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眉薄の毎日  作者: ニオブ
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Ⅰ 陰キャの日常

さて、僕がこのエッセイを書いた理由だが、特に理由はない。そりゃあ共感してくれる人とか評価してくれる人がいるなら嬉しいけどただの陰キャの日常である。

 僕は中学生二年生で、周りから眉薄と呼ばれている。なぜ眉薄かというと眉毛が薄いからである。僕の母親は僕より薄いが、それを言っても信じてもらえないだろう。といってもそんなに眉毛が薄いという自覚はない。僕が『眉毛』という言葉に強く反応するのはそのためである。だが、あだ名なんて付けられて嬉しいものじゃない。そりゃあクラスの注目を集めることは出来るかもしれないが、正直は眉薄はダサい。

 陰キャと書いたが、自分では陰キャではないと思っている。学級委員に立候補したりするやつがなぜ陰キャと呼ばれるのだろうか。一つ心当たりはある。僕は運動が本当に苦手である。今は剣道をやっているが、人に話さないので運動ができるというイメージは持たれない。

 運動にはやはり得意不得意があるようで、僕は体力テストの結果は悪いとは言えない。ただし、悪いものは飛び抜けて悪い。まずは握力。今年は何キロだったかは覚えていなかったが、去年はとても低かった。低すぎて同じ部活の女子(ばんばんって呼ばれてる)に煽られたぐらいだ。まあそういうわけで握力は本当に弱い。そして、ハンドボール投げの記録はもっと酷かった。今年も去年も8m。この弱々しさがわかるだろうか?この記録を出した日、僕は学年中での笑いものになった。この低い記録には理由がある。ハンドボールが掴めないのだ。まず、握力が弱すぎるのが一つの要因である。もう一つは手が小さいことである。なんというか、僕は小柄なのだ。

 書いていなかったが、僕は身長がものすごーーーく低い。低すぎておそらく学年の男子の中ではワースト1位になるだろう。本当に低い。まだ150cmに届いていない。一年生の女子の平均よりも低い。だから時々三年生に間違えられて「おい一年!」みたいなことを言われる。さらにムカつくのは一年生に勘違いされた時だ。

 これは僕が塾に自転車を止めていた時のことだ。むかいから一年生がやってきた。なぜかこちらをガン見している。おそらく僕を誰かと勘違いしているようだった。そして煽り運転をするかのように近づいた後、僕が知らない人だということに気が付き、何事もなかったのように通り過ぎていった。

 さて、これが一回で済めばよかったのだが、僕が校門を出た時にこんな言葉をかけられた。

「おい〇〇(知らん人の名前)!待てよ!」

 こいつにも知らん誰かと勘違いされた。僕がそいつの横を通り過ぎていった時、そいつはこう言った。

「あれ?〇〇じゃねぇやん。」

 僕は自転車のギアを6にして漕いでいたため、目は合わずに済んだが、非常に気まずい。

 僕は自転車は基本ギアは6だ。ただし信号機で止まることになると1に変える。止まった状態からギア6で進み出すのはとても重いのだ。だがギアを6から1に変えたり1から6に変える時には『カチカチカチ』という音が鳴る。これが結構目立つのである。さらに僕の自転車は最近調子が悪く、ギア6に変えるとき全体重でペダルを押さなければギアが変わらないのだ。元々は漕いでたら普通に変えれたのに。そして、全体重をかけてギアを変えると必ず大きな音がなる。『ガッチャン』。田舎の街の方で立ち漕ぎをしながら『ガッチャン』という音を鳴らしているチビを見かけたらそれは僕だろう。

 しかし僕は身長が低いため体重も軽い。30kg代だ。これは自慢できることかもしれないが、僕には大問題だ。まず、ギアがなかなか変わらない。全体重を乗せても変わらないのだ。剣道でも問題が出てきている。体当たりでは必ず押し負けるのだ。剣道の稽古で『こて体当たり』というものがある。これは『こて』を打った後に体当たりをするというものだ。だが、前述の通り僕は体重が軽い。相手は剣道を長年やっているおじさんたちだ。大体の場合弾き飛ばされる。

 僕は剣道を始めてからすでに一年以上の月日が経過した。なぜ始めたかというと『相棒』の影響である。相棒は僕の幼馴染の一人だ。運動もできる、身長も高い、優しい、など僕とは正反対の特徴を持っている。この『相棒』は保育園の頃に知り合った。なぜか美術の先生に『ねぎくん』と呼ばれている。

 さて、僕の生い立ちについてだ。僕は県の県庁所在地に住んでいた。だが、住んでた家が狭すぎた。1DKに父、母、僕の三人で住んでいた。あまりにも狭いためこの田舎の街に引っ越してきた。僕の今住んでいる家は父の家族が住んでいた。が、ある日祖父母が差し押さえされた家を競売で手に入れてしまった。それで僕らはこの家に住んでいる。祖父母の家と僕の家はすぐ近くにあるが、引っ越しは大変だったそうだ。

 そのころ母は臨月だった。弟は引っ越してきてから生まれたのだ。つまり弟は田舎生まれである。そして僕と弟は保育園にも入ることになった。その準備も苦労したらしい。使う巾着袋などを祖父の提案で手作りしたそうだ。しかし、祖父のくれたミシンはほぼ壊れていたため、手縫いだった。そのころ、母は風邪もひき、咳の衝撃で肋骨も折れた。そういうわけでその頃は大変だったらしい。僕たちが入園した後、母はうつ病になってしまった。そういうふうにしてその頃は母にとって辛い時期だったが、僕は保育園で最初の友達と出会った。これは今の幼馴染だ。そこで相棒やばんばんに出会った。ちなみに、保育園の同じ年齢の人はほとんどが女子で、男子は僕と相棒だけだった。

 ある程度母のうつ病が治ってきたころ、小学校に入学した。保育園の頃、ずっと思っていた。『学校って絶対めんどくさい』。小学一年生ではめんどくさくなかった。中二となって今では、テストに怯えながら勉強をする日々である。ああ、めんどくさい。たくさんの人々と出会ったが、人の名前を覚えることができたことはすごいことだと思う。クラスは30人程度だが、昨日まで保育園児だった僕には大変だった。

 時は一瞬で流れ今や中学生である。小学生の時は『中二病』とよく呼ばれていたが、中二となった僕は中二病とは呼ばれない。眉薄より中二病が100倍はマシなのに!

次回は家族(主に弟)について書くかな?

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