プロローグ
きっかけは、一枚の招待状だった。
『セレブの皆様へ、マルキ・ド・サドを追悼し、秘めやかに、当屋敷にて部外者厳禁のパーティーを執り行います。つきましては、某月某日夕間暮れの夜6時、ブーローニュの森に来られますよう――なお、当日は当方よりお迎えに上がりますので、パートナーを連れ正装にてお越しください。かしこ』
イタリック文字で記載された文面は、絶妙にアヤシイ。差出人が旧知の人物でなければ、即破ってゴミ箱行きになるような招待状だ。
一瞥して、無言のまま早速引き裂こうと手をかけるセデュを僕は慌てて止める。だってこんなの、明らかな非日常のお誘いだ。僕の好奇心がウズウズする。これって、新しい曲想が浮かぶチャンスじゃないか?
「まってまって、参加しないのは勿体ないって! 何があるのかちっともわからないけど、これ、この間のプロデューサーでしょう?」
「あの好色漢が孤島の城を買ったとは聞いていたが、まさかこんなことのためだとは…」
「えー大体予想ついちゃってる感じ? どんなことのためなのぉ? 教えてほしいなアー」
「……碌なことにはならない。やめておいたほうがいい」
「いいじゃないか、冒険のお誘いだよ!? 楽しみだなー、君は何着ていく?」
わくわくと浮き立つ僕にセデュは苦い笑いを向ける。どうあっても、彼が僕を止めることはできないのだ。ならば、そばについていたほうが、彼の心身も安泰、というものである。
「どうしても行くのか」
「行くともさ! ここのところ、フワフワしちゃって全然仕事が捗らないんだもん。ドカンと派手な刺激がほしいんだよー僕は!」
「…なら仕方がないな」
「そうそう! 君が一緒なら、そんな悪いことは起こらないって!」
僕とセデュは今、パリのシャンゼリゼ通りからほど近い場所に建つ、大豪邸で暮らしている。
ハリウッドに共に旅立って帰ってきてからこっち、一緒に暮らすことの利便性に気付いた僕はついに彼の懇願を受け入れ、同棲をはじめたのである!
僕の住んでた屋根裏部屋のアパートとは違い、ここは深夜にグランドピアノを弾きまくっても誰からも文句は言われない。最高の作曲環境だ。そうそう、あくまで作曲のためであって、仕事のためであって、セデュと片時も離れていたくないからだとか、そんな乙女チックな理由ではないのである! ほんとだからね!
大理石のシャワールームが3個にキングサイズのベッドが据えられた寝室が3個、天井まで本がびっしりの書斎だの作曲部屋だの値の張る音響機材だの年代物の蓄音機だのがあって、巨大なキッチンを仕切る雇われ料理人がいて、ハウスメイドが部屋を整えてくれて、あと室内にプールまである! なんのためかサッパリわからないけども!
とにかく非常に恵まれた環境で、いつでも隣にはセデュがいて(撮影に出かけない限り)、僕を見ていてくれるんだから、最高だ。ただ、満たされすぎて、幸せすぎて、浮わついた頭カラッポのハッピーな曲しかできないのだけが難点だ。ずっと二人でいると、いちゃつくのも際限がないっていうか、止められなくなっちゃうっていうか、そういうのもあるし。…。
まあそんなわけで、僕は刺激がほしいのである! 新しいアドベンチャー映画の劇版も任されてしまったしね! いやー、才能があるって大変!
まずは衣装選びと、一部屋分のクローゼットに向かいぽいぽいと手あたり次第かき回す僕を、セデュは苦笑しながら見守っていた。
そうこうするうち遂に当日だ。髪を無造作に纏め、装飾品といえばセデュがくれたピアスだけ。セデュが買ってくれたばかりのヘリオトロープの口紅は、少し悩んで内ポケットに入れた。
ぱちぱちと瞬いて鏡を覗き込むと、黒のタキシードにサテンのリボン、フリルのついたシャツを纏った僕が映っている。久しぶりの正装だ。舞台に立つ前みたいに、ワクワクする。
鏡越しにセデュの様子を窺えば、ちらちらとこちらを見ながら襟元を整えている。ワインレッドのクラヴァットに揃いの黒のタキシード、セデュのシャツにはフリルはなくて、シンプルかつ気品ある仕立ての代物だ。
「そろそろ出られるか」
「ウン、準備はオーケーさ。行こう!」
深紅の封筒に入った招待状を掴み、彼の手を取って僕は外で待たせているシボレーに向かう。
こうして僕らの、約ひと月にもわたる、最悪の日々が始まった。




