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ウンディーネは朝焼けに笑う  作者: 咲佐きさ


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第十一話

「聞いてくれよマチウ、ひどいんだぜセデュのやつったらさあ!!」

「どひゃああああ!? あ、ムッシュ・リーヴェ…よかったあ…」

 鬱々がたまるたび、僕はマチウの部屋を訪ねる。何しろすぐ隣の部屋だ。パートナーどころかハウスメイドすら手配されなくなったマチウが哀れなのもあるし、ここでなら張り詰めた緊張感から脱して、一息つけるというのもある。

 マチウの部屋はハウスメイドがいないせいか鍵も没収され、僕とバロットのたまり場と化していた。

 相変わらず蚤の心臓のマチウが飛び上がって驚くのが面白くて、僕はけらけら笑う。

「お。元気になったっすか、ルーシュミネさん」

「まあね! いつまでも落ち込んでられないからね! そういうの性に合わないし! ところで聞いてくれよ、セデュのやつ、僕と離れた途端にガラッと雰囲気が変わっちゃってさあ。なんだろう、付き合う女の子に合わせて変わっちゃうタイプ? みたいでさあ、なんかガッカリだよーマジで。裏表ないのが、あいつのいいとこだったのにさあ!」

「そっすか。じゃあセデュイールさんは諦めて、俺にしときます?」

「ちょっと。バロット、それはマズイって、冗談でも言っていいことと悪いことが…」

「んー考えてもいいかな。ていうか君、男抱けるの?」

「ルーシュミネさんならたぶん大丈夫っす。ギリギリ抱けます」

「ぎりぎりってなんだよ、ぎりぎりって!」

「いや、かなり抱けます」

「バロットそれ以上はヤメロ! 命が惜しくないのか!」

 ふざけあっているとあっという間に時間が過ぎる。僕はやっぱりこういうのがいいな。こういう、気楽なやつが。時計が17時を指したのを確認して、僕は立ち上がる。

「じゃ、そろそろふたりが戻ってくる頃だから、帰るよ。やーつらいよなあ、ハウスメイドって。碌に休むひまもない!」

「全然休んでたっすけどね、今」

「じゃあね、また明日~」

「ムッシュ・リーヴェ、あまりご無理なさいませんように…」

 扉を閉じて、ため息ひとつ。またあの、重っ苦しい部屋に戻らないといけないのかと思うと、僕はなんだか、死にそうな気分だ。



 まだ、二人は帰ってきていなかった。

 僕はぼんやりカラッポの部屋を眺めて、そこここに残る、二人の痕跡を辿る。

 花瓶に差した花は、ダイアナが花壇から摘んできたポピーだ。二人は睦まじく、庭園を散策することもあるのだろう。

 …僕は花を生けることなんて、考えもしなかったな。

 あいつが何の花を好きなのかも、僕は知らない。

 興味ないんでしょ、とダイアナの声がする。

 僕だってセデュのことが大好きなのに、やっぱり彼女にはかなわないんだろうなあ、と漫然と思う。

 クローゼットを開けると、湿っぽい暗闇が広がる。

 僕はそこに入り込んで、そっと扉を閉じた。

 クローゼットの中は、セデュの甘ったるい残り香がする。

 クローゼットにしゃがみこんだまま、ハンガーにかけたままのシャツを手に取って、鼻を寄せる。洗い曝しのシャツからは洗剤のにおいと、ほんのかすかに、セデュの香水が香る。

 あのとき、僕に見捨てられたと思って、ひとりぼっちでいたセデュは、こんな気持ちだったんだろうか。

 僕のシャツを抱き寄せて眠っていた彼がなつかしくて、胸がきゅうとなる。

 このまま寝てしまいたい。寝てしまおうか。なんだかセデュに抱き寄せられているようで、あたたかくて、僕はうとうとと目を閉じる。

 ――いっそ、このままずっと、目が覚めなければいい。


 ギイ、ときしんだ音を立てて、クローゼットが開かれる。

 どれだけ寝ていたのだろう。西日が隙間から鮮やかに目を射す。

 逆光になったセデュの表情はわからない。真っ黒な顔を見上げ、僕はぱたぱたと瞬いた。

「やあセデュ、お帰り。待ちくたびれたよ。あんまり遅いんで、眠っちゃった。ふああ、きみたち、きょうはずいぶん、盛り上がったんだねえ」

「…また部屋を、出ていたろう」

「んん、まあそれはさ、許してくれよ。ちょっとの息抜きくらい…」

「お前は、戻りたいのか?」

「え?」

「…ここにいたくないなら、前の部屋に戻ればいい」

「…」

「俺は止めない。お前の好きにしろ」

 投げつけるように言って、セデュは立ち去る。後にはサアアと、水の流れる音がした。たぶんシャワーを浴びているのだ。シャワーで、汗とか唾液とか、もろもろの体液を、洗い流しているのだ。

 …とうとう、最後通告を出されてしまった。僕はあと2日、残っているお務めを放り出して、セデュの部屋から飛び出した。


「ムッシュ・リーヴェ、よろしいのですか? その、戻らなくて…」

「いーのいーの、もうどーでもいいや。鞭打ちでもなんでもどんと来いだぜ! あっちがそのつもりなら、僕にだって考えがある!」

「その、考えとは…?」

「…」

「たぶんなんも考えてないっすね。衝動で飛び出してきちゃったんでしょ。ルーシュミネさんはそういうとこある」

「バロットお前はムッシュ・リーヴェのなんなんだ…?」

「ファンっすよ。10年以上推してますから」

「10年以上? すごいや、ありがとう。わー僕、自分のファンって久しぶりに会ったかも!」

「俺こそ感謝っす。生きててくれてあざっす」

「何の感謝だそれは…?」


 屯して管をまく僕らのもとにメイド長のアネットが訪ねたのは、ちょうどまた1週間が終わったその、翌日だった。

「ルーシュミネ・リーヴェさん、あなたにご指名が入りました。402号室のゲスト様からです。最後の1週間、ぞんぶんに励みますよう」

 堅苦しい罰則をなんだかんだと述べていた彼女とは思えないほどすがすがしい顔で、仕事放棄した僕を責めるでなく言って、メイド長は下がっていった。

 ――ご指名、ご指名、またご指名だ。

 考えたくないけど、どうしたって考えてしまう。

 2週間、つまり、14日間だ。14日間も、あいつらはやりまくってたってことだろう。

 なんだかもう、怒りを通り越して、脱力しちまう。

 僕を指名したのはきっと、二人きりでいるのを邪魔されたくないからなんだろうな。ハウスメイドを追い出して、あまあまの蜜月ってわけだ。ハハハ、笑える。

「ねえバロット、僕を抱いてくれる?」

「え、いいんすか。マジで俺、やりますよ」

「自暴自棄になるのはやめてくださいムッシュ・リーヴェ!! あとここは私の部屋!!!」

 


 マチウの部屋のベッドは狭い。寝相の悪いバロットに押しつぶされて呻るマチウの声を聞きながら、僕は夜空に目を凝らす。あと1週間だ。あと1週間で、この悪夢のような日々も終わる。そうしたら僕は、どこへ行こう?


 狭い窓からは、煌々と輝いているはずの、月は見えなかった。

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