第6話:道具屋の小人
ドアベルとして付けられていた風鈴が、チリン、と涼やかな音を鳴らす。
道具屋の店内は薄暗く、静かだ。
棚には魔石やロープといった冒険者向けの商品が多く並んでいる。
「カカオカ、いるか?」
ホタルが声をかけながら、カウンターのほうへと向かった。
ライトもその後を追う。
カウンターには木製の人形が⋯⋯いや、厳密には人形ではないかもしれない。
魔法の力で直立させられた木の枝に、目玉を描いた布が垂らしてあるだけである。
枝の分かれ方は腕のようにも見えなくは無いし、青々と繁っている葉はドレスのようなシルエットだが、人形と言うには自然的すぎる。
「カカオカ。ホタルだ、顔を見せてくれ」
ホタルは店の奥に向かって声を掛ける。
ガサガサと人形の足元が揺れた音がした。
ちょこまかと素早く動きながら、小さな影が人形の枝を登ってくる。
それは、手のひらサイズのリスだった。
ダークブラウンの毛並みはボサボサで、木屑が頭に付いている。
リスはホタルの顔を見て、嬉しそうに瞳を細めた。
「おんやぁ、ホタル氏~! ひさびさでヤンスねぇ~!」
リスは人形の頭に登って、ぴょん、とカウンターの上へ飛び降りた。
どろん!と魔力の煙が上がって、小人の女性が現れる。
野暮ったい眼鏡を掛けた白衣の少女だ。身長は20cm程度。出っ歯で、特有の愛嬌がある。
彼女が着ている安っぽいTシャツには「cashew is not cash」の字があった。
彼女が道具屋、兼、迷宮職人のカカオカなのだろう。
カカオカは興味深そうにライトを見上げながら、ホタルに言う。
「しかも人間のご友人も一緒、と⋯⋯。どういう風の吹き回しでヤンスか?」
「少しトラブルが起きてしまってね。
転移事故でそこの町に飛ばされてしまって、魔力枯渇で困ってるんだ」
「ほうほう⋯⋯。見たところ、旅の装備も無いでヤンスねぇ⋯⋯。
わかったっス。ホタル氏の補給、アッシが手伝ってあげるでヤンスよ!」
カカオカがくるりと振り返り、店番の人形を指差した。
「リトラシル! 倉庫から炎の魔石を持ってくるでヤンス!!」
人形がガサガサと葉を鳴らしながら、店の奥へと飛んでいく。
あんな見た目だが、使い魔として作られた立派なゴーレムだったようだ。
ホタルは微笑んで礼を言った。
「ありがとう、カカオカ。助かるよ」
「もちろん、タダじゃないでヤンスよ~! アッシも悪魔なんスからね~!
ホタル氏には、そこの迷宮で新商品のテスターをお願いするでヤンス!!」
「⋯⋯今の私は、飛翔術が使えないほどに疲弊している。
テスターをやるなら、かなりの量の魔石を先払いしてもらうことになるが⋯⋯」
「うぇえ!? マジぃ!? マジで言ってるでヤンスかぁ~!?
いやぁ、ホタル氏~! たまには嘘吐いてくれても良いんでヤンスよぉ~!?」
カカオカがカウンターの上で崩れ落ちた。
残念だが、ホタルは誠実だ。魔力枯渇だと嘘を吐き、魔石をせしめるような行為は好まない。
彼女もそれを知っているらしく、頭を抱えてぶつぶつと出費の計算をし始めた。
「⋯⋯ホタルさん、この人の話、長くなりそうですか?」
「ん? ああ、そうだね。退屈だったら、店の中の商品を見ているといい」
「わかりました」
ライトは端から順番に、店内の棚を眺め始めた。
魔界では魔法で解決できることが多いためか、ナイフや火打石の品揃えは悪い。
代わりに、炎が無くとも熱くなる鍋や、綺麗な水が幾らでも出てくる水筒など、便利な魔道具が並んでいる。
ぱっと見は普通のショベルやテントも、当たり前のように耐久を強化する魔術加工が施されており、ライトは思わず唸ってしまった。
「やっぱり、魔界は違うなぁ⋯⋯。
こんな良質な道具が、まるで投げ売りみたいに⋯⋯」
ライトは試しに、環境魔力だけで輝く小さな装置を手に取ってみた。
帽子や鞄につけられるほど小さくて、明かりの魔法が使えない者には必需品になるだろう。
値段は、聖貨に換算するとかなり高く感じるが、相場通りだ。⋯⋯市場に詳しくないライトにはいまいちピンと来ていないが。
ライトが商品を見ていると、枝人形が魔石の入ったバケツを持って戻ってくる。
カカオカは何かを諦めたように、カウンターの上で大の字に寝転がっていた。
「わかったでヤンスよ! 出血大サービスでヤンス!!
割に合わない取引だけど、ぜ~んぶ持ってけでヤンス~!!」
「交渉成立だね。助かるよ、カカオカ」
「もぉ~! ホタル氏だったから、特別に、なんスよ!!
こんなに安かったって他の皆に言ったらダメでヤンスから!!」
「勿論さ。私は誰にも言わないよ」
「その約束、破ったらタダ働きでヤンスからね!
⋯⋯リトラシル、ホタルの手伝いをしてあげるでヤンス!」
カカオカの指示で、人形がガサガサと動き出す。
人形は店内にあった椅子の前にバケツを置いて、ホタルが腰かけるのを待った。
ホタルが椅子に座ると、細枝を器用に動かしてブーツが脱がせられていく。
「ありがとう、リトラシル」
ホタルは微笑んで、バケツの中へと足を沈めた。
火属性の魔石が輝いて、魔力がホタルの体に流れ込む。
このまま暫く浸かっていれば、飛翔術が使えるようになるだろう。
心地良さそうに目を閉じているホタルを遠くから見つめ、ライトは小さく微笑んだ。
「ホタルさんの休憩が終わるまで、ボクは何をしていようかな⋯⋯。
せっかくだから、何か買い足すか⋯⋯」
ライトはロープや革袋といった消耗品の棚を見てみた。
⋯⋯魔界へ来る前にライトが稼いでいた金額と、まるで釣り合いが取れていない。
こんなの買ってたら赤字で冒険が立ち居かなくなる。
「魔界だと、このくらい簡単に稼げるのかな⋯⋯」
呟きながら、ライトは隣の棚を見た。
魔石のレプリカが並んでいる。
魔力窃盗を防ぐためか、「現物を確かめたい方は店員にお声がけを」と記された紙が添えられていた。
更に隣の棚には、キャンプ道具が並んでいる。
寝袋にテント、そしてランタン。
「こうして見ると、ホタルさんのカンテラはだいぶ古めかしいと言うか⋯⋯。
人間界で作られたみたいなデザインだよなぁ⋯⋯」
ライトはしみじみと呟きながら、手元のカンテラへと目を向けた。
⋯⋯ライトの手には、カンテラなんて、握られていない。
「あれ⋯⋯、無い⋯⋯?」
ライトの心臓が急激に早鐘を打ち始める。
嫌な汗が吹き出してきて、目の前が真っ暗になりそうだった。
「あ⋯⋯、あ⋯⋯、あああああッ!!
レストランに置いてきたぁぁああ!!」
食堂で、ホタルさんが実体化したのが嬉しくて、すっかり存在を忘れてしまった!
今のホタルさんはまだ、物を運べる状態じゃないのに!
何もかも元通りになったかのような気がして、カンテラを置いてきてしまった!!
ライトは慌てて道具屋を飛び出した。
ホタルに行き先を告げることも無く、一目散に町へと走る。
「あっ、ライト!? どこに行くんだい、ライト!?」
背後からホタルの叫び声が聞こえたが、ライトの脳内はカンテラのことでいっぱいだ。
ホタルがライトを追いかけようと立ち上がる。
しかし、反射的に使おうとした飛翔術は、魔力不足で失敗してしまった。
立ち眩みが起きて、ホタルがその場に倒れる。
「ホタル氏! 無茶しちゃダメでヤンスよ!!」
カカオカがホタルのそばに駆け寄る。
ホタルは魔力枯渇で上手く動かなくなった体に舌打ちをして、閉じた出口のドアを見つめた。
道具屋を飛び出したライトは、がむしゃらに走り続けていた。
長閑な道を越え、白い石畳を越えて、熊獣人の食堂のドアを壊しそうな勢いで開ける。
けたたましく鳴るドアベルの音に、女将が驚きながら振り返った。
「あの、ボク、忘れ物をして──!!」
「おっと、人間の坊っちゃんか。元気が良すぎてびっくりしたよ」
「ホタルさんのカンテラ⋯⋯! どこ⋯⋯っ!!」
「はいはい、大丈夫。落ちついて。
忘れ物のカンテラね。いま取ってくるから、座って待ってな」
女将が食堂の裏手へと向かう。
ライトは深く息を吐いて、カウンター席に座らせてもらった。
⋯⋯良かった。盗まれては無かった。
ほっとしたライトの腹が鳴る。
店内はもうじき昼時で、美味しそうな匂いが漂っていた。スパイスの効いたスープの匂い。
店の奥にある調理場から、鉢巻をつけた熊獣人が、丼を持って姿を現す。
熊獣人はライトの前に丼を置いて、ニタリと笑った。
「⋯⋯サービスだ。食ってけ、若いの」
「あ、はい。いただきます」
この獣人が、女将の言っていた「人間好きのうちの人」なのだろう。
ライトは遠慮せず料理を受け取った。
魚の骨で出汁を取ったらしいスープに、何かの野菜と麺が入っている。
「んー⋯⋯なんか、初めて食べる味⋯⋯」
魔界特有の野菜なのだろうか。
不味くはないし、ちゃんと飲み込めるが、そこまで美味しいとは感じない。
⋯⋯お腹は膨れそうだからいいか、とライトは思った。
忘れ物を受け取ったら、すぐにホタルの元へと帰るつもりなので、ライトはさっさと料理を食べきる。
「おお、良い食いっぷりだなぁ!」
料理人の熊獣人がニコニコと笑いながら、ライトを見ている。
皿が空っぽになると同時に、タイミング良く女将が戻った。
「あれま、アンタ! スープを坊っちゃんに出したのかい!
ちゃんとお湯で薄めたんだろうねぇ!」
「あったりめぇだろ! 人間さんに元のままは出さねぇよ!」
「それなら良いんだけどねぇ⋯⋯。
ほら、坊っちゃん。アンタの大事なカンテラだよ」
「ありがとう! じゃあ、ボクはこれで!」
ライトはホタルのカンテラを大事に抱えて、食堂を出た。
パタパタと帰路を走っていく。
その視界の端に、ふわふわと浮かんだ何かが見えた。
「──妖精さんだ!」
ライトの瞳が光り輝く。魔界で初めての妖精さんだ。
自然の魔力が集まって、毛玉のような形で実体化した存在。
桃色の塊がふよふよと路地裏のほうへと飛んでいく。
「どこに行くんだ、妖精さん!」
ライトの足が路地裏へと向く。
一刻も早く、ホタルのところへ戻らなければいけないなんて、考えていない。
帰りが遅れたら、ホタルなら心配するだろう、という認識も頭から抜けている。
ライトは夢中で妖精を追いかけ続けていた。
「うわっ⋯⋯!」
びゅう、と突風が吹いて、妖精が勢い良く飛ばされる。
ライトは慌てて駆け出した。妖精を追って、角を曲がる。
──その瞬間、出会い頭にぶつかってしまった。
「きゃあっ!」
甲高い悲鳴と共に、ライトとぶつかった女性が倒れる。
ラミアの女性だ。白いローブを身に纏い、手に持っていた果実が散らばる。
ライトは彼女に謝ることも無く、そのまま路地を走り続けた。
だって、ライトには、妖精が何より大事なのだから。
「⋯⋯って、うわ、わ、わ、わぁぁっ!」
女性を無視して立ち去ろうとしたライトの足に、ラミアの蛇の尾が絡みつく。
踏み出そうとした足を引き戻されて、ライトはべしゃりと転んでしまった。
顔面を思い切り打ちつける。痛いけど、それより妖精さんだ。
「ああ、見失っちゃう⋯⋯!」
ライトは慌てて起き上がり、落としたカンテラを拾い直して、再び走り出そうとした。
足に絡みついたままのラミアの尾が、そうはさせないと力を込める。
つんのめったライトは、またしても、地面にキスをする羽目になった。
ラミアがずるりと這い寄って、威圧的にライトを見下ろす。
「ちょっと、そこの人間さぁん?
ウチにぶつかっときながら、謝らんのはダメじゃねぇ?」
「えっ、何? これ、お前の仕業? 早くほどけよ⋯⋯!」
「うっわ、生意気。あんま調子乗ってっと、頭から丸呑みにすっぞ?」
ラミアがガパリと口を開く。
顎が大きく割けるかのように広がって、鋭い牙が輝いていた。
生温かい吐息がライトの顔に吹きかけられる。
普通の人間なら、本能的な恐怖で震え上がっていただろう。
「ほら、早く謝れよ。謝れ。
じゃないとウチが丸呑みにして、腹の中で反省させるぞ?」
ラミアの細長い蛇舌が、べろりとライトの頬を舐めてくる。
今にもかぶりつかれそうだ。
しかし、ライトの心には、妖精探しを邪魔された憤りしか湧いてこなかった。
仮にコイツの言い分に間違いが無かったのだとしても。
ここまで長々と足止めをするのは、制裁として過剰じゃないか?
だって、このせいで、妖精さんを見失った。
⋯⋯ふざけるな、としか思えない。
もちろん、これは自業自得だ。
ぶつかった時に「ごめん、でも急いでるんだ」と頭を下げておけば拗れなかった。
自業自得だが、ライトにはその認識は無い。
妖精探しの邪魔をしてきた、目の前のラミアが100%悪い。
ライトは無言でカンテラを持ち替え、利き手を腰の短剣に掛けた。
大口を開けたバケモノは、その口吻でこちらの様子がよく見えていない。
ライトにとって、ラミアは迷宮に住む敵だ。攻撃することに、躊躇いは無い。
「──ヴェナ! そこで何をしている!!」
誰の声が路地裏に響いた。
ヴェナと呼ばれたラミアの女が、面倒そうな顔になって、口を閉じる。
ライトは短剣の柄を握り締めたまま、近づいてきた人物を見た。
やってきたのは、カリバリだ。
ライトの足首に巻きつけられたヴェナの尾を見つけ、厳しい視線で彼女を射抜く。
「マウラ様の信徒として、恥ずべきところの無い振る舞いをせよと言っておいたであろう!」
「うっせぇなぁ! こいつがウチにナメた真似したから、舐め返してやってたんだよ!」
ヴェナが乱雑に尻尾をほどいて、べしりとライトの背中を叩く。
カリバリが「ヴェナ!」と咎めても、反省する気は無いらしい。
カリバリは深く溜め息を吐いた。
「申し訳ない、冒険者さん。拙僧の娘が大変ご無礼をしたようで⋯⋯」
「⋯⋯別に、いいよ。それじゃあ」
ライトは短剣から手を離して、足早にその場を立ち去った。
背後から親子喧嘩のような怒声が聞こえたが、どうでもいい。
妖精が飛んでいった方角へ路地を曲がってみたが、そこには何も、もういなかった。
「⋯⋯ホタルさんのとこに、帰ろう」
ライトはカンテラを抱え直す。
この港町は、どこもかしこも真っ白な建物の壁と石畳で、方角がすぐにわからなくなる。
それでも適当に進んでいれば、どこかで大通りに出る筈だ。
ライトは真っ白な道を、直感の赴くままに歩いた。
いくつかの角を曲がったところで、見覚えのあるラミアの女が目に入る。
「なに、アンタ。わざわざ戻ってきたの?」
ヴェナがライトを睨みつけた。
適当に進んでいるうちに、一周してきてしまったらしい。
路地裏にはまだ果実が転がっているままで、ヴェナは路上にとぐろを巻いて座らされている。
どうやらカリバリにずっと説教をされていたようだ。
ライトは路面を占領している二人分の尾に顔をしかめた。
「物凄く邪魔だ⋯⋯」
「おっと、これはすみません!
ほら、ヴェナ、早くどきなさい!」
カリバリがぺこぺこと頭を下げる。
一方、ヴェナはライトの姿を見て、何かアイデアを閃いたらしい。
ヴェナは素早くライトに這い寄り、馴れ馴れしくも肩に腕を回してくる。
「オヤジ~! コイツ、道に迷ってるみたいだから、ウチが案内してくるよ。
さっきのお詫びってことでさぁ~!」
「詫びか⋯⋯、良いだろう。くれぐれも愛情に満ちた振る舞いを忘れないようにな!」
「りょーかーい!」
ヴェナはケラケラと笑いながら、ライトを無理やり引っ張り始めた。
父親の説教から逃げるために利用されている。
ライトは腕の中のカンテラに視線を落として、まあ、いいか、と呟いた。
大通りまで案内されて、困りそうなことは無い。
「それにしてもさぁ。アンタ、なかなか肝が据わってんじゃん?
ウチに睨まれて泣かなかったの、流石は冒険者ってカンジ?」
ヴェナはライトの肩を抱いたまま、細い裏道へと導いていく。
「⋯⋯この腕、何? 歩きにくいんだけど」
ライトは離れようとしたが、ヴェナはがっちりとライトを捕らえて、横並びに密着している体勢を崩さない。
ヴェナは上機嫌に語りながら、薄暗い道への進んでいく。
「あん時は、泣いて『許して』って言われても絶対に止めてやんねー、むしろ締め上げて更に泣かす、って思ってたんだけどさぁ~。
アンタ、ウチのオヤジにも全然ビビんないし、そんじゃまぁウチも許してやるかぁ~って気持ちになってきて⋯⋯」
ヴェナがぴたりと足を止める。
ライトは目の前の建物を見上げて、溜め息を吐いた。
小さいながらも新しくて綺麗な教会。
どう見ても、ここは大通りでは無い。
道案内のついでに、酷い寄り道をされそうだ。面倒くさい。
ヴェナはニタニタと笑いながら、ライトの肩を強く抱き寄せた。
「感謝しなよ? マウラ様の教義に基づいて、ウチもアンタと結婚してやることにしたの」
「⋯⋯はぁー⋯⋯」
ライトは溜め息を吐いた。
これだから、マウラ異端派は嫌なのだ。
なんとも唐突にプロポーズ。こちらの拒絶は無視してゴリ押し。
しかも教義を曲解し、多対多の結婚を良しとする。要は浮気が合法判定。
ライトはカンテラを握り締め、思い切り隣へと叩きつけた。
「止めてください! それ、犯罪です!!」
ゴッ!と鈍い音がして、ヴェナの顔面にカンテラがめり込む。
ヴェナが痛みで怯んだ隙に、ライトは走った。
こんなところで道草なんて食ってられるか。
「おい! テメェ! なんてことしやがんだ!
乙女に傷つけた責任取って、おとなしくウチと結婚しやがれ!!」
「悪魔の癖に、この程度で傷つくな! ばーか!」
「あんだとぉ! ウチもうマジで怒ったかんなァ!
絶対に捕まえて、ウチの魅力でメロメロになるまで新婚生活させたらァ!!」
ヴェナが叫びながら追いかけてくる。
ライトはとにかく海が見えるほうへと走って、海岸線へと辿り着いた。
すれ違った通行人が、ヴェナのローブを見て何かを察したように合掌している。
ライトは潮風を浴びながら方向を変えて、町外れにある草原のほうへと走り始めた。
「オラァ、待てェ! ラミアの体力ナメんなよォ!!」
「うわ⋯⋯! これ⋯⋯、ちょっと、むりかも⋯⋯!」
予測不能な曲がり道から直線のコースに変わったことで、ライトとヴェナの距離が段々と縮まってくる。
もう少し走ればカカオカの道具屋に着くが、ライトの体力はギリギリだ。
ヴェナは身軽なローブ姿だが、こちらは冒険道具の詰まった重たいリュックを背負っている。
「追いつかれる⋯⋯!」
ライトは歯を食い縛り、懸命に足を動かした。
カカオカの道具屋は目前だ。叫べば助けがくるかもしれない。
ライトは声を張るために息を吸おうとして、そして──足元の石につまずいてしまった。
「うわぁ!」
「もらった!」
地面に倒れていくライトの背中に、ヴェナが飛びかかってくる。
この状態では避けられない。
ライトはぎゅっと目を瞑った。
「──迅雷防壁! 守るでヤンス!!」
詠唱が轟き、地面に一閃の光が走る。
ライトとヴェナを分断するように生まれたそれは、激しい雷を噴き上げて強固な壁を作り出した。
ヴェナが慌てて後ろへ飛び退き、悔しそうに術者を睨みつけてくる。
枝人形の肩に座った小人の悪魔が、楽しそうに笑いながら、道具屋の屋根からふわりと飛んだ。
「大丈夫でヤンスね、ライト殿?
仕事する前にくたばられたら困るでヤンスよ」
「だ、大丈夫⋯⋯。ありがとう、カカオカ」
カカオカがライトに声をかける。
ライトは転んだ体を起こして、ランタンを拾った。
「な、何よそれ! 他人が出てくるなんて反則よ!!
罰としてアンタもウチと結婚しろぉ!!」
ヴェナがカカオカを指差して喚く。
カカオカは笑みを崩さずに、真正面から拒絶を示した。
「嫌でヤンスよ。だってアッシは悪魔でヤンス。
神の教えとか知らねーっスよ!」
「し、知らないのは、ウチのほうだし⋯⋯っ!
アンタの信条なんか知らないし⋯⋯!!」
「そうでヤンスか。それじゃあ、さっさと尻尾を巻いて帰るでヤンス。
これ以上、宗教勧誘するなら、害獣避けの罠、起動するっスよ」
カカオカの瞳が冷たく染まる。
彼女の周囲でバチバチと小さな電撃が弾け始めた。
ヴェナが怯えて後ずさる。
悪魔としての格は、完全にカカオカが上だ。
ヴェナは泣きながら町のほうへと逃げ出していった。
悪魔の関係性は実力主義。こちらの言うことを聞かせるには、圧倒的な強さを見せつけてやることが何よりも有効な策だった。
「おとといきやがれ、でヤンス!」
カカオカはヴェナの背中に叫んで、脅しの雷撃を引っ込めた。
彼女はライトの顔を見上げて、優しく微笑む。
「おかえりでヤンス、ライト殿」
「うん。ただいま」
「早くホタル氏にも会って、安心させてあげるでヤンス。
心労は体にも良くないものでヤンスからね!
さあ、早く! さっさと入るでヤンス!」
「うわっ! ちょっと、押さないで⋯⋯!」
カカオカがリトラシルを動かして、ぐいぐいとライトの背中を押してくる。
ライトは入口のドアノブに手を掛けて、ホタルが待っている道具屋の扉を開いた。