序 章
ジモン・ブレルメは、生まれながらの支配者だった。
確かに、彼の領地は狭くみすぼらしい物ではあったが、それでも父から受け継いだ立派な町だった。
決して豊富とは言えない地下水だけを武器に交易と防衛を行い、自主独立を貫いてきた誇りがある。
中年期を過ぎて突き出た腹と、薄く禿げ上がった頭部からはさしたる威厳を感じないが、それでも彼は支配者であった。
それ故に、ジモンは目の前の男が気に食わなかった。
若き町長ラウール・シルバ。両隣に侍女をはべらし、自分より一段高い場所に据えられた豪華な椅子に腰掛け、足組みをしてジモンを見下ろしている。
程よく筋肉のついた浅黒い体と、高い鼻を中心に均整の取れた顔は、二人の立場を表すかのようにジモンとは大きく比例していた。
「ローリールの事は聞いている。空から来た女に追い出されたそうだな」
シルバの物言いは気負いも嘲りもない自然な物だったが、ジモンは歯噛みした。彼はごく最近まで同じ町長の立場だったのだ。最低限の敬意を支払うべきだと思いはするが、言葉に出来る状況ではない。
ジモンは赤い絨毯に膝をついた姿で懇願するように答えた。
「その通りだ、シルバ町長。私はあの女に武力で愛する町を支配された。必死に抵抗をしたが、奴らの技術力は圧倒的で、身近な仲間をつれて逃げるのに精一杯で……」
ジモンはローリールの町を逃げ出した夜を思い出し、悔しさと怒りで語尾を詰まらせた。
だが、シルバの視線は冷ややかで揺ぎ無い。
「トレーダー達の話では、住民に追い出されたと聞いているが」
「あの女は浄水器がある等と嘯き住民を扇動したのだ!」
思わず声を荒げるジモンに、シルバは頬杖をつきながら質問を重ねる。
「浄水器は嘘だと言うのか?」
「なんと!」
ジモンは大仰に驚きの声を上げた。
「シルバ町長までそんな与太話を信じるのか! 私は今まで百を越える浄水器を見たが、本物だった試しは一つもない!」
この地方は水を汚染されており、浄水器は誰にとっても積年の夢であった。その為、町長の元へは毎年のように浄水器を売りつけに来る者が絶えない。
それはガラクタを繋ぎ合せただけの児戯に等しい物だったり、素人では見抜けないほど巧みな物だったりするが、完全に汚染を除く物は未だ見つかっていない。
「だが、相手はこの星の何処よりも遥かに進んだ技術を持っているのだろう? 何故嘘だと思う」
「私が浄水器を確かめようとしたら、あの女は突然銃を乱射したのだ! 本物だったらそんな事をする必要がないだろう!」
「まぁ、まて」
脂汗を流しながら弁明するジモンを制止すると、シルバは右手を上げた。右隣の侍女が、赤い液体の入ったグラスを手渡す。
ゆったりと香りを楽しんだ後、一口含む。
「今日届いた東の果実酒だ。香り高く美しい」
それがどうしたと言わんばかりに睨み付けるジモンに、シルバは薄く笑みを浮かべる。
「それで……」
グラスを侍女に返し、シルバは少し身を乗り出した。
「オレに何を求め、何を返す?」
ジモンは唾を飲んだ。交渉の分水嶺だ。
「二千万ガロルある。共にあの女を倒し、町を取り返して欲しい」
その言葉に対し、意外そうにシルバの眉がしかめられた。
「命からがら逃げた割には随分持っているじゃないか」
「な、仲間が持ち出してくれていたのだ!」
ふうん、と気のない返事をして、シルバは椅子にもたれた。足を組みなおし、ジモンを眺めている。
その間に耐え切れずジモンは口を開いた。
「どうなんだ、シルバ町長。このままではこの町も危ういのだぞ」
詰め寄ろうと一歩踏み出したジモンを、シルバは再び手で制する。そして懐から一通の封書を取り出した。
「ウッドロックのダニロ町長からの手紙だ。しばらくしたら、その女がそちらに向かうから、丁重に持て成して欲しいと書いてある」
「あの女がここへ来るだと!?」
ジモンの目が大きく見開かれた。その瞳は恐怖と喜悦が入り混じり、狂気の色を宿している。
「もはや一刻の猶予もない! 今すぐ兵を出せ!」
シルバは顔を真っ赤にして叫ぶジモンをしばらく眺めていたが、やがてきっぱりとした口調で言い放った。
「断る。お前の話は信用できん」
ジモンはショックで声を失った。哀れなほど歪んだ表情が説明を要求している。
「オレはダニロを良く知っている。慎重と用心を両手に生きてきた男だ。臆病過ぎるのに何度も辟易としたが、それだけに信用出来る。あいつが信じた女を話もせずに殺す訳にはいかん。それに、お前の話は矛盾だらけで聞くに堪えん。嘘ならもうちょっと上手く付くんだな」
「嘘だと!? 何を根拠にそんな事を言う!」
「お前はトラックに金と武器を満載してここに来たじゃないか。奪われた者が持つべき代物じゃない。それと、その女が銃を撃ったのは住民の暴動を治める一発だけで、後は何もせず見ていただけだとトレーダー達は言っている。お前も知っているだろうが、交易の為に信用を重んずる彼らは、妻子を人質にされても嘘はつかない」
シルバは立ち上がると、呆然としているジモンに歩み寄り、真顔のまま吐き捨てるように言った。
「オレをなめるなジモン。お前程度に騙されるようじゃ町は収められない」
ジモンは怖じけるように膝をついたまま後ずさった。よろよろと立ち上がり、低く声を絞り出す。
「後悔するぞシルバ。私はまだ無力ではない」
「五人ばかしでオレと戦うつもりか」シルバは鼻で笑った。「折角ここまで付いてきた部下を無駄死にさせる事はないだろう」
怒りに震えながらジモンは振り返った。シルバは椅子に腰掛け直しながら、その背に言葉を投げかける。
「悪い事はいわん。残った部下とどこかの町で静かに暮らせ」
ジモンは立ち止まり、振り返りもせず吐き捨てた。
「貴様に何が解る。私は奪われたのだ」