表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔力ゼロの色なき少女は、魔法を解きながら居場所を探す  作者: 稲野翔


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/7

第6話 前触れは読む

翌朝、イレナはまだ日が昇りきる前に冒険者ギルドに来ていた。


昨日もらった銅貨は、半分をパンに、半分を明日以降のために残した。首から下げた銅の札は軽いままだったが、貧民街の路地を歩く時、その感触を何度も確かめてしまう自分がいた。


冒険者。


その言葉はまだ、自分のことのようには思えない。


依頼板の前には、すでに何人もの冒険者が集まっていた。剣士、荷運び、薬師見習い。朝のざわめきの中で、イレナはひとり、昨日と同じ背中を見つけた。


リオだ。


革鎧に短剣、丸盾。腰のポーチには色石がいくつか入っている。リオは依頼板を見上げたまま、イレナが近づいてもすぐには振り向かなかった。


「……来たのか」


「依頼板を見ろと言われたので」


リオはそこでようやくこちらを見た。その目つきは昨日と同じく鋭かったが、露骨に追い払う気配はなかった。


「ミロは少し遅れる。薬の補充だと」


それだけ言って、依頼板の一枚を指で叩いた。


『旧水路跡の調査および魔獣の排除 報酬:銀貨一枚二十銅 銅札可』


「昨日より危ない依頼ですね」


「だから人が集まらない」


リオは短く答えた。


「旧水路のあたりに住み着いた魔獣が、行商人の荷車を襲ってる。数は不明。種類も不明。調査して、可能なら排除。昨日みたいな調査だけで済む保証はない」


イレナは羊皮紙を見つめた。


危険。だが報酬は大きい。銅貨ではなく、銀貨に手が届く額だった。


「……私でも、いいんですか」


リオは少し黙ってから言った。


「昨日、お前に助けられたのは事実だ」


言い方は不器用だった。借りを返すでも、礼を言うでもない。ただ事実だけを置く声音。


「でも、勘違いするな。俺はまだ、お前のことを信用したわけじゃない」


「わかっています」


「色なき民なんだろ」


イレナは一瞬だけ息を止めたが、もう否定はしなかった。


「……はい」


朝の喧騒の中、その言葉だけが妙に静かに落ちた。


リオは眉をひそめた。嫌悪というより、言葉の置き場所を探しているような顔だった。


「俺は色なき民のことなんて、ほとんど知らない。ただ……昨日みたいに、魔獣相手に役立つなら連れていく。役立たないなら切る。それだけだ」


「それで十分です」


リオは鼻を鳴らした。


「十分、ね」


そこでミロが駆け込んできた。背中の大きな荷袋を揺らしながら、息を切らしている。


「ごめん、待った? 薬屋のおやじが細かくてさ」


「待ってない。行くぞ」


リオが依頼票を剥がし、受付へ向かった。


イレナはその背中を見ながら思った。


追い返されなかった。


それだけで、今は十分だった。


---


旧水路跡は、自由都市の南東にある荒れた石造りの施設だった。


大崩壊の前に掘られたものらしい。今は水も通っておらず、半分崩れた石の溝と、朽ちた水門の残骸だけが灰色の地面の上に口を開けている。


周囲には背の低い灰草がまばらに生え、風が吹くたびにざらついた音を立てていた。


「足跡がある」


先頭を歩いていたリオがしゃがみ込む。


石の縁に、三本爪の跡が残っていた。鳥に似ているが、深い。かなりの体重がある。


ミロが手帳を取り出す。


「鳥型の魔獣かも。旧水路にはたまに灰嘴鳥が巣を作るって聞くけど」


「行商人の荷車を襲うサイズなら、ただの鳥じゃない」


リオが立ち上がった。


「気をつけろ。狭い場所に追い込まれるのが一番まずい」


三人は崩れた水路沿いに進んだ。


左右を石壁に挟まれた細い通路。ところどころ天井が崩れて空が見えているが、全体としては薄暗い。足元には細かい瓦礫が散らばり、踏むたびに乾いた音がした。


イレナは歩きながら、無意識に周囲を読んでいた。


風の向き。石壁のひび。足音の返り方。それから、空気のわずかな揺らぎ。


エルドの部屋で毎日感じているもの。


魔法が起こる直前の、目に見えない変化。


「止まって」


イレナが小さく言った。


前を歩いていたリオが足を止める。


「何だ」


崩れた天井の縁で、細かな砂がぱらりと落ちた。ひびの奥で、三本爪が石の縁を掴み直すのが見えた。


「上です!」


次の瞬間、頭上の崩れた天井から灰色の影が落ちてきた。


鋭いくちばし。長い脚。


骨ばった翼を半ば退化させた、鳥と獣の中間のような魔獣だった。胴は痩せているのに、首だけが異様に太い。その喉のあたりが脈打つように膨らんでいる。


「灰喉鳥か!」


リオが叫び、盾を前に出した。


一羽ではない。左右の石壁のひびから、さらに二羽、三羽と姿を現す。旧水路全体を巣にしていたらしい。


一番近い一羽がくちばしを開いた。


イレナには魔力の色は見えない。だが、喉袋が膨らみ、首の筋肉が一瞬だけ硬くなるのが見えた。空気がざらつく。冷たいような、焼けるような、嫌な予感。


「リオ、伏せて!」


リオは反射的に身を沈めた。


その頭上を、黒い泥のようなものが横薙ぎに飛んだ。石壁に当たった瞬間、じゅっと嫌な音を立てて煙を上げる。腐食液だ。


「っ、危な……!」


ミロが青ざめる。


リオは低く舌打ちした。


「こいつら、腐食を吐くのか」


二羽目が跳ねた。くちばしではなく脚で来る。イレナはその爪の向きと体重の乗せ方を見た。


「右!」


リオが盾を右へ傾ける。爪が盾の縁をかすめ、火花のような音が散った。


リオの目が、ほんの一瞬だけイレナを見る。


今のは偶然ではない、と確かめるような目だった。


「ミロ、下がってろ!」


リオが左手を前に出す。指が開く。息を吸う。


予備動作。


エルドの訓練で何度も見た動きだ。


だが、灰喉鳥も同時に動いた。


一羽が低く身を沈める。脚に力を溜めている。飛ぶ。


しかも、リオの魔法が発動するより半拍早い。


「前じゃない、上!」


イレナが叫ぶ。


リオが顔を上げたその瞬間、灰喉鳥が真上から飛びかかってきた。リオは詠唱を切り、火球ではなく盾で受けた。衝撃でよろめく。


もしあのまま前方に火球を撃っていたら、喉を爪で裂かれていた。


「イレナ!」


名前が呼ばれた。


短く、咄嗟に。


だが確かに、自分に向けられた声だった。


「次、左の喉が膨らんでる!」


イレナは即座に返した。


左手の石壁際にいた個体の喉袋が大きく膨れている。吐く前兆だ。リオは足を踏み替え、腰のポーチから色石を一つ抜いた。


赤い色石。


それを指で弾くように投げる。


石は灰喉鳥の足元で割れ、遅れて火が弾けた。


魔法そのものではなく、封じられた効果の解放。イレナにも見える火炎が、一羽の脚を包む。悲鳴のような鳴き声。体勢が崩れる。


「ミロ、目を狙え!」


「え、僕が!?」


「投げ薬があるだろ!」


ミロは慌てながらも腰の瓶を掴み、震える手で投げた。透明な液体の入った小瓶が灰喉鳥の顔で割れ、白い煙が上がる。目潰し用の薬品らしい。灰喉鳥が暴れ、石壁にくちばしを打ちつけた。


その隙に、残る二羽が同時に動く。


一羽は地面すれすれを滑るように低く。もう一羽は壁を蹴って高く。


挟み撃ちだ。


イレナの背中に冷たい汗が流れた。


魔力は見えない。だが、身体の動きは見える。


脚の沈み。首の角度。翼の残骸のような前肢の開き方。空気の擦れる音。


「下のは囮! 本命は上!」


リオが即座に上へ火球を放つ。


火が灰喉鳥の腹をかすめ、魔獣が悲鳴を上げて落ちた。その真下に滑り込んでいたもう一羽のくちばしが空を切る。


リオは着地の勢いのまま短剣を抜き、下から突き上げるように喉元へ刃を入れた。


黒い体液が飛び散る。


最後の一羽が逃げようと後ずさった。


だがミロの投げた二本目の瓶が脚元で割れ、足場の瓦礫をぬるりと滑らせる。よろめいたところへ、リオの三発目の火球が直撃した。


灰喉鳥たちはようやく動きを止めた。


旧水路に、荒い息だけが残った。

読んでいただきありがとうございます。

「続きが気になる」「雰囲気が好き」と思っていただけたら、ブックマークや評価、感想、レビューをいただけるととても嬉しいです。

ひとつひとつが執筆の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ