第六話
厨房は2階にある。あのいわくつきの大広間のわきのエレベーターを上がって、廊下をふたつみっつ突っ切ったその先だ。
やたらと広い城内は似たような廊下が並んでいて、迷子になりそうだ。というかなった。僕は初めて行く場所にはひとりでたどり着くことができないんだった。とはいえ、右往左往し時間をかけて、なんとか厨房に着いた僕は厨房のシェフから部屋番号の書かれたワゴンを受けとり、来た時と同じように大広間の老若男女に見とがめられる前にマチウの待つ部屋にたどり着けるよう祈りつつ、ワゴンを押す。
銀色のクローシュの被さった皿には何が載っているのかわからない。においもしないから、もう冷めてしまったのかな。料理にもランクが影響しているのか、セデュの部屋に届けられたワゴンよりもこころなしか小さい。それでも一人で食べるには多すぎる量だから、マチウにあとで分けてもらおう。
からからとワゴンを押して廊下を進んで、エレベーターが見えてきたところで、僕はぴたりを足を止めた。
廊下の真ん中に、男が横たわっている。
別に怪我をしているとか、そんな様子はない。なにしろ半裸で、パンツ一丁だ。
かっと目を見開いて天井を凝視する男に不審な視線を注いだまま固まっていたら、男は寝たままぐるりとこちらを向いた。
「どうぞ、私を踏んでお進みください。あなたの太ももと、下着の色を、私にお見せください」
変態だ。どこからどう見ても紛うことなき変態だ。
どうしよう、そういう場所だと知ってはいたけど、いざ目の前にすると気持ちが怯む。無視して別の道を行こうか? でも僕、他の道はしらないし。あいつを踏んで通り過ぎるのも、なんか嫌だし…。
迷っていたら、からからと後ろからワゴンの音が近づいた。僕の後から来るかわいいメイドさんが変態に向かって進むのを止めようと僕は振り向いて――
僕よりも10センチほど高い場所にある黒い瞳と、襟足の長い黒髪と、無精髭の生えた、咥え煙草の口元に気付いた。
「そっちは駄目っすね、こっちに別の道があります」
190センチ、いやヒールの高さも併せて2メートル近い大男は僕のワゴンを掴んで、くるりと向きを変えさせる。
「え、え、君ってもしかして…」
「挨拶は部屋に着いてからで。行きますよ」
低い声で淡々と言って、彼は足早に歩きだす。角を曲がるところで、別のメイドに踏みつぶされたらしい男の「ああッ」というおぞましい声が聞こえた。
「ただいまマチウ、今そこで、たぶんセデュのマネージャーに会ったよ…って、ええ?」
僕をマチウの部屋まで送り届けてくれた大男は、そのまま何食わぬ顔でマチウの部屋に入ってきた。もちろんワゴンを持ったままだ。
二つのワゴンを入れた部屋はテーブルをどかさないと動けないくらい狭い。それはまあいいけど、堂々とほかの主人の部屋に来て、彼は大丈夫なんだろうか?
「ルーシュミネさん、っすよね? はじめまして。バロット・エールっす。セデュイールのマネ、やってます」
無骨な大男は咥え煙草の口元をもごもご動かし、僕に手を差し出す。
助けてもらった恩もあって、感謝を込めてその手を握ると、さらに上から彼の手が重なる。
「俺、ルーシュミネさんのレコード、全部持ってます。会えて感動っす」
「そうなんだ。こちらこそありがとう。さっきは助かったよ」
「とんでもねえっす。ここらにはああいう手合いがゴロゴロいるから、また夜も俺が付き合います。あんた、思ってたよりちっこいし、セデュイールも心配でしょうから」
「ちっこい…かなあ? そりゃあ君に比べたら小さいとは思うけど…」
「細っこくって、かわいいって意味です」
「おーいバロット、ムッシュ・リーヴェを口説くのはやめたまえ。後でムッシュ・レヴォネの雷が落ちるぞー」
「あんたが黙ってりゃ問題ないっす」
「私を共犯者に仕立て上げないでくれるかな!?」
マネージャー同士気が合うところがあるのか、わちゃわちゃとじゃれあう二人になんだかほっとする。
ほっとしたら腹が減ってきて、僕はオッパイのかたちのクローシュを持ち上げ、ローストビーフの載った皿をテーブルに運ぶ。
「じゃあまず、お昼にしようよ。バロットも食べていく?」
「そっすね。いただきます」
「私が運びますよ、ムッシュ・リーヴェは座っていてください」
慌てたように僕の皿を受け取るマチウがおかしい。これじゃあどっちがハウスメイドかわかりゃしない。
黒服の胸元がはち切れそうな筋骨隆々のバロットは咥え煙草をポイと落とし、ハイヒールで踏みつける。なんか、意外だ。神経質で、潔癖症のきらいがあるセデュは、こういうタイプとはうまくいかないような気がしてた。
「ここ私の部屋なんだけど!? 掃除するのムッシュ・リーヴェと私なんだけど!?」
「あ、そっすよね。すんません」
バロットは案外素直に謝って、ムキムキの上体を屈めて煙草を拾い、ぽいと屑箱に放り棄てる。
「マチウ、バロット相手には強気なんだア」
「同業者で、それなりに付き合いも長いもので。いいやつですよ。私がハウスメイドをやるより、自分がなったほうが、男に手籠めにされる危険も減るだろうと、申し出てくれて…」
「へえー」
「やめてください。照れるっす」
「そういえば、君はご主人様を放っておいていいの? その昼食、君の部屋のご主人様のでしょ?」
「あー。べつにいいっす。むしろ冷めてたほうが、喜びそうですし」
「そ、そうなんだ…???」
「ケツをバットで二、三発ぶっとばしてやったら言いなりになったんで、問題ないっす。鞭打ち刑も申告制ですし」
「へ、へえー??????」
なんだか危ない規則の抜け道を見てしまったような気分だ。あ、でもそうか。マチウが僕の主人なら、僕はセデュと話すのも、問題ないってことか?
明るい気持ちになってきた僕はずいぶん食べて飲んで、二人を相手に大口で笑った。
気の置けない男三人で、ここがどこかも忘れて、僕は能天気に燥いでいた。




