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あの方と俺

作者: 雪猫
掲載日:2026/10/01


残業残業残業


ふざけやがって。


毎日毎日残業だらけで目が回る。


ノルマに次ぐノルマ。


そもそも、この


100を超えて200に迫ろうとする顧客の


要望催促クレーム


時間差で来て溜まっていくそれらを


全て一人に押し付けるとは


どんな会社だ。


頭おかしいだろ。


上司に言っても流される。


同僚も死んだような顔で帰って行った。


別の部署は定時で帰っているのに


一人の許容量も分からずに押し付けていって帰らせない。


長年務めた同僚も俺より仕事量は少ないはずなのに


病気になって会社を辞めた。


次は俺の番か。


第3者機関も名ばかり。しょせん会社が株主だ。


パワハラを訴えても、何も進展なし。


くその役にも立たない。


休みを取っても、


次の日その分ノルマが増える。


殺す気か。


前も、その前の部署にいた時も、


こんなことなかったのに。


ここだけだ。


平気な顔で一人に押し付けて、


平気で先に帰宅出来る、〇〇が上にいるのは。



何時だ。


他の所は消灯してる。


掃除の人々もいなくなった。


ああ


メールがうるさい。


一人しかいないんだ、こっちは。



疲れた。


ああ


疲れた。



帰れるのか?


今日。


会社に泊まりか?



俺だけ昭和に


タイムスリップでもしたのか?


夢までも奪われた


別の昭和に。



終わりだ。


もう


終わりだ。


こんなもん。






俺は笑い出した。


一人、会社で。





いいや。


おかしくなったのではない。




そうだ。


俺には


希望があった。



次の


久々の休みの日。




その日、遂に



あの方が


帰って来る。




そうだ。


帰って来るんだ。




屈辱と痛みと強奪への報復を果たし


自己の尊厳と権利と自由を取り戻し


元の場所へ。


堂々たる、


王政復古が成されるのだ。





俺の胸は高鳴った。





あと少し。


そうだ。


あと少しで遂に。





見てろよ、


この歪み切った世界よ。


お前も、もう終わりだ。


あの方が帰って来たら、


あの方の復活と共に、


世界は変わる。


新たな紀元前紀元後が生まれるのだ。




くくく…



ハッハッハッ…!




俺は笑った。



そして、


溺れさせる量の仕事を


放り投げ、



あの方を迎える準備をするために


走って帰った。










そして


遂に



その日が


やって来た。





あの方は


全く変わっていなかった。


俺は


歓喜の涙が止まらなかった。




留守を守っていた俺への


ねぎらいの言葉に


感動の余り


泣き崩れた。





全てが、また始まるのだ。



実感が湧いてきた。





俺はあの方に


心からの忠誠を誓っている。



あの方が


「〇〇しろ」


と言ったら


「はい」


と応え、実行する。



どんな命令だろうと


あの方の言葉に従うのみだ。





あの方は、世間の様子を聞き、


その後、


俺の現在の状況を聞いた。






何か考えている様子を見せた。






そして、


あの方は


俺に命令を告げた。







「会社を


放火しろ」



命令は絶対だ。



「はい」


俺は応えた。





俺は実行に移った。









まずは


広辞苑で


「放火」という言葉を


調べ始めた。





言葉の定義を誤らない。


全ての基礎は、そこにある。




俺達の知る「放火」と


あの方の言う「放火」が


同じもののはずがない。


そんなこと当たり前のことだ。



自分の常識


自分の脳を


過信してはいけない。



燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。



謙虚な気持ちで一から学び始める。


それこそが大事なことだ。





なるほど。




やはり


火に関係しているという点は


共通していると考えてよさそうだ。




俺はワクワクしてきた。





調べる手が止まらない。






あの方は、


何か、そわそわしているようだ。


落ち着かない。





どこか遠くの宇宙的事件の気配を感じ取っているのだろうか。


俺には分かる。


こういう時は、邪魔しない方が良い。


しょせん、俺の手にはあまることなのだから。


俺は命令を遵守する。


それだけだ。






俺が、


90年以上の歴史を持つ老舗の花火製作所の


線香花火40本15000円を、


ポチろうかポチるまいか、


悩んでいた時に、





あの方は、何か言って、


外へ飛び出して行った。




あの方は、素人が聞くと、


舌っ足らずで聞き取り辛く思える言葉を


使う時がある。



もちろん、偉大すぎる方というのは、


自分で言葉自体を創ってしまうものであって、


世界で誰も聞いたことがない言葉ゆえに


あの方以外、まだ誰にも分からないのである。





とはいえ、


何か



そうだ。





「もういいから」


「私が」


という文も、聞こえた気がする。






俺は、


はっと気が付いた。




俺の代わりに


あの方の「放火」というものの


手本を見せてくれるというのか!





なんてことだ。


早く追わなければ。




せっかくのあの方の手本を


見逃してしまう。





俺は急いで追いかけた。






途中で、


あの方の「放火」の


助けになるかもと思い、



ドンキで


花火セットと


花火がハートに見えるメガネと


火を消す用の、電動ガトリング式水鉄砲を


大急ぎで買った。



抜かりない自分に


満足を覚えた。





会社についた頃には


夜だった。




街頭の


幾つものハートの


明かりの下、


探す。





あの方のオーラは、


まだ見えない。




良かった。


先回り出来たみたいだ。






そう思い、


会社の周りを歩いていたら、


路地裏に


黒い影が見えた。






会社に火を点けようとしている


クソガキの姿があった。





俺はクソガキを


後ろから羽交い締めにした。




軽く持ち上げた。


クソガキの暴れる足が宙に浮く。


無力化成功だ。




こんな所で、


火で遊ぼうとするとは


なんてガキだ。


周りの大人は何をやっているんだ。




クソガキは、


舌っ足らずで


「なのだ」とか「だよぅ」とか


方言も相まって


聞き取り辛かった。




何かガサガサとしていると思ったら


ゴテゴテしたスカートで


いわゆるゴスロリ服とかいうのを着ているようだった。


顔に何か当たると思ったら


作り物の角も付いている。


コスプレで、


所々、話す内容も、


いわゆる中2病とかなんとかの類で


全体的に、痛々しい感じだった。




ともあれ、火で遊んではいけない。


俺はクソガキ兼少女を下ろし、


叱りつけた。




暗くて顔も見えないが、


彼女が泣きそうになっているのが分かった。





しかし、ここは心を鬼にする所だ。


俺は彼女に、作り話を聞かせた。


その場で即興で作る。





「火で遊ぶと、どうなるか。


知らないならば、教えてやろう。



火で遊ぶと…


分かるか?



大人になっても



おねしょが止まらなくなるんだ」



彼女は絶句した。




「ノーベル賞を取ったNASAの学者が


新しい論文で発表していた。



火と、おねしょの因果関係を。



何百万件の実例から導き出したんだ」




ノーベル賞とNASAという言葉に敵う者はいない。



彼女は完全に信じた。




「想像してごらん。



君は将来


美しいセレブになり


何十カ国も


海外を旅する。




君を見て


海外のイケメン達が


虜になる。



海外に滞在することが多くて


自分の出自を忘れる程だ。





だが、


残念ながら



毎朝、君は


対面することになるんだ。





ベッドに出来た


君の日本地図と。




あの時、


火で遊んだばっかりに!」




彼女は、もう二度と火遊びはしないと誓った。





彼女と別れ


俺は2時間、会社の前で待っていたが


あの方は現れなかった。



2時間経った頃、


俺のスマホが鳴った。



俺はアジトに飛んで帰った。





あの方は、アジトで俺を待っていて下さった。


俺の五体投地に、


しばらく黙っていた後、


あの方は告げた。




「放火」を止めにした、と。




俺は理由を聞く気は一切なかったが、


あの方から、


聞いてほしそうなオーラが漂っていたので


理由を聞いてみた。





俺は驚愕した。




ノーベル賞とNASA!?



それは絶対確実じゃないか。




火と、おねしょに、


そんな因果関係があるなんて…。




日本地図?




いいや。


貴方様なら、



世界地図も描けるでしょう。




自分では


上手いことを言ったつもりだったが


あの方は不満そうな顔をしている。



宇宙地図の方が良かったか?






だが、


さっきから


話を聞いている内に


何か、違和感を感じる。




どこかで、一度聞いたような…。







いや。




違う。




俺が言ったんだ。




今、あの方が言った話は、




俺があのクソガキに言った



でっち上げの嘘話だ!







つまり




なんてことだ




そんなことが、まさか







俺は真実を知った。






俺は、あの方に言った。






「今の話は、


俺があるガキに言った


でっち上げの嘘話です」






あの方も驚いた様子だ。



当然だ。








俺は叫んだ。










「だが、



その嘘話が




『事実になった』!







俺のでっち上げたはずの嘘が



『事実』に変わったんです!







我々の記憶も科学的事実も時間も、


一瞬で、


構造自体、組み替えられ、




世界が、今、



変わったんです!」




俺は


『語った嘘が、事実に変化する』という


自分の能力に、


驚異と喜びを感じた。





だが、


しばらくしてから、



俺は


はっと気付いた。







『何の証拠もない』


ということに。





あの少女を、


ここに連れて来たとしても


『俺が事実を知っていて言った』


と証言するだろう。




俺が嘘を言ったことは、


俺しか知らない。



俺の記憶以外、


嘘が事実へと変わり終えた世界では


変化したことの


証拠は何も存在しない。




そうだ。


俺の記憶など、


何の証拠になる?




俺は胸が苦しくなった。




俺の記憶など


誰が信じるというのだ?






俺の声が震えた。



「信じてもらえないかもしれない。



でも、本当なんです!」







あの方は、




微笑み、頷いた。




そして、


何の能力もなかった俺の


初めての能力の開花に


拍手で祝ってくれた。






俺は嬉しさと感謝で、



泣いた。








そして、


俺の能力には



『真実の口』



という名称が付けられた。









少女を更生させたことを言ったら、


それも褒めてもらえた。


良いことはしておくもんだ。












「放火」はなくなったので、


あの方と花火をすることになった。






花火に喜び、


眼鏡をかけて、花火がハートに見えることに驚き、


俺に向けて


電動ガトリング水鉄砲を


発射することに夢中になったあの方は、


珍しく、まるで子どもみたいだった。



初めて見るあの方の、影のない満面の笑みに、


その儚さに、俺は自然と少し哀しい笑顔になった。



その哀しさを見抜かれ、また水鉄砲で撃たれた。



…もう一つ買っておいても良かったか。








最後の線香花火が消え、


星が光を取り戻す頃、


俺はまた月曜日が始まることを思い出した。






だが、俺は思った。





来るなら来い。







あの方が降臨した今、





世界よ。



震えるのはお前の番だ。










俺の持った


電動ガトリング水鉄砲から発射された水は



高く舞い





空に小さな虹を作り上げた。






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