第五話
ダイアナが部屋に入ってしまったあと、男は別の部屋に向かい、廊下はシンと静まり返る。なんだか心臓がドクドクして、気分が悪くなってきた僕は、渡された鍵を握りしめる。
僕の主人は別の人、僕の主人は別の人。セデュとはしばらく口もきけないし、ダイアナとふたりでいるところに割って入ることも許されていない。まっぱだかで鞭打ちなんて冗談じゃないし、僕は貞操を守るんだ、よし、深呼吸。
ふー。なんかちょっと落ち着いてきた。最初が肝心なんだ、どんなやつかわからないけど、下品な冗談でも言ってドン引きさせれば、僕の主人も僕を放っておいてくれるんじゃないかな? そうだそうしよう、ちょっと今思いつかないけど、鬱陶しいやつだって思われたら勝ちだ。よおし、イヤなやつになりきってやるぞう!
僕は息を整え、きっとなって、鍵穴に差し込んだ鍵をまわす。
がちゃりと無情な音がして扉が開かれ、僕は思い切ってそこに飛び込んだ。
「やあやあはじめまして! 僕が君の新しいハウスメイドのルーだよ! 1週間どうぞよろしくね! ちなみにちんちんの掃除は専門外だから――」
「ぎゃああああ!? ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!」
ばたんと扉がむなしく閉まる。
僕の声以上の大音量で叫んで飛び上がったのは、撫でつけられた黒髪と黒縁眼鏡の、僕のよく知る男だった。
「マチウ!? なんで君がここにいるのさ!?」
「あああ…ムッシュ・リーヴェでしたか…よかったあ…」
マチウは緑のマットレスにぐたりと頽れる。セデュの部屋より一回りも二回りも…いや五回りくらい? 小さいその部屋は1間しかなく、寝室もバストイレも入ってすぐにすべて見渡せる。
「ここって小間使いの部屋かなんか?」
「ああ…それは、ランク付けがあるらしいですよ…ゲストの美貌と所得に応じて、SSSクラスからDマイナスまで…」
「ちなみに君は?」
「Cマイナスです…」
「ふーんそっか。じゃあセデュはさしずめ、SSクラスってところかな? 美貌で言ったら世界基準でもSSSだろうけど、所得はもっとすごいのがいるだろうしねえ。マフィアとか石油王とか」
すっかり気が緩んだ僕はぽいぽいとハイヒールを脱ぎ捨てて、マチウのベッドに胡坐をかく。ああよかった。これでとりあえず1週間は、僕の身は安泰だ。
「で、なんでここにいるの? まさか僕たちをつけてきたの?」
「…私は、あなたのマネージャーですので。事務所に打診があった時点で、同行することは決まっておりました」
「げ。事務所に打診? みんなグルだったってこと? はーどうなってるのさ芸能界。腐りすぎだろ!」
「それは私も重々痛感しております…事務所は事務所なりに、交渉してくれたようですが、如何せん、話が来た時点で断れるような状況ではなく…しかしまさかこの年で、こんな恐怖を味わうことになるなんて…」
「君のパートナーは? 奥さんでもつれてきたの?」
「めめ滅相もない!! こんなところに妻を連れ込んだら、私は殺されてしまいます!!!」
「どんだけ怖いんだよ君の奥さん…」
「パートナーというか、同行したのはムッシュ・レヴォネのマネージャーです。私と同様の理由から…」
「見張りってわけか。その人はいまどこに?」
「はい、あえなくハウスメイドに降格となり、今朝がた部屋を去りました…」
「あーそっか、ルールは君もおんなじなのか…」
「はい…」
「…」
「…」
「ところでセデュのマネージャーって女の人? 僕会ったことないんだけど」
「男でございます…190センチの、むくつけき、大男でございます…」
「そうなんだ…」
190センチのメイド服か。上には上がいるもんだ。なんだかほっとした僕はおかしくなってきて、ごろりとベッドに横になる。
「あー気が抜けたら眠くなってきた。お昼の時間になったら起こして」
「そこは私のベッドなのですが…」
「あ、そっか。一緒に寝る?」
「ととととんでもない!! ムッシュ・レヴォネに殺されてしまいます!!!」
「どんだけ怯えてるんだよ、セデュはそんなことしないって…」
ふああ、と欠伸をして、身体を伸ばす。セデュの部屋にあったキングサイズのベッドから一転、せまっくるしいシングルベッドだけど、眠るだけなら十分だ。
「セデュの部屋にね、ダイアナが入っていくのを見たよ。あたらしいパートナー候補らしい。君のパートナー候補は? まだ来てないのかい?」
うとうとしながら呟くと、神妙な顔のマチウが答える。
「はい。そちらもゲストのランクに応じて、決定するらしく…私には新しいパートナーは、あてがわれませんでしたね…」
「そうか。ふふ、それならそのほうがいいかもね。君は奥さんもいることだし…」
「…起こすのは、12時でよろしいですか」
「うん。お願い。おやすみぃ…」
そして僕は、泥沼のようななまあたたかい夢に落ちる。
部屋に入ったダイアナはもじもじとセデュを見上げる。ずっとセデュに恋焦がれていたダイアナだ。こんなチャンスを逃す手はない。状況にかこつけて、セデュに触れてもらうことも、できるかもしれない。
「セデュイール、私ね、こんなときに、言いたくはなかったんだけど…」
窓際に立ったセデュは不思議そうにダイアナを見つめ、その赤い唇が愛を告げるのを聞く。
彼は瞬いて、愛らしいその身体がかすかに震えているのに気づく。
彼は歩き出し、小鳥のように震える頤をそっと持ち上げ、涙に潤んだ瞳を見つめ、そうして二人の影が重なって――
「うわあああああ!?」
「どっひゃああああ!?」
がばりと跳ね起きた僕は自分のいる場所が一瞬わからなくなって、あたりをきょろきょろと見回し、蚤の心臓のマチウが壁際にへばりついているのを見つける。
「あ、夢か。よかった…」
「なん、なん、なんですか。どんな夢を見ていたら、あんな声が出るんですか…」
「あーうん、6本脚のゴリラが街をめちゃくちゃにする夢さ。ところで今何時? げ、12時すぎてるじゃないか!」
「はあ、お疲れのようでしたので…」
「お気遣いありがとね! でも遅刻すると僕がメイド長に叱られる! 急いで厨房から君の昼食をもって来なきゃ!」
「はあ、いってらっしゃいませ…」
胸を押さえて手をふるマチウを部屋に残して、僕は廊下を駆けだした。




