表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔力ゼロの色なき少女は、魔法を解きながら居場所を探す  作者: 稲野翔


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/7

第2話 異端の研究者

今回は、イレナの日常が少し動き出す回になります。

楽しんでいただけたら嬉しいです。

貧民街の奥、イレナが「家」と呼んでいる廊下の空き部屋に戻ると、空腹が鳴った。


干し芋を半分だけかじる。残りは明日の分に取っておく。乾いた芋の甘さが、口の中でゆっくりと広がる。


明後日には食べるものがなくなる。今日中に、もう一度稼ぎに行こう。


市場はだめだ。衛兵がいる。なら、河岸の荷揚げ場はどうだろう。あそこは感知石の巡回が少ない。


仕事は早い者勝ちだ。急がないと。


イレナは立ち上がり、部屋を出た。


---


河岸の荷揚げ場は、市場とは反対側の南側にある。自由都市を貫く運河の終点で、船で運ばれてきた荷物を降ろし、倉庫に運ぶ。単純な力仕事。イレナのような小柄な人間には向かないが、小さい荷物の仕分け役なら雇ってもらえることもある。


着いた時には、もう何人かの日雇いが働いていた。イレナは監督の男に声をかけた。


「仕分けの仕事、まだありますか」


男はイレナを一瞥し、面倒くさそうに顕をしゃくった。


「ガキだな。まあいい、あの船の荷物を種類ごとに分けろ。銅貨二枚だ」


銅貨二枚。明日のパンが一つ買えるかどうか。それでも、ないよりはましだ。


イレナは船に乗り込み、荷物の山に向き合った。布袋の中身を確認し、種類ごとに敷き布の上に並べていく。香辛料、乾燥草、鉱石の粉末。単純作業だが、丁寧にやれば文句は言われない。


半刻ほど働いた頃、船の向こう岸から声が飛んできた。


「——あのガキ、また来てやがる」


船の反対側で荷物を運んでいた大柄な男が、他の作業員に耳打ちしている。


「毎回、あいつが触った荷物は品質が悪くなるって話だぞ。知らねえのか? 色なしが触ると、ものが腐るんだよ」


イレナの手が止まった。


色なし。色なき民を蓄む俗語。「色がないから、周りの色も引きずり込む」「触れたものから色が消える」——そんな迷信が、広く信じられている。


迷信だ。だが、迷信を否定することは、自分が「色なし」であることを知っていると認めることになる。だから黙る。いつもそうだ。


「ああ、聖獣神の創り損ねだっていうもんな。人の形をしてるだけで、魂が空っぽなんだろ」


笑い声が起きた。作業員たちが口々に色なき民の噂をする。それが自分に向けられた言葉だとは、誰も知らない。


イレナは何も言わず、仕分け作業を続けた。手がわずかに震えていることに、自分でも気づいていた。


---


仕事を終えて銅貨を受け取り、イレナは街の中心部に向かった。明日のパンを買うためだ。河岸の店は高い。安く買うなら、市場の外れの露店まで行く必要がある。


市場の外縁に沿って歩く。市場の中心部には入らない。街の外れ、人通りの少ない裏通りに、古いパンを安く売る露店がある。


その裏通りに差しかかった時、前方の路地から怪鳴が聞こえた。


悲鳴。動物のものではない。もっと金属的な、何かが軸れるような音。


イレナは足を止めた。路地の先、建物の影の中から、異様な熱気が漂ってくる。


魔法だ。


肌を刺すような熱が路地の奥から押し寄せてくる。影の奥に人影が二つ。一人は地面に倒れている。もう一人が、その上に立ち、手のひらをかざしていた。かざした手のひらの周囲で、熱に空気が揺らいでいる。だが、その熱の源になるものはイレナの目には見えない。


「——金を出せ。次は頑丈な革も一緒に焼いてやる」


追い剣ぎ。気の荒い冒険者が、一般人から金を工面している。自由都市では珍しくない光景だ。衛兵は表通りしか見回らない。裏通りで何が起こっても、誰も助けに来ない。


引き返せ。


頭がそう命じる。関わるな。見なかったことにしろ。


だが、足が動かなかった。


地面に倒れているのは、老人だった。白い髭、痩せた身体。着ている服は貧民街のそれよりもさらにぼろい。そして、その袖口から覚く右手の手首に——薄い刺青。


色なき民の印だ。


集落によっては、生まれた子に刺青を彫る。「魔法の色に染まらぬように」という祝い。外の人間にとっては、それはただの目印だ。


「——おい、こいつ色なしだぞ!」


冒険者が老人の手首の刺青に気づいた。声が裏通りに響く。


「ははっ、こりゃいい。色なしなら、誰に泣きついたところで助けなんか来ねえよな。どれ、全部置いていけ」


冒険者が老人の懐をまさぐり始めた。老人は抵抗できない。小さな革袋が地面に落ち、中から銅貨が散らばった。


あれがあの老人の全財産かもしれない。


引き返せ。頭が叫ぶ。お前には関係ない。助ける力もない。助ければ自分まで危険になる。


イレナの足が、前に出た。


自分でも驚いた。声が出たのは、その直後だった。


「——やめろ」


冒険者が振り向いた。大きな身体。腕はイレナの太ももほどもある。顔に古い傷があり、目が細く尖っている。


「……あ? なんだガキが。邪魔するなら同じ目に遣うぞ」


手のひらがイレナに向けられた。一瞬の間。次の瞬間、手のひらから炎が吹き出した。熱波が顔を叩く。反射的に腕で顔を庇い、後ずさった。


逃げろ。頭が命じる。だが足が動かない。老人がまだ地面に倒れている。


その時、路地の入口から声がした。


「——おいおい、裏通りで火魔法とは感心しないな。建物に燃え移ったらどうするんだ」


低い、落ち着いた声。


イレナが振り返ると、路地の入口に男が立っていた。


痩せた長身。くたびれた外套。白髪交じりの髪を無造作に掛き上げ、片手に古びた革装の本を抱えている。目つきは惠れれたが、その奥にある瘴は冷たく、観察するようにイレナと冒険者を交互に見ている。


「あ? なんだてめえ、じじい」


「自由都市の路地裏で商売ってのは、騒ぎを起こさないのが暗黙の了解だろう。表通りの衛兵に聞こえたら面倒だぞ」


冒険者は舌打ちをしたが、手のひらを下ろした。


「……ちっ、覆えてろ」


そう吐き捨て、冒険者は反対側の路地へ消えていった。


イレナは息を吐いた。膝が震えている。腕の産毛が焦げた匂いがした。あのまま続いていたら、自分は——考えるな。


老人に駆け寄った。


「大丈夫ですか」


老人はかろうじて身体を起こし、イレナを見上げた。そして、小さく咀いた。


「……すまないの。ありがとう。でも、君も早く行きなさい。わたしに関わると、ろくなことになる」


そう言って、老人は金を拾い、路地の奥へと去っていった。


その後ろ姿を見送りながら、イレナは思った。


あの老人も、自分と同じだ。隠れて、逃げて、耐える。それだけが、色なき民の生き方だ。


背後で声がした。


「——その娘。少しいいか」


さっきの男だった。路地の入口で冒険者を追い払った、痩せた長身の男。


イレナは反射的に身構えた。男は手を上げて、敵意がないことを示した。


「そう警戒するな。別に取って食いはしない」


「……何の用ですか」


男はイレナを見つめた。


「お前、感知石に映らないだろう」


息が止まった。


「……何のことですか」


「とぼけるな。さっきの冒険者が炎を放っただろう。あれは二段階だ——まず魔力が集まって光る。それから火が出る。周りの人間は最初の光で逃げる。だがお前は、火が出て初めて腕を上げた。一拍遅い。魔力の光が見えていない人間の動きだ」


イレナは答えられない。


だが、男は答えを待っていなかった。


「俺はエルド。元学院の魔導士だ。今は追放された身だがな」


男は——エルドは、抱えていた本の表紙を指で叩いた。


「俺は色なき民を研究している。お前たちはなぜ魔力が見えないのか。なぜ魔法が使えないのか。その答えに、俺は近づいている」


「……それが、私と何の関係があるんですか」


エルドは薄く笑った。笑ったが、目は笑っていなかった。


「俺の研究を証明しろ。その代わり、生き方を教える」


沈黙が落ちた。


裏通りの向こうで、誰かの笑い声が遠く聞こえる。裏通りの薄闇の中で、エルドの輪郭がぼんやりと浮かんでいる。


契約。善意ではない。取引だ。この男はイレナを助けたいのではなく、利用したいのだ。


それはわかる。


だが。


イレナは、先ほどの老人の後ろ姿を思い出した。隠れて、逃げて、耐える。それだけが色なき民の生き方。


それだけが——本当に、それだけなのか。


「……話を、聞かせてください」


エルドの目が、わずかに光った。


「いい返事だ」


そう言って、エルドは踵を返した。


灰色の空の下、イレナはその背中についていった。


自分が何に足を踏み入れようとしているのか、まだわからないまま。

読んでいただきありがとうございました。

エルドとの出会いで、ここからイレナの世界が少しずつ変わっていきます。

「続きが気になる」「雰囲気が好き」と思っていただけたら、ブックマークや評価、感想、レビューをいただけるととても嬉しいです。

ひとつひとつが執筆の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ