癒しの時間?
レジで支払いを終えた僕たちは戦場を後にして、少し寂しい思いをしながら帰路についていた。
(うーん、寂しくなるのはやはり刺激を求めているからか?)
「敬、つきあわせて悪かったな!もういい。早く学校に行って来な!」
「え、でもさ遅刻じゃんもう……」
「何いってんだ〜遅刻ぐらいでびびるんじゃねぇよってんだ! がっはっは!」
あら。普段僕が風邪を引いても熱でうなされていても、授業料がもったいないからと殴りかかってまで学校を休むことを許してくれない母なのに、自分に都合のいい時にはとことん甘いですな。
しかし、果たして今日の授業料と卵&トイレットペーパーを比較してみてもわざわざ学校を遅刻してまで母さんに付き合う価値はあったのか疑問が生じる。
僕がこの人から生まれてきたのかと思うと本当に不安で仕方ない。
今から学校に向かっても、登校するのは正午前になるし、ここで思い切ってさぼるべきか、午後からの授業に参加するべきかで悩むところだな。
まあ、とりあえず行くことには意味があるので(さぼったといえば目の前の般若に殺されかけないだろうし)行くことにするか。
それに第一、あの娘の顔を見たいし話もしたい。
僕が教室に着いたころすでに昼食の時間に突入していた。といっても、すでに大半の生徒は昼食を終え、各自おはしゃぎタイムを満喫していた。
そんな中、僕に一番に気づいてくれたのが隣の座席の前川慶子だった。
「おはよ、敬くん。珍しいね遅刻なんて。」
めずらしいどころか初めてですから。
「う〜ん。ちょっと色々家庭の事情があってさー。」
お、しまった、少し意味深なセリフを言ってしまったかしら。
「えっ家庭の事情なんだ……もう平気なの?」
少しの気まずさを表情に含めながらそういって彼女は少し下を向いた。
「へーきへーき。」
僕はまだいつもと同じぐらいのテンションに達していなかったので、それ以上の言葉がでなかった。
前川は、派手でもなくかといって地味でもなく特別美人というわけでもない。なぜか前川の醸し出す独特の雰囲気に包み込まれる瞬間がとても居心地よく思うことが多かった。
要因はただそれだけだったのかもしれない。
それは席が近くなって初めて気づいたことだし、それまではクラスメイトの一人でしかなかった。
前川は僕の知っている今までの女性のなかでダントツに女らしい空気を持っていたし、それを地でいっているところに僕は惹かれたのかもしれない。
頭もそこそこのレベルで、僕は席が近くなってからは何度か彼女から勉強を教わることもあった。
そして基本的に人と話す時は緊張するのか、ほとんど僕の目を見ようとはしない。常に前川の視線は僕の口元までしか上がらなかった。
もし隣の席が僕じゃなくても今と同じように恥ずかしそうに話をするのだろうか。そう思うと少し悔しい。前川にとっての僕はたまたま隣の席に座っているクラスメイトでしかないのだろうか。
それを確かめることはできない。
もし隣にいるのが前川でなかったのならば、僕は別の女子に好意を寄せていたのだろうか。いや、僕はこのクラスにいても他の女子に魅力を感じなかった。気の合う女子も中にはいるけれど、前川ほどお互いにプラスマイナスのいい関係が維持できそうな女の子はいないと思う。
けれど、僕も少し前までは前川のことはほとんどといっていいほど眼中になかったし、今までに何度となく前川は僕の目の前を通り過ぎていたのだろうが僕はその存在をも空気のようにしか感じていなかった。
ある意味前川との接近によって僕のこれまでの価値観が変えられ、久々に誰かに心を寄せることができたという幸せも感じられることができた。
「敬ちゃん、これあげようか?」
前川が僕の机に自分のカバンから取り出した飴をちょこんと置いた。そのしぐさがかわいい。
前川がいつも食べている飴だ。時々前川からこのパインの甘い匂いがする。そんな時、それぐらい近くで会話をしていることに激しく胸が高鳴り、そのあとは彼女の唇にしか意識を集中できなくなってしまうようなことになる。ある意味媚薬だ。そして僕は接吻をすることにでもなってしまいそうだ。
しかしこれは、欲求不満というよりかは触れてはいけないものに触れてみたいという好奇心からくるもののような気がする。
有名な美人画に髭なり鼻毛なりを付け加えて、いたずらしてみたくなるというような。
「前川、髪に何かついてるけど。」
ほんとは何もないけどさ。ただ髪に触れてみたいと思って衝動的に言ってしまったことだった。
「あ、ありがとう。」
また前川は恥ずかしそうにした。
前川の髪は肩まであって、いつも下ろしている。色は日本人形のような濃い黒なのだけれど、その重々しさを感じさせないほど彼女の髪はとても艶があり1本1本がとても繊細な線をうみだしていた。
いたずらで髪をグシャグシャと掻き混ぜてみたこともあったけれど(このときも無性に触りたかった)、彼女の髪はもつれる事もなく僕の指の間を砂のように流れていった。
黒魔術だとか白魔術だとかおまじないだとか、よく分からないけれど僕に知識があれば間違いなく彼女の毛を頂戴しているだろう。
あの髪にずっと触れていたい。前川をずっと見ていたい。