第十話
夜の寝室は、シンと静まり返っている。キングサイズのベッドに寝た二人は、お互い背を向けあって、思い思いの惰眠を貪っている。
大広間で、べたべたのドロドロになってきた後だから、仕方がないことなんだろうけど。
僕は足音を忍ばせて、そっとハイヒールを脱ぎ棄てると、思い切ってセデュに馬乗りになった。
やけになったわけじゃない。彼の真意が知りたかったからだ。
「セデュ、起きて、僕だよ」
声を潜めて囁く。うん、と呻った彼の瞳が、夕闇の中でぱちりと瞬く。
「ルーか、…降りなさい」
「いやだ」
「明日も早い。お前ももう寝ろ」
「いやだ!」
セデュの胸元を掴んだ掌が、汗ですべる。僕はぶるぶると震えながら、鬱陶しそうに見つめる彼の視線に耐える。言いたいことを、全部言ってしまわなくちゃいけない。そんな強迫観念が、僕の背を押して急き立てる。
「僕は君の、君だけのハウスメイドだよ。君は僕になんでもしていい、なんでもできるんだよ。…なんで、なにもしないの。なんでふれてくれないの。どうして僕を指名したんだ、ダイアナとの仲を、僕に見せつけるため?」
「…ルー、ダイアナが起きてしまう。もっと小さい声で」
「なんで僕じゃだめだったの、君はもう僕に飽きちゃったの? ぼくがどうしようもないバカだから? 君のきもちも考えられないコドモだから?」
「ルー、静かに、」
「もう僕に、ふれたくないっていうのなら、はっきりそう言ってよ。生殺しは嫌だよ、セデュ…」
縋りつくみたいに言う僕を、セデュの鬱陶しそうな瞳が見つめる。彼の熾火のような苛立ちが感じられて、僕は怯む。でも、どうしても、後に引けなくなってしまった僕は、震える指でボタンを外す。
ダイアナが隣に寝ているってのに、いつ気づかれるかもわからないってのに、僕は追い詰められていて、まわりのことなんて気にしていられなかった。
ぷつり、ぷつり、と二つほどボタンを外したところで、セデュの腕が持ち上がり、つきあってられないとでもいうように、彼の目を隠す。
「やめろ、今この場で、お前にふれるつもりはない。自分の部屋に戻って、眠るんだ。いいな」
温度を感じない、冷然とした声が響いて、僕は、だらりと手をおろす。
やっぱりセデュはひどく怒っていて、それで僕は、それ以上何も言えなくなった。
暗い空に遠雷の音が、破滅のラッパのように、響いていた。
翌朝はやく、セデュとダイアナは連れ立ってどこかに出かけて行った。まるで夫婦みたいに手を取りあい、片時も離れていられないとでもいうみたいに寄り添いあって。
昨晩一睡もできなかった僕はマチウの部屋に駆け込んでしばらく眠り、目覚めたときはもうお昼過ぎだった。
僕がセデュの部屋に来てからもう4日になる。部屋に戻っても、二人は帰ってきていなかった。おそらく二人はもう、大広間にでかけていったのだろう。王侯貴族のような足取りの、見目麗しい二人に、感嘆のため息を吐くメイドや、見物人の姿が、容易に想像できる。
僕はまた留守番だ。ぼんやりと窓辺に立って、ざあざあと降り続く憂鬱な空を眺める。
やっぱりセデュもでかいオッパイがいいんだ。そりゃあそうだ、あいつも男だもんなア、なんて、貧弱な胸元を見下ろしながら漫然と考える。骨ばかり目立つ、細いだけのこの身体に、性的魅力が備わっていないことなんて、最初からわかってたんだ。それでもいいって言ってくれたのは、たぶん、あいつの気の迷いで、やっぱり違うって、きづいちゃったのが、今なんだろう。
どんどんむなしくなってきて、身体の中をひんやりしたものが貫いていくようで、どうにでもなれって気持ちになった僕は、とうとう部屋を抜け出した。
セデュとダイアナの現場を、観に行ってやろうと思ったんだ。そうしたらきっと、諦めもつく。
これが現実なんだって、きっと受け入れられる。
つかつかと進む廊下に人影はない。毎日のようにしているってのに、みんな、二人の絡み合いに、興味津々なんだろう。この館の熱気が全部、大広間に集中している感じがする。
僕は手すりを伝ってカタツムリの殻みたいな螺旋階段を下りて、シャンデリア輝く玄関ホールをまっすぐ進んで、ついに扉に手をかける。
あの時、セデュは僕の目の前で、すぐに扉を閉ざしていたっけ。なんだか、遠い昔のことのような気がする。
あの時あそこで帰っていたら、こんなことにはならなかったのかな。
もう、今更のことだけど。
扉を開くと、歓声と、まばゆいばかりの光が射して、僕は思わず目を閉じる。
拍手と嬌声、ため息と熱気、汗と精液の、ツンとくるようなにおいがする。
火を灯した無数の燭台の向こう、滲んだ僕の目に、人垣の隙間から、絡み合い縺れ合う、二人が見える。
やっぱり間違いでも、夢でもなかった。
これが現実だ。
どうしようもない僕が必死に縋っていた、最後の糸がぷつんと切れる。
僕はそのまま大広間に背を向け、延々とつづく柱廊を無我夢中で駆けて、ひとりぼっちで、苦しくて、苦しくて、苦しくて、そして、盛大に吐いた。
びちゃびちゃと嫌な音と臭いがして、僕はなんどもえずく。
涙があふれ出して止まらない。本当にもう、おわっちゃった。
どうしよう。どうすればいい?
このままひと月経ったとして、この場所から去ったとして、今までみたいに、セデュといられるわけがない。
こみ上げる涙にまかせて僕はしゃくりあげ、誰も聞いていないのをいいことに、子供みたいに泣いた。
人の気持ちは変わるんだ。永遠なんてない。僕はもう、セデュのところに戻れない。
いやだなあ、全部夢だったらよかったのに。
朝起きたら、僕の隣にセデュがいて、いつもみたいに優しく笑って、髪を撫でてくれるんだ。
――こういうところだ。こういうところが、セデュをうんざりさせるんだ。
いつまでたってもわがままで、自分勝手で、成長しない。
君は僕のものだって、ばかみたいに信じてしまってた。
大声で泣く僕は、近づく影に気付かなかった。
べたりともたれかかる汗みずくの身体と、すっぱいにおいと、熱い吐息が、頬に触れるまで。
「ひとりでいるのかい? かわいそうに。僕が遊んであげようね。こっちにおいで…」
ねばっこい声が絡みついて、僕は硬直する。動転して、ここがどこだか忘れてしまってた。セデュにも、マチウにも、バロットにも、ひとりでうろつくなって、言われてたのに。
…でも、べつにもういいんじゃないか? セデュのところにはどうしたって戻れないんだし、僕がどうなろうと、セデュはもう関心もないだろうし。
どうしようもない僕のくせだ。何もかもどうでもよくなって、ぶち壊しにしてしまいたくなる。全部めちゃくちゃになればいい。セデュに捧げた僕のからだも、こころも、もう行き場なんてないんだから。
僕は彼に応じようとして、涙を拭って、顔を挙げて――ぐいと力強い腕が、のしかかる男を突き飛ばすのを見た。
ダン、と荒々しい音を立てて、長い脚が僕と男の間を区切る。
「俺のハウスメイドに何か用か」
ぎろりと殺気だった目で睨みつける彼の、先ほどまで乱れていた彼の、壮絶な色気に、僕も男も何も言えなくなる。
はらりと、汗じみたオールバックから前髪が垂れて、鬱陶しいようにかき上げる。開いた胸元から滴る汗がきらりと光って、それがひどくセクシーで、美しいセデュの、眉を顰めた顔が、僕にはひどくなつかしくて、胸が、書き損じのスコアみたいに、くしゃくしゃに潰れる。
男は慌てたように去っていき、後に残された僕は、セデュの苛立たし気な舌打ちを聞く。
「なぜ部屋を出た。待っていろと言ったろう」
反射的に反抗しようとして、僕は、自分ががくがくと震えているのに気づく。
男がこわかったからじゃない。たぶん、怒りを、いらだちを、そのまま僕にぶつけるセデュが、僕に興味をなくしても、助けてくれるセデュに引き付けられていく気持ちが、こわかったのかも。
「セデュイール!」
大広間から、セデュを追ってきたらしい、ダイアナが駆け寄る。いつもの、足先まで隠れるシュミーズ姿のダイアナは、興奮に上ずったような顔色で、やっぱりとっても艶っぽい。
「ルーを部屋へ」
「ええ、わかってる」
夫婦みたいに通じ合う二人は見交わすだけで理解しあって、僕はダイアナに引き立てられる。
「ほら、行くわよ。しゃんとしなさい」
まるで母親のように気遣うダイアナは僕を励まし、僕らはそうして部屋に戻った。




