない。
思考が事実に辿り着く前に、こめかみに冷やりとした何かが押し当てられ、耳には涼やかな声が注がれた。
「久しぶりだな、ジモン」




